第31話 夜の公園⑦

文字数 4,287文字

 鉄棒の軌道を変えた瞬間、俺は直ぐに芥から離れようと逃げる態勢に入った。だが、既に大量の血液を失っていた俺の足元はかなり覚束(おぼつか)なかった。足を踏みしめる過程で芥の左腕に引っかかってしまい、そのまま地面に倒れ込んでしまったのである。
 頬が土に(まみ)れ、更に薄汚れた。嗚呼、もうダメか。水蒸気爆発を想定した今回の作戦はなんとか予定通りにコトが進んだ。上手く行けば大爆発で芥の身体が吹き飛ぶはず。しかも其の爆発は、恐らくマキコの爆炎(ファイヤ)を容易に上回るはずだ。なのに、最後の最後で足が(もつ)れるなんて俺らしくも無い。俺は地球の表面に張り付きぐったりとしていた。兎に角、もう本当に疲れていた。此れ以上は身体が動かない。だが、意識を失い掛けた其の時、俺の両腕の付け根に不意に手が回され、身体が僅かに浮き上がった。後ろを見ると優等生のようなセーラー服が見えた。絶ヨウコだった。ヨウコは必死の表情で俺を持ち上げ、芥から距離をとった。直後に水蒸気爆発が起こり、俺とヨウコは爆発の衝撃で態勢を崩し吹き飛ばされた。
「…… ()ぅッ!」
「… ……ってぇッ!!」
 周辺は爆発により生じた大量の土煙によって、全く見通しが効かなかった。うつ伏せになった上体からなんとか顔だけを持ち上げると、比較的近くに倒れていたヨウコが肘をつきながら上体を起こしている最中だった。ヨウコも命に別状はなさそうだ。良かった、と朦朧とした頭で考えたのも束の間。目の前の砂煙の中に人影が現れて、俺は肝が冷えた。
「…… ………竹田ァッ!… …ヨウコも其処に居るの?!」
 現れたのは絶マキコだった。
 マキコは俺とヨウコの顔を見つけて、心底安堵した表情を見せた。良く見ると、二人共、戦闘で思い切り泥塗れになっていた。
「… ……マキコッ!… …そんな事より、奴は… ……芥はどうなった?!」
 俺は不図、戦いの事を思い出してマキコに尋ねた。だが、その俺の勢いがまるで他人事かのように、マキコはヨウコが起き上がるのを助け始めた。
「…… …急ぐこと無いよ。… …気になるなら、自分の眼で確かめてみれば良いさ。」
 マキコは両方の眉毛を持ち上げながら、無表情に云った。だがその顔は、何処か憑き物が落ちたように晴れやかに見えた。
 俺は姉妹を()(ちゃ)って起き上がり、一先ず芥の所に向かった。傷ついた身体が鉛のように重く、進める足は丸太のようで中々前に進まない。だが、それでもなんとか地面に寝転がった芥の所までたどり着くことが出来た。
 芥の身体は内側からの爆発の所為で半身が消し飛んでいた。芥の死骸を中心に直径5メートル程の地面が若干抉れていた。顔面も半分が削り取られたようになり、既に芥の魂は此処には無かった。
 遅れて絶姉妹が飛んできて、静かに傍らに降り立つ。この二人にとっては、(ようや)く果たせた復讐だった。
「… ……ついに、()ったね。」
 マキコが芥の死体を眺めながらぽつりと呟いた。
「…… ……うん。」
 ヨウコも静かに、感慨深く云う。其のヨウコの横顔を見て、マキコが不図、俯いて身体を震わせた。
「……マキコ… ……」
 ヨウコが気を使い、マキコの肩を抱こうと近づこうとした其の時、マキコが突然顔を上げた。その顔には満面の笑みが浮かんでいる。
「……私たちッ、ついに()ったんだよぉ!!!」
 大声と共に、ヨウコに思い切り抱き付く絶マキコ。喜びが抑えきれないというように、マキコはヨウコの身体を持ち上げたり、両手を力任せに左右に振り回したりした。其の一連の動作にヨウコは成すが儘と云った風情で身体を預けていた。
 俺もとりあえずは生き延びた事を喜んだ。落としかけた命だったが、俺一人の力ではどうする事も出来なかった。絶姉妹が居なければ俺は確実に殺されていた。俺は、俺が命を奪った絶姉妹(こいつら)に命を救われたのだった。
「… ……あのさ。」
「…… …?…… …なに?」
 俺は絶姉妹(ふたり)に向かって声を掛けた。両手を繋いで踊っていたマキコが一旦停止して云った。ヨウコも何事かという風に顔だけ振り向いて俺を見ている。
「…… … …なんつーか、其の… ……。…」
「… ……… …… ………何なのよ。」
「……イヤ、だからさ。…… …ありがとよ。… …お前等が居ないと、絶対死んでたからさ… …」
 俺は言い慣れないコトバをどうにか絞り出して云った。
 直後、絶マキコが目を大きく見開いて(まく)し立てるように云う。
「……き…… …気持ち悪ッ。… …何、かしこまッてんの?!…嫌ァー。アタシ、鳥肌が立っちゃったワァー。」
「…な!… …なんだって?!」
「……殺し屋のクセに、今更、なーに云ってんだかッ。アンタみたいなゴミクズヤローが他人(ヒト)に感謝とか、まじウケルんだけど。似合わなすぎ!気持ち悪すぎッ。」
「アァー?!… ……んッだよ、てめェッ!こっちはきッちり、貰ッた恩に対して礼儀を示してるだけだっての!」
 人の神経を逆なでるようなマキコの反応に、俺は心底イラついた。俺の言葉を聞いて、マキコが更に云う。
「ハァーッ?あんたの其のお礼って、ホントにお礼?それとも何かの後ろめたさ?単にジブンの気持ちを満足させる為だけのモンじゃ無いの?!あたし、そうゆーの、マジでイラつくんだけど。」
「……! …… ……ぐっ… …」
「まぁ、良いわ。とりあえず今日の大仕事は終わった事だし、文句も反省会も後からにしましょ。あたし、今からちょっと向こうのユーグで遊んでくる!」
 マキコはマイペースに云うだけの事を云い放つと、一散に飛び去り俺達の元から離れていった。
「…… …… ……くっそ。なんなんだよ、アイツは。一々俺に突っかかりやがって。クソ生意気な野郎だぜ、全く。」
 俺は痛む脇腹を抑えながら独り()ちた。取り残された俺とヨウコがぽつんと立っていたが、俺の言葉を聞いてヨウコが小さく話始めた。
「…… …… …あの子、口悪いけど、あれでも気を使ってるんです。」
「…アァ?… ……あれの何処が気を使ってるって云うんだよ。俺の心に残ったのはムカつきだけだってのに。」
「……あの子、ホント優しいコなんです。屹度、竹田さんに負担にさせたくないんでしょうね。だからあんな憎まれ口… ……」
「…… …… ……知らねェよ、そんなの。… ……」
「…… …」
「………」
 俺達は其れから一瞬口を閉ざした。
 戦いが終わった後の国立公園は元の静寂を取り戻したかのようだった。月夜が最初と変わらず輝いている。
「………!… …………竹田さんッ。……そう云えば、」
 その少しの間の後、ヨウコが突然話し出した。そしてその言葉を聞いて、俺も唐突に思い出す。
「… …!… ……そうだ、その通りだ。ヨウコ。」
 俺は脇腹の傷口を抑えながらヨウコに言葉を返す。
「… ……すっかり、芥の事に心が行ってしまっていて… …」
「……ああ、俺も忘れていた。… ……奴の事。」
 奴の事。つまり、謎の男、ヴァレリィだ。
 事務所での戦い以降、奴は姿を現していないが、あんなガス爆発如きで死ぬような(タマ)じゃない。奴は間違いなく生きている。此の公園での戦いも、何処かで監視していたのだろうか。
「… ……だが、仲間の芥次郎が死んだってのに、奴は一向に姿を現さない。」
「…… ……はい。…… ……」
 ヴァレリィの立場で考えてみると、奴の目的は俺だったはずだ。そして、其の為に芥を利用した。芥は俺達に敗れたものの、俺も絶姉妹もかなりの深手を負っている。つまり常道(セオリー)であれば、今が好機と云うワケだ。にも関わらず、依然として襲撃の気配が無い。俺とヨウコはしばらくの間、辺りをくまなく警戒していたが、聞こえてくるのは国立公園に生息する昆虫の鳴き声と、公園の外周をときおり走る車の音だけだった。
「……… …どうやら、… …何処にも居ないようですね。」
「…… …………そう、… …みたいだな。何故だか分からないが、今日の所は引き上げたようだ。」
 ヨウコが(ようや)く、と云った感じで警戒を解く。俺は奴に行動が全く信じられなかった。だが、事実として今ヴァレリィは国立公園内(この場所)に居ない。其の予測できない動きの奇妙さに、何時もの俺ならば原因究明を怠らないのだろうが、何せ今は皆傷つき体力を消耗し過ぎていた。此処は有難く、奴の奇妙さに甘えさせて貰おう。
「… ………居ないのならば、俺達も此処に居座る必要は無いな。とっととずらかろうぜ。」
 兎に角、今は一刻も早く風呂に入って身体を休めたかった。ベッドに倒れ込み、昏睡するかのように眠ってしまいたい。
「ええ。… …それじゃあ、一寸(ちょっと)、マキコを呼んできますね。… …………アラ?… ……」
 マキコを連れ帰ろうと、遊具のある方へ飛び立とうとしたヨウコが不図、目線を下げて何かを見つけた。しゃがみ込み拾い上げる。其れは芥の腰辺りにあったようだった。
「…… ……しゃ、… …しん? 写真の切れ端みたいですよ。…… ……竹田さん、(これ)
 ヨウコは拾い上げた其れを俺の眼の前に差し出した。其れは、ヨウコが云う所の『写真』とは判別がつかない程、ボロボロになっていた。厳密に云うと、写真の切れ端とでもいうようなシロモノだった。
「…… …………」
 其処には、俺と芥が映っていた。何故か見覚えがある。此れは確か、俺が事務所に入って、3ヶ月ほど経った頃に偶々(たまたま)撮ったものだ。事務所内の組長席で何処か得意げな芥と、生まれてから写真撮影というものが大嫌いな俺が、明らかに不自然な表情を浮かべて写っていた。
「… ……何故、芥次郎はそんなモノを?… …此れ、竹田さんデスよね?」
 ヨウコが焦げ切った写真の残骸を珍しそうに覗き込みながら云った。
「……あ、あぁ。」
 芥は本当に世話焼きだった。お節介が過ぎて、組内の連中の誰もが鬱陶しがったが、当の本人はそんな評価等どこ吹く風。交渉の遣り口も嫌らしく、端的に云えば人望が無い男だった--。思い出そうなんてすると、何故か詰まらない記憶の断片まで思い出されてしまう。此の写真も奴のそういうお節介な性格の所為だったのだろう。
「… ……… ……… ……良かったん、ですか?」
 ヨウコが俺の顔を見上げながら、静かに云った。俺は其の言葉で現実に引き戻される。
「………… ……。… ………何云ってんだよ、ホラ。行くぞ。早くマキコ呼んで来い。」
 俺は写真から眼を離して、ヨウコの背中をぽんと押した。その力で二三歩、足を踏み出したヨウコは、ゆっくりと宙に浮かんでマキコの居る遊具の方へ飛んで行った。
 俺は手に持った煤けた写真の切れ端を芥の死体の隣に置いて、傷だらけの身体を引きずりながらバイクの方へ歩いて行った。

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