その三

文字数 1,752文字

 波の音が聞こえる。……かなり大きな音だ。
 開いた瞳が、真横になった視界を映している。この時私は、全く状況が飲み込めずにいた。一面の砂浜と、奥には街並みへと続きそうな道が一本あるのが確かめられるが、ここは一体どこなのか。
 起き上がりながら額に手を当て、頭の中で過去の記憶を巡らせる。しかしべたついた感覚が私の邪魔をした。ふと視線を足元へ移すと、ズボンの裾の部分が海水でほとんど濡れているではないか。水際でかなりの時間、私は気を失っていたらしい。どうりで波の音もやたら近いわけだった。
「ああそうか」と私はそこでようやく思い出した。昨日の午前零時、私は阿部ノ港で犬飼と名乗る男と出会い、共に六稜島行きの船に乗り込んだのだった。
辺りは灯りも少なく犬飼の特徴は分かりづらかったが、大柄な男で顎髭をたっぷりと蓄えていたことだけは明白だった。
 船がやたら小さかったことと、犬飼が操縦をしていたことは覚えている。私以外には誰もその船に乗る者はいなかった。…そもそも、港へ真夜中にやってくる変わり者など一人もいるはずがないだろう。出航して間もなく天候が急激に崩れ始め、荒波が押し寄せる中、座席として与えられたスペースにしがみついていたのだが……。
「転覆したのか……?まさかな」
 それ以降私が新たに何かを思い出すことはなかった。立ち上がり、辺りを見渡すが船らしいものは一つもない。一方でほんの数メートル離れた所から私の荷物が見つかった。所々濡れてしまっている点以外に異常はない。どうやら船の転覆のせいで、知らぬ島に流れ着いたわけではないらしい。
「となると、ここが……六稜島か」
 空が白んでいる。夜明けが近づきつつあるのだろう。
 一見普通の島のようだが、この時私は何故か胸に抱く不安を拭うことができなかった。たとえアイハラがこの島のどこかにいるとしても。漂う気配か、それとも見知らぬ土地だからか。嫌な予感を感じ取る本能を、私は抑えることができなかった。
 気弱な感情を振り払うように頭を左右に振り、「とにかくまずは人を探さなければ」と私は考えた。嘘か真かも分からない雑誌の記事によれば、六稜島は無人ではなかったはずだ。
 私は今、島のどの辺りにいるのか。一緒に船に乗っていた犬飼はどこに消えたのか。アイハラという男を見たことがないか。……手に入れたい情報は山ほどある。
「進まなきゃ……事態は何も解決しない」
 普段から思っていること――実際に実行しているかは置いといて――を敢えて口にする。若干足を取られながら私は砂浜から出ようとした。
 しかし途中で私の口から「うわっ」という情けない声が出てしまった。何かにつまずいて、前につんのめったのだ。
「うう、……何だこれ」
 服や顔にまとわりついた砂を左手ではらい、足元を見つめる。そこは辺りの砂浜よりもこんもりとした山を作っていた。スーツケースぐらいの大きさだろう。何かが埋まっているようだ。
 一度は無視しようと目を逸らしたが、何故か私は再びその小さな山を見つめていた。それに対する根拠や思い入れなど決してないが、何故かその下に眠るものの正体が知りたくて仕方がない。
「金銀財宝の詰まった宝箱があるわけでもあるまいし」と半ば自嘲気味になりながら、私はその場に荷物を置き、辺りの砂を掘り起こし始めた。
 爪に砂が入るのも気にせず、一心不乱に掘り続ける。
「砂掘りだなんて、子供の時以来だな……」
 特に泥団子作りに夢中になっていたっけ。
 そうこうしながら数分も経たぬうちに私は砂山を取り除くことに成功した。しかし、そこで生まれたのは達成感でも懐かしさでもなく、驚きと恐ろしさだったのである。
「ひっ……!」
 あまりのことに最初は言葉も出なかった。
「どうしてこんなものが……どうしてこんなものが……」
 掘り起こした勢いで手にしたそれを手放すこともできず、ただただ慌てて数歩後ろへ退く。私が拾い上げてしまったのは何なのか、常識のある者なら誰しも予想できなかっただろう。金銀財宝や三種の神器といった類のものではない。もしそうだったなら私は万歳でもして喜んだはずだ。
 砂浜の深くから現れたのは死体だった。それも、部位ごとにバラバラにされた死体。
 私が両手で拾い上げたそれは、瞳を閉じた死体の首だったのである。
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