その十八

文字数 5,198文字


「解決の糸口はあったのか」
 私が尋ねると、ツバキは肩を竦めてはっきりと言った。
「さっぱりだね。これじゃあ歌姫の説得は難しそうだ」
 島木に対する聞き込みが終わったあとのことだった。
 ツバキは彼女に感謝の言葉を述べると、「一度外の空気が吸いたい」と私を連れて店を出た。そして彼は今、店を出てすぐの浜辺に腰を下ろしている。今頃喫茶サリアでは島木が、マスターと歌姫を捕まえて思う存分に話をしていることだろう。
「ここの浜辺は石が多いんだな。痛くないのか?」
「別に気にしてないさ。それにしても、あの人はお喋りだったね。自分の言いたいことさえ言えたら後はどうでもいいらしい」
 ツバキは大きく息を吐いた。さすがの彼でも長時間の会話には疲れたらしい。
「お疲れ様。けどお前に対してはうっとりしながら話を聞いていたじゃないか。俺に至っては視界に入る度に睨まれたんだぞ」
「好印象でもない人間に毎度うっとりされても嬉しくないさ」
 ツバキは一蹴した。よく知らない相手とはいえ意外と冷徹である。「薔薇に棘あり」とはまさにこのことか。
「結局あの後分かったことは島木の趣味と、彼女は運がいいってことだけか……」
 私はそう言って目の前に広がる海を眺めた。
 島木は六稜島に着いてから、歌姫の魅力と共に島の魅力にも惹かれたらしく、浜辺の散歩を趣味としていた。車椅子の男に会ったのも店に行く前に少し時間があり、浜辺の散歩も兼ねて周辺を歩いていたかららしい。この島は南西に海が広がっており、あとは崖だと言うのだから、島の中で海が見られる場所は意外と少ないのだろう。
 そして次に島木の運の良さについてだが、これには歌姫の大ファンであるが故の出来事があった。島の魔女と呼ばれる紫帆が、名前も顔も知らぬはずの自分に六稜島行きのチケットをくれたおかげで歌姫に出会えたことは勿論だが、加えて彼女が挙げたのは、歌姫のサイン付きのリボンテープを手に入れたことだった。
「歌姫のファンになって数回目の特別公演の時だったの!家に帰ってすぐに持ち帰ったリボンテープたちを順にほどいたら一つだけ!一つだけですよ?サインの書かれたリボンテープがあったんです!私もう心の中で万歳して喜びましたよ。おかげで歌姫の苗字も知れたし、彼の秘密を知るのは私だけって思うと嬉しくて嬉しくて」
 口調のせいか身体を揺らしてはしゃぐ様子は見苦しかったが、島木は喜びを隅々から表していた。歌姫がどこか困惑した表情を浮かべていたのが気になったが、島木が近くにいる手前、私はそれを彼に確かめることができなかった。そのことをツバキに伝えると彼は言った。
「それは気になっていたよ。というのもね、歌姫のことを多少は知っている僕の意見を言わせてもらおうか」
「ああ」
「彼はサインを書くような人間じゃない。実際本当にサイン付きのリボンテープが存在するなら、それを書いたのは全く別の人物だよ」
「そうなのか?」
「自分に自信が無いあの様子を見ただろう?サインを書くというのは「自分の名を知らしめる行為」でもある。周囲の目に晒されるし、自分はある程度有名な人間であるという認識を相手に植え付けるからね。それを歌姫がすすんで行うと思うかい?」
 言われてみればそうかもしれない。私は歌姫の姿を思い浮かべながら判断した。
「しかし」と私はツバキに尋ねる。
「歌姫がたとえサインを書くのに積極的でなくても、人から書くように頼まれたとしたらどうする?例えばマスターだ。あの人の頼みを歌姫が断れるとは思えない」
「だとしたら彼は書くだろう。ただし、全てのリボンテープにね。歌姫は店の客に区別をつけるようなことをする男じゃない。どの客に対しても平等に接するだろう」
「サインを書くように頼んだのが、被害者の成宮さんだとしても?」
「ああ、全てのリボンテープに書くさ。歌姫のそんな優しさを、彼女は尊敬していただろうしね」
「そんなにあの店のことが分かるのか?一週間しか島にいなかったんだろ?」
「職業柄、つい人を観察してしまう癖があるものでね」
「見習いなのに?」
「しつこいな、さっきから僕のことを疑ってばかりじゃないか。確かにまだ修行中の身だったけどね、なりたいと思ってそれなりの努力はしていたさ」
 ツバキは苛つきながら言った。まずい。このままでは歌姫の説得以前に、彼の機嫌を損ねてしまう。
 私は話題を変えることにした。
「成宮さんに関してはどう思っているんだ?歌姫の恋人であることの嫉妬から、彼女は殺されたと考えているのか?」
「それに関してはほぼ間違いないと思っているよ。ただね、島木さんの彼女への印象が良かったのが意外だった。あそこまで歌姫のことが好きならと多少は期待したんだけどね」
「島木から悪い印象が出ない限り、他の客も被害者に対して好印象を持っているに違いないと」
「そういうこと。まあ島木さんが嘘を付いている可能性はあるけどね」
 ツバキがそう言ったあと、しばらく私たちは黙っていた。
 果たして成宮亜矢子は誰に殺されたのか?店の外からの外部犯であることは有り得ない。犯人は当夜喫茶サリアにいた人物の中にいる。しかし当時は歌姫の公演中だった。店内は暗かったため、照明のすぐ下にいたマスターと歌姫以外は誰でも犯行が可能である。
 これまで聞いてきた内容に見落としはなかったか。私は先程の光景を思い出しながら必死に考えていた。こんなに思考することなど、小説の内容を練る時以来だ。
「……なあツバキ、こういう考えはどうだ?」
「何か思いついたのかい」
「犯人は車椅子の男だ。彼は被害者の成宮亜矢子と何らかの関係にあった。だけど彼女が歌姫の恋人であることを知って思わず嫉妬に駆られたんだ。動機は歌姫への愛じゃなくて、成宮亜矢子への愛が原因だった」
「ほう、それは盲点だね」
「しかし殺人を実行するにあたり、彼には問題があった。殺そうと思ったその日に限って、店内は常連客限定だったんだ。
 彼は浜辺で途方に暮れた。しかし思わぬ幸運が訪れた。島木がこの浜辺を散歩していたんだ。
男は殺意を隠して島木に助けを求め、そしてそれが叶った。あとは簡単だ。彼は店内の一番後方の席いたんだから、歌姫の公演中に後方の壁面から被害者のいた場所まで近づけばいい。こうすればたとえ車椅子でも容易に動くことができる。ましてメインの照明は落ちていたから、その隙に壁面のリボンテープを数本かすめ取れば、凶器もすぐに手に入れることが可能だった」
「……なるほど」
 ツバキは引き締まった顎に手を当てながら言った。そこそこ良さそうな反応である。手応えがあるんじゃないかと私は期待して彼を見つめた。しかし、
「さすがだねサクマ君、小説家志望とあって想像力が豊かだ。しかし、車椅子の男は犯人じゃない。君の意見は穴だらけさ」
 皮肉を込められた上に、はっきりと否定されてしまった。しかし「穴だらけ」と言われてはこちらも素直に受け入れるわけにはいかない。
「そこまで言うなら何か根拠があるんだろうな。先に注意するが、「成宮ちゃんがそんな不埒な恋愛をするわけがない」とかは言うなよ。この島の人間関係を全く知らない僕なりの考えなんだから」
「ああ分かった。それを抜きにしても根拠は沢山あるよ。第一にね、車椅子の男がわざわざ常連客限定の日に被害者を狙う理由がない。妄執な愛ゆえに公演中に殺そうとした。しかし去年の十月十日に実行に移せなかったのなら、別の公演の日にすればいいだけさ。歌姫と成宮ちゃんが恋人関係だったとはいえ、職場の同僚として店内を共にする機会は充分あっただろうしね」
「その十月十日が男にとって何か特別な日だったとしたらどうだ?常連客じゃなくても、なんとかして犯行を実行する必要があった」
「無理のある話だよ。男がその日、たまたま店内に入れたのは島木さんがこの浜辺にいたからだ。散歩をしていたのは偶然だし、車椅子の男とは初対面だったと彼女は言っている。初めて会ったばかりの君にあのヒステリックな態度だ。見知らぬ他人が自分を助けてくれる可能性に賭けるくらいなら、別の日に犯行を実行しようと判断するのが自然だと思うけどね」
「うむ」と私は思わず唸った。もっともな意見だ。
「車椅子の男を犯人にできない理由は事件の日程だけじゃない」
「他にもあるのか?」
「店内に落ちていたリボンテープさ。君も歌姫の話を聞いていただろう、壁面から剥がされたのは七本中四本だった。……サクマ、その剥がされたリボンテープの位置を思い出してみなよ」
 言われた通りに思い出してみた。歌姫が教えてくれたのは、私の視線より少し上あたりだったか。
「それがどうかしたのか?」
「どれも車椅子に座った人間に届く高さじゃないだろう。どう頑張ったって無理なんだよ、彼が店内のリボンテープを剥がすことは」
 ああ!と私は嘆息した。確かにそうだ。頭の中で考えるあまり、つい自分視点で全ての物事を考えてしまっていた。既に私の推理はツバキによって論破されつつある。
「どうだい、まだ何か言いたいことは?」
「……車椅子の男が歩けないことは確かだ。だけど、全く立てないとは限らない」
「その説に対しての反論は、もはや君でも分かっているだろう?わざわざ高い位置にこだわる必要がない。車椅子から立とうとするくらいなら、座ったまま簡単に剥せる位置のものを取ればいいだけの話さ。立ったままの人間から見ても自然に取れる位置だから、それで犯人として特定されることはない」
 私はうなだれた。半ば分かっていたが、こうも簡単に答えられると甚だ虚しくなる。
「従って、車椅子の男は犯人では有り得ない。彼はただの傍観者さ。島木さんの助けがなければ、その場にさえいなくて……」
 と、そこで突然ツバキは口を閉ざした。どうかしたのかと彼の姿を見下ろしてみれば、真剣な表情で何か考え始めたではないか。
「突然黙るなよ」と声をかけてみたが、彼はしばらくうわ言のようにぶつぶつと呟くだけだった。
「そうだ、車椅子の男は助けられたんだ……島木は男をなんの躊躇いもなく助けた……助けることに不都合なことなど何もなかったんだ」
「おい、ツバキ?」
「ちょっと黙ってくれ。いや、しかしだな……。君の先程の考えにダメ出しをしている時に気付いたんだ。壁面のリボンテープの話さ」
「何か閃いたことでもあるのか?」
「君は犯人だと思う相手が車椅子に乗っていたことを忘れていただろう。主観的な見方に陥っていた。しかしそれは僕も同じだったんだ。犯人の視点に立って、物事を考えていなかった」
 するとツバキはおもむろに地面の砂浜を握り、あろう事か私の足にそれを投げつけた。
「いたっ?!お前!いきなり何するんだよ!」
「痛かったかい?」
「……いや、驚くあまりに「痛い」とは言ったけどな。唐突に砂を投げつける奴があるか!」
 驚きと戸惑いを綯い交ぜにしつつ、私はぼやきながらズボンの裾にかかった砂を両手で払った。濃紺のジーンズにぼんやりと白い跡がついたが、払うと呆気なく元通りになった。
「しかしそれにしてもだな……あと一つ。あと一つ決め手に欠けるんだ。どこかに穴はないか……」
「おい。人に砂をぶっかけておいて、勝手に考えを進めるのをやめろ」
 しかし再び、ツバキは独り言をぶつぶつと呟き始めた。自分勝手な奴だと私はため息をつく。そして手についた砂を両手で払おうとしたところで、私は「あ」と口にした。
「どうかしたか」
 顔を一切こちらに向けずにツバキが尋ねた。
「ああいや、今気付いたんだが。……さっき歌姫に返すまで、ずっとリボンテープを持っていたから色落ちしたみたいだ。ほら」
 そう言って、私は座り込んでいる彼に右の手の平を突き付けた。くすんだ橙色が斑模様となって手にこびり付いている。強く握りすぎて付着したのだろう。安価な銀テープにありがちなことだ。
 しかしツバキはそれを見て、灰色の瞳を大きく見開いた。そして私の手を素早く掴み、まじまじと手の平を見つめると、突然にやにやと笑い出したではないか。
「おい、人の手を見て何を笑っているんだ気持ち悪い」
「いや、これは良い後押しだよサクマ。最高の手掛かりだ。正直頼りにしてなかったが、これは一筋の光明だよ」
 当然のように貶されたのはさておき、ツバキが何か勘づいたことに私は興味をそそられた。イタズラを閃いた時の子どものような表情だが、何か嬉しいことでも見つけたのか。
「店へ戻ろう、サクマ。もしかしたら上手くいくかもしれない」
 ツバキはすぐに立ち上がり、軽やかな動きで浜辺の砂を払いながら言った。
「えらくまた突然だな。上手くいくかもしれないって……歌姫の説得か?」
 私は通り過ぎて店に入ろうとするツバキの後を追いながら尋ねる。すると彼は振り返り答えた。
「いいや、歌姫の説得は後だ。もっとでかいことをやろう。犯人を問い詰めるのさ」
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