その十七

文字数 3,324文字


「隣から失礼」
 さらりと言ってツバキは島木の隣の席にいきなり座り出した。島木の目の前にはすでにアイスティーが出されている。私は突然のツバキの行動に驚きながらも、さらにその隣の席へと腰掛けた。
「な、なんですか。いきなり」
 島木はさすがに困惑した様子だった。しかしそれを押さえ込むようにしてツバキは言葉を続ける。
「突然話し掛けてすみません。僕の名前はツバキと言います。実は先程、マスターから一年前の事件を聞きまして、正直に言うと興味が湧いたんですよ。どうしてそんな悲劇がこの喫茶サリアで起きたのか」
「は、はあ……」
「それでさっきから店内をうろうろして、実際の様子を想像しようとしたのですが……どうにもまだ実感が湧かない。事件が起きた時、たまたま僕はその場にいなかったのでね」
 厳密には「殺された上にバラバラにされて、浜辺に埋められていた」だが。
「困ってマスターや歌姫に執拗に尋ねてみたら、その場にいた常連客としてあなたもいたようですね。そこでお願いがあるんです。事件当夜の様子を僕に教えてはくれませんか?」
 縋るような目で、ツバキは女の手を取り言った。たとえ恵まれた容姿といえど、さすがにそれは強引だろう。
 島木もそう思ったのか、断ろうとした。
「殺人事件に興味が湧いたって、人としてどうなんですか?それに私はせっかく歌姫に会えたのに……」
 と、島木は傍にいた歌姫に熱い視線を送る。歌姫は先程のこともあってか、ツバキを援護した。
「島木さん、俺からもどうかお願いします。これは俺にとっても重要なことなんです」
「そう。……まあ歌姫が言うなら仕方がないわね。いいですよ」
 仕方がないというような様子だが、その笑みは満更でもなさそうだった。歌姫の役に立てることが嬉しいのだろう。
 だが島木は一方で私の顔をじろりと見た。
「けれど、そこの人が同じ話題に加わるのはどうかと思います。見るからに無関係そうですし、部外者がいても無駄じゃないですか」
 やはり私のことが気に入らないらしい。私が睨み返したところで、ツバキは「まあまあ」と島木を宥めた。
「僕の知りたいことについて教えてくだされば、それで充分なんです。こちらのデリカシーのない男から尋ねることは基本的にありませんから」
「それでいいな」とツバキは私に確かめた。さっきから私は彼に助けられているのか、それとも馬鹿にされているのか。しかし今は構わないだろうと私は黙って頷いた。
「じゃあそれなら……分かりました。何でもお聞きください」
「ありがとうございます。……島木さんとお呼びさせていただいて構いませんか」
「ええ。それにしても「ツバキ」だなんて、今時珍しい名前ですね。見た目もかっこいいしまるでホストみたい」
 うっとりと見つめてくる島木に、「これでも一応本名なんですよ」とツバキは苦笑した。
「早速ですが、島木さんはいつ頃からこの店の常連となったのですか」
「そうですねえ」
 過去のことを思い出そうと、島木は人差し指を口元に当てた。
「だいたい去年の六月頃ですかねえ。突然船のチケットをもらったんですよ。六稜島行きの片道だけでしたが妙に気になってしまって。遂には住んでいた家を払ってまで来てしまいました」
 随分な決断だなと私は内心驚いていた。
「そうですか。歌姫のことを知ったのもその頃から?」
「ええ。この店で歌を歌うスタッフがいるけど、それは美しい歌声だと。…誰から聞いたんだったかな〜」
 しばらく唸ったあと、島木は「ああ!」と言って思い出した。
「堂島さんですよ、あの若い女の子。船のチケットもあの子が送ってきたんだった。「歌姫は私のお気に入りのうちの一人だ」とも言っていましたよ」
「へえ」と相槌を打つ一方、ツバキは隣にいる私にだけ聞こえる声で言った。「面倒な女が出てきたな」と。
「堂島さんの言った通りでした。私はすっかり歌姫のファンになってしまって。でも常連の中ではかなり新しいほうですよ」
「確かにそうですね。僕も彼の歌声に惚れたのは、二年前のことですから」
 ツバキは共感しながら言った。相手のことを理解することで、話をさらに聞き出そうとしているようだ。
「一年前の十月。あなたは一人でこちらに来られたのですか」
「いいえ。二人で来ました」
「それは誰か、お知り合いと?」
「それが違うんですよ。一人で店に行こうとしていたんですけどね。途中で車椅子に乗った男性と出くわしたんです」
 新たな人物の登場である。
「何か困っている様子だったんで尋ねてみたら、「喫茶サリアの歌姫が有名だと聞いて来てみたら、今日は常連客だけの貸切らしい。とても残念だ」と嘆いていて」
 島中の噂なのか、歌姫の実力は当時かなりの評判となっていたようだ。
「私思ったんです。わざわざ車椅子で島の端にあるこの店に来るなんて、なかなか苦労しただろうなって。人が栄えている繁華街から向かうのでも徒歩では少しはかかるでしょう?」
「そうですね。三十分程度は確実でしょう」
「そこで、「もし良ければ私の友達ということで一緒に行きませんか」って提案したんです。そしたら「おお!それは有難い!ありがとうございます」と仰って」
「ちなみにその方はお幾つぐらいに思いました?」
「恐らくツバキさんと同じぐらいだと思いますよ。三十代ではないと思います」
 そして島木は話を再開した。聞けばその後彼女は男の車椅子を押して来店したそうだ。席は島木が入口から見て左のテーブルの後ろの席、車椅子の男がその隣のテーブルの後ろの席……つまり店内で一番後方の席だった。常連客でないことがばれてしまうのを、男は恐れたらしい。
「車椅子の人とはそれ以降何も話しませんでした。歌姫のショーを楽しみにしている中、ファンとして邪魔はいけないなと思ったので」
「ちなみにその時の服装はいかがされていましたか?開店五周年という、店にとって特別な公演だったようですけど」
「もちろん普通の私服ですよ!わざわざドレスコードで来店する人はいません」
 島木は吠えるように笑った。身体の大きさもあって豪快そのものである。
「そうなんですね。すみません、まだどんな状況だったのか掴めずにいて。……お荷物もそちらの鞄で?」
「ええ。綺麗な色でしょう、私のお気に入りなんです」
 そう言って島木はバッグをツバキや歌姫に見せた。革製の鮮やかな緑のクラッチバッグだった。傷一つなく、島木が大切に扱ってきたのが分かる。しかもちょうど島木が今来ている服と同系色だ。
「なるほど。歌姫の公演の感想はいかがでした?」
「それはもう最高でしたよ!特に最後の曲の「愛するあなたへ」は聞いていて感動しました。普段は見られない歌姫の熱い瞳が見れたのも良かったです」
「島木さん、俺への感想は別に。……そこまで言わなくても」
「何言ってるの!もっと自分に自信を持ちなさい!それだけの才能があるんだから!」
 しどろもどろになりながら謙遜する歌姫に対し、島木は思わず彼を叱責した。どうやら歌姫は褒められることが苦手なようだ。自分と同じだと私は勝手に共感した。
「それはそれは。僕も聞きたかったですね。……歌姫。マスターから聞いたけれども、当時君が歌ったのは全部で四曲だったっけ?」
「え、えーと。確かそうだと思います。セットリストは覚えてませんけど」
「それなら私が分かります。「鳥籠のセイレーン」に「雪の竜」、「黒き眼」と続いて最後に「愛するあなたへ」で終わりました」
「よく覚えていますね、俺の歌なんて」
「うふふ、これでも伊達にファンをやってないわよう」
「ほら見なさい」と言って島木はバッグから数枚何かを取り出した。写真である。見ると歌姫とのツーショットやマスターも加わったスリーショット、おまけに歌姫単体のサイン付き写真まで沢山の枚数があった。一年前はこういうサービスも喫茶サリアでしていたのかと私は驚いた。加えて島木が余程歌姫に入れ込んでいることも、周囲に写真を見せびらかす様子で明らかだ。
「「雪の竜」も歌っていたのか。それは聞きたかったなあ」
 一方でツバキは当時の歌を聞けなかったことをまだ悔しがっていた。やけに根に持つなと後で確かめれば、「雪の竜」はツバキのお気に入りの曲だったのだ。
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