その二十九

文字数 3,361文字

「アイハラ!」
 私は友の名前を口にした。紛れもないアイハラの声だ。少しだけ声が高く、聞き取りやすいはっきりとした声。
「おいサクマ、アイハラって……」
 ツバキが驚いた様子で何か言いかけたが、思わずそれを無視して私は怒鳴った。
「お前!これまでずっと何してたんだよ!心配したんだぞ!」
「おおーサクマ!久しぶりだなお前!いやあすまん、ちょっと島に来た途端バタバタしてさあ!」
「二ヶ月もだぞ?一回ぐらい連絡寄越せよ!」
 未知の島で行方知れずとなっていたのに、久しぶりとは呑気なものである。しかしアイハラの声は至って元気な様子だ。ひとまず私はそのことに安堵した。
「悪い悪い!だって本土と六稜島と連絡取れねえんだもん」
「お前なあ……それにバタバタしていたってなんだよ!俺だってお前を追ってこの島に来てみれば、大変な目に遭ったんだぞ!」
 死体を発見したり、それが生き返るのを目撃したりと私は話したいことだらけだった。しかしそんなこと今はどうでもいい。私は青の携帯電話を強く握った。
「そんなことよりお前、今どこにいるんだよ!二ヶ月間連絡一つ寄越さないで何してたんだ!」
「場所?知らねえよ!だって俺自分がどこにいるか分かってねえし。あと何をしていたかはサクマ、親友であるお前でも言えない」
「はあ?」
 何を言っているんだと私は当惑した。
「え?島の北東だって?ありがとう。……ああサクマ、俺達今島の北東あたりにいるってさ!」
 アイハラの声の向こうで男の声がした。誰かと一緒にいるのか?
「どうして何してたか言えないんだよ!今そこで誰といるんだ。俺と会うのを渋ったのもそれが理由なのか!」
「ちげぇよ!こいつはお前も知っている奴で……つーか俺が渋ったってそれ!紫帆が言ったんだな?畜生あの魔女、そこは適当にごまかせって言ったのに!」
 アイハラには昔から振り回されてきたからある程度は慣れている。しかし今回はさすがに我慢の限界だった。
「何がごまかせだ!いい加減にしろよ!」
 視界の隅でツバキが驚き、背筋を伸ばしたのが見えた。私が本気で声を荒らげていることにようやく気付いたのだろう。アイハラの声は突如、萎んだ風船のように小さくなった。
「あ……。すまん」
「……」
「お前を除け者にしようとか、お前のことが邪魔だとか……。決してそんなつもりで言ったわけじゃないんだ。本当に」
 アイハラからの連絡がなくとも、その点はそうだろうと私は信じていた。これまでの付き合いで、友の今の心情はある程度分かるつもりだ。しかし私は怒りのあまり、何も言い出すことができなかった。
 懇願するように「信じてくれ」とアイハラは言った。
「サクマ。……なあサクマ、頼むから返事しろよ」
「……なんだよ」
「一度もお前に連絡しなくて、本当に悪かった。……心配かけたよな」
 不貞腐れる私に、アイハラは寄り添うように声を掛けた。あまり聞くことのない、優しい声をしていた。
「……とにかく明日にでも合流しようアイハラ。そしてこの島を出よう」
 こんな警察もいない摩訶不思議な島に、これ以上の用はない。私はアイハラにそう提案した。
 しかしアイハラはそれを拒んだ。
「いや、サクマ。……それは無理だ」
「なんでだよ」
「なあサクマ。お前だけ先に帰ってくれ」
「は?」
 突然の意味不明な頼みに私は呆然とした。しかしアイハラは先を続けようとする。
「いいかサクマ、これから大事なことを言う。一回しか言わないからよく聞け。いいか」
「待てよアイハラ!自分が何を言っているのか、頭でちゃんと分かってるのか?」
「いいか、言うぞ」
「元々この島に一緒に来ようって言ったのはお前で……!」
「時間がないんだ、聞いてくれサクマ!」
 切羽詰まった声で、アイハラは私の言葉を遮った。
「いいかお前。犬飼っていう髭もじゃの大男に、ここまで連れてきてもらったんだろ。俺もそうやってここに来た。そいつをこの島で見つけ出せ!そして本土に帰してもらうんだ」
「アイハラ!なあお前…一体何があったんだよ!」
「犬飼に頼む以外に本土に帰る手段はない。多少脅してでもあいつの船に乗せてもらえ。そしてこの六稜島から逃げるんだ」
「逃げるってなんだよ!それに、俺一人でどうして先に帰らなきゃいけない!お前も一緒に来ればいいだろ!」
「俺は無理だ!少なくとも今は……」
 今は?アイハラは今、何かに巻き込まれているのか?
「それは……今そこでお前がしていることと関係があるのか?」
「……」
「返事しろよ、アイハラ」
 そう問いかけても、友は肯定も否定もしなかった。
 それなら私の答えは決まっている。
「だったらこの島でお前を待つ」
 私は一つ深呼吸をして言った。
「サクマ……」
「お前を本土で待とうが、六稜島で待とうが変わらないだろ」
「帰れるうちに帰ったほうがいい。この島は狂ってる」
 狂ってる。ツバキと初めて会った時、「この島に来れば後悔する」と言われたことを思い出した。それでも私の決意は変わらない。変わるわけにはいかないのだ。
「……それでも俺は、ここでお前を待つ」
「いいのか?こっちはいつお前に会えるか分からないんだぞ?」
「構わない。勝手に待ってる。……方角もまだ把握していない広大な島で、一人の大男を探すのには苦労する。それに俺だけよりも俺とお前で、あの男を探した方が早い。そうだろ?」
「そりゃそうだけど……」
「なら決まりだ」私は勝手に断言した。
 そしてしばらく私とアイハラの間に沈黙が流れた。するとその後で、アイハラが「へへっ」と笑った。
「相変わらずお前は融通が利かねえなあ!せっかく俺が島の先輩として、為になることを言ってやったのに!」
 後悔するぞと言わんばかりの口調なのに、アイハラの言葉からは元気の良さと嬉しさが滲み出ていた。そのあからさまな反応につられて私も笑う。
「悪いかよ。仕方がないだろ、そう判断させたのはお前だ」
「そうだな、全部俺のせいだな!可哀想な稜一くん!」
 電話の向こう側で、彼は満面の笑みを浮かべていることだろう。アイハラに下の名前で呼ばれたのは久々だった。そもそも誰かに下の名前で呼ばれたことなど、いつ以来だろう。
「だけどいいか。一度でも本土に帰りたいと思ったら犬飼を見つけ出すんだぞ。分かったか」
「やけに念を押すな。有り得ないと思うけど、分かったよ」
「覚えとけよ、絶対だぞ」
 アイハラは真剣な口調でそう言った。普段は楽観的な友人が、ここまで言うのも珍しい。
 するとアイハラはしばらくして、罰が悪そうに言った。
「……悪い、そろそろ電話切らなきゃなんねえ。今からやることがあるんだ」
「こんな夜にか」
「ああ。安心しろ!多少命がけなだけだ!」
 アイハラは冗談めかしていたが、私には本当の冗談に聞こえない。どこにいるかも分からぬ友のことが、心配で仕方がなかった。しかしその事を伝えれば、かえってアイハラは不安を抱くことだろう。
 だから敢えて私は、彼に励ましの言葉を送った。
「よく分からねえけど、道中気を付けろよ。いつでも俺は待ってるから」
「おう!応援しといてくれ。いつか島中に轟かせてやるよ、俺のビッグネームを!」
「はは!なんだよそれ」
 私は笑った。心配する素振りを見せぬように。不安を抱えた本心を隠すように。
「ああそうだ、サクマ」
「ん?どうかしたか」
「今日の空、めちゃくちゃ綺麗だよな。俺、星座とかはさっぱりだけど」
「ああ……、そうだな」
 私は不意に夜空を見上げた。
「俺さ、六稜島に来てよかったよ。本当にそう思っているんだ」
「狂ってるとか言っといてか?」
「おう!意味が分からないような非日常に隠れて、自分の人生にとって大切なものが何か、教えられたからな!」
 アイハラは笑顔でそう言っているように感じられた。彼は彼で、私とは違う経験をこの島で味わったのかもしれない。
「そうか。……それは良かったな」
 私は心の底から喜んだふりをした。
「そういえばサクマ、知っているか?たとえ俺達が遠く離れていても、今見上げている空は同じなんだぜ?」
「分かっているよそれくらい。突然変なことを言うな」
「なあサクマ……、ありがとな。わざわざ俺を探しに来てくれて」
「……」
「じゃあまたな。また手が空いたら電話する」
「ああ、またな」
 そう言って私は、通話が切れる音がしてから携帯電話を閉じた。
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