その八

文字数 2,458文字

「レモンティーはいるかい?ティーパックだけれど、幸いなことに賞味期限が切れていなかったんだ」
 私が荷物を隣の部屋に置いてきた後、ツバキは自分の分を注ぎ入れながら尋ねた。よく見るとベストを脱いだ代わりに、グレーのストールを巻いている。先程紫帆がいた時とは一変、穏やかな様子だった。
「ではお言葉に甘えて」と私は言う。目の前に出されたカップにレモンティーが注がれた。小花柄のデザインのカップは、この部屋備え付けのものなのか、それともツバキが二年前に買ってきたものなのか。控えめだが部屋全体との調和が取れていた。
「……ところでツバキ。君はやけに紫帆さんに辛く当たるんだな」
 私は最初に思ったことを言った。隣の部屋にいた人物については、話題にしないほうがいいだろう。
「君の荷物にスペースを取られずに済むから、ある程度は黙っていたけどね。レディを庇うだなんて紳士的な態度を取っているところ悪いが、彼女にはあまり心を許さない方がいい。これはアドバイスだ」
「過去に部屋を貸してくれた上に、今では掃除までしてくれた。かなり優しくしてくれているじゃないか。それに加えて」
「生き返らせてくれたって?教えてあげるよサクマ君。世の中、望んで死を選ぶ人間もいるんだぜ。せっかく選んだ究極の選択を無下にするなんて、それこそ残酷さ」
「君は自殺したのか?さっき殺されたって言ってたじゃないか」
 この私の問いに対して、教えを説くように喋っていたツバキは答えるのに逡巡した。が、二秒と経たぬうちに、
「ああ確かに、僕は人の手によって死んださ」
 はっきりとそう言った。しかしそれ以上は答えたくないようだ。ツバキは一口レモンティーを飲むと、続けて私に忠告した。
「君に僕の過去をとやかく説明するつもりは毛頭ない。とにかくあいつが「魔女」と呼ばれているのは、現実にできないことを可能にするからだけじゃない。その力を使って己の我儘を貫き通す。だからタチが悪いのさ。覚えておくといい」
 細長い指を交差させて手を組み、ツバキは断言した。私はまだ納得出来なかったが、一先ずうなずいておいた。
 そうしてしばらくは沈黙が流れた。私はレモンティーを度々口にし、一方でツバキは木製の棚から一冊、本を取り出して流し読みをしている。レモンティーの味はさっぱりとしていて、インスタントながら美味だった。
 ツバキが本を取り替えるのにつられて、私は棚に並んだ本を眺めた。本はツバキが読んでいるものを含めて三冊あった。並んでいるのは『レ・ミゼラブル』に『ロミオとジュリエット』。手元にあるもう一冊は冊子のようだが、題名は書かれていなかった。
「二泊三日の予定にしては、かなりの本を持ってきたんだな」
「既に読了済みだからさ」と彼は言った。
「そこの二冊は仕事の参考に持ってきたんだ。必要はなかったけれど、持ってこなければ小言を言われたからね」
「仕事?さっきから気になっていたが、君の職業は一体何なんだ?」
「演出家さ」
「演出家?」
 これはまた普段からお目にかかることのない職業だ。
「ま、ごくごく小さな規模である上に、見習いに等しかったけど。……ところで君は?見たところ、力仕事ではなさそうだね」
 私の痩せた見た目で判断したのだろう。私はしばらく閉口した。聞かれたくない事柄の上位に入る質問だからだ。
 しかし何とか躊躇いがちに答えた。
「フリーターだ。……夢を諦めきれずに仕事を辞めたはいいものの、一度も芽が出た試しはない」
「ふうん。ちなみに夢って?」
「……小説家。けれど今じゃ、ほとんどただのコンビニ店員さ」
 私は自嘲気味に言った。
 こんな時、アイハラなら「また卑屈になってるぞサクマ!」と一喝することだろう。しかしいくら前向きに捉えようとしても、それができない。私は真性のネガティブ人間だった。これまで空いた時間を作っては作品を応募したり、編集社に持ち込んだりしてきたが、夢へのスタートラインにすら立てたことがない。
「才能がないんだよ、結局は」
「ふうん」
 ツバキは先程から興味があるのかないのか、曖昧に相槌を打つだけだった。
「……サクマ。君、お腹は空いているかい?」
「藪から棒だな。まあ……そろそろ昼頃だろうし、空いてはきたけど」
 そう言って私は圏外になっている携帯の画面を見たが、ここで異変があった。画面が真っ暗で何も反応しない。先程見た時の充電量はほぼ満タンだったのに。
「そろそろランチでもと思ってね……どうかしたかい?」
「ああ、いや、携帯が…電池切れにしては早いな」
「それは仕方のないことさ。この島では携帯は使えないからね」
「使えない?どういうことだ」
「理屈は不明だけど、六稜島に着くと携帯電話はもちろんのこと、手紙や他の連絡手段は全て絶たれてしまうのさ。島内の連絡手段は例外だけどね」
 ツバキのあっさりとした説明に私は衝撃を受けた。本土との連絡手段がない?何を言っているんだ。
「六稜島が「帰らずの島」「呪い島」と呼ばれていることは知っている。だけどそれはあくまでも噂だろ?いくら島でもここは日本のはずだ」
「日本の中でも残念ながら、この島だけは変わっているのさ。本土へこちらの状況や様子を伝えることは不可能。また、島から出ようにも犬飼という男を見つけられない限り、船を出すこともできない」
「そうなのか……?本当に?」
 にわかには信じ難い内容だ。雑誌に書かれていた適当な記事は、すべて真実だったというのか?
「少なくとも二年前、僕がこの島にいた時はそうだった。恐らく今も変わっちゃいないだろう、あの魔女がいる限り」
「紫帆がそのようにしていると言うのか?」
「さあね。彼女はいつもはぐらかしてばかりさ」
 ツバキは肩を竦め、ため息をついた。と思えば、おもむろに立ち上がり玄関へと向かうではないか。
「長話はここまでにして、腹ごしらえにしよう。おすすめの場所がある」
 ツバキはまたしても私を無視して先へ行こうとする。
「おい、勝手に何もかも決めるな!」と私は使えなくなった携帯電話をポケットに入れて後を急いだ。
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