その十五

文字数 2,203文字

「俺のファン事情……ですか?」
 歌姫は怪訝な顔でツバキに尋ねた。やや呆れている様子でもある。
「確かに俺は「歌姫」って皆から呼ばれてはいますけどね、所詮は大スターとかじゃないんですよ。せいぜいここで歌わせてもらってるだけです。そんな俺にファンがいて、しかも人を殺すなんてことがあるんですか」
「自分を卑下するのはやめてくれよ。君は充分に素晴らしい才能の持ち主さ。もしここで働いてなかったら、僕は間違いなく監督に君をスカウトするよう進言していたよ。本当さ」
 ツバキは肩を竦めながら歌姫を賞賛した。そういえば彼は演出家だと言っていた。本当かどうかは不明だが。
「ほら。まずは君の歌姫としての活動を、昔から知っているファンからだ」
「そう言われましてもね…。誰から説明したらいいかな」
 ツバキがにこにこと微笑みながら尋ねる一方、歌姫は頭をかきながら天井を見つめた。
「古くから俺を知っている人と言えば、最初に浮かぶのは編集長の西本さんですかね。マスターの古くからの友人で、その日は女性編集者の方も一緒でした。なんて名前だったかな…西本さんからあだ名で呼ばれていたような」
「それから?」
「あとは年齢が若くなりますけど、アパートオーナーの桃田さんに、教会勤めの七瀬さん。どちらも物静かな人で、連れもなく隅の席でお酒を嗜んでいたかな。七瀬さんがお一人で来店されたのは意外でしたけど」
「桃田さんが来ていたのかい?あの人が外出するなんて珍しいね」
「その通りですツバキ様。しかし彼女は意外と、歌姫のことを高く評価しておられるんですよ」
 マスターとツバキが桃田という女性のことで話が弾む。私が黙って頷いていると、そっと歌姫が耳打ちした。ハスキーだが優しい声だ。
「桃田さんはツバキさんの住むアパートの大家さんです。かなりの出不精らしくて」
「そうなんですか」
 ということは、先程の赤いアパートのことかと私は納得した。一方でこれまでの常連客のラインナップを見ると、六稜島に対する謎が深まってくる。
 日本のどこにあるのか分からない謎の島。本土との連絡が着かない絶海の孤島に会社や教会が存在しており、長らく生活を送っている人間がいる。どうやら私の想像以上にこの島は大きく、そして栄えているようだ。
「常連の中でも古参なのはその方々ぐらいですね」
「なるほど。それじゃあ次に、君のファンの中で特に印象に残っている客を聞いてみようか。もちろん、事件当日に来店していた客の中でね」
「分かりました。俺の印象に残っている客か……」
 ツバキの問いかけに、再び歌姫は上を見上げながら答えた。何かを思い出そうとする際の癖なのだろう。
「最近になってよくこの店に来る方がいますね。事件当日はほとんど初めて来たばかりだったんですけど、「これぐらい静かな方が、この店は似合ってるよ」っていつも仰って」
「それは花村さんのことだね、歌姫」
「ええそうですマスター。……あの方はどんな仕事をしてましたっけ」
「花村さんは情報屋だよ。西本さんの知り合いなんだ。……もともとは敏腕刑事としてカリスマがあったけれど、今ではすっかり草臥れた様子で」
「そうだったのか。俺はすっかり、元からああいう渋い人なんだと思っていた」
「いやいや。昔の彼はもっとキレがあって生き生きとしていたんだよ。奥さんを亡くしたからなのかな」
 今度は花村という男性の話でマスターと歌姫が盛り上がり始めた。ツバキも面識がないようで、私と同じように黙って聞き入っている。
「そういえば最近女の人と来られるようになりましたよね」
「ああ、あの赤髪のショートヘアをした女性だね。彼女は昔から付き合いのある助手らしいよ」
「すみませんマスター、その花村さんという方は元刑事なんですよね。事件当日、その刑事さんに捜査を手伝ってもらったのでしょうか」
 私はすかさず尋ねた。しかしマスターは悲しそうな表情を浮かべて首を振った。
「いいえ。私も必死になって助けを求めたのですが駄目でした。「今はただの情報屋だから」の一点張りで。……事件に関わることそのものから避けているご様子でした」
「そうですか……」
「歌姫、他に君の印象に残っている客はいるかい」
「他にですか」
 なおも尋ね続けるツバキに対し、歌姫は遂に黙り込んでしまった。もうそろそろ数が尽きてきたのかもしれないと私は思ったが、事実はそうではないらしい。
 マスターが口を開いた。
「歌姫。もしかして答えあぐねているのは、島木さんのことか」
「……ええ」
 どうやら印象的な客がまだいたようだ。しかし歌姫の様子は先程までと違い、少々躊躇いがちである。マスターもどこか浮かない顔をしていた。
「ツバキさんが犯人の動機を、俺に対する愛ゆえじゃないかと言いましたよね。さっきは有り得ないと言いましたけど……実は、一人だけ思い浮かんでいた人がいるんです。ただ殺人までするほどかと言われると、違うと俺は思っているんですけど……」
 私は思わず隣にいるツバキを見た。いつの間にか彼は微笑むのをやめ、口元に手を当てながら真剣な表情をしている。
「……ちなみにその島木さんという人に話を聞くことはできるかい」
「ええ、それでしたら」
 カウンターでグラスを磨いていたマスターは言った。
「もうすぐこの店に来られるかもしれません。いつもこの時間帯になると来店なさるんですよ」
そう言うや否や、喫茶サリアの扉の鈴がカランカランとなった。
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