その七

文字数 3,505文字

「ツバキは歳はいくつなんだ?……ええと、確か二年前に」
「一昨年の七月にこの島に来て、一週間耐えた後に死んだ。……そこから二年経つから、本来生きていれば二十七になる」
 おっと、では二つ歳上ということか。本来ならばある程度丁寧な言葉遣いを心掛けなくてはいけないところだろう。何しろ私の無茶な願いを、渋々了承してくれたのだから。
 しかし先程「くだけた口調で構わない」と言われた手前、私は自分が歳下であることを敢えて言わなかった。
「それにしても二十七歳だなんて、実感が湧かないものだね。いや、考え出したらそもそも二十五で死んだことにも、生き返る羽目になったことにも実感が湧かない」
 それはそうだろう。当人だけでなく、間近で目撃した私も実感が湧いていない。私はツバキの首にある大きな縫合の跡を見ながら何度も頷いた。
「そもそも死んだというのは本当なのか?眠らされていたとか、もしくはお前と紫帆さんがその……」
「謀っているんじゃないかって?馬鹿馬鹿しい。全く見知らぬ他人を驚かせることに何のメリットがあるのさ」
 ツバキの反論は極めて的を射ていた。確かにその通りだ。
「ところで俺達は今どこに向かっているんだ?しばらく歩いたが、建物や街並みがまだ見えない」
「反対方向に歩いてきたからね。まず何とかすべきなのは、君のその大きな荷物だろう?今日限定で僕の部屋に置いてやる。いかにも歩くのに邪魔そうで、見ている僕も煩わしい気持ちになるからね」
「いいのか?それは助かる」
「もっとも、二年も経って僕の部屋が存在するのかは不明だけど」
 自嘲するように言ったツバキに対して、私は新たな疑問を投げかけた。
「一週間の滞在か……それでわざわざ部屋まで借りたのか?」
「本来は二泊三日の予定だった。けれど帰りの船がいつまで経っても来なかったのさ。おかげで僕達は散々苦しめられた」
「僕達?複数人で来ていたのか?」
 するとツバキはしばらく口をつぐんだ。辺りは二人分の足音と木の葉のそよぐ音しか聞こえず、鳥の鳴き声は一つもしない。
「……ああ、そうさ。仕事で来ていたからね」
 仕事?と疑問を抱いたところでツバキは「あれだ」と指を差した。
 見ると赤い屋根のついた二階建てのアパートがそこにはあった。白い壁面がくすんでいるが、まだまだ築年数は浅いほうだろうと察せられる。
「一先ず建物自体は健在のようだ」
 外付けの階段を登るツバキの後を私はついて行った。二階へ上がると横並びに六つ、茶色の扉が並んでいる。白い壁面との対照で何となく愛嬌を感じた。
 そしてツバキは立ち止まることなく進み、奥から三番目の部屋でぴたりと立ち止まった。
「ここがお前の部屋なのか?」
「……いや、もう一つ先だった」とツバキはさらに奥へと進む。
 同じような扉が幾つもあって迷ったのだろうか。それにしては、やけに長く扉や表札を観察しているように感じられた。
 目的の部屋の扉の前まで着くと、表札のプレートは他の部屋と同様に空白だった。
「どの部屋も人がいないのか?」
「いや、ここの表札は元々あってないような物だった。持っている鍵が使えるかどうか……」
 そう言うとツバキはスラックスのポケットを探った。するとすぐに手元から鉄製の鍵が現れた。ボールチェーンしか付いていない、至ってシンプルなものだった。
 そのまますぐに鍵穴に差し込むのかと思いきや、ツバキはまじまじとその右腕を見つめていた。
「どうかしたのか?」
「あまりにも酷い傷だと思ってね。できる限り隠さないと、さすがに人目につくな」
大きくため息をつき、ツバキは改めて鍵穴に鍵を差し込んだ。何回か回したが、うんともすんとも扉から音は鳴らない。
「うん?壊れているのか?」
「もしかしたら……」私はふと思うことがあって口にした。
「既に開いているんじゃないのか?」
 聞くや否やすぐさまツバキがドアノブを回す。すると簡単に扉は開いた。そして中に入ると、なんとすでに人がいるではないか。
「あ、……やば」
 驚き戸惑う女。そこにいたのは紫帆だった。しかもただいただけではない。エプロンにバンダナ姿で、彼女は掃除をしていたのだ。
「……」
 隣でツバキはどうしているのかと見ると、無言で彼女を睨みつけていた。
「ああこれは違うんだ!その、埃まみれだろうから、多少は綺麗にしとかないとって……」
 紫帆はまだ何も追求されていないにも関わらず、すでに弁明し始めている。慌てたのか、さらには手に持っていた掃除機まで落とした。
「余計なお世話さ。僕の部屋を残していたとは驚きだが、一先ず出ていってくれ。今すぐだ」
 ツバキは容赦なく外への扉を指さして言った。まるで吐き捨てるかのようだ。対して紫帆は何か言うのかと思いきや、素直に彼の要望を受け入れた。
「ああ、そうだね。……ごめんね」
 しゅんとして背中を丸める様子は、なんだか不憫に思えた。そして素早く掃除機やらバケツやらを手に持つと、私たちの横をすり抜けて外へと出ていこうとした。入れ違うようにしてツバキは靴を脱ぎ、部屋の中へと進む。
 と、私の姿を目にした紫帆がふと立ち止まった。
「あ、サクマ。もしかして、荷物を置かせてもらいに来たの?」
「え?……ああ、そうだ」
 突然話しかけられたので私は少し驚いた。まだ知り合って数時間しか経っていないのに、紫帆はかなり気さくだった。その上先程より口調もくだけている。かく言う私も、荷物を置くという理由だけで素性の分からぬ男の部屋に入っているのだが。
「だったら部屋、貸すよ?」
「え?」
「部屋ならほとんど使われてないし。それに貴重品とかあるんでしょ?」
「それはまあ、財布とかはあるけど……」
 私は戸惑った。「部屋を貸す」など、簡単に言えることではないだろう。本来なら不動産業者が言うことだ。
「この建物は君が切り盛りしているのか?」
「ううん。所有者は私だけど、管理は別の人に任せてるよ。その人に頼んであげる。広さはここと全く変わらないけどね」
 私は改めて部屋の中を見渡した。洋室が二つにキッチンやトイレ、そして浴室がついている。バルコニーの日当たりも良さそうだった。
「荷物を置くためだけに、わざわざいいのか?」
「いいよ別に。余ってるし。それに、もし夜に君の友達のところへ案内できたとしても、さすがに一泊はするでしょ?そのまま、泊まってくれてもいいから」
 どうやら紫帆は本気で部屋を貸してくれるようだった。気持ちはありがたい。
 だがしかし肝心の問題が私にはあった。お金だ。ましてや部屋を借りるとなると、かなりの金額になるだろう。
「紫帆、すまないがそこまでしてもらえるほど、俺はお金を持ってきてないんだ。急いで家から港へと向かったものだから」
「あー、それなら要らないよ。まず私が君の友達の居場所を探すのが先だから」
「約束を破った時の保険のつもりかい?さすがは抜け目がないね」
 横からツバキが口を歪ませて言った。見ると奥のキッチンで彼は湯を沸かしている。テーブルには一人分のカップしかなかった。「長居せずにとっとと帰れ」と言いたいのだろう。
 紫帆はそんなさり気ない仕打ちに対して、最早けろりとしていた。彼女はエプロンのポケットをしばらく探ると、やがて一本の鍵を取り出した。ツバキが持っていたものと同じ鉄製だ。
「とりあえずサクマ、君に鍵を渡しておくよ。ここを出て一つ左の扉だから」
「あ、ああ。ありがとう」
 私は手を出して紫帆から鍵を受け取る。すると先程まで湯を沸かしていたツバキの表情が変わった。
「おい待て魔女。その部屋にはまだ人がいるだろ」
「ううん、いないよ?」
「嘘をつけ」
 低い声で威圧するかのようだ。私が受け取った鍵の部屋は……そう、あそこだ。先程ツバキが部屋を探す時に立ち止まっていた、あの部屋だ。
「まだあいつが住んでいるはずだ」
「ツバキ、まだ時間の経過に慣れていないみたいだね。君が殺されてから二年も経ったんだよ?」
 殺された、か。それはそうだろう。事故や自殺で、あんな状態になることなんて滅多にない。
「それでもあいつなら、自分の居場所は絶対に変えないはずだ」
「残念だけどその予想ははずれ。彼なら君を殺した後、何処かへ消えちゃった。この六稜島の果てで死んだのか、それともこの島から脱出したのか」
 紫帆は淡々と言った、まるでおとぎ話のように。対してツバキは唇を噛んだまま、魔女を鋭い眼光で睨みつけている。
「じゃ、私はこれで。……ああサクマ!心配しないで。部屋はさっき私が掃除したから」
 またねと紫帆は手を振り、扉が音を立てて閉まった。気まずい空気のなか、ツバキを殺した男の部屋の鍵は、私の手の中で鈍く光っていた。
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