その二十七

文字数 2,369文字

 歌姫が手を胸に当て、寂しげなメロディーの歌を歌う。
 彼の歌声は元々ハスキーなだけあって、寂寞感のある繊細な響きを持っていた。恋人が殺された真相も分かったばかりで、まだ心の整理がついていないからかもしれない。しかしその染み入るような声は、そっと私たちの心に寄り添い、支えてくれるかのような優しさがあった。
ワンコーラスの短い曲を、迷いもなく歌いきる。その姿には芯があり、彼の心が完全に折れていないことを表していた。ブランクがあったにも関わらず、歌姫の歌声は店外にまで美しく響き渡った。
 歌姫はこれから着実に、たとえ長い時間がかかろうとも、大好きな歌に磨きをかけていくのだろう。素人な私でさえそう思う程、彼は素晴らしい歌声を私達に披露してくれた。

 店を出て空を見上げると、満点の星空が私達を出迎えた。私がかつて住んでいた場所からは決して見られない星の数だ。まさか六稜島が絶景の天体観測スポットだったとは。新しい発見をした心地だった。
「結局、友人には会えなかったみたいだね」
 黒のストールを巻き直しながら、ツバキが声を掛けてきた。
「ああ。だけど連絡手段は手に入れられた。今日はありがとう、一日付き合ってくれて」
「どういたしまして。……と言っても、案内できたのは結局、この店だけだったどね」
 ズボンのポケットに手を伸ばし、私は紫帆から貰ったものを改めて見つめる。
 それは真っ青な色をした携帯電話だった。

 目当ての物を見つけた後、「はい、これ」と紫帆は私に手渡した。
「これは?」
「携帯電話。手持ちの物は使えなくなっちゃったでしょ?だから代わりにと思って」
 約束と未だに話が繋がらないが、とりあえず私は受け取った。スマートフォンではなく、俗に言うガラケーである。懐かしいなと思いながら私は折りたたみ式の携帯電話を開いた。初期設定の待ち受け画面が映っている。
「そこに君のお友達の電話番号を入れておいたよ。本当は案内する約束だったんだけどね」
「さすがに半日だけで、場所までは分からなかったか」
 本土で二ヶ月間調べあげても、六稜島についての有用な情報は得られなかったのだ。仕方がないのかもしれないと私は納得しかけたが。
「ううん、会いに行ったんだけど。その……お友達に断られちゃった」
「えっ……、それは本当か?」
 気まずそうに頷く紫帆に、私は複雑な思いがした。
 断られた?アイハラが断ったのか?
「それどころじゃないって言われて、急ぎで電話番号の書いたメモだけ渡されたんだ。……その、本当にごめんね」
 紫帆は申し訳ないと言った。嘘はついてないように見える。だとすると、さらに私の頭の中は混乱した。どうしてアイハラは、はるばる島へとやって来た私に会おうともしなかったのか?
「そんな……。他に何かあいつは言ってなかったか?」
「うん。今日の夜に一度は連絡するから、それで勘弁してくれって」
「勘弁してくれってなんだよ……」
 まるでこちらの要求を渋々了承したような返事じゃないか。
「なあサクマ。部外者が言うのもなんだが、君、邪魔者扱いされてないかい?」
 ツバキが横から口を挟むが、私はそんな軽口を受け入れるどころではなかった。
「そんなはずはない!俺とあいつは長年の付き合いなんだ!あいつの性格からしても、そんなことを軽はずみに言うわけがない!」
「まあ親しい関係でも、時にこじれることはあるけど……」
 紫帆もツバキと同様、私の意見に半ば懐疑的だった。
「元はといえば、六稜島に行こうと誘ったのはあいつなんだ!それなのに……一体何がどうなっている」
「訊かれても困るね。僕達はその長年の友人じゃない」
 ツバキが断言した通りだった。現にアイハラには会えなかった。私の疑問を解決できる人間は、他にいないのだ。
 アイハラの謎の態度を理解することもできず、ショックを受けている私に対し、紫帆は励ましの言葉を送った。
「本当にその、ごめんね。申し訳ない気持ちでいっぱいではあるんだけど。……けど、必ず今日中には電話するっていうのは約束させたから。それさえも破ったら、今度こそ君を連れていく。たとえ君の友人が嫌がろうとね。それは約束する」
「本当に……いいのか。今日出会ったのが初めてなのに、そこまでしてくれて」
「うん。このままじゃ私もなんだか気持ちが悪いから」
「ありがとう紫帆。それは助かる」
 私は彼女に頭を下げて礼を言った。しかしそんな穏やかな雰囲気にも関わらず、ツバキがそれを台無しにする。
「魔女にも人を気遣う心ってものがあるんだね」
「そうだよ。ツバキもたまには見習えば?君はいつも人を小馬鹿にするもんね」
「事実を諭してあげているのさ。これも僕の優しさだよ」
「どうだか。さっきのあの騒動だって、サクマがいなきゃ君が刺されていたんだろ」
 紫帆も我慢の限界だったのか、今度こそツバキに反抗した。どうしてこの二人はこうも常に気まずい関係なのだろう。少なくとも紫帆は、彼のことを嫌ってはなさそうなのだが。
「……まあ、そろそろ私は退散するよ。用事は済んだし、私がいると皆、気が休まらないだろうから」
 紫帆は歌姫とマスターの方向を見てそう言った。二人は未だに黙ったまま、紫帆を恐れた様子だった。
「そうだね。どこにいても君は、心から歓迎されないんじゃないのかい」
「酷い言い方。今回はやけに食ってかかるなあ!そんなに根に持ってるの?今日のこと」
「別に」
「はあ、まあいいや。……サクマ、部屋のことは気にしないでね。長期間この島にいたいのなら連絡して。私の電話番号も一応入れておいたから」
「ああ、ありがとう」
「心配しなくても、基本的に私から連絡することはないから。着信が鳴ったら、友達からだと思ってもらって大丈夫だよ」
 そうして紫帆は「それじゃあね」と私達に声を掛けると、店からそそくさと出ていったのである。

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