その六

文字数 3,037文字

 取り残された私は、再び横たわる男の元へ近づいた。一緒に過ごせと言われた以上は傍を離れる訳にはいかない。とりあえず私は、男の隣へ腰を下ろした。
 さざなみの音が途絶えることはない。海は荒れておらず穏やかだ。今日の天気は曇りのようで、八月の朝にも関わらず過ごしやすい気温だった。
「しかしそれにしても本当に……生き返ったのか?」
 私はまだ信じられない気持ちでいた。バラバラだった身体がくっついたのは確かだが、果たして本当に生きているのか?二年前に死んだと女は言っていたが。
「……」
 だんまりとして見つめる。この男がずっと目を覚まさず、あくまで死体のままだとしたら、私は今日一日この浜辺でじっと待たなければならないのか。それはそれで辛い。島の散策も出来ない上に、すぐに退屈になるだろう。圏外になった携帯電話は使えないも同然なのだから。
「それにしても本当に、人形みたいだ」
 先程のバラバラ状態の時は身体など見られたものではなかったが、今ならまともに観察することができた。
 手足は細長く一直線のようで、黒のベストにベージュのスラックス姿が特に似合っていた。しかしその飾りの無さが、かえって男が痩せぎすであることを強調しているようにも感じる。よく言えばモデルかダンサー、悪く言えば金に困った物書きだろうか。……現実の私の境遇が思い起こされ、憂鬱な気持ちになりそうだった。
「……いや、まずはアイハラを見つけることから考えよう」
 そうだ。余裕のない私の経済的状況は、今に始まった話ではない。目の前にある問題から一つずつ片付けていこうではないか。
 そう思った私が視線を男の身体から顔へ向けた途端、いつの間にか男がじっとこちらを見つめていることに気付いた。
「うわっ!」
 目が合い、思わずぎょっとする。
 生きているのか……本当に。
 私が後ずさる一方で、男は瞬きを繰り返して起き上がり、そして言葉を発した。
「男に見られて喜ぶ趣味は一切ないんだけどね、僕は」
 ため息混じりに言う男は、ぱっちりとした灰色の瞳をしていた。「本当に生きているのか」と私は思わず口にする。
「どうやらそのようだね。極めて不本意だ。死ぬ間際も「生きたい」だなんて、これっぽっちも思ってなかったのに。……ところで、どちら様ですか」
 男は私に尋ねてきた。極めて形式的に。
「「生きているのか」と尋ねたということは、僕のあの姿を見ていたのだろう?あの女とは知り合いかい?」
「あ、ああ。えーと……」
 矢継ぎ早に質問を重ねられては、こちらとしても答えにくい。私は顔をしかめたが、一つずつ丁寧に答えてやった。
「名前は佐久間稜一。この島に来て早々、気づいたらバラバラになった君を見つけた。……あの女というのは」
「島中で、魔女と呼ばれている女のことさ」
「彼女とは知り合いじゃない。そもそも、ここに来たのがつい数時間前のことだから、この島のことは何も知らない」
「ふん、そうか」
 男は興味もない様子で砂を払っている。だからだろうか、私は特に言葉遣いを気にせず話していた。
「ところで、どうして俺が彼女といた事を知っているんだ?話を聞いていたのか?」
「いいや。そこの足跡を見れば分かる。君以外にもう一人いたんだろう?いたとするなら、わざわざ死体の様子を見に来る人間なんて、あの女以外にいないさ」
 男は言いながら横を見ると、ぴんと指差した。その先を見てみると確かに、浜辺には点々と足跡がある。なるほど、それで気付いたのか。
「それにしてもどうしたものだろう。まずは周囲の散策からか。……以前と違う街並みがある可能性も、捨てきれないしな」
 男はぶつぶつ独り言を呟く。そしてなんの素振りも見せずに歩き始めた後を私は慌てて追った。
 すると彼が振り向き、怪訝な表情をする。
「どうしてついてくるんだい。僕はもう君に用はない」
「あなたに用がなくても、こっちはあなたに用がある。紫帆さんから頼まれたんだ。今日一日一緒に過ごしてくれと」
「やだね。なんだいその気色の悪い依頼は」
 男は明らかに不愉快そうにしている。しかし私も引き下がる訳にはいかない。
「交換条件なんです。今日一日あなたの話し相手なり付き添いなりしていれば、俺は行方不明になった友人の居場所を突き止められる」
「魔女が見つけてくれるって?本当に約束を守るかどうか」
「彼女は必ず案内すると約束した。だったらそれに乗るしかない。二ヶ月かけてようやく六稜島まで来たのだから」
「六稜島ねえ。後々後悔するさ君も。来なければ良かったと、心の底からね」
 男は辺りを眺めながら言った。どういう意味なのか気になったが、私は荷物を持って男の後をついて歩く。
「とにかく、形式だけでもいい。今日一日俺と過ごしてくれ!」
「やだね、君の勝手な願いに僕を巻き込まないでくれ」
「巻き込んだのは彼女のほうだ!俺だって、バラバラ死体だった男と一緒にいろだなんて言われて鳥肌が立ったさ!」
「ああそうかい。僕だって目を覚ました時、目の前にびっくり顔の男がいて鳥肌が立ったさ」
 オウム返しのような皮肉を言われても私は決してめげなかった。
「そうだ、確か二年前にここで死んだと言っていたな。この島についてもある程度知っているなら教えてくれ!頼む!」
「懲りない上に厚かましい男だな。知り合いでもないくせに」
「さっき俺の名前を教えただろう!佐久間稜一だ!名前を知ったからには知り合いだ!」
「そんな一方的な関係構築があってたまるか!」
 男も私に対抗するかのように声を貼り始めた。男の言うことは誠に正論なのだが、それ以上に私も負けず嫌いだった。
「じゃああんたの名前を教えてくれ!それでもう一方的じゃなくなるだろ」
「……」
 ついに男は唇を噛みしめ、しばらく黙り込んだ。その様子を見た私は、すぐさま彼に向かって頭を下げた。
「お願いします!友人の居場所さえ分かれば、それ以上は付きまといません。今日一日だけ、堂島さんが約束を果たしに来てくれるまででいいんです!突然のお願いだということは承知しています。しかしどうしても友人を見つけ出したいんです!助けてください!」
「……」
 男は腰に手を置き、私を見ているようだった。どうするか考えているのだろう。そうして何度目かの波の音を聞いたあと、男はため息をついて言った。
「やれやれ、降参だよ。こんなに図々しく頑固な人間は久々だな」
 頭を上げなよと男は続けて言った。
「呆れを超えて感心するね。分かった。しかし今日一日だけだ。あとで魔女が約束を破ったとしても、はたまた君の友人が結局見つからなかったとしても、僕は延長して君の手伝いをすることはない。いいね?」
「ああ、それで構わない!ありがとう!本当に助かった」
 私は喜びをあらわにした。一方で相手は肩をすくめている。
「そうだ、まだ名前を聞いていなかった。と言っても今日一日だけなら仮名でも何でも構わない。俺はあなたのことを、何と呼べばいい?」
 私の質問に対し男は「そうだな……」としばし考える。呼び方だけでそこまで考えるのかと思うほど、長く考えるというよりは悩んでいるように見えた。
「……ツバキ。これでも一応本名だ」
「ええと、苗字が?名前が?」
「どっちだっていいだろそんなの」
「じゃあツバキさんで」
「呼び捨てで構わないさ。見たところ、同年代だろうしね」
 そうか、ではよろしくと私は手をした。しかしツバキは故意か否かその手を無視して先を歩いて行く。
 慌てて私は荷物を持ち直してその後を追った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み