その十二

文字数 2,654文字

「なあツバキ」
 私は店の前で彼に声を掛けた。もうマスターが追いかけてくることはない。さすがに店を離れることまではできないからだろう。
「どうしたんだい。もしかして、僕に謝罪を求めているのか?仕方がないだろう。久々に来てみて、まさかここまで寂れてしまっていたとは思っていなかったんだから」
「そんなことは求めてない。むしろ逆だ、あんなに優しい人達の集まるいい店だからこそ、なんとかならないのか?」
 先を歩いていたツバキは立ち止まる。そして少し苛立たしそうに振り返って私に言った。
「……さっきも言ったけれどね。一年前の事件を解決しろだなんてほぼ不可能さ。歌姫を説得することも同様、僕達の出る幕はない」
「だから時を待つしかないって?」
「ああそうさ」
「本気で言っているのか?」
 私は既に気付いていることが一つだけあった。事件のことではない、歌姫のことだ。
「ツバキ、お前は金の指輪に気付いた。ならもう一つ気付いたこともあるはずだ」
「へえ、なんのことかな?」
「あの絆創膏だらけの手だ。右手だけでなく左手まで、明らかにおかしい。俺の言っている意味が分かるだろう?」
 私の真面目な問いかけに、あろうことかツバキは突然笑い出した。
「ふふ、マスターの代わりに褒めてやるよ。あれが歌姫の自傷行為だと判断しただなんて、探偵の才能でもあるんじゃないのかい?」
「ふざけるなっ!」
 私は思わず軽薄な様子の彼に掴みかかった。
「分かっていてマスターにあんなことを言ったのか?時間が解決してくれるだと?嘘をつけ!」
「歌姫の絆創膏の癖は二年前もそうだった。そう簡単には治せないだろうね」
「だったらどうして、マスターを助けてやらないんだ」
「素人が手を出しても余計に彼らを傷つけるだけさ。部外者は大人しく、事の顛末を見守るべきだと相場が決まっている」
「それは……他人だから関係ないと言っているのと同じじゃないか?」
「事実僕達は彼らにとって他人だろ?二年ぶりに店に来た客と、今日初めてこの島に来た客。真に力になれることなんてないさ」
 ツバキは私に真っ向から責められても動じる様子がまるでなかった。今日知り合ったばかりの私はともかく、助けを求めてきたマスターに対してまで、どうしてこの男はここまで淡白なのか。
「無事に解決できるかも分からない面倒事に巻き込まれるのはごめんなんだよ、僕は」
 ツバキは私の手を振りほどくと、再び先を歩いていく。遠ざかる彼の背中に、私は途方に暮れた。
 何とかならないものなのか?確かに私はこの六稜島には来たばかりで何も知らない。突然浜辺に現れた魔女のことも、目の前を歩く元バラバラ死体のことも。なす術もなく、訳の分からない状況に巻き込まれているだけである。
 しかしそんな状況でも、私には助けを求める人間の必死さや、悲しみに耐え忍ぶ人間の苦しみが理解できた。だからこそ力になりたいと、手を差し伸べようとする行為は余計なお世話なのだろうか。
 私は物書きとしても、人間としても非常に不器用だった。その分苦労を重ねた末にフリーターの身だ。だからこそ人の痛みには敏感に反応し、ついお節介を焼いてしまう。
 気付けばツバキの背中に向けて、私はあらん限りの声を上げていた。
「失敗するのが怖いだけだろ!」
 突然の大声にツバキは思わず振り向いた。しかし驚いたのは私もだった。まさかこれほどの声量が喉から出るとは思わなかったのだ。そして同様に、自分の口から出た言葉にも驚いていた。
「やってみなきゃ分からないだろ!お前は上品に気取っているだけの弱虫なのか?」
 勝手に言葉がスラスラと出てきてしまうことに私は戸惑った。私が発しているのは確かだが、どこか違う意志を感じる。どこか聞き覚えのある言葉、受け入れ慣れた感情……。
 思い出した。それは普段から私を鼓舞する時の、アイハラの言葉だった。
「「解決するのはほぼ不可能」と言ったな!それはわずかでも解決できる可能性があると判断したからだろう?一パーセントでもほんの数パーセントでも成功できる確率があるじゃないか!だったらその僅かな可能性に賭けてみてもいいはずだ!」
「なんだと」とツバキは私を鋭く睨みつけた。そういえばと私は思った。先程魔女との交換条件を彼に依頼する時に私が言った屁理屈も、アイハラ譲りの言い方だった。
「身勝手な言い方をするな!君と渋々一日を過ごすのとは訳が違う。分かっているかいサクマ。人が死んでいるんだぜ?」
「分かっているよ。犯人が見つかっていないことも、だからこそマスターがお前に頭を下げて頼んだことも」
 彼は何も言わなかった。
「ツバキ、お前はどうしてマスターに断るのにわざわざ時間をかけたんだ。本当に彼らを助ける気がなかったのなら、直ぐに断って店を出ることも出来たはずだ。……マスターを助けるべきか、迷ったんじゃないのか?」
 私の問いかけは遠く聞こえる波の音に吸い込まれ、やがて二人の間に沈黙が流れた。目の前のツバキはというと、先程から顔をしかめてこちらを睨むばかりだ。
 しかしやがて彼は大きくため息をつき、肩を竦めた。
「やれやれ……とんでもなく面倒な奴に関わってしまったな。分かった、分かったよ」
「マスター達を助けてくれるのか!」
「助けはするが、解決する気はない。あくまでも歌姫の説得が最低目標さ。……この妥協のようなやり取りも今日で二度目か」
 再びツバキはため息を落とす。一方で私は大いに喜んだ。しかしその後で彼は、そんな私に対して指を差して忠告した。
「いいか、君も僕を説得したからには言葉に責任を持ってくれ。僕に最大限の協力をすること、余計な行動は慎むこと。分かったな」
「当然だ。力になれることはなんだってする」
「素人二人で何かができるとは到底思えないけどね……。まあ、まずは一年前の話を聞いてからか」
 そして三度目のため息、余程気が乗らないらしい。
 私はそんな彼の気が少しでも変わらないうちにと、ツバキの背中を押して店の前へと促した。痩せた身体なので比較的容易に押せてしまう。
「おい、自分で歩くからやめろ」
「いいや、万が一のことがある」
「抵抗する気力なんてないよ。まだ僕の方が正しいと正直思ってはいるけど、あれだけの勢いに押されると流石にね」
 そして店の扉を開けようと私は手を伸ばしたが、先に向こうから扉が開いた。マスターがきょとんとした顔で私達を見つめていたのだ。
「おや。先程から喧嘩のような大声が聞こえたもので、様子を見ようとしたのですが。……もしや、ツバキ様達のお声でしたか」
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