その十三

文字数 5,339文字

「それは左様でございますか!」
 ツバキが先程の依頼を引き受けると聞いた後の、マスターの第一声だった。
「ありがとうございます。ツバキ様にはなんとお礼を申し上げたらよいか」
「礼を言うならサクマに言ってくれ。彼が別れを惜しむ女のようにしぶとかったから、折れたまでのことさ」
 ツバキはひらりと手を振りカウンターの席に腰掛ける。ものの例えに悪意を感じたが、引き受けてくれた手前私は反論せずにその隣に座った。
「サクマ様。本当に、本当にありがとうございます。この御恩は決して忘れません」
「気になさらないでください。島に来て僅かながら、私もこの喫茶サリアを気に入ったものですから」
 私はマスターからの感謝を素直に受け止めきれずに謙遜した。普段から人に褒められ慣れていなかったからだ。
「これはせめてものサービスです」とマスターはレモンティーとアイスコーヒーを出してくれた。
「ところでマスター。歌姫は?」
 ツバキは飲み物を一口飲むと尋ねた。
「もうすぐ戻ってくると思いますよ。どれだけ感情的になっても、仕事は真面目にこなしてくれますから」
 マスターは微笑みながら堂々と言った。
「そうかい。じゃあ、それまでに聞いておこうか。一年前の事件について」
 ツバキは私に目配せした。「辞めるなら今のうちだぞ」と、こちらの覚悟を試すかのような視線だったが私の意志は変わらない。
 私は黙って彼に頷いた。
「……それじゃあマスター、まずは基本的なことからなんだけど。ここのスタッフだった成宮ちゃん……成宮亜矢子さんが殺されたのは、およそ一年前ってことでいいのかな」
「ええ。正確には去年の十月十日のことでした。」
 マスターは目を細めて事件の概要を語る。
「島中に金木犀の花が咲いている頃でした。この店が開店して五年を迎えた記念として、歌姫がその夜に歌を披露することになったのです」
 なんと、喫茶店サリアはまだ開店して間もなかったのか。店の雰囲気から、もっと古くからある店だと勝手に判断していた。
「といってもこの店はこの通り、大したことのない広さですからね。急遽決めた公演にお誘いしたのは常連の方とそのお知り合いに限定したんですよ。それでも店の席が埋まるぐらいには皆様集まってくださいました」
「とすると、だいたい十五人ほどといったところか」
 ツバキが辺りをぐるりと見渡した。一方で私はすかさず気になったことを尋ねた。
「スタッフはその時何人いらっしゃったのですか?」
「私と歌姫、そして成宮さんの三人だけでした。常連のお客様方から、店のサービスもある程度くだけたもので構わないと仰って頂きまして。予定の合う者のみで店を開けました」
「くだけたもので構わないとはお客全員の総意だったのですか?それとも、誰かが代表して言ったとか」
「ええ、そうですね……。あの時は確か……歌姫の公演を前に私が挨拶をしたのですが、その際に私はそのことについて触れました。その時に皆様は何度も頷いてくださっていたので、皆様全員のご厚意だったのではないかと」
 一部しどろもどろになりながらもマスターは丁寧な説明を試みた。何しろ一年前のことだ、詳細なことを思い出すには時間がかかるのだろう。
「ああそういえば。前日にそのことを伝えて下さった方がおられましたね。皆様のお心配りだったということは、あとから知りました」
「ちなみに前日というと、具体的に何日のことか分かるかい」
「はて、さすがにそこまでは……」
「ふむ、そうか」
 ツバキは顎に手をやり、考える仕草を見せた。が、すぐに「先を続けて」と手を振りマスターに促した。
「歌姫の公演があったのが、午後八時頃。それまでは何事もなくバーとして機能しておりました。時間が近付くにつれお誘いしたお客様達も集まりだし、私たちも準備を済ませたのです」
「準備というと、やはりマイクとか機材ですか?」
歌姫の歌う姿が、……あの長い前髪の男の歌う姿がいまいち想像できずに、私はマスターに尋ねた。
「左様でございます。しかしさほど時間は取らないので、注文の空いた時に行っていたのですよ。一つ段があるだけのスペースで、「ステージ」と呼ぶには程遠いものですから。電源を入れるだけで事足りました。それよりもですね」
「何か他の準備に時間が?」
「ええ、といってもこれまた些細なものと言われたらそれまでなのですが。毎度歌姫の公演を特別に開く時は、記念としてリボンテープの飾り付けを行っておりました。サクマ様はご存知ないかと思いますが、この島は金木犀の花が特別多く咲くことで有名なのです。ですから、その橙色を模したリボンテープで店内を飾る準備をしていたのですよ」
「金木犀……ですか」
「ええ。それはそれはとても良い香りで」
「マスター、ちなみにその準備は三人でしていたのかい」
 話が脱線しかけたが、ツバキの質問で再び事件当時の話となった。
「ああいえ、私と成宮さんの二人で行いました」
 それにしても、六稜島で金木犀が有名だとは初耳だった。金木犀の花は好きだが、とりわけアイハラが好きだった記憶があった。
「そうして準備も終わり、時間通りに歌姫の公演は始まったのです。店の照明は最低限だけ残して、歌姫は全四曲を続けて披露しました」
「公演時の照明は、ステージとカウンターの二つだけだったか」
「よく覚えていらっしゃいますねツバキ様、その通りでございます」
 マスターは感心して頷いた。
「今思うと照明の明かりも、飾り付けのリボンテープも、悔やまれることばかりでございます。……まさかあんなことになるとは」
「歌姫が言っていたね。歌の披露中に、彼女は殺されたのだと」
「ええ……。彼女の変わり果てた姿に気付いたのは、歌姫の公演が終わった直後でした。明かりの電源を、近くにいた常連客の方が付けて下さったんです。そこで誰もが驚きました。仰向けに倒れた彼女の遺体に、首を締められた跡があったのですから」
 マスターはため息をつき、しばし瞑目した。思い出すにも辛い有様だったのだろう。
「首を締められた跡……か」
 ツバキがぽつりと呟くように言った。
「ええ。その幅は、店内に飾られていたリボンテープとほぼ同じでした。慌てて店内を確認しましたら、何本かのリボンテープがほどかれた状態で床に捨てられていたのです。それもただほどかれていただけではなく」
「強く引っ張られた形跡があったと?」
「ええ。それで私達は察したのです。誰かがリボンテープを使って、彼女を殺めたのだと」
 マスターは「失礼」と言って手元にあった水を飲み干した。どうやら事件の概要をあらかた説明し終えたようだ。

「ほどかれたリボンテープというのは、どこに落ちていたのか。まさか歌姫の公演中に、全てのリボンテープがほどかれていた訳ではないだろう?」
 歌姫はまだ店内に戻ってこない。その間にツバキは、できる限りのことをマスターに尋ねた。
「それは全て、このカウンターから見て奥の丸テーブルの後方に捨てられていました。入り口から最も近いテーブルの右側とも言えましょうか」
 私はマスターの指差した方向を見つめた。店内は入口から入って右側にカウンター、奥にステージ用のスペース。そしてステージ用スペースに向けて、くの字になるように三つの丸テーブルがあった。テーブルごとに四つの椅子を設けてあるが、事件当時は歌姫の姿が見やすいようにと、ステージ方向にあった椅子は全てスタッフルームに収納しておいたのだという。
「となるとカウンターとその近くのテーブルにいた客は、容疑者から除外されるのが通常の考えかな」
「ええ。ですがそういう訳にもいかなくなりまして」
「何か問題があったのですか?」
 私は思わず尋ねた。
「先程も申しましたように、ほどかれたリボンテープは数本発見されたのですよ。なので犯人がどれを使ったのか見当もつかなかったのです。加えまして、リボンテープを装飾に使う機会はよくありましたから、記念に持って帰ったことのあるお客様もいるわけです」
「なるほど。つまりあらかじめリボンテープを持ち込めば、歌姫の公演時にどの席に座っていても犯行に及ぶことは可能だった。容疑者を絞る時に、そうやって主張する客が出てきたんだね?」
「左様でございます」
「しかしツバキ、それでもカウンター周辺にいた客に犯行は無理じゃないか?被害者の女性のいた場所へ移動するには人目が沢山ある」
「いいや、席の後ろをこっそりと通れば案外ばれないものさ。公演中はステージとカウンターしか照明がついていなかった。今は窓から日が差しているから想像しにくいが、この店内は公演中かなり暗くなる」
「そうなのか。……しかし例え店内が暗かったにしても、人の動く気配で気付くと思うが」
「歌姫の歌声は目を奪われるものがある。一瞬でも目を離すことなどできないさ。一種の魔法のようにね」
 魔法と聞いて私が最初に思い浮かんだのは紫帆だった。バラバラになった死体を見事にくっつけて…。魔法だなんて未だに信じられない。
 しかし隣のバラバラ死体だった男は平然と喋っている。
「……まあ、それはもしかしたら人によって千差万別かもしれない。この仮定は一先ず除外しよう。しかしねサクマ、丁度成宮ちゃんのいた場所のすぐそばには手洗いがある。たとえ移動する犯人の姿を目撃していたとしても、そっちへ行ったのだろうと考えて当然さ。公演中に客の動向を、いちいち確認する奇特な人間はいないだろうからね」
 続けてツバキはマスターに、不審な動きをした客がいなかったか尋ねた。
「残念ながら、そのような方は誰一人いらっしゃいませんでした。皆様揃って、歌姫のパフォーマンスに夢中だったので」
「ほらね」とツバキは私に目配せした。
「それにしても、その時マスターは苦労しなかったのかい。いきなり容疑者なのかと疑われちゃ、怒り出す客もいただろうに」
「ええ。人を呼んだり、成宮さんの遺体を運んだりと、多くのことを手伝っていただいた後でしたからね。「協力してやったのに犯人呼ばわりとはどういうつもりだ」とお怒りになる方はおられました。当然のことです」
 マスターはまたしても悲しそうな表情を浮かべた。日頃から懇意にしていた相手にそのように責められては、心にかなりの負担が掛かるのは当然だろう。
 やがてツバキはレモンティーを飲み干すと席から立ち上がった。
「たとえ犯人によるカモフラージュだったとしても、一応は確認しておくべきだね。問題のリボンテープが落ちてあったのはここかい?マスター」
 そう尋ねた彼は奥のテーブルのそばにしゃがむと、綺麗に磨かれた床を指さした。
「ええ、だいたい七本ほどでしたかな。彼女が丁寧に作ったにも関わらず、酷く皺を付けられてしまって」
「人為的と見て間違いないだろうね。けれど本数が多いな……。そのリボンテープ、今も持っていたりしないかな?あまり思い出したくない代物だとは思うけれど」
 ツバキは躊躇いがちにカウンターにいるマスターに尋ねた。
「そのことですが、まだ捨ててはいないと思います。恐らくですが……」
「恐らく?」
「ええ、全て歌姫が持っていたはずです。「彼女を助けられなかったことを忘れないように」と言って……」
 そうマスターが言い終わるや否や、当の歌姫が奥の扉から現れた。相変わらずその目元は隠れているが、泣き腫らしたのだろう。ややその周囲が赤くなっているのが分かった。
「おっと、どうやらここまでかな。いやはや、ありがとうマスター。大体の話の流れは分かったよ」
「ツバキさん?まだいらしてたんですか。サクマさんまで……しゃがみこんで何をしているんです」
 私たちの様子を見て不審に思ったのだろう。歌姫は私たちに尋ねた。あまりの突然の登場に私は酷く動揺したが、なんとツバキは「マスターから事件の経緯を聞いていた」と平然と言ってのけたではないか。
「少し興味関心があったのでね。マスターに当時の状況を教えてもらっていたのさ」
 私は慌てて彼の口を止めようとしたが、「マスターに依頼された」という本当の経緯までは歌姫に話さなかった。そのことに安堵すると突然、隣の彼から脇腹を小突かれる。「そこまで馬鹿じゃねえよ」とツバキは声に出さずに言ってきた。
 この時の私は、来店前の彼のおしゃべりな様子や、私をからかった時のにやけた表情、そして歌姫の指輪を指摘した時の躊躇いのなさから、ツバキのことを少し軽薄で飄々とした人間だと判断していた。変わった話し方をする分、彼の容姿が恵まれているのは事実である。しかしそれが、かえって普段の彼に堅物な印象を与えなかった。そのため、他人を顧みずにずけずけと話す彼を見ては、相手が怒らないだろうかと私は疑念を抱いていたのである。
「へえ、そうですか。聞きたいことがあるなら俺にも言ってくださいね。力になるんで」
「ああ、ありがとう。さっきまで仕事中にも関わらず、マスターにあれやこれやと尋ねてしまったからね。次は君から話を聞こうかな」
「ええどうぞ」
 しかし歌姫は意外にもツバキに親身になってくれた。ツバキに対する一つの不信感は、もしかしたら杞憂だったのかもしれないと私はこの時思い直した。
 しかしこの悪い予感は、後に当たることになるのだ。
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