その三十(終)

文字数 1,121文字

 打ち寄せては返す波が、小石の混じった砂浜を意味もなく循環させていく。結局私がアイハラと話せたのは、ほんの一瞬のことだった。しかし彼はこの島にいる。いつかまた親友の元気な声が聞けるという事実だけでも、私には充分だった。
「友人とは存分に話せたかい」
 ツバキの声を聞いて、「あ」と私は声を漏らした。通話の初めあたりに、彼に話し掛けられていたのだった。
 申し訳ないと思いながら、私はすぐさまツバキの方へ振り返った。
「すまない。そういえば途中で何か言いかけていたな。何かあったか?」
「いや、多分僕の勘違いだよ。こっちにも響くほどの大きな声で分かったからね。……君の友人、アイハラって名前なのかい」
「ああ、うるさい奴だろ。元気とポジティブ思考が取り柄だって自分で豪語してる」
それにしてもと私は思った。アイハラが巻き込まれている事態とは、一体何なのだろう。その話に触れた時だけ、彼は黙ってはぐらかした。普段はこっちが聞きたくもない話でさえ、ペラペラと喋ってくる奴なのに。命懸けとも言っていたし、私は手放しにアイハラのことを安心できなかった。彼の身に危険が迫っているのだろうか。このような不安や心配も、全て私の杞憂であれば良いのだが。
「……名前は」
「え?」
「君の友人の下の名前だよ。フルネームはなんて言うんだい」
 考え事ばかりしていてツバキの話を聞いていなかった。そろそろ切り替えなければと私は再び歩き始め、ツバキもそれについてきた。
「……相原達哉って名前だ。人一倍明るくてマイペースで。あいつの行動には、いつも振り回されてばかりだ」
「どうやらそのようだね、君の言い方から察したよ。ところで見た目は?」
「金髪で、俺より少しだけ背が低くて、赤いスニーカーをいつも愛用している。……って、なんでそんなに興味津々なんだよ。今日限りの仲って言ったのはお前だろ」
「別に。少し気になっただけさ」
 ツバキはそれだけしか言わなかった。
 それからしばらく黙って歩き、ようやく私たちはアパートに帰り着いた。アパートの廊下にはすでに蛍光灯が灯っていた。
 互いの部屋の前まで来ると、ツバキは別れの挨拶をした。わざとらしく格好つけたようなお辞儀を添えて。
「それじゃあ、後は頑張りなよ。いつまでこの島に滞在するのか知らないけどね」
「ああ、今日はありがとう。……ところでお前は?しばらくここにいるのか?」
「何しろ二年ぶりに目が覚めたんだ。調べたいことが山積していてね。…少しの間だけ、この部屋を使うさ」
「そうか」と言って私たちはそれぞれの部屋に入った。一日だけの仲だ。それ以上の会話が続くはずもなく、また続ける気も互いになかった。
 これが私こと佐久間稜一の、六稜島での最初の一日である。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み