その二十二

文字数 4,936文字

 ツバキが島木を問い詰めた後、しばらく店内は時が止まったようだった。
 カウンターの椅子に座り、疲れた様子で足を組むツバキ。一方で尻もちを付いたまま、うめき声を上げてその場にうずくまっている島木。その様子を見て、本当に彼女が犯人なのかと呆然とするマスターに、ようやく泣き止むことのできた歌姫。そしてそれらの光景をぼんやりと眺めている私。
「やれやれ、ここまで喋ったのはいつぶりかな。いくらお喋りだと自負している僕でも、今回ばかりは疲れたよ。マスター、お金は払うからレモンティーをくれないかい」
「は、はい……。かしこまりました」
 マスターはいそいそと歌姫の元から立ち上がり、飲み物を用意し始めた。こんな特異な状況でも、店の主人としての矜恃は忘れてないようだ。
「君もぼーっとしてないで座りなよ。サクマ」
「あ、ああ」
 ツバキに言われて、私もすぐさま隣に座る。一方で彼は歌姫には声を掛けなかった。さすがに気持ちの整理が必要だと考えたからだろうか。
「な、なあツバキ」
「ん?」
「その……お前を決して疑っているわけじゃないんだが、本当にこの女が犯人なのか?俺にはまだ、事件の全容が理解しきれてない」
「まあそうだろうね。正直言って僕の推測にはまだ細かい穴があるよ。けれど事件の全体は変わらない。彼女が成宮ちゃんを殺した」
 そう言ってツバキは、あらかたのことを説明してくれた。
「おそらく事の発端は、島木が浜辺の散歩中に歌姫と成宮ちゃんを見かけてしまったことだろう。歌姫は浜辺近くで彼女に指輪をあげたと言っていた。なら浜辺の散歩を趣味としていた島木が、その光景を偶然目にしたっておかしくはない。島木は強烈な嫉妬をそこで覚え、そして三日後に犯行に及んだ」
「……その日、もし歌姫たちの他にスタッフがいたなら彼女は助かったのだろうか」
「いいや。それも踏まえて島木は、他の客達に提案したんじゃないかな。「店のサービスはくだけたもので」と。客は店員を労うために頷くし、マスターらもそんな客の厚意には甘えるしかない。こうして、事件の登場人物は犯人によって決められた」
 そして殺人の計画は進み、実行に移されたのか。そう思うと私はなんとも言えない悔しさでいっぱいになった。なんと卑劣な女なのだ。
 私の目の前にレモンティーとブラックコーヒーが出される。マスターは私の分まで飲み物を用意してくれたようだ。感謝の意を述べて私はコーヒーを口にしたあと、店の端でうずくまる女を見下ろした。
 許せない。応援していたアーティストに恋人ができただけで、人を殺すなど。
 そう思って睨みつけていたが、私はそんな島木に違和感を抱いた。
「この女……なんで……」
「どうかしたかいサクマ」
 ツバキはまだ気付いていないようだった。
「なんで笑っているんだ?頭でもおかしくなったのか……?」
 ツバキがにこやかな表情をすぐさま消した。そして全員が島木を見つめる。
 女は両手で顔を隠していたが、その隙間からクスクスと笑い声が漏れていた。その声は次第に大きくなり、それと共に島木はふくよかな身体に勢いを付けて立ち上がった。
「うふふ……あはははは……!」
「何がおかしいんだ。この人殺し」
 私は侮蔑を込めて島木に言った。しかし女は私の言葉など気にせず、ひたすら笑い続けた後に口を開いた。
「そうよ、私が殺したわ。彼女は歌姫にとって邪魔な存在だったのよ。あんな棒のような目をしたブスの、どこが良いんだか」
 すると小さい目を何度も瞬かせて、女は突然狂ったように叫び出した。
「あんな女のどこが良いのよ!周りにひたすら腰低くへらへらとして、軽薄そうな女!小さい顔に倣って脳みそも小さくてドジな女なのに!私のほうがもっとしっかりとしているわ!なのにあんな、息を吹いただけで倒れそうなか弱い女を選ぶだなんて!」
 身体を不自然な程に捻り、歌姫を睨み付けながら島木は言った。
「黙れ……!亜矢子のことを馬鹿にするな!」
「あなたのためを思って言ってるのよ歌姫!そのために私は殺した!そう!あなたのために殺してあげたの!少しは褒めてちょうだい!」
「誰が……!誰がお前なんか……!」
 歌姫は怒り心頭だった。歯を食いしばり、拳を握り締めて怒りを必死に抑えている。抑えなければ、自分こそ女に手を出しかねないからだろう。
「どうして褒めてくれないの!愛してくれないのよ!こんなのおかしいわ!私はあなたのために人を殺したのよ?私の方が愛情があるってどうして分かってくれないの!」
「おかしいのはお前のほうだ!よくも亜矢子を苦しめて……!早くお前なんか捕まってしまえ!そうすれば少しでも亜矢子は救われる!」
 歌姫は叫んだ。しかしこの発言に島木はさらにケタケタと笑いだした。
「一体何がおかしい!」
 私も思わず女に向かって叫んだ。すると島木はまるで、勝ち誇ったような笑顔を見せたではないか。
「捕まってしまえですって。そんなことはできません。だってこの島に、警察はいないんでしょう?」
 私は思わず愕然とした。そうだ。ここはいつもの日本でも外国でもない。通常社会のルールから取り残された孤島なのだ。
 六稜島という特別な島。犯罪者を取り締まる者は、誰もいない。
「あははは!!」と島木は吠えるように笑った。
「そうよ!ここでは盗みをしようと人殺しをしようと、手錠なんて存在しない!パトカーや刑務所なんてものも存在しない!よって私はこれからも、いつものように自由な生活を送ることができる!歌姫、あなたのファンとして。ねえ?」
 島木は妖艶な瞳を向けてきたが、寒気がして仕方がない。そんなことがあってたまるか。人を殺しても捕まらないだと?時効を迎えた訳でもないのに、正しく裁くこともこの島ではできないのか?
「と言っても暫くは反省するわよ。歌姫を泣かしたくてこんなこと、したんじゃないですもの。またこのお店に来た暁には、笑顔で私を出迎えてね。歌姫?」
「お前っ……!」
 歌姫は我慢の限界だった。すぐさまその場から立ち上がり、そして島木に殴りかかろうとする。
 しかしそれをツバキが制止した。
「やめるんだ歌姫」
「止めないでくださいツバキさん!俺は!」
「そんなことをしなくても、この女には然るべき制裁が待っている」
「なんですって?」
 島木が顔を歪ませた。カウンターから立ち上がったツバキは歌姫と島木の間に入り、そして歌姫に距離を取らせた。
「確かにこの島に警察はいない。君はそれも知った上で人を殺したんだろう」
「ええそうよ!何をしても自由な六稜島。最高じゃない?」
「ただ君が無知なだけさ。こんな六稜島がどうして無法地帯でも穏やかに機能しているのか。安易に人が殺せると思って実際に行動する馬鹿のことだ。単細胞な頭で、一度も考えたことがないのだろう」
「なんですって!」
 島木はヒステリックに喚いた。ツバキが敢えて、挑発を買うような言葉を選んで発言したからだろう。しかし彼は一切気にすることなく淡々と述べた。
「答えは君が教えてくれたじゃないか。確かにこの島に警察はいない。しかし、代わりに魔女がいる」
「魔女……?あの地味な女のこと?」
 島木は初め驚いた。しかしやがてその言葉に大した意味がないと決めつけると、唇の端を吊り上げて笑った。
「あの優等生ぶった女がなんだと言うのよ?私をこの六稜島に呼んだ、ただそれだけの女よ」
「まだ分かっていないようだな。魔女はこう言っていたんだろう?歌姫は私のお気に入りだと」
 その発言を聞いた途端、何故かマスターと歌姫はほぼ同時に身構えた。
 紫帆がいったいどうしたというのだ。私も島木と同じ気持ちだった。しかし二人には恐怖と緊張が走っている。
「この島の魔女を舐めないほうがいい。あなたは間接的にとはいえ、彼女のお気に入りを傷付けた」
「はん、男三人が急に真面目になって。あの女の何が怖いのよ?二十代そこらで若くて、力で叶わないわけがないのに」
 気付けばツバキまで、この時は心の底から何かを恐れているようだった。しかし忠告を受けた島木は、何も気にしていない。
「そうだね。確かに彼女は一見普通の女性だ。力でねじ伏せることも不可能じゃない。……けれども彼女には、呪いじみた魔法がある」
「何よそれ?そんなことで私を笑かそうっていうの?」
「死んだ者でさえ生き返らせることができるんだ。その逆だってあの女には容易なことさ」
 私ははっとした。この目で実際に見たからだ。目の前の男が、バラバラだった死体が、紫帆の手によって蘇生したことを。
 ツバキはその身でもって知っている。極めて非現実的な、彼女の力を。
「……馬鹿馬鹿しい」
 島木は吐き捨てるように言った。
「一気に興が冷めちゃったわ。くだらない、そんなことで私を恐怖に陥れようとしたって無駄よ」
 島木はへらへらと笑って言った。悔しいが、そんなことを聞いて実感が湧かないのは当然だろう。何しろ紫帆の魔法を直に見た私だって、彼女の恐ろしさを心の底から分かっていないのだから。
「ふむ……そうだね」
 ツバキは首を左右に振った。
「こんな幼稚で醜い女に、分かってもらえなくても仕方がない」
「幼稚で醜い女ですって?」
 島木は眉尻を上げてツバキをねめつけた。にもかかわらず彼は「ええ」とさらりと言ってのける。
「犯行も幼稚、動機も幼稚。そして自分が犯した罪を、開き直ってみせる性根も醜い。救いようがないね」
「何よ、私の歌姫に対する気持ちを侮辱する気!?」
「何かを好きになる気持ちは理解できます。しかし呆れて物も言えない。ただの一般人が解き明かせたような殺人計画だ。よほど薄っぺらい愛だったと思わざるを得ませんね」
 ツバキはわざとらしく大きなため息をついた。これにはさすがの私も内心恐々とする。悪事を責めるならまだしも、それ以上相手の機嫌を逆撫でしない方がいい。
「おいツバキ……」
「君もそう思うだろう?サクマ君」
 注意しようとした私に、へらへらとツバキは笑いかけてみせた。ここで私のことを「君づけ」ときた。彼はこの挑発を止めるつもりなど、毛頭ないようだった。
「マスターも歌姫も正直にみんなで言ってやりなよ。一年間の事件が未解決で済んだのは、自分たちの優しさのおかげだって。僕やサクマ君みたいな、あなたとは無関係の人間があの現場に立ち会っていたなら、容赦なく証拠を突きつけてあなたを恥晒しにした。そうしなかっただけでも感謝してほしい。とね」
 マスターと歌姫は指摘を受けても、突然のツバキの悪意ある態度にどうしていいか分からずにいた。
「何よ……何よ!突然店に来ただけの人に言われる筋合いはないわ!私の計画は完璧だったのよ!?だからこうしてこれまで、ここの常連客として」
「人殺しをしたにも関わらず、歌姫に近付ける日を夢見ていたと?呑気なものだね!」
 ツバキは島木の言葉を一蹴し、大袈裟に肩を竦めてみせた。
「だいたい、自分が歌姫と釣り合うだなんて幻想を抱くからいけないのさ!よくよく考えてもみなよ。ただの常連客と職場の同僚、共にいる時間も中身も全く違う。その時点ですっぱり諦めるべきだったんだ。身の程知らずの夢物語を望んだのか知らないが、僕にとってあなたはまるで、哀れな運命も知らずに破滅するピエロさ!滑稽で仕方がないね」
「黙りなさい……!黙りなさい黙りなさい!!」
 くすくすと笑うツバキに対し、ついに島木の怒りが爆発した。「許さない許さない」と叫び声を上げながら、彼女は涙目でカウンターに置かれたナイフを手に取った。マスターが島木にサンドイッチを用意して、そのままにされていたナイフだ。
「死になさい……!人の気持ちも分からないあんたなんか、死んだほうがマシよ!」
「島木様!おやめ下さい!」
 マスターが叫んだ。しかしすぐには誰も動けず、島木はナイフの切っ先を向けてツバキに突進していった。
 狂ったような叫び声を上げて襲いかかろうとしているのに、ツバキは黙ってそれを見つめている。
 慌てるわけでもなく、微笑むわけでもない。
 彼は避けられるにも関わらず、全く動こうとしなかった。
「……そうだね。だから二年前、僕は殺された」
かろうじて聞き取れるか分からないほどの声で、ツバキは穏やかな表情を見せたのである。
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