その二十八

文字数 3,316文字

 私達二人は店を出てすぐの浜辺を歩き、アパートへと向かっていた。私は煌びやかな星空を見上げながら、思い返せば今日だけでも様々なことがあったなと振り返った。
 アイハラを探しに六稜島に着いたはいいものの、浜辺にて埋められたバラバラ死体を発見し、紫帆に出会い、そして死んだ人間が生き返った…。今でもまだ夢のようである。そしてその人間が生き返ったかと思えば、過去にこの島で起きた殺人事件を解決してしまうだなんて。私にしてみれば、事実は小説よりも奇なりだった。
 私は後ろを歩く青年の様子を伺う。八月の夜は涼しくない上、もう私以外の人間と会うことがないと思ったのだろう。ツバキはストールを首から外していた。私は夜目が利くわけではないが、今も彼の首には大きな縫合の跡があるのだろう。
 不思議な男であると私はこの時思っていた。かつて殺されたとツバキは自分のことを言っていたが、かつての彼の身に一体何があったのか。またそれがどうして紫帆の手により、生き返るだなんて数奇な運命を辿ることとなったのか。私は気になって仕方がなかった。アイハラを探すという使命さえなければ、大いに興味関心を惹かれたことだろう。
 そんなことを考えつつ見つめていたからか、「何か聞きたいことでも」とツバキは私に尋ねた。
「いや別に。黙ることもあるんだなと思って」
「常にお喋りができるほどの体力はない。特に今日はほとほと疲れたのさ。誰かさんのせいでね」
「本当にお前……口を開くと挑発したり皮肉ったりだな」
「悪いね、僕は人をからかうのが好きなもので」
 にこにことツバキは笑っている。容姿の優れた好青年とあって気さくな笑顔だ。
「黙っていればモテるだろうに」
「何か言ったかい?」
「言ってない。……それはそうと、さっきまで黙って何を考えていたんだよ。真面目な顔して」
私は尋ねた。
「……そうだね。こうして共に歩いて帰るのも最後だろうし、教えてあげよう」
 もったいぶった言い方だ。しかし、その表情はこれまでと違って真顔だった。
「一年前に起きた喫茶サリアでの事件。無事に解決で終わったのはいいけどね」
「あれがどうかしたのか」
「僕には一つ解けていない謎があったのさ。……島木を問い詰めた時は、半ば強引に進めたけどね」
「解いていない謎?」
 それは何だとツバキに訊いた。
「カモフラージュに使われたリボンテープさ」
「リボンテープ?けれどあれはちゃんとお前が解いたじゃないか。遺体の首元に色の落ちた跡が見られなかった。よって床に落ちていたリボンテープは、本物の凶器じゃないって」
「僕が言いたいのはそこじゃない。床に落ちていたリボンテープを、島木が準備したという点さ」
 私は当時の事件が起きた時の様子を想像した。犯人の動きも含めて。しかし何の違和感もなかった。
「島木は左テーブルの後方の席にいたんだろ。リボンテープが落ちていた場所に近いし、壁面のものも簡単に剥がすことができる。時間的猶予は問題ないはずだ」
「それは勿論そうさ。問題は、島木が壁面のリボンテープをカモフラージュに使用したことだ。……床に落ちていたリボンテープの全てが、彼女によって持ち込まれたものだったら良かったんだけどね」
「何か不都合でもあるのか?」
「おおありだよ」とツバキは言った。
「島木の発言をもう一度よく振り返ってみてくれ。あの女はこう言っていた。「歌姫のサイン付きリボンテープを見つけた」と。過去に歌姫のリボンテープを持ち帰った時、彼女は狂喜乱舞したんだ。こんな貴重な物がこの世に存在していたとは、と」
 ツバキは一呼吸置いて続けた。
「犯行時に島木は壁面のリボンテープを剥がし、そして凶器として使ったかのような跡を残してその場に捨てた。もしもその中にサイン付きのものがあったとしたらどうする?」
「後悔するだろう。もっとよく見ておけば良かったって」
「前者は確かだ、しかし後者は無理があるよ。もっとよく見ることなど不可能さ。公演中はほとんど真っ暗だったんだから」
「そうだな、あの位置はステージやカウンターからも遠いし。……つまり、結論はどうなるんだ?」
 度重なる騒動で疲れてしまったようだ。私は頭が働かなかった。しかしそんな私を責めずに、ツバキは丁寧に説明した。
「つまりだね、島木が店内のリボンテープをカモフラージュに使うことは有り得ないのさ。自分が持ち込む分には、サイン入りを選ばなければ問題はない。ただし店内のリボンテープには、愛する歌姫のサイン入りがあるかもしれない。そんなものに皺を付けるなんて、彼女には出来やしないのさ」
「だけど既にあの女はサイン入りのリボンテープを持っていたんだろ?既にそれで満足していたなら、店内のリボンテープを使うのに躊躇いはない」
「僕も最初はその可能性を考慮したけどね、島木が大量に持っていた歌姫との写真を見ただろう?彼女は懲りずに何回も歌姫にねだったんだ。そんな女が、サイン入りのリボンテープ一本で満足するとは思えない」
 言われてみればそうだ。島木の歌姫に対するあの熱量を見れば、固い私の頭でも分かることだった。
「人を殺して、挙句に指輪まで盗るような女だからな」
「その通り。それに僕が問い詰める中、リボンテープをカモフラージュに用意したことを、彼女は「やってない」と言っていた。……他の根拠から彼女が犯人なのは明白だったから、敢えて無視をしたけどね」
「となると、店内のリボンテープを剥がしたのは別の人物ということになる。……つまり、共犯だったということか?」
 それならば事件の様相は大きく変わるではないか。
 しかしツバキはこれをすぐに否定した。
「いいや、共犯者はいなかった。これはアリバイから判断することが可能さ。現に事件当時犯行が不可能だったのは照明の真下にいた二人……ステージにいた歌姫と、カウンターにいたマスターだけだ。他にアリバイを主張するものは誰一人いなかった。事件が共犯だったなら、その時に互いが席を一度も立たなかったと断言すればいい。そうすれば容疑者の範囲から、一足先に抜け出すことができる」
「つまり犯人は島木一人。……じゃあ店内のリボンテープが剥がされたのは、ただの偶然だったのか?彼女みたいに、サイン入りのリボンテープを探そうとしたファンがいたとか」
「持ち帰ってサイン入りかどうか確認するならまだしも、皺を付けた上に床に捨てるのは意味が分からない」
「それじゃあ……まさか」
 私には一つ、嫌な考えが浮かんでいた。ツバキもそれを察したのだろう。
「そう。島木の犯行を分かっていながら、それを手伝った人物がいたんだ。実行犯の知らぬところでね」
 引きつったような苦笑いを浮かべてツバキは断言した。
「そんな……一体誰がそんな真似を」
「分からない、分かりようがないのさ。実行犯である島木は何も知らないし、一年前にそんなことをした人間が、わざわざ名乗り出てくるわけもないからね」
 私は思わず絶句した。
 成宮亜矢子が悲鳴を上げずに苦しみ、死んでいったのを堂々と見過ごした人間がいる。そんな人の心がない卑劣な人間が、今もこの六稜島にいる。
 夏の夜なのに考えるだけで寒気がした。すると、ツバキは「このことはマスター達には内緒にしてくれ」と私に頼んだ。
「もしかしたら成宮ちゃんの命は救えたかもしれない。そんな事実が再び浮上すれば、君の巧みな想像が現実になる可能性だってある」
 歌姫の架空の自傷癖のことを指しているのだろう。現実でそんなことは起こっていない。しかしどうかこのまま、私の馬鹿な想像だけで済んでほしい。
「ああ。勿論、このことは誰にも言わない」
「本当に頼むよ。これから先、二度と僕達がこうして話すことはないだろうけどね」
 ツバキは念を押した。すると、
 プルルルルル……プルルルルル……
 着信音だった。はっと気付き、急いでポケットから取り出せば携帯電話が震えている。
 私は「ちょっと待ってくれ」とツバキに言うと、画面も見ずに携帯電話を耳に当てた。
「……もしもし」
 唾を飲み込み、相手からの応答を待つ。既に口の中はからからだった。
 すると通話口から、声量の大きい懐かしい声が聞こえた
「もしもし?サクマか?」
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