その二十五

文字数 1,153文字

 弾けた音が、喫茶サリアの店内にこだまする。
 ぶたれた島木の左頬には、赤い手形がついていた。それはぶたれて腫れたのではなく、緋色のペンキを色濃く塗りたくったような不自然な跡だった。
「……何よあなた。憎たらしい顔をして、こんなに軽いビンタで済ましてくれるの?」
 島木は唇の端を吊り上げ、歪んだ笑みを浮かべていた。人を殺めたという罪に対して、ペナルティが少ないと感じたのだろう。
 しかし紫帆は不敵にも笑っているようだった。
「ええ、私は構いません。あとであんたが後悔するのは分かっている。……今すぐここから出ていきな」
 紫帆は命令した。果たして島木はすんなりと彼女の言うことを聞くのだろうか?
 しかし意外にも島木はこれを承諾した。
「ふん、そうね。これ以上ここで争っても意味がないし、私は一年前にやるべきことをやったまでよ」
 緑のクラッチバッグをひったくるように手に取ると、島木は頬を緋色に染めながら店の扉へと向かった。
「それじゃあまたね歌姫!あなたがいつかまた歌えるようになるのを、楽しみにしているわ!」
 この場に相応しくない笑顔で島木は手を振り、そして店の外へと消えていった。扉の磨りガラスの向こうで、島木が一定のリズムで跳ねているのが分かる――スキップをしているのだ。
 一方で紫帆は大きく息を吐いた後、くるりと振り返った。その表情はこれまでと何ら変わりはない。怒りと憎しみで豹変していたのが嘘のようだった。
「あのまま逃がして良かったのか」
 私はすぐに紫帆に尋ねた。
「うん、いいんだよ。もう問題はないから」
「けど、あいつはこれからも普通に生活するんだろ?この島で」
「ううん、できるならしてみろって話だよ。とにかくもう大丈夫だから」
「心配しないで」と紫帆は優しく笑った。私はどうも腑に落ちない。しかし……。
 私以外の三人は、揃って紫帆のことを好意的な目で見てはいなかった。口を開こうとしないし、紫帆と話している私にすら話し掛けてこない。紫帆が来なければ、島木がさらに暴れた可能性だってあったかもしれないのに。
 余程魔女のことを嫌っているのか、それとも…。
 私がそんなことを考えていると、紫帆が手をパンと打ち「そうだ忘れてた!」と口を開いた。
「サクマに用があって来たんだった。ツバキが六稜島を案内するなら、喫茶サリアに必ず寄るだろうと思って」
「なんだ。ちゃんと約束を守れたのかい?」
 ようやくツバキが紫帆に声を掛けた。
「うーん、正直言うと微妙な結果になっちゃった。まあ詳しくは今から説明するとして……あれ、どこにやったっけな」
 紫帆は自分に問いかけながら、体中のポケットをぽんぽんと叩き始める。その間に私は、それまでずっと思っていたことを口にした。
「なあ歌姫、さすがに俺の右手の包帯、巻きすぎだと思うんだけど……」
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