第2話 建国際
文字数 5,888文字
「おじちゃん!早く~今日は建国祭でしょ!」
「分かっとる分かっとる」
手を振りながら飛びはねる孫娘におじいさんは笑って小さく手を振った。松葉杖をついているおじいさんに寄り添う母親はゆっくりと道を進んだ。
街のあちこちにこの国の紋章のラベンダーの花が描かれた旗が建てられている。女王様の魔法で次々に街が彩られていく。この魔法が建国祭の開催の合図だった。
「今年でわしも80か、これが最後になるんじゃの」
整備された大通りにたくさんの住民が入り乱れ、年に一度のお祭りに皆がに賑わっている。
暫くするとごった返していた大通りの中央から人がばらはじめた。そして、遠くの方から大通りの中央を進む白く大きな船が姿を現した。
この国の象徴であるラベンダーの花が模様として船全体に鮮やかに描かれている氷の船。その下にはどこからともなく水が溢れ出し氷の船を運んでいく。船の下の水は決して外側に流れていくことはなく、船を動かす水路を作るだけだった。
舳先の上に立つこの国の女王はいつものドレスにいつもの仮面をつけ皆に手を振った。
パレードの様に皆が手を振り、歓声を上げ称える。中には涙を流すものまでもいた。孫娘も同様に美しい女王陛下に目を輝かせ釘付けになっている。
心なしか気分が高揚している母親も声を上げる。
「おじいちゃん。来ましたね!」
おじいさんも同様に興奮しながら言葉を返す。
「ああ。80年見続けたが今日も変わらずあの女神のように美しい。やっと……やっと女王様の元に行けるのじゃ」
その言葉と同時に女王様が指を鳴らす。
ヒューー
高音が空に響き空中で氷の結晶が咲いた。そしてすぐに砕ける結晶が美しい氷の雨を降らせ、より一層盛り上がった。
ラヴァンダ城内、バルコニー。
薄いピンクのレースワンピース着てくつろいでいるアデリーナは盛り上がる建国祭のパレードを遠目で見つめていた。対照的に全身を鎧で身にまとっているブルー。いつもの事なの、その姿にアデリーナが突っ込むことはない。
代わりに、心のうちに抱いていた不安を漏らす。
「大丈夫でしょうか。いくらなんでも今日ばかりは私たちが護衛につくべきではないですか?」
「まだ儀式は始まってない。それに女王陛下に勝てる人なんていない。『炎の暁』も相手にならない」
立ち合いの時と同様に会話でもブルーに簡単にあしらわれてしまう。アデリーナは大げさにブルーに向けてほっぺを膨らませた。
『炎の暁』それは炎の魔女が率いていた残党。ドラゴンを従え、幾度となくこの国に攻撃を仕掛けて来ている赤い鎧を身に着けた騎士だ。通称、赤騎士とも言われている。
ドラゴンがこの国の兵士5人分の力を持っているとしたら、赤騎士の戦闘能力はこの国の兵士25人分と同等の力を持っている。アデリーナもブルーも決して、苦戦する相手だが問題は数だった。アデリーナが記憶しているだけでも赤騎士の数は50を超えている。
だから50以上の赤騎士が一時のチャンスを狙って、この国のどこかに隠れ潜んでいる事実にどうしても不安を取り除くことができない。
アデリーナは気を紛らわすように建国祭で盛り上がる待ちに身に目線を向ける。
唐突に隣にいるブルーが口を開いた。
「現状、報告はなにもない」
まるでアデリーナの気持ちを見透かしているようなブルーの言葉。アデリーナは200年もブルーと共に過ごした表れとも思えて少し恥ずかしくも嬉しそうに笑った。
「そうですか。……あくまでも私たちの本当のお仕事は儀式が始まってからですものね。現状のシルビア様に護衛を付ける意味がありませんし」
ブルーはカシャッと音を立て首を縦に振った。
この国の女王、シルビア様の強さは絶対だ。アデリーナとブルーが束になったとしても勝てるビジョンが見えない。もし対等に戦えるものが存在したとするならば、それは炎の魔女ぐらいだがもうこの世にはに存在しない。シルビア様が200年前に倒してしまったのですから。
アデリーナは今回の儀式について思いふけっていると一つの疑問が頭をよぎった。
「そういえば、シルビア様が『太陽が消える』と言っていましたがブルーは経験したことはありますか?」
アデリーナの問いかけにブルーはいつもの中性的な声で淡々と答えた。
「どちらともいえない。私が生まれたのは丁度324年前。神域魔法で女王陛下に召喚された。その時、既に現れ始めていた」
「それは確か、初めて炎の魔女と戦った時でしたよね」
「はい」
その時の戦いでこの国は甚大な被害を受けたと聞いていたアデリーナは自分の右手のひらを見つめる。
——もし、もう少し早く眷属として眷属としてこの世界に召喚されていたら、シルビア様やブルーの力になれていたのに。
そんな思いを胸に、まるでその場に愛剣があるかのように右手を力強く握った。
そこでふと思い起こした疑問を口にする。それは幾度となくアデリーナが尋ね、その度にはぐらかされた問だった。
「ところでブルー。なぜ、シルビア様にもブルーにも使えない炎の魔法が私には使えるのですか」
アデリーナの右手のひらに生み出された小さな炎。それは冷たい風に揺られながら、ゆらゆらと熱を放つ。
「アデリーナ。それは以前にも言った。女王陛下にも私にもわからない。ただ……だからこそ。あなたは特別。奇跡。あアデリナにしかできないことがある。炎、爆発、土、風。それらの属性は私には使えない」
「代わりに私は氷の魔法を使えない。水属性も雷属性も、それに……⁉」
突然、激しい頭痛がアデリーナを襲った。右手のひらにあった炎は消え、代わりに自分のおでこを押さえつける。空いた左手で手すりを握りしめ必死に倒れこみそうな体を支えた。
「アデリーナ!」
少し動揺したブルーが倒れたアデリーナの両肩に手を添える。
「この頭痛……久しぶりですね。もう収まっていたと思ってたのですが……。大丈夫です、すぐに引きます」
そう言いい、しばらくすると手すりから手を離し同時に頭に当てていた手も離す。改めて立ちなおすアデリーナはブルーに微笑んだ。最愛の親友を心配させないように。
「私を舐めないでください」
「そう」
少しの笑いを含むブルーの声が兜越しに聞こえた気がした。
「まだ儀式までは時間がありますね、案外何事もないかもしれません」
アデリーナが笑ってブルーに語り掛ける。
ドォ——ン‼
東南東の500メートルほど先で青い空に砂煙が上がるのが見える。
ここまで届いた先ほどの爆発音がそこから発生したものだということは言うまでもない。
「行く」
「ええ!」
ブルーの短い言葉に頷くアデリーナ。レースワンピースの上に瞬時に生成された白と銀の鎧が太陽の光を反射させアデリーナのたなびくピンクの髪をきれいに照らす。そして、その顔にすぐに兜が覆い隠す。
鎧を身にまとった二人は互いに顔を合わせ、アイコンタクトをとると同時にバルコニーから飛び出した。魔力によって強化された両足は、バルコニーに衝撃波を残し50メートルも離れた城壁を簡単に飛び越えていく。魔法の加護を受けているブルーとアデリーナは身に着けている鎧をものともせず城門の外で着地する。そして、流れるように地面を蹴り目的地に向かった。
常人でまねできない速度で通路を走りながら二人は会話を続ける。
「暁の騎士。目撃情報は今の所一人。二百メートル先、左。そこにいる」
逃げ惑う市民とは逆方向へ駆けるアデリーナはブルーと同時に左に曲がり、そのまま立ち止まった。
それは10メートルほど先にいる赤いマントを覆っている一人の『炎の暁』の赤騎士が今まで一度も見たことのない姿をしていたからだ。それだけではない。今までの会ってきたどの『炎の暁』とも違う胸を打つような濃い魔力を一瞬感じた。
アデリーナは右手で鞘に手をかけると唾を飲み込んだ。
「いつもと違う」
隣で小さくつぶやくブルーにアデリーナが頷く。
「ええ、マントが明らかに細い。おそらく鎧を身に着けていない。それに……何?あの黒い仮面」
この状況下で鎧を生成していない理由がアデリーナにはわからなかった。今から生成しても遅くないのにもかかわらず、目の前の『炎の暁』は鎧を身に着けようとしない。
代わりにマントの中から現れた白く細い腕が無造作に伸ばされ、その手のひらはアデリーナとブルーに向けられる。
警戒した二人が同時に鞘から剣を抜くと、目の前の『炎の暁』の手のひらから炎の塊が生まれ放たれた。硬直もなくノーモーションでの魔法に二人は驚きを隠せなかった。
アデリーナは急いで迎え撃とうと剣を握る右手に力を入れたその時。
例の頭痛がアデリーナを襲った。
体を支えることもできず地面に倒れこむアデリーナは声を出すこともままならない。代わりの心の中で怒りの声を叫んだ。
——こんなタイミングで‼クソ!
熱い炎の塊が熱風を放ちながら物凄い速度で迫りくる。アデリーナにもこんな高度な魔法は使えない。
アデリーナが倒れている中、ブルーは水色に輝かせた剣を水平に滑らした。空を切る斬撃に続いて地面から氷が勢いよく生み出されギリギリで炎の攻撃を防ぐ。
炎と氷が少しの間膠着すると相反する二つの魔法は拒絶反応を起こし爆発した。
ブルーは咄嗟にアデリーナの前に立ち爆風を受け止めた。
爆発の耐性を持たないブルーだったが、洗礼された魔法の鎧が何とかそのすべてを受け止める。
爆発のなか次の攻撃をブルーは警戒していたがそれは無駄に終わった。追撃はなく砂煙が晴れると目の前の敵は消えていた。
こんなチャンスを狙わずに逃げる理由がブルーには分からなかったが、すぐにアデリーナに向きなおる。
「アデリーナ」
アデリーナはブルーの言葉を受け止めると地面からゆっくりと立ち上がった。
「ありがとう……もう大丈夫です。それよりも先ほどの攻撃」
「硬直が一切なかった。一番強い」
「ええ。でも私たち二人なら問題ありません。それに、シルビア様よりは弱い」
笑いを含んだ声を向けたアデリーナの声にブルーは短くうなずいた。
二人は敵が逃げた先を見つめ、同時に大きく跳躍し赤いタイルの屋根に乗る。
「監視による追跡は出来てる。最短ルートで行く」
「はい」
少し先に走り出したブルーを追いかけるようにアデリーナは付いていく。
「それにしてもなぜ先ほどは逃げたのでしょう」
「分からない」
短い会話を交わしてから、少ししてブルーの報告が届く。
「そこの路地、4秒後」
——4秒。その言葉を聞いてアデリーナはさらに加速する。——3秒。アデリーナは直ぐにブルーを追い抜かし走りながら鞘から剣を抜く。その剣ははじめから赤色に輝いていた。それは抜いた時から剣に魔力を込めていることを知らせている。——2秒。足を止め得意技の構えに入るアデリーナは、瓦を滑りながら目標の場所へと接近していく。
——1秒。ブルーの宣言通り赤いマントを羽織った黒仮面が現れる。その時、アデリーナは屋根の端まで移動していた。
「烈火!」
鋭い声と同時に屋根の端を蹴り壊し一瞬で駆け抜けた。アデリーナの後ろにいる赤いマントが爆発に巻き込まれる。完全な死角からの不意打ち。決着はついた。兜を消したアデリーナの隣に着地するブルーは互いに軽く手を叩く。この戦いの勝利を祝って。
そんな中、ふと辺りが少し薄暗くなっていることに気が付いたアデリーナは空を見上げ……固まった。
話は聞いていたが初めて見る異常現象にアデリーナは小さく声を漏らす。
「太陽が……」
その言葉通り太陽の端が黒く欠け始めていた。ゆっくりと黒く塗りつぶされていく太陽をただ見つめる。
「まだ終わってない」
その声に直ぐに向き直るアデリーナ、同時にブルーの魔法が発動する。
「グラスメリジューヌ」
足元から数十本の蛇のような細い氷が伸びていき炎の中にいる赤いマントを締め付ける。何十にも巻き付いた氷が完全に黒い仮面の動きを拘束した。
もう一度アデリーナが剣を構え兜を戻すと正面の赤いフードの中からとんでもない魔力が噴出した。同時にブルーの拘束していた氷が跡形もなく消し飛ぶ。
正面の黒い仮面から放たれる圧倒的なオーラと風圧、突然の事にアデリーナとブルーは同時に一歩、また一歩と後ずさった。
その時、アデリーナに耳に何かノイズのような音がビリビリ、ビリビリと届いた。
どういうことか困惑しブルーを見つめるが何も感じていないようだった。
風にたなびく赤いマントから姿を現す真っ赤なドレス。ブルーはただ正面の圧倒的な強者を見つめている。アデリーナも同様に目の前に立つ、この国の平和を脅かすこの世界の敵に目を向ける。
黒い仮面の内側から放たれる熱風に反応してか近くにある監視機器が魔力の拒絶反応によって次々に弾け飛んだ。そしてさらに大きな爆発音が耳を突く。
それは城壁の上に立つ一本の塔、この国を外部から守るためにつかられた塔の頂上が爆発した音だった。それに続けて残りの塔が次々に爆破されていく。
全ての塔を失ったラベンダーノヨテ聖域国。国全体を覆っていた魔法障壁が崩れていき、それと同時に数えきれないほどのドラゴンが城壁を超えこの国に入ってきた。
ドラゴンの鳴き声と市民の叫び声が四方八方から聞こえ始める。
そのさなアデリーナとブルーの前にいた黒い仮面はマントを捨てると体を宙に浮かせどんどんと上昇していく。
腰のあたりまでありそうな真っ赤な髪を風にたなびかせながら建物より少し高い場所て停止するとその両脇に二匹のドラゴンがやってきてその場で停止した。黒い仮面の彼女が明らかにドラゴンを刺激していた。
彼女は右手を顔にそえると仮面が同時に焼失する。
遂にあらわとなった彼女の顔にアデリーナは絶句した。それは今まで何度も何度も見てきた顔だったからだ。彼女の顔はあの女神の石像そのものだった。
またも頭痛に襲われ地面に膝をつくアデリーナ。そんな状況ではない事が分かっていたアデリーナは必死になって意識を保ちながらもう一度立ち上がる。この頭痛による怒りを全てぶつけるように、上空にいる彼女を睨んだ。
彼女は下にいる私たちをまっすぐ見つめると、はっきりとこう言った。
「私の名はアリーチェ・ディ・レオーネ。『炎の暁』の頭首だ。『終焉の審判』はいま開かれた。ここに炎の魔女の帰還を宣言する」
彼女から出ていた圧倒的な威圧が更に何倍にも膨れ上がり、真っ赤な光の柱がこの世界を引き裂くように空高くの伸びていく。
それは、まるで全ての生命に刻み込まれた本能の様に、心のうちにある恐怖心を呼び起こした。
「分かっとる分かっとる」
手を振りながら飛びはねる孫娘におじいさんは笑って小さく手を振った。松葉杖をついているおじいさんに寄り添う母親はゆっくりと道を進んだ。
街のあちこちにこの国の紋章のラベンダーの花が描かれた旗が建てられている。女王様の魔法で次々に街が彩られていく。この魔法が建国祭の開催の合図だった。
「今年でわしも80か、これが最後になるんじゃの」
整備された大通りにたくさんの住民が入り乱れ、年に一度のお祭りに皆がに賑わっている。
暫くするとごった返していた大通りの中央から人がばらはじめた。そして、遠くの方から大通りの中央を進む白く大きな船が姿を現した。
この国の象徴であるラベンダーの花が模様として船全体に鮮やかに描かれている氷の船。その下にはどこからともなく水が溢れ出し氷の船を運んでいく。船の下の水は決して外側に流れていくことはなく、船を動かす水路を作るだけだった。
舳先の上に立つこの国の女王はいつものドレスにいつもの仮面をつけ皆に手を振った。
パレードの様に皆が手を振り、歓声を上げ称える。中には涙を流すものまでもいた。孫娘も同様に美しい女王陛下に目を輝かせ釘付けになっている。
心なしか気分が高揚している母親も声を上げる。
「おじいちゃん。来ましたね!」
おじいさんも同様に興奮しながら言葉を返す。
「ああ。80年見続けたが今日も変わらずあの女神のように美しい。やっと……やっと女王様の元に行けるのじゃ」
その言葉と同時に女王様が指を鳴らす。
ヒューー
高音が空に響き空中で氷の結晶が咲いた。そしてすぐに砕ける結晶が美しい氷の雨を降らせ、より一層盛り上がった。
ラヴァンダ城内、バルコニー。
薄いピンクのレースワンピース着てくつろいでいるアデリーナは盛り上がる建国祭のパレードを遠目で見つめていた。対照的に全身を鎧で身にまとっているブルー。いつもの事なの、その姿にアデリーナが突っ込むことはない。
代わりに、心のうちに抱いていた不安を漏らす。
「大丈夫でしょうか。いくらなんでも今日ばかりは私たちが護衛につくべきではないですか?」
「まだ儀式は始まってない。それに女王陛下に勝てる人なんていない。『炎の暁』も相手にならない」
立ち合いの時と同様に会話でもブルーに簡単にあしらわれてしまう。アデリーナは大げさにブルーに向けてほっぺを膨らませた。
『炎の暁』それは炎の魔女が率いていた残党。ドラゴンを従え、幾度となくこの国に攻撃を仕掛けて来ている赤い鎧を身に着けた騎士だ。通称、赤騎士とも言われている。
ドラゴンがこの国の兵士5人分の力を持っているとしたら、赤騎士の戦闘能力はこの国の兵士25人分と同等の力を持っている。アデリーナもブルーも決して、苦戦する相手だが問題は数だった。アデリーナが記憶しているだけでも赤騎士の数は50を超えている。
だから50以上の赤騎士が一時のチャンスを狙って、この国のどこかに隠れ潜んでいる事実にどうしても不安を取り除くことができない。
アデリーナは気を紛らわすように建国祭で盛り上がる待ちに身に目線を向ける。
唐突に隣にいるブルーが口を開いた。
「現状、報告はなにもない」
まるでアデリーナの気持ちを見透かしているようなブルーの言葉。アデリーナは200年もブルーと共に過ごした表れとも思えて少し恥ずかしくも嬉しそうに笑った。
「そうですか。……あくまでも私たちの本当のお仕事は儀式が始まってからですものね。現状のシルビア様に護衛を付ける意味がありませんし」
ブルーはカシャッと音を立て首を縦に振った。
この国の女王、シルビア様の強さは絶対だ。アデリーナとブルーが束になったとしても勝てるビジョンが見えない。もし対等に戦えるものが存在したとするならば、それは炎の魔女ぐらいだがもうこの世にはに存在しない。シルビア様が200年前に倒してしまったのですから。
アデリーナは今回の儀式について思いふけっていると一つの疑問が頭をよぎった。
「そういえば、シルビア様が『太陽が消える』と言っていましたがブルーは経験したことはありますか?」
アデリーナの問いかけにブルーはいつもの中性的な声で淡々と答えた。
「どちらともいえない。私が生まれたのは丁度324年前。神域魔法で女王陛下に召喚された。その時、既に現れ始めていた」
「それは確か、初めて炎の魔女と戦った時でしたよね」
「はい」
その時の戦いでこの国は甚大な被害を受けたと聞いていたアデリーナは自分の右手のひらを見つめる。
——もし、もう少し早く眷属として眷属としてこの世界に召喚されていたら、シルビア様やブルーの力になれていたのに。
そんな思いを胸に、まるでその場に愛剣があるかのように右手を力強く握った。
そこでふと思い起こした疑問を口にする。それは幾度となくアデリーナが尋ね、その度にはぐらかされた問だった。
「ところでブルー。なぜ、シルビア様にもブルーにも使えない炎の魔法が私には使えるのですか」
アデリーナの右手のひらに生み出された小さな炎。それは冷たい風に揺られながら、ゆらゆらと熱を放つ。
「アデリーナ。それは以前にも言った。女王陛下にも私にもわからない。ただ……だからこそ。あなたは特別。奇跡。あアデリナにしかできないことがある。炎、爆発、土、風。それらの属性は私には使えない」
「代わりに私は氷の魔法を使えない。水属性も雷属性も、それに……⁉」
突然、激しい頭痛がアデリーナを襲った。右手のひらにあった炎は消え、代わりに自分のおでこを押さえつける。空いた左手で手すりを握りしめ必死に倒れこみそうな体を支えた。
「アデリーナ!」
少し動揺したブルーが倒れたアデリーナの両肩に手を添える。
「この頭痛……久しぶりですね。もう収まっていたと思ってたのですが……。大丈夫です、すぐに引きます」
そう言いい、しばらくすると手すりから手を離し同時に頭に当てていた手も離す。改めて立ちなおすアデリーナはブルーに微笑んだ。最愛の親友を心配させないように。
「私を舐めないでください」
「そう」
少しの笑いを含むブルーの声が兜越しに聞こえた気がした。
「まだ儀式までは時間がありますね、案外何事もないかもしれません」
アデリーナが笑ってブルーに語り掛ける。
ドォ——ン‼
東南東の500メートルほど先で青い空に砂煙が上がるのが見える。
ここまで届いた先ほどの爆発音がそこから発生したものだということは言うまでもない。
「行く」
「ええ!」
ブルーの短い言葉に頷くアデリーナ。レースワンピースの上に瞬時に生成された白と銀の鎧が太陽の光を反射させアデリーナのたなびくピンクの髪をきれいに照らす。そして、その顔にすぐに兜が覆い隠す。
鎧を身にまとった二人は互いに顔を合わせ、アイコンタクトをとると同時にバルコニーから飛び出した。魔力によって強化された両足は、バルコニーに衝撃波を残し50メートルも離れた城壁を簡単に飛び越えていく。魔法の加護を受けているブルーとアデリーナは身に着けている鎧をものともせず城門の外で着地する。そして、流れるように地面を蹴り目的地に向かった。
常人でまねできない速度で通路を走りながら二人は会話を続ける。
「暁の騎士。目撃情報は今の所一人。二百メートル先、左。そこにいる」
逃げ惑う市民とは逆方向へ駆けるアデリーナはブルーと同時に左に曲がり、そのまま立ち止まった。
それは10メートルほど先にいる赤いマントを覆っている一人の『炎の暁』の赤騎士が今まで一度も見たことのない姿をしていたからだ。それだけではない。今までの会ってきたどの『炎の暁』とも違う胸を打つような濃い魔力を一瞬感じた。
アデリーナは右手で鞘に手をかけると唾を飲み込んだ。
「いつもと違う」
隣で小さくつぶやくブルーにアデリーナが頷く。
「ええ、マントが明らかに細い。おそらく鎧を身に着けていない。それに……何?あの黒い仮面」
この状況下で鎧を生成していない理由がアデリーナにはわからなかった。今から生成しても遅くないのにもかかわらず、目の前の『炎の暁』は鎧を身に着けようとしない。
代わりにマントの中から現れた白く細い腕が無造作に伸ばされ、その手のひらはアデリーナとブルーに向けられる。
警戒した二人が同時に鞘から剣を抜くと、目の前の『炎の暁』の手のひらから炎の塊が生まれ放たれた。硬直もなくノーモーションでの魔法に二人は驚きを隠せなかった。
アデリーナは急いで迎え撃とうと剣を握る右手に力を入れたその時。
例の頭痛がアデリーナを襲った。
体を支えることもできず地面に倒れこむアデリーナは声を出すこともままならない。代わりの心の中で怒りの声を叫んだ。
——こんなタイミングで‼クソ!
熱い炎の塊が熱風を放ちながら物凄い速度で迫りくる。アデリーナにもこんな高度な魔法は使えない。
アデリーナが倒れている中、ブルーは水色に輝かせた剣を水平に滑らした。空を切る斬撃に続いて地面から氷が勢いよく生み出されギリギリで炎の攻撃を防ぐ。
炎と氷が少しの間膠着すると相反する二つの魔法は拒絶反応を起こし爆発した。
ブルーは咄嗟にアデリーナの前に立ち爆風を受け止めた。
爆発の耐性を持たないブルーだったが、洗礼された魔法の鎧が何とかそのすべてを受け止める。
爆発のなか次の攻撃をブルーは警戒していたがそれは無駄に終わった。追撃はなく砂煙が晴れると目の前の敵は消えていた。
こんなチャンスを狙わずに逃げる理由がブルーには分からなかったが、すぐにアデリーナに向きなおる。
「アデリーナ」
アデリーナはブルーの言葉を受け止めると地面からゆっくりと立ち上がった。
「ありがとう……もう大丈夫です。それよりも先ほどの攻撃」
「硬直が一切なかった。一番強い」
「ええ。でも私たち二人なら問題ありません。それに、シルビア様よりは弱い」
笑いを含んだ声を向けたアデリーナの声にブルーは短くうなずいた。
二人は敵が逃げた先を見つめ、同時に大きく跳躍し赤いタイルの屋根に乗る。
「監視による追跡は出来てる。最短ルートで行く」
「はい」
少し先に走り出したブルーを追いかけるようにアデリーナは付いていく。
「それにしてもなぜ先ほどは逃げたのでしょう」
「分からない」
短い会話を交わしてから、少ししてブルーの報告が届く。
「そこの路地、4秒後」
——4秒。その言葉を聞いてアデリーナはさらに加速する。——3秒。アデリーナは直ぐにブルーを追い抜かし走りながら鞘から剣を抜く。その剣ははじめから赤色に輝いていた。それは抜いた時から剣に魔力を込めていることを知らせている。——2秒。足を止め得意技の構えに入るアデリーナは、瓦を滑りながら目標の場所へと接近していく。
——1秒。ブルーの宣言通り赤いマントを羽織った黒仮面が現れる。その時、アデリーナは屋根の端まで移動していた。
「烈火!」
鋭い声と同時に屋根の端を蹴り壊し一瞬で駆け抜けた。アデリーナの後ろにいる赤いマントが爆発に巻き込まれる。完全な死角からの不意打ち。決着はついた。兜を消したアデリーナの隣に着地するブルーは互いに軽く手を叩く。この戦いの勝利を祝って。
そんな中、ふと辺りが少し薄暗くなっていることに気が付いたアデリーナは空を見上げ……固まった。
話は聞いていたが初めて見る異常現象にアデリーナは小さく声を漏らす。
「太陽が……」
その言葉通り太陽の端が黒く欠け始めていた。ゆっくりと黒く塗りつぶされていく太陽をただ見つめる。
「まだ終わってない」
その声に直ぐに向き直るアデリーナ、同時にブルーの魔法が発動する。
「グラスメリジューヌ」
足元から数十本の蛇のような細い氷が伸びていき炎の中にいる赤いマントを締め付ける。何十にも巻き付いた氷が完全に黒い仮面の動きを拘束した。
もう一度アデリーナが剣を構え兜を戻すと正面の赤いフードの中からとんでもない魔力が噴出した。同時にブルーの拘束していた氷が跡形もなく消し飛ぶ。
正面の黒い仮面から放たれる圧倒的なオーラと風圧、突然の事にアデリーナとブルーは同時に一歩、また一歩と後ずさった。
その時、アデリーナに耳に何かノイズのような音がビリビリ、ビリビリと届いた。
どういうことか困惑しブルーを見つめるが何も感じていないようだった。
風にたなびく赤いマントから姿を現す真っ赤なドレス。ブルーはただ正面の圧倒的な強者を見つめている。アデリーナも同様に目の前に立つ、この国の平和を脅かすこの世界の敵に目を向ける。
黒い仮面の内側から放たれる熱風に反応してか近くにある監視機器が魔力の拒絶反応によって次々に弾け飛んだ。そしてさらに大きな爆発音が耳を突く。
それは城壁の上に立つ一本の塔、この国を外部から守るためにつかられた塔の頂上が爆発した音だった。それに続けて残りの塔が次々に爆破されていく。
全ての塔を失ったラベンダーノヨテ聖域国。国全体を覆っていた魔法障壁が崩れていき、それと同時に数えきれないほどのドラゴンが城壁を超えこの国に入ってきた。
ドラゴンの鳴き声と市民の叫び声が四方八方から聞こえ始める。
そのさなアデリーナとブルーの前にいた黒い仮面はマントを捨てると体を宙に浮かせどんどんと上昇していく。
腰のあたりまでありそうな真っ赤な髪を風にたなびかせながら建物より少し高い場所て停止するとその両脇に二匹のドラゴンがやってきてその場で停止した。黒い仮面の彼女が明らかにドラゴンを刺激していた。
彼女は右手を顔にそえると仮面が同時に焼失する。
遂にあらわとなった彼女の顔にアデリーナは絶句した。それは今まで何度も何度も見てきた顔だったからだ。彼女の顔はあの女神の石像そのものだった。
またも頭痛に襲われ地面に膝をつくアデリーナ。そんな状況ではない事が分かっていたアデリーナは必死になって意識を保ちながらもう一度立ち上がる。この頭痛による怒りを全てぶつけるように、上空にいる彼女を睨んだ。
彼女は下にいる私たちをまっすぐ見つめると、はっきりとこう言った。
「私の名はアリーチェ・ディ・レオーネ。『炎の暁』の頭首だ。『終焉の審判』はいま開かれた。ここに炎の魔女の帰還を宣言する」
彼女から出ていた圧倒的な威圧が更に何倍にも膨れ上がり、真っ赤な光の柱がこの世界を引き裂くように空高くの伸びていく。
それは、まるで全ての生命に刻み込まれた本能の様に、心のうちにある恐怖心を呼び起こした。