第6話 最下邸
文字数 7,118文字
永遠の大地、中央草原。
赤騎士たちに剣の稽古をつけていたアデリーナは剣を鞘にしまい休憩に入る。数十人の他の赤騎士もアデリーナに一礼するとその場から離れ思い思いにやるべきことをこなす。
アデリーナも鞘に剣をしまうと同時に身に着けていた鎧と兜全てを消失させる。心地よい風がアデリーナの薄い赤いレースを吹き抜けていき肌をなでる。鎧を身に着けないのは『炎の暁』に敵意がないことの意思表示と、住まわしてもらっている礼儀の意味もあった。
アデリーナは立ったまま茫然と綺麗な青い空を見つめた。雲一つない快晴。綺麗な青が空一面に広がっている。
その景色にアデリーナは思い耽る。
炎の魔女のアリーと話したあの日、アデリーナは炎の暁に入り三日が過ぎた。新参者だからだろうか、皆に注目されていたアデリーナは早々にミヤという一人の赤騎士に目を付けられに決闘を挑まれた。ブルーから教わった剣技のおかげでミヤに勝つことができたが、その中で剣技を買われたアデリーナは気が付けば指南役になっていた。ブルーに教えて貰った剣術が今のアデリーナを支えている。
剣を打ち合うたびに、安心できる信頼できる親友の消失を思い知る。弟子として追いかけていたアデリーナは今や赤騎士たちの師匠の立場にある。どうしても立場に慣れず気後れしてしまうところがあるアデリーナには今までの様に剣を振ることができなかった。
鞘にしまわれていた愛剣を抜き空にかざす。ブルーを思い起こす青空に数匹のドラゴンが気持ちよさそうに空中を優雅に飛んでいた。なぜ炎の魔女は氷の魔女を襲うのか。シルビア様は『炎の暁』の攻撃を防ぐことはしても決してこちらから攻めようとはしなかった。いつも決まって攻撃されるのを待つだけで、その理由を教えていただけることはなかった。
「やあ、アデリーナ」
背中から聞こえるジュリオさんの声にアデリーナは鞘に剣をしまってから振り返り一礼をする。
「こんにちは、ジュリオさん」
「ああ、今日も元気そうだね、天気もいいし……それにいつ見ても君は綺麗だ。女神の様に、美しい……」
「ありがとうございます、日差しも心地よくより一層身が引き締まります。所でどういったご用件でしょうか?」
「あ、ああ。その要件って言うのは、そろそろ城の裏側を見ておいてもいいじゃないかって。数日たって気分も少しは落ち着いたんじゃないかってね、はは……」
「分かりました。その件ですね。それではすぐに支度します、ついでですのでアリーには私から報告しておきます」
「あ。……ああ」
ジュリオはどこか元気のなさそうな声をアデリーナの背中にかけるがその声が聞こえる事はない。
ラベンダーノヨテ西域国、地下水路。
ジュリオを先頭にアデリーナは2人で地下水路を進む。アリーは手が外せない用事があるらしく後程、合流する手はずになっている。
「先ほど右手に見えた階段をのぼるわけではないのですね」
以前隠し階段で地下水路に着いた時とは違う方向に歩いていくジュリオにアデリーナは声をかけた。
「ああ、この国の裏側を見せるといったろ。その答えがこの先にあるのさ、まあ見た方が速い」
ランタンを持って前を歩いているジュリオの方からまたあの鼻を突くような甘い香りが漂ってくる。
思わず眉をひそめるアデリーナにいう。
「キツイ臭いだよな、でも大丈夫この香り自体に悪性はないから」
2人はさらに奥に進むと開けた場所に出る。その場は明るい光が灯され天井にひかれた網目状の鉄でできた細い通路が伸びる。下にはたくさんの鉄格子で小分けにされた部屋があるが、使われている様子はない。
「牢獄?」
「ああ、そんなようなものだな」
そう言って、さらに奥に進むと、何やらがやがやと物音が聞こえ始める。それは次第に大きくなりあのキツイ臭いも強くなっていき、遂にその理由御目の当たりにしアデリーナは思わず両手で口を覆った。
二十代から四十代の無数の女たちが体を拘束され無理やりに犯されている。声の正体も臭いの理由もこの光景を見れば一目瞭然だった。
「ここにいる人たちはほとんどがここで生まれここで死んでいくんだ。外の世界も何も知らずにな」
あまりにも非人道的な光景に現実を受け入れられない。私はこれを知らずにいままでずっと生きて……。
「この先が適年齢の過ぎた者たちの生活場所だ」
ジュリオの言葉で我に返るアデリーナはその先を進んだ。
開けた場所の床に見たこともない細かな魔法陣が張られ今も青く輝き魔法が発動されている。
「ここでは食欲と性欲と睡眠欲しか保証されていない。だから、皆が性依存症になって、食べる時と寝ている時以外は性欲をただ晴らしている。その性力から魔力を吸い取るのが下に描かれている魔法陣。この魔力で国のエネルギーを賄っているんだ」
喘ぎ声が鳴り響く地下の世界で、かすかに聞こえるうめき声をアデリーナは聞き逃さなかった。
「この声は?」
「あの先からだが……」
そう指だけ指して進もうとしないジュリオにアデリーナが早足で向かった。
近づけば近づくほど聞こえてくるたくさんの絶叫と叫び声に足が竦む。しかし、見ないでいることなどできるはずなかった、今までこの国のために戦ってきたものとして。
広がる空間にひかれる魔法陣の上で七十過ぎの男女が苦しみながら地面に倒れている。指先や足先など、体の端の方から白くなっている。中には白くなった腕がもげている人もいるが、血は出ていない。
「何なんですかこれは!」
隣に来たジュリオを問いただすように聞くアデリーナ。
「80を過ぎた人は、女王陛下と同じ場所に行けるという名目でみんなここに連れてこられるんだ。ここでは生力をゆっくりと蝕まれていき体をゆっくりと違う物質へと変えられていく。やがて体は全てあの白い粉へと変わってしまうんだ」
「あの白い粉は」
アデリーナの言葉にジュリオは事実をただ淡々と述べた。
「食料に変えられる」
その言葉に嫌な予感がアデリーナの中で思い抱くがジュリオが代わりに代弁した。
「国が支給する支給用のパン。あの原料はあの白い粉、人間なんだよ」
受け入れがたい真実に一瞬困惑するアデリーナ。しかし、目の前で起こる光景がまぎれもない真実だと言っていた。この国のために、たとえ己の命を犠牲にしたとしても戦い続ける。そんな教えをシルビア様から受けていたアデリーナにとってこれはあまりにも残酷な現実。許せない、許せるはずがなかった。
知り合いも家族もいない。何も知らない世界に取り残されていたアデリーナの心は『永遠の大地』で心を許すことができずにいた。心のうちに抱いていたその思いをすべて否定された。
今までたまっていた鬱憤が一気に溢れ出すここにアデリーナの怒りの炎を止められるものは誰もいない。
アデリーナは一瞬で体に鎧を身に纏うと、鞘に手をかける。
「おい!なにしてるんだ!落ち着け!」
怒りに支配されたアデリーナの耳にジュリオの警告が届くことはない。
「市民を守る騎士としてこんな悪魔のような状況を目の前にして、何もしないでいられますか!」
「アデリーナ!落ち着いてくれ!ここでこの施設を破壊しても何の解決にもならない。俺たちが地下通路を利用して潜入していることがばれてしまうし!それに上に住む市民たちに罪はない!」
「……」
隣にいるジュリオの叫び声がアデリーナの心に微かな冷静さを取り戻させる。アデリーナは怒りで震える手で力強く鞘を握った。怒りに負けないよう、抜いてしまいそうな剣を必死に抑えつける。
しかし、痛みで悶えるたくさんの人々が今も目の前で苦しんでいる。今まで通ってきた部屋でも苦しんでいる人々はたくさんいた。
魔法機具につながれ永遠に搾取される男性たち、体を固定されただ子供を産む道具にされている女性たち。
ここで生まれた子供たちは親元を離れ地上で分配される。そんな現状を許せるはずがなかった。
「だめだ!やめろ!」
勢いよく抜いた剣に烈火の如く怒りの炎を込める。
「ここの真上は氷の魔女の城だ!」
「真轊(シンウン)!」
剣を横に振ると同時に魔法陣と魔法機具を大爆発が襲い炎が一気に溢れ出す。しかし、どれも見えない壁に膝かれると同時にそこらじゅうでサイレンが響き渡った。
少しするとガシャガシャと鎧が擦れる音がそこらじゅうからこだましてジュリオとアデリーナの元に届く。簡単に見積もっても50近くの重騎士が迫ってきているのは明らかだった。
「許せない!」
氷の魔女の魔法障壁に阻まれたアデリーナの攻撃は、一切傷をつけることができなかった。
「おっけー、だけどその前にまず俺を守ってくれ」
ジュリオがアデリーナの手を強引に引っ張って走り始めた。
「どこに行くのですか!」
「俺は戦えないから逃げるんだよ!」
逃げる先にも数人の兵士がいたが数は少ない。アデリーナの火焔が一瞬で目の前の敵を屠り先を急ぐ。この状況を招いてしまった自分の失態と、騎士として目の前で苦しんでいる沢山の人々を助けられない、そして何よりもこんな事を何も知らずに生きていた自分に余計に腹がったった。ブルーはこのことを知っているの?そんな問いを抱くがその答えはどこにもない。
ただ無力に逃げる事しかできない自分の愚かさが残るだけだった。
「くそっ‼」
アデリーナはただ逃げるしかできない。何もできなかった現状に苛立ち騎士からぬ言動で吐き捨てた。
何とか追っ手をまくことができた二人はもう一度フードを深くかぶり別ルートの入り口から地上へと出れた。
ここは西西南にある第七区商店街エリア。少し大通りと離れているが人気が少ないことに越した事はない。
アデリーナが兜を外すとその綺麗な薄ピンクの髪と綺麗な美貌が現れ二人の間で流れていた緊張がいくらか和む。
「はあ、何とか逃げ切れたな。ありがとう……それにしても強いぜ、強い強いとは聞いていたがこれほど強いとはな。頼りになるよ、本当に」
「ありがとうございます、しかし、こんな事態にしてしまって申し訳ありません。私の至らなさが招いた結果です」
「何言ってんだよ、無事切り抜けられたんだからいいじゃん。むしろあそこで怒ってくれた姿の方に俺は嬉しかったよ」
少し前を歩いていたジュリオは笑いながら言った。しかし、アデリーナは現状に違和感を覚えており空返事を返す。
いくら人気がないからと言っても不自然に静かだった。嫌な予感がしたアデリーナはすぐに兜を戻すと鞘に手をかけ、横にある大通りへと延びる少し広めの通路を見つめる。
「なにを」
「あなたは隠れていてください、そして隙を見て逃げて!」
間髪入れず答えるアデリーナから緊張感が伝わったのかジュリオはすぐに物陰へと隠れた。
アデリーナの前に通りからカシャカシャと鎧の音が聞こえる、最低でも十人はいる。恐らく包囲されているだろう。
正面に姿を現した四人の青騎士たちが大盾を構えまっすぐとアデリーナに対し臨戦態勢を示す。
アデリーナもまた羽織っていた赤フードを消し白と銀色の鎧の姿をあらわにする。
炎の暁の兵士たちは皆、赤を基調にした装備を身に纏っているためアデリーナはいつも異彩を放っていた。しかしその異彩は青騎士たちにも伝わったのか後ずさる。今まで赤い鎧の騎士たちばかりと戦っていた青騎士たちにとってこの鎧は異質に感じるのだろう。
白色の鞘から銀色の剣を真っ赤に燃やす。
「淵火(エンカ)」
炎の渦が四枚の大盾を襲うが一歩また一歩と前進する。
噴出される炎に身を乗せ、アデリーナは前に飛び掛かると勢いのまま体を捻り水平切りを切り出す。大盾が大きくのけぞり堅い守りが崩れるその隙をアデリーナは逃さない。
片手を開いた盾の隙間に無理やりにねじ込み手を開く。青騎士はアデリーナの腕を逃がさまいとより強い力で大盾と閉じる。そして同時に逃げることのできなくなったアデリーナの体を敵の槍が襲う。
大盾にかける力を抜けない青騎士の攻撃ならば鎧が守ってくれると計算していたアデリーナの予想通り魔法の発動時間まで鎧が削れる事はなかった。
「エスプ・ジオーネ」
開いていた手のひらから爆発が起き、ほぼゼロ距離で食らった四人の青騎士が後ろへと吹き飛ばされ地面を引きずる。
大盾を亡くした四人の青騎士に追撃すべく飛び出したアデリーナの前に左右から槍が飛来する。蹴り出した勢いをそのまま剣に乗せ回し斬りでその攻撃を何とかはじくが、追撃のために飛び出したアデリーナの足を止められてしまう。更に、二人の衛兵が槍を持って飛び出してきた。
動きは遅く、完全に素人で大した脅威はないがアデリーナの追撃を止めるには十分だった。
片方の槍を剣で受け流しもう片方の槍は片手でつかみ衛兵ごと投げ飛ばす。もう一方の衛兵のお腹を力強く蹴り飛ばし、二人は左右の建物に大きく背中を打ち付け気絶させた。
追撃はもう不可能だと判断したアデリーナはまずは二人の衛兵の対処に専念する判断を下しす。数は減らせるうちに減らしておいた方がいい。
大盾をなくした四人の青騎士は完全に態勢を立て直し連なるように同時に襲ってくる。
青騎士だけあって動きが素早く、受け流すだけでは反撃できない。剣を両手で持ち替え、繰り出される斬撃をはじいていく。
さすがの青騎士。洗礼された剣技はアデリーナでも目を見張るものだったが所詮は人間。魔力を使えない青騎士達はアデリーナの相手ではなかった。
次第に隙が生まれ始めるその隙をアデリーナの魔法を込めた重たい一撃が襲い、一人また一人と倒していく。
残り二人。体力も魔力もまだ十分余力は残っている。
順調だ、そう思っていたとき対峙していた二人の青騎士が急に距離を取った。
何のつもりかと身構えると、一人の騎士のゆっくりとした足音が聞こえる。音のする方に目を向ければ新たに一人の青騎士が援軍に来た。
その青騎士から放たれるオーラに改めて身を引き締めるアデリーナはゆっくりとその騎士に剣を構えた。
「そこまで。ここは任せなさい」
その兜の中から聞こえる中世的で柔らかい声が静かにこの場に響く。
二人の騎士は敬礼するとその場を離れたが、アデリーナはその光景など目に張っていなかった。
ただ目の前の青騎士にすべての意識が吸い寄せられる。
あの鎧、あの声、あの剣。
見間違えるはずがなかった。
「ブルー……」
心の中で読んだその名前が自然と口から零れ落ちる。
目の前の青騎士は少し肩をピクリと動かすと静かに剣を抜く。何度も見てき、打ち合ってきたブルーの愛剣だった。
突如、何の前触れもなく突進してくる。
ギリギリで受け止めるアデリーナの体はじりじりと少しずつ後ろに押されていく。
アデリーナの記憶の中にある唯一の親友に対しての気の迷いがアデリーナの剣を鈍らせる。アデリーナの剣は大きくはじかれ無防備な一瞬の隙をブルーの高速な三連撃が襲う。すぐに態勢を直し四連義気目をぎりぎりで防ぎ、鍔迫り合いにもつれ込む。
アデリーナの鎧に入ったひびが少しずつに修復されていくが後一撃食らっていれば間違いなく鎧は砕かれていた。
何とか押し戻そうと剣を両手で持ち直し力を込めるが片手で受け止めているブルーの剣はびくともしない。
散々打ち合ってきた経験があるが改めてこの国最強の騎士ブルーの強さを身に染みて実感させられる。
なぜ、両手を使ってアデリーナの剣をはじかないのか、そんな疑問から空いているブルーの片手へ目線を向けると手のひらが青く輝いていた。
「グラスメリジューヌ」
ブルーがそう囁いた。
——この鍔迫り合いをしている間に魔法を⁉
声にならない言葉を心の中で叫び大きく後ろに飛ぶ。
しかし間に合わない。数十本の蛇のような細い氷が空中にいるアデリーナの足に絡まりつき逃げられないように拘束される。そして、まだ残っている無数の氷が体をも飲み込もうと伸びてきていた。
まだ鎧も完全に修復できていないが魔力の出し惜しみなどしている場合ではない。アデリーナの剣に魔力が流れ真っ赤に染まる。魔力のこもった剣は輝きを放ち威力も速度も格段に増加する。
まずはこの束縛から逃れるため、足に絡まった氷を切り落とす。勢いよく振りかざされたアデリーナの剣がその氷を砕くことはなかった。アデリーナの斬撃をブルーのただの剣がはじく。
「魔力もなしで⁉」
驚きのあまり思わず口から声を漏らすアデリーナ。
空中へとあがり足場がなくて態勢も不安定なブルーの何も光っていない、魔力の籠っていない剣で簡単にはじかれる。 ブルーの攻撃がここで終わることはない。続けて鞭のようにしなる足がアデリーナの顔に横蹴りを繰り出した。その打撃は爆発音にも近い衝撃波を放ち兜を粉々に砕くと、そのまま地面へと叩き落とす。
地面にたたきつけられた衝撃により鎧まで砕け、アデリーナは頭からは流血する。
対するブルーは綺麗に地面へと着地すると、剣を青く輝かせ地面に倒れるアデリーナへと加速した。
次の攻撃が迫っていることを分かっていたアデリーナは無理やりに体を起こすが、下半身が思う様に動かせず、まだ上半身しか動かすことができない。それに、無理やりに動こうとした反動からが、物凄い吐き気が襲い吐血する。
頭の流血のせいかぼーっとする視界で真っ赤に染まる手を、そして次にその手の先に迫りくるブルーの青く輝く剣を見つめた。
流れる時間が遅く感じる。これが死を悟ったときの感覚。
この国の真実を知った矢先にこれ……ある意味自業自得ではあるけども、何もできなかった。くやしい。悲しい……。
アデリーナは静かに目を閉じた。
「烈氷」
中世的な声で静かに私の死刑を宣言する。
赤騎士たちに剣の稽古をつけていたアデリーナは剣を鞘にしまい休憩に入る。数十人の他の赤騎士もアデリーナに一礼するとその場から離れ思い思いにやるべきことをこなす。
アデリーナも鞘に剣をしまうと同時に身に着けていた鎧と兜全てを消失させる。心地よい風がアデリーナの薄い赤いレースを吹き抜けていき肌をなでる。鎧を身に着けないのは『炎の暁』に敵意がないことの意思表示と、住まわしてもらっている礼儀の意味もあった。
アデリーナは立ったまま茫然と綺麗な青い空を見つめた。雲一つない快晴。綺麗な青が空一面に広がっている。
その景色にアデリーナは思い耽る。
炎の魔女のアリーと話したあの日、アデリーナは炎の暁に入り三日が過ぎた。新参者だからだろうか、皆に注目されていたアデリーナは早々にミヤという一人の赤騎士に目を付けられに決闘を挑まれた。ブルーから教わった剣技のおかげでミヤに勝つことができたが、その中で剣技を買われたアデリーナは気が付けば指南役になっていた。ブルーに教えて貰った剣術が今のアデリーナを支えている。
剣を打ち合うたびに、安心できる信頼できる親友の消失を思い知る。弟子として追いかけていたアデリーナは今や赤騎士たちの師匠の立場にある。どうしても立場に慣れず気後れしてしまうところがあるアデリーナには今までの様に剣を振ることができなかった。
鞘にしまわれていた愛剣を抜き空にかざす。ブルーを思い起こす青空に数匹のドラゴンが気持ちよさそうに空中を優雅に飛んでいた。なぜ炎の魔女は氷の魔女を襲うのか。シルビア様は『炎の暁』の攻撃を防ぐことはしても決してこちらから攻めようとはしなかった。いつも決まって攻撃されるのを待つだけで、その理由を教えていただけることはなかった。
「やあ、アデリーナ」
背中から聞こえるジュリオさんの声にアデリーナは鞘に剣をしまってから振り返り一礼をする。
「こんにちは、ジュリオさん」
「ああ、今日も元気そうだね、天気もいいし……それにいつ見ても君は綺麗だ。女神の様に、美しい……」
「ありがとうございます、日差しも心地よくより一層身が引き締まります。所でどういったご用件でしょうか?」
「あ、ああ。その要件って言うのは、そろそろ城の裏側を見ておいてもいいじゃないかって。数日たって気分も少しは落ち着いたんじゃないかってね、はは……」
「分かりました。その件ですね。それではすぐに支度します、ついでですのでアリーには私から報告しておきます」
「あ。……ああ」
ジュリオはどこか元気のなさそうな声をアデリーナの背中にかけるがその声が聞こえる事はない。
ラベンダーノヨテ西域国、地下水路。
ジュリオを先頭にアデリーナは2人で地下水路を進む。アリーは手が外せない用事があるらしく後程、合流する手はずになっている。
「先ほど右手に見えた階段をのぼるわけではないのですね」
以前隠し階段で地下水路に着いた時とは違う方向に歩いていくジュリオにアデリーナは声をかけた。
「ああ、この国の裏側を見せるといったろ。その答えがこの先にあるのさ、まあ見た方が速い」
ランタンを持って前を歩いているジュリオの方からまたあの鼻を突くような甘い香りが漂ってくる。
思わず眉をひそめるアデリーナにいう。
「キツイ臭いだよな、でも大丈夫この香り自体に悪性はないから」
2人はさらに奥に進むと開けた場所に出る。その場は明るい光が灯され天井にひかれた網目状の鉄でできた細い通路が伸びる。下にはたくさんの鉄格子で小分けにされた部屋があるが、使われている様子はない。
「牢獄?」
「ああ、そんなようなものだな」
そう言って、さらに奥に進むと、何やらがやがやと物音が聞こえ始める。それは次第に大きくなりあのキツイ臭いも強くなっていき、遂にその理由御目の当たりにしアデリーナは思わず両手で口を覆った。
二十代から四十代の無数の女たちが体を拘束され無理やりに犯されている。声の正体も臭いの理由もこの光景を見れば一目瞭然だった。
「ここにいる人たちはほとんどがここで生まれここで死んでいくんだ。外の世界も何も知らずにな」
あまりにも非人道的な光景に現実を受け入れられない。私はこれを知らずにいままでずっと生きて……。
「この先が適年齢の過ぎた者たちの生活場所だ」
ジュリオの言葉で我に返るアデリーナはその先を進んだ。
開けた場所の床に見たこともない細かな魔法陣が張られ今も青く輝き魔法が発動されている。
「ここでは食欲と性欲と睡眠欲しか保証されていない。だから、皆が性依存症になって、食べる時と寝ている時以外は性欲をただ晴らしている。その性力から魔力を吸い取るのが下に描かれている魔法陣。この魔力で国のエネルギーを賄っているんだ」
喘ぎ声が鳴り響く地下の世界で、かすかに聞こえるうめき声をアデリーナは聞き逃さなかった。
「この声は?」
「あの先からだが……」
そう指だけ指して進もうとしないジュリオにアデリーナが早足で向かった。
近づけば近づくほど聞こえてくるたくさんの絶叫と叫び声に足が竦む。しかし、見ないでいることなどできるはずなかった、今までこの国のために戦ってきたものとして。
広がる空間にひかれる魔法陣の上で七十過ぎの男女が苦しみながら地面に倒れている。指先や足先など、体の端の方から白くなっている。中には白くなった腕がもげている人もいるが、血は出ていない。
「何なんですかこれは!」
隣に来たジュリオを問いただすように聞くアデリーナ。
「80を過ぎた人は、女王陛下と同じ場所に行けるという名目でみんなここに連れてこられるんだ。ここでは生力をゆっくりと蝕まれていき体をゆっくりと違う物質へと変えられていく。やがて体は全てあの白い粉へと変わってしまうんだ」
「あの白い粉は」
アデリーナの言葉にジュリオは事実をただ淡々と述べた。
「食料に変えられる」
その言葉に嫌な予感がアデリーナの中で思い抱くがジュリオが代わりに代弁した。
「国が支給する支給用のパン。あの原料はあの白い粉、人間なんだよ」
受け入れがたい真実に一瞬困惑するアデリーナ。しかし、目の前で起こる光景がまぎれもない真実だと言っていた。この国のために、たとえ己の命を犠牲にしたとしても戦い続ける。そんな教えをシルビア様から受けていたアデリーナにとってこれはあまりにも残酷な現実。許せない、許せるはずがなかった。
知り合いも家族もいない。何も知らない世界に取り残されていたアデリーナの心は『永遠の大地』で心を許すことができずにいた。心のうちに抱いていたその思いをすべて否定された。
今までたまっていた鬱憤が一気に溢れ出すここにアデリーナの怒りの炎を止められるものは誰もいない。
アデリーナは一瞬で体に鎧を身に纏うと、鞘に手をかける。
「おい!なにしてるんだ!落ち着け!」
怒りに支配されたアデリーナの耳にジュリオの警告が届くことはない。
「市民を守る騎士としてこんな悪魔のような状況を目の前にして、何もしないでいられますか!」
「アデリーナ!落ち着いてくれ!ここでこの施設を破壊しても何の解決にもならない。俺たちが地下通路を利用して潜入していることがばれてしまうし!それに上に住む市民たちに罪はない!」
「……」
隣にいるジュリオの叫び声がアデリーナの心に微かな冷静さを取り戻させる。アデリーナは怒りで震える手で力強く鞘を握った。怒りに負けないよう、抜いてしまいそうな剣を必死に抑えつける。
しかし、痛みで悶えるたくさんの人々が今も目の前で苦しんでいる。今まで通ってきた部屋でも苦しんでいる人々はたくさんいた。
魔法機具につながれ永遠に搾取される男性たち、体を固定されただ子供を産む道具にされている女性たち。
ここで生まれた子供たちは親元を離れ地上で分配される。そんな現状を許せるはずがなかった。
「だめだ!やめろ!」
勢いよく抜いた剣に烈火の如く怒りの炎を込める。
「ここの真上は氷の魔女の城だ!」
「真轊(シンウン)!」
剣を横に振ると同時に魔法陣と魔法機具を大爆発が襲い炎が一気に溢れ出す。しかし、どれも見えない壁に膝かれると同時にそこらじゅうでサイレンが響き渡った。
少しするとガシャガシャと鎧が擦れる音がそこらじゅうからこだましてジュリオとアデリーナの元に届く。簡単に見積もっても50近くの重騎士が迫ってきているのは明らかだった。
「許せない!」
氷の魔女の魔法障壁に阻まれたアデリーナの攻撃は、一切傷をつけることができなかった。
「おっけー、だけどその前にまず俺を守ってくれ」
ジュリオがアデリーナの手を強引に引っ張って走り始めた。
「どこに行くのですか!」
「俺は戦えないから逃げるんだよ!」
逃げる先にも数人の兵士がいたが数は少ない。アデリーナの火焔が一瞬で目の前の敵を屠り先を急ぐ。この状況を招いてしまった自分の失態と、騎士として目の前で苦しんでいる沢山の人々を助けられない、そして何よりもこんな事を何も知らずに生きていた自分に余計に腹がったった。ブルーはこのことを知っているの?そんな問いを抱くがその答えはどこにもない。
ただ無力に逃げる事しかできない自分の愚かさが残るだけだった。
「くそっ‼」
アデリーナはただ逃げるしかできない。何もできなかった現状に苛立ち騎士からぬ言動で吐き捨てた。
何とか追っ手をまくことができた二人はもう一度フードを深くかぶり別ルートの入り口から地上へと出れた。
ここは西西南にある第七区商店街エリア。少し大通りと離れているが人気が少ないことに越した事はない。
アデリーナが兜を外すとその綺麗な薄ピンクの髪と綺麗な美貌が現れ二人の間で流れていた緊張がいくらか和む。
「はあ、何とか逃げ切れたな。ありがとう……それにしても強いぜ、強い強いとは聞いていたがこれほど強いとはな。頼りになるよ、本当に」
「ありがとうございます、しかし、こんな事態にしてしまって申し訳ありません。私の至らなさが招いた結果です」
「何言ってんだよ、無事切り抜けられたんだからいいじゃん。むしろあそこで怒ってくれた姿の方に俺は嬉しかったよ」
少し前を歩いていたジュリオは笑いながら言った。しかし、アデリーナは現状に違和感を覚えており空返事を返す。
いくら人気がないからと言っても不自然に静かだった。嫌な予感がしたアデリーナはすぐに兜を戻すと鞘に手をかけ、横にある大通りへと延びる少し広めの通路を見つめる。
「なにを」
「あなたは隠れていてください、そして隙を見て逃げて!」
間髪入れず答えるアデリーナから緊張感が伝わったのかジュリオはすぐに物陰へと隠れた。
アデリーナの前に通りからカシャカシャと鎧の音が聞こえる、最低でも十人はいる。恐らく包囲されているだろう。
正面に姿を現した四人の青騎士たちが大盾を構えまっすぐとアデリーナに対し臨戦態勢を示す。
アデリーナもまた羽織っていた赤フードを消し白と銀色の鎧の姿をあらわにする。
炎の暁の兵士たちは皆、赤を基調にした装備を身に纏っているためアデリーナはいつも異彩を放っていた。しかしその異彩は青騎士たちにも伝わったのか後ずさる。今まで赤い鎧の騎士たちばかりと戦っていた青騎士たちにとってこの鎧は異質に感じるのだろう。
白色の鞘から銀色の剣を真っ赤に燃やす。
「淵火(エンカ)」
炎の渦が四枚の大盾を襲うが一歩また一歩と前進する。
噴出される炎に身を乗せ、アデリーナは前に飛び掛かると勢いのまま体を捻り水平切りを切り出す。大盾が大きくのけぞり堅い守りが崩れるその隙をアデリーナは逃さない。
片手を開いた盾の隙間に無理やりにねじ込み手を開く。青騎士はアデリーナの腕を逃がさまいとより強い力で大盾と閉じる。そして同時に逃げることのできなくなったアデリーナの体を敵の槍が襲う。
大盾にかける力を抜けない青騎士の攻撃ならば鎧が守ってくれると計算していたアデリーナの予想通り魔法の発動時間まで鎧が削れる事はなかった。
「エスプ・ジオーネ」
開いていた手のひらから爆発が起き、ほぼゼロ距離で食らった四人の青騎士が後ろへと吹き飛ばされ地面を引きずる。
大盾を亡くした四人の青騎士に追撃すべく飛び出したアデリーナの前に左右から槍が飛来する。蹴り出した勢いをそのまま剣に乗せ回し斬りでその攻撃を何とかはじくが、追撃のために飛び出したアデリーナの足を止められてしまう。更に、二人の衛兵が槍を持って飛び出してきた。
動きは遅く、完全に素人で大した脅威はないがアデリーナの追撃を止めるには十分だった。
片方の槍を剣で受け流しもう片方の槍は片手でつかみ衛兵ごと投げ飛ばす。もう一方の衛兵のお腹を力強く蹴り飛ばし、二人は左右の建物に大きく背中を打ち付け気絶させた。
追撃はもう不可能だと判断したアデリーナはまずは二人の衛兵の対処に専念する判断を下しす。数は減らせるうちに減らしておいた方がいい。
大盾をなくした四人の青騎士は完全に態勢を立て直し連なるように同時に襲ってくる。
青騎士だけあって動きが素早く、受け流すだけでは反撃できない。剣を両手で持ち替え、繰り出される斬撃をはじいていく。
さすがの青騎士。洗礼された剣技はアデリーナでも目を見張るものだったが所詮は人間。魔力を使えない青騎士達はアデリーナの相手ではなかった。
次第に隙が生まれ始めるその隙をアデリーナの魔法を込めた重たい一撃が襲い、一人また一人と倒していく。
残り二人。体力も魔力もまだ十分余力は残っている。
順調だ、そう思っていたとき対峙していた二人の青騎士が急に距離を取った。
何のつもりかと身構えると、一人の騎士のゆっくりとした足音が聞こえる。音のする方に目を向ければ新たに一人の青騎士が援軍に来た。
その青騎士から放たれるオーラに改めて身を引き締めるアデリーナはゆっくりとその騎士に剣を構えた。
「そこまで。ここは任せなさい」
その兜の中から聞こえる中世的で柔らかい声が静かにこの場に響く。
二人の騎士は敬礼するとその場を離れたが、アデリーナはその光景など目に張っていなかった。
ただ目の前の青騎士にすべての意識が吸い寄せられる。
あの鎧、あの声、あの剣。
見間違えるはずがなかった。
「ブルー……」
心の中で読んだその名前が自然と口から零れ落ちる。
目の前の青騎士は少し肩をピクリと動かすと静かに剣を抜く。何度も見てき、打ち合ってきたブルーの愛剣だった。
突如、何の前触れもなく突進してくる。
ギリギリで受け止めるアデリーナの体はじりじりと少しずつ後ろに押されていく。
アデリーナの記憶の中にある唯一の親友に対しての気の迷いがアデリーナの剣を鈍らせる。アデリーナの剣は大きくはじかれ無防備な一瞬の隙をブルーの高速な三連撃が襲う。すぐに態勢を直し四連義気目をぎりぎりで防ぎ、鍔迫り合いにもつれ込む。
アデリーナの鎧に入ったひびが少しずつに修復されていくが後一撃食らっていれば間違いなく鎧は砕かれていた。
何とか押し戻そうと剣を両手で持ち直し力を込めるが片手で受け止めているブルーの剣はびくともしない。
散々打ち合ってきた経験があるが改めてこの国最強の騎士ブルーの強さを身に染みて実感させられる。
なぜ、両手を使ってアデリーナの剣をはじかないのか、そんな疑問から空いているブルーの片手へ目線を向けると手のひらが青く輝いていた。
「グラスメリジューヌ」
ブルーがそう囁いた。
——この鍔迫り合いをしている間に魔法を⁉
声にならない言葉を心の中で叫び大きく後ろに飛ぶ。
しかし間に合わない。数十本の蛇のような細い氷が空中にいるアデリーナの足に絡まりつき逃げられないように拘束される。そして、まだ残っている無数の氷が体をも飲み込もうと伸びてきていた。
まだ鎧も完全に修復できていないが魔力の出し惜しみなどしている場合ではない。アデリーナの剣に魔力が流れ真っ赤に染まる。魔力のこもった剣は輝きを放ち威力も速度も格段に増加する。
まずはこの束縛から逃れるため、足に絡まった氷を切り落とす。勢いよく振りかざされたアデリーナの剣がその氷を砕くことはなかった。アデリーナの斬撃をブルーのただの剣がはじく。
「魔力もなしで⁉」
驚きのあまり思わず口から声を漏らすアデリーナ。
空中へとあがり足場がなくて態勢も不安定なブルーの何も光っていない、魔力の籠っていない剣で簡単にはじかれる。 ブルーの攻撃がここで終わることはない。続けて鞭のようにしなる足がアデリーナの顔に横蹴りを繰り出した。その打撃は爆発音にも近い衝撃波を放ち兜を粉々に砕くと、そのまま地面へと叩き落とす。
地面にたたきつけられた衝撃により鎧まで砕け、アデリーナは頭からは流血する。
対するブルーは綺麗に地面へと着地すると、剣を青く輝かせ地面に倒れるアデリーナへと加速した。
次の攻撃が迫っていることを分かっていたアデリーナは無理やりに体を起こすが、下半身が思う様に動かせず、まだ上半身しか動かすことができない。それに、無理やりに動こうとした反動からが、物凄い吐き気が襲い吐血する。
頭の流血のせいかぼーっとする視界で真っ赤に染まる手を、そして次にその手の先に迫りくるブルーの青く輝く剣を見つめた。
流れる時間が遅く感じる。これが死を悟ったときの感覚。
この国の真実を知った矢先にこれ……ある意味自業自得ではあるけども、何もできなかった。くやしい。悲しい……。
アデリーナは静かに目を閉じた。
「烈氷」
中世的な声で静かに私の死刑を宣言する。