第11話 温もり

文字数 4,464文字

 数時間前。
 アデリーナとの訓練を終えたヴィットリアが酒場のホールに戻るとカウンター席に座るアリーの姿があった。ヴィットリアはそのまま静かに隣の席に座る。その一連の流れを見ていたジュリオは何をするのかすぐに察し、ヴィットリアの分の水を出し部屋の奥に消えていく。
「お疲れ様、それじゃあ見ていくね」
「はい、お願いします」
 アリーに体を向け目をつむるヴィットリア、その唇にアリーの柔らかい唇が触れる。アリーチェの細い手がヴィットリアの頭に回り、逃げれないように固定する。そのままアリーチェの舌がヴィットリアの口の中を激しくかき乱し、閉じた瞼をぴくぴくと震わせる。口から微かに漏れ出る甘い吐息。
 暫くして魔力の調整を終えた二人はまたカウンターに向き直る。
「どこか気になるところはある?」
「いいえ、お陰様で体の方は大丈夫。そういえばどなたか来ていらっしゃいます?先ほど二階の窓からだけかが覗いている気配がしたので」
「ああ、一応お客さんが来ているみたいだねー。……ところで、ヴィットリアはまだ戦うつもりなの?」
「はい。知ってしまったからには今更手を引くわけにもいきません。この身は最後まで頭首にささげたんですから」
「本当にそれでいいの?」
「ええ。あの子がこの『暁の炎』最後の希望ですから、本当の意味で自分だけの道を切り開いていってくれるはずです」
「イヴァンの事は?」
「……」
「本当にあれでよかったの?合わなくていいの?もっとちゃんと説明した方がよかったんじゃない?最後になるなら余計に」
「私にとってはとっても短い時間でしたけど、使命も忘れ他の騎士たちと違う平板な生活多くることができました。一時ではあったけれども、私は願いをかなえることができた。だから今度は私が彼女の願いを叶えさせてあげるばん。だから、これでいい。イヴァンには知らないでいた方がいいこともあるのよ。彼の心はとても不安定で簡単に壊れてしまうから……。いいえ、違うわね。自分のため、彼に甘えてしまいそうになる自分のために、もう会いたくはない。自ら合わないようにしている。自らに課した最後の役目に対し、彼の存在が邪魔になるから」
「そっか。ごめんね」
「いいえ。では私にはするべきことがあるから」
「うん。ヴィットリア、行ってらっしゃい!」
 微笑むアリーチェにヴィットリアも同様の笑顔を返す、何百年も繰り返してきたその挨拶を。
「アリー、行ってきます」
 ヴィットリアが出て行き静寂が戻る。
 アリーも自分のなすことをするために席を立つと部屋の奥に向かって声をかけた。
「だって、ジュリオ」

 イヴァンが出ていいた後の酒場でどこか虫の居場所が悪いジュリオは考えるなと自分に言い聞かせながら戸締りをする。
 丁度すべての仕事を終えた所で階段を駆けおりる音が聞こえ目線を向ける。客席側にいたジュリオに勢いよく駆け寄り顔を近づけるアデリーナ。いきなりの事に動揺するジュリオは少し頬を赤目らせた。好きな顔がすぐそこにある、無理もなかった。
「イヴァンはどこに行ったのですか。今朝からどこか様子がおかしかったのです、私には何も話してくれませんでした。何か知っていないのですか!」
 まくしたてるように言うアデリーナの瞳は真剣そのものだった。体から血の気が引いて行くのを感じる。さっきまでの気まずさ、今まであった緊張が嘘のように消えていく。
 考えないようにしていた、分からないように自分に言い聞かせていた。アデリーナの気持ちは一切ジュリオには向いていない。いつもイヴァンに向いている。始めから自分にその気持ちが向けられるなんて思っていたわけじゃない。だけど、なんで、なぜ、よりによってあいつなんだ。そう思わずにはいられない。どこにもぶつけられない怒りが嫉妬が自分を汚しているのを実感する。
「出て行ったよ……」
 その言葉に食ってかかるアデリーナはジュリオの両肩を握る。
「なぜ……なぜ止めなかったのですか。なぜ私には知らせてくれなかったのですか」
 ジュリオの肩を掴みながら最後にはうなだれるアデリーナ。ジュリオはその質問に答えることができなかった。自分のエゴ、傲慢、私利私欲を意識していたから、代わりの言葉を吐き捨てる。
「あいつから、アデリーナに伝言だ。助けてくれてありがとう、息子を頼む」
醜い嫉妬心がジュリオの心を蝕み言葉を続ける。
「アデリーナはイヴァンが今までしてきたことを聞いているんだよな」
アデリーナは下を向いたままぴくっと首を縦に振った。
「自分には親代わりは出来ない。そんな資格はない。今までしてきた罪を償うため、そんな気持ちで出て行ったんだ」
 肩を震わせるアデリーナ。今までの凛々しき誇り高い姿はもうなかった。見た目にあったたった一人の女の子になっている。こんなに疲弊している姿をジュリオは今まで見た事がなかった。幼い子供を慰めるようにジュリオはアデリーナにやさしく寄り添った。腕を彼女の背中に回し優しくなでる。ジュリオは必死に涙をこらえているアデリーナを抱き寄せようとした時、顔を勢いよく上げ訴えかけてきた。
「私は認めません。今すぐ探しに行きます」
 目元を真っ赤にして大きな水滴を作るアデリーナに息をのむジュリオ。その先に映る階段に眠たそうに眼をこするリノの姿があった。
「待つんだアデリーナ」
 咄嗟につたえるジュリオの声はアデリーナには届かない。感情のままアデリーナは心に溜る鬱憤を叫んだ。
「ならなぜイヴァンの奥さんは二人を見捨てたのですか!なぜ今日まで一度も姿を現さないんですか!」
 その言葉にリノが目を見開き止まる。
「パパも僕を捨てたんの?」
 寂しい声にアデリーナはハッとなり振り返ると、すぐにリノに駆け寄り抱きついた。
「……どうして?……僕が悪い子だから?しっかりしてないから?」
 震える声で言うリノは瞳に溜る涙を必死にこらえる。まだ幼く分からない事ばかりのリノにとってきっと泣かない事がしっかりしていると思っているのだろう。
「いいえ。決してそんな事はありません」
「……じゃあど……して?」
「私にも分かりません。リノはお父さんのことが好きですか?一緒にいたいですか?」
「うん」
「それでは一緒に聞きに行きましょう」
 その言葉にリノは静かにうなずくと、二人は手を繋ぎジュリオを横切っていく。
「アデリーナ!」
 その問いかけに二人は振り返ると、アデリーナはジュリオの目をまっすぐ見据えてから、リノに目線を向ける。その目線は私ではなくリノに伝えてと言っている。
「リノ……お父さんの事、引き留められなくてごめん」
 リノは何も言わずアデリーナの体の後ろにそっと隠れた。大丈夫この人は怖い人じゃないですよと、優しく教えるアデリーナにジュリオは言った。
「部屋は二階のあの部屋しか空いてないが、アデリーナは大丈夫か?」
「はい。問題はありません」
 そして二人は店を出て行き、ジュリオは酒場に一人きりとなった。
 カウンター席に一人寂しく座るジュリオに声をかけるものは誰もいない。
 この先の事を考えるとイヴァンにはこの店で働いて貰うのが一番いいが、そうなるとアデリーナは今よりももっとイヴァンの事を好きになってしまうかもしれない。アデリーナがイヴァンの奥さんの事をヴィットリアとは言わず妻と言ったということは恐らく、その真実を知らない。叶わない恋を追いかけるほどつらいものはない。それをジュリオは痛いほど知っている。・・・・・・いや、違う。きっとまだアデリーナが振り向いてくれるかもしれないと、淡い期待なのかもしれない。あの日ヴィットリアはジュリオではなくイヴァンを選んだ。納得できない事実を諦めきれない思いを抱え、劣等感を抱えながらいまだ忘れられない恋を胸に抱いてきた。そんな時にあらわたアデリーナ。美しく気高い彼女に魅了された。しかし、彼女もまたジュリオではなくイヴァンを見つめる。叶うはずがないのに・・・・・・。
 自分の気持ちを差し置いたとしても、ここで働くということはいずれヴィットリアと出会ってしまう可能性が高くなってしまう。ヴィットリアは好きな人が目の前にいるのにもかかわらず自分の正体を伝えることもできず、赤の他人として接しなければならない。そんな思いをジュリオはさせたくなかった。
 静寂の中、ジュリオのため息だけが響いた。

 監視機のだいたいの場所を把握しているイヴァンは死角を通りながら酒場から離れる。行く場所などない、ただあの場所から離れようと考えた。アデリーナがこれない場所。誰も助けにこれない場所で死のう。しかし中々思うように足が動かない。全然動いていなかったせいか、あっという間に疲れがたまり歩けなくなった。狭い脇道にもたれかかるように座り込むイヴァンを心配するものなど誰もいない。人に関して無関心なこの国がいまの少し良く感じる。
 今まで誰かといた時はあっという間に過ぎていく時間が今は途方もなく長く感じた。気が付けば楽しかった時の想い出が頭に蘇る。ヴィットリアの顔が頭をよぎる。そしてリノの顔も頭に浮かぶ。
 ——ヴィットリアは今は何そしているのだろうか?生きているのだろうか?リノは幸せに生きて行けるだろうか?俺とは違って立派な大人になるだろうか?
 イヴァンはそのまま深い眠りに着いた。

 どれくらいの時間がたっただろか。誰かが俺の名前を呼んでいる気がする。
 重たい瞼を上げると、目の前にアデリーナの顔があった。目元も顔も赤くしているアデリーナは満面の笑みで微笑む。その顔はどこかヴィットリアに似ているような気がした。
「よかった」
「パパ」
 アデリーナの声に続きリノの声が聞こえ、すぐに横を見た。アデリーナの手を掴み赤いフードの中で必死に涙を堪えている。
「僕いい子だよ。ないてないよ・・・・・・だからパパは僕を捨てないで」
 呆気に足られて声が出ない。ただ自分がしてしまった事の重大さを今更のように実感する。自然と目元から涙が流れるのを感じたが拭う気にはなれなかった。
 イヴァンが両手を伸ばすとリノの方から近付いてくる。腕の中に入ったリノを力強く抱きしめたイヴァンはただ謝った。
「ごめんな、リノ。心配かけてごめんな。パパが悪かった。しっかりとしたパパになるから、お前を守れるぐらい立派なパパになるからな」
「パパ——!」
 大きな声で泣きじゃくるリノの背中をイヴァンは優しくなでた。
「いいこだよ、リノ。おまえはいいこだよ、立派だ」
 優しく声をかけるイヴァンにアデリーナが静かに手を伸ばす。イヴァンは素直にその手を掴んだ。立ち上がった俺にアデリーナが赤いフードを肩にかけてくれる。
「寒かったでしょう。気休めにしかなりませんが」
「いや、充分温かいよ」
 イヴァンの腕の中で安心したのか泣き疲れたのかはすっかり寝てしまった。二人で歩く帰り道、その通路朝日が照らす。
「すっかり朝になってしましましたね」
「ああ。……この赤いフード、それにこの暖かさ。『炎の暁』だったんだな。どおりでこんなに温かいわけだ……ありがとう」

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登場人物紹介

アデリーナ (主人公)

魔女の眷属として召喚された騎士 誇り高く凛々しく正義感が強い

ブル―のことが好き

ブルー・デ・メルロ

魔女の眷属といて召喚された騎士 感情の起伏が薄く口数が少ない

アデリーナを気にかけている

シルビア・デ・メルロ

氷の魔女 ラベンダーノヨテ聖域国の女王

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