第14話 互いの葛藤

文字数 4,444文字

 アデリーナはそこで初めて、氷の魔女の配下に置かれる前の自分がこの国のどこかにいることを自覚した。
 氷の魔女によってこの世界に顕現したということが自分の中で当たり前の前提として残っていたために今まで気付くことができなかった。一体記憶を消される前の自分は誰で今どこにいるのだろうか。
 次から次へと明かされる真実に心が追い付かない。
 そう言葉を残し去っていく2人を見つめアデリーナはパンクしそうな頭を必死に整理した。そして大切な事を思い出す。『イヴァンの事……そしてリノの事を頼みます』
 アデリーナは我に返ったように城の方を向き先生の子どもの名を呼ぶ。
「リノ」
「リノは恐らく城で保護されていると思います」
 サラの言葉にアデリーナは続ける。
「先生にイヴァンとリノのことを頼まれました。ならば先にイヴァンを助けに行かなければ」
 漠然と動き始めるアデリーナの腕をサラが引き留める。戸惑いながら振り向くアデリーナにサラが言う。
「貴女は本当にアデリーナですか?以前の凛々しく頼もしい姿はどこに行ったんですか?」
 次第に口調が強くなっていき、気が付けば以前の冷静さは失われ感情をむき出しにしていた。
「別に私は貴女が信じていたものを否定する気はありません!ですが、もじもじ悩んで立ち止まるのは貴女らしくない!思い出してください!」
「おい!ミヤ!そこまでだ!」
 サラの後ろにいたミヤが会話を遮ろうと声を上げる。それでも止まる様子のないミヤの肩に手を伸ばし体を揺らす。
「私たちの思いはどうなったんですか!私たちがつないできた志はどうなるというのですか!この、灯は!貴女は!」
「サラッ‼」
 強引にサラを振り向かせるミヤ。そこでミヤの言葉は止まった。
「落ち着けよ……。それは言わない約束だ。アリーチェが言っていた、私たちが守らなきゃいけない大切なおきてだろ。もう散々話し合ったんだから」
 その言葉にしぶしぶ承諾するサラはアデリーナに向き直る。
「アデリーナさん、見苦しいところをお見せしてすみませんでした。ヴィットリア先生が守って下さっていますから、イヴァンさんは大丈夫です。なので、リノさんを助け出してあげてください。それでは私たちは先に行きます。まだ先生に託された任務が残っていますから。」
 そう言ってサラはこの戦場のなか飛び出した。
「私は認めねーからな」
 ミヤがアデリーナに小さく悪態をつくと、サラの背中を追いかける。
 アデリーナは一旦考えるのをやめ、リノを城から救出することに意識を向ける。ラヴァンダ城のことはアデリーナが一番詳しい事は言うまでもない。今この状況で最もアデリーナが適任というざる負えない。
 アデリーナ自身もそれを重々理解していた。
 思いから体を上げ、迷いをはねのけるように足に力を入れる。
 はじき出された蹴りは下に立つ、住居を勢い良く砕いた。



ラべンダーノヨテ聖域国。
南南東、第12区、商店街大通り外れ。
ジュリオの酒場は一部の部屋を残し、その周辺の建物はすでに瓦礫の山となっていた。
 地面には聖域国の騎士たちと衛兵たちの亡骸が、そしてドラゴンの死体も二体倒れていた。今もサラとジュリオは残り二人の青騎士と戦っている。皆が命を懸けて戦っている中ただ一人イヴァンは動けずにいた。いまだに覚悟は決まらず瓦礫の影にただ隠れている。
 ——どうせ勝てない、未来は変わらない。目の前に散らばる死体の様に意味なく死ぬだけだ。暁の騎士団の様に初めから選ばれた人間にしか現状は変えられない。始めから結果話決まっているんだ。
 自分に言い聞かせるように心の中で言い訳を続け、逃げ道を探し続けるイヴァン。その目の前に何かが飛んできた。
 地面を滑りイヴァンの前で止まった大きな何かはドラゴンだった。敵にやられここまで飛ばされてきたのだろう。目の前の事実がイヴァンの気持ちを肯定する。
 ——やっぱり無理なんだ、変われるか変われないか、変えれるか変えれないかは始めから決まっている。
 目の前のドラゴンは見る見るうちに小さくなっていき元の人間だった姿に戻った。死んでいなかった、だから元の姿に戻れたのだろう。元の姿に戻ったがボロボロで動くのもやっとの様に見える。どうすればいいか分からずうろたえるしかなかったイヴァンに目の前の男が顔を上げながら擦れた声で言う。
「イヴァン……覚悟を決めろ……戦え」
 頭から血を流すその男はジュリオだった。あまりに弱々しいジュリオの言葉にイヴァンは喉元でひかかる言葉を無理やりに叫んだ。
「むりだ。俺にはできない。それに俺がした所で結果は変わらない」
「まだそんなことを」
 ジュリオの口調は強く自分に対する怒りが伝わってきたが声は弱々しかった。体を引きずりながらイヴァンに近付き胸倉を掴むジュリオ。イヴァンはジュリオの目を見ることができなかった。
「『炎の暁』の拠点はこの先だ!我々に続け!」その言葉に続き「おー‼」と複数人の掛け声がかすかに聞こえる。
「ほらな、俺たちには無理なんだよ。この国を変えるなんて……炎の魔女ですら勝てない氷の魔女をどう倒すって言うんだ」
「皆勝てると信じているから命を張って戦っているんだ。信じる者に望んだ未来がやってくる」
「俺とお前は違う。お前みたいにがむしゃらに頑張れないんだよ」
 自分でも分からない。なぜこんなに努力が出来ないのか。始めからこの世界に平等などなく優越が存在する。何をしても埋められない差が存在する。不可能が存在するこの世界でいつの間にか染みついたこの腐った性根。周りよりも極端に落ちぶれていたからこそ分かってしまったこの世界の事実。どんな経験をしてもどんなに大切な人と出会っても変わらなかったこの根性に、イヴァンは涙を流しながら感情のまま心に染みついた絶望をジュリオに訴えた。
「お前みたいにかっこよく望んだとおりに生きていけないだよ!俺たちに何ができるって言うんだ!騎士でもない魔女でもないただの一派人なんだぞ!俺たちがどうこうして変わるわけないだろ!」
 言ってはいけない知られてはいけない、本当の自分。腐った性根が赤裸々に口から溢れ出る。
 口を開けたまま固まるジュリオはゆっくりと口を閉じるうなだれ静かに言った。
「……俺だってお前がうらやましいよ」
 意味が分からない言葉に何を言えばいいか分からない。だがジュリオはイヴァンの言葉を待たずに続ける。
「俺が愛した人は決まってお前に行く。努力して頑張れば振り向いてくれるってそう信じていても決して振りむいてくれる事はない。努力でどうこうできる問題できない問題があることは知ってる」
 予想もしていなかった言葉を聞いたからだけではない。何よりも涙を流しながら言葉を続けるジュリオの姿に、ずっと抱え込んでいた思いの強さに、イヴァンは息をのんだ。
「……だが。……努力するか努力しないかは別問題だろ?……俺だってお前みたいに逃げたら楽だろうなって思う事はあるよ。でも、そんな自分を俺は許せないんだ。だから、やれば未来は変わる、信じれば未来は変わるって最後までそう信じる。そう決めたんだ!」
 声は震えていても、声にはさらに力がこもっていく。
「自分の今までの努力が!必死になって生きいる事をが!決して無駄じゃないって思うためにも、俺はお前を否定し続けるんだ!」
 涙を流しているのにもかかわらずジュリオは一切恥ずかしがらずイヴァンの目を見据え続ける。
 その言葉はイヴァンに対してだけではなく、自分の心に言い聞かせているようにも聞こえた。
「戦え……戦え、戦え、戦え戦え。戦え!」
 気絶したジュリオはイヴァンへもたれかかる。
 ジュリオが倒れると同時にイヴァンの心に自傷の念が溢れ出した。
「クソ!クソ!クソぉぉぉおお‼」
イヴァンは懐にしまっていた短剣を取り出し自分の喉元へと向けた。あの言葉を聞いたにもかかわらず手が震えるだけで、動かすことができない。
「いいのよ、あなたは頑張った」
 聞き覚えのある声で赤騎士がイヴァンの手から短剣を奪う。体から力が抜けるのを感じるイヴァンはその赤騎士を見た。ヴィットリアの事を思い起こす例の赤と白を基調とした騎士の背中を追いかけた。明らかに他の赤騎士とは風格が別格なのはイヴァンにも分かるほどだった。
 気が付けば一人で戦っているサラの元に敵の増援が駆け付けおり、1対2ではなく1対18になっていた。その戦いに向かう例の赤騎士が真っ赤に光った剣を鞘から抜き言った。
「真轊(シンウン)」
その言葉と同時に水平に切られた斬撃から真っ赤の炎が海の様に溢れ出し周囲を飲み込む。
初めからタイミングを掴んでいたかのように大きく跳躍していたサラは例の騎士の背後に着地した。
 炎の海の中で黄色く光る小さな星が見えたかと思うと無数の爆発が炎の海の中に響き渡り、炎もろとも消し飛ばす。
 しばらく続いた爆発が落ち着くとあたりに倒れた青騎士と衛兵たちがいた。たったの一撃ですべての敵を倒してしまった例の赤騎士にサラが声をかける。
「ヴィットリアせ」
 サラが不自然に言葉を止めたが、その言葉でイヴァンの中にあった点と点が繋がった。例の騎士、目の前にいる騎士が、彼女が妻だ。
「もういいのよ。それよりもお願いがあるの」
 そう言ってサラに何かを伝えるとヴィットリアは真っ直ぐイヴァンの方へ歩く。サラはヴィットリアの背中に深く長い一礼をすると飛び去って行った。
 何とか立ち上がるイヴァンはお互いに歩み寄る。そして目の前で立ち止まる妻が兜を消すと見慣れた顔があらわになった。
 しかし、イヴァンは目の前にいる妻に何を言えばいいか分からなかった。ずっと会いたかった、気持ちを聞きたかったはずなのにいざ目の前にした時、心の中にあるのは罪過だけだった。何年も探し続けたその顔もう一度目に深く焼き付ける事しかできない。
「久しぶりね」
「あ、ああ……」
 沈黙が二人の間に続く。
 話さなければと思うほど何を話していいのか分からない。何かが喉に遣えてうまく言葉が出なかった。
「ごめんなさい隠してて。もしあなたに知られたら貴方はきっと自分を責めるってそう思ったから言えなかった」
「そうだったのか」
「ええ」
 また沈黙が続く。ゆっくりしている暇などないことは分かっていた。それでも言葉が出ない、言おうとするたびに自分には声をかける資格がないと思ってしまう。手を伸ばせば届く距離にいるヴィットリアに触れたい、手をつなぎたい、抱きしめたい。愛していると伝えたい。やり直すチャンスが欲しいと伝えたい。だが、イヴァンからは口が裂けても言えるはずがなかった。
「ごめんなさい、私はもう行かないと。炎の暁のみんなの気持ちを背負っているから」
 去っていくヴィットリアにイヴァンは俯いたまま何も声をかけることができない。急いで顔を上げ振り返るも彼女はもう兜を身に纏っていた。彼女はゆっくりと歩いて行く。
 声をかけることもできなかったイヴァンはその場から一歩も動くことは出来なかった。
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登場人物紹介

アデリーナ (主人公)

魔女の眷属として召喚された騎士 誇り高く凛々しく正義感が強い

ブル―のことが好き

ブルー・デ・メルロ

魔女の眷属といて召喚された騎士 感情の起伏が薄く口数が少ない

アデリーナを気にかけている

シルビア・デ・メルロ

氷の魔女 ラベンダーノヨテ聖域国の女王

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