第7話 孤独
文字数 5,705文字
「烈氷」
中世的な声で静かに私の死刑を宣言する。
その時だった。
「迅風(シンフウ)!」
どこからか現れた赤と白を基調とした騎士がアデリーナの前に立ち剣技を叫ぶ。目の前の赤騎士が魔力の籠った赤い輝きを放つ剣で空気を切る。その水平切りがブルーに届くことはなかった。
しかし、代わりに剣から生み出された風圧がブルーの行動を抑制する。ブルーの動きは次第に鈍くなっていき、正面にいる騎士の1メートル前で完全に制止する。
アデリーナを助けたその騎士は、他の赤騎士とは明らかに鎧の色も放たれるオーラも違う。ただ微かに自分に近い何かを感じた。
目の前の騎士は腰を低くするとアデリーナとは比べ物にならない程の魔力を熱として身に纏い剣を構える。
——これなら勝てるかもしれない。
アデリーナにそう思わせる程の魔力が熱となって肌で感じる。
だが、ブルーはその間にも次の行動に移っていた。未だに風に抗い続けその結果、静止しているブルーが手のひらにその騎士に向け突き出し魔法を囁いた。
「グリージュ・ライア、……アーク・スペア」
——この状況で⁉しかも二属性同時詠唱⁉
二つの属性の魔法を同時に発動させることなど、今のアデリーナにはできない。ましてや、未だに剣に魔力は魔力が流し、あの最強の剣技『烈氷』を発動いようとしている最中などもってのほかだ。
しかもブルーは相手の剣技で発動を抑制されてしまっている烈氷の発動を諦めようとはしていない。
ブルーの足元から3つ以上の分厚い氷のとげが謎の騎士の迅風という技で作られた風の防壁を打ち破る。
守りが消えたと同時に手の平から30センチ程の水砲が勢い良く伸びていく。その間にもブルーは流れるように烈氷への構えに入っていた。
「真轊(シンウン)‼」
謎の騎士はそのすべてを打ち払うかのように力強い声が聞きなれた技名を口にする。
時が止まったかのような静寂の中で起こる爆発が視界を白く染める。遅れて届く衝撃波がアデリーナの世界に音と色を蘇らせた。
周囲の建物は吹き飛び、気が付けばブルーは大通りの向こう側に倒れていた。
「早く行きましょう、時間稼ぎでしかありません」
そう言って伸ばされる手にアデリーナは戸惑っていると騎士は体へと手を伸ばす。
「ごめんなさい」
短く言い捨てるとアデリーナをお姫様抱っこしてその場から立ち去った。
——どうして私はまたこんな状況に!
アデリーナは騎士の腕の中でそんな声にならない心の叫び声をあげた。
ラべンダーノヨテ聖域国。
南南東、第12区、商店街大通り外れ。
ジュリオが営む酒場、ここに来るのはまだ2回目だ。
カウンター席にアデリーナ、アリー、そしてその隣に先程助けてくれた騎士が並んで座る。
彼女の名はヴィットリア、『炎の暁』最古の騎士で最強の騎士と言われている。ただいろいろな事情で炎の暁を抜けていたそう。出会ったばかりの私には詳しい事情は聞けない。ただ『炎の暁』最強の騎士というのは、うなずけるだけのものを先ほど目の前で見せられたので疑う余地はなかった。
「綺麗に塞いでおいたから、ばれる心配はないと思うよ。ただしばらく戻れそうにはないね」
「そうですか」
ヴィットリアが返事をするがアデリーナは何も言えなかった。二人と違い私はまだ付き合いが浅い、それにこんな事態に陥ってしまったのは私のせいなのだから。
「アデリーナ、気にしないで。しばらくここに住めばいいんだよ!」
「っしゃ!」
カウンターの奥の部屋からそんなジュリオの声がかすかに聞こえて気がする。
「ジュリオ」
アリーの言葉にそそくさと部屋の奥から姿を現すジュリオに言葉を続ける。
「大丈夫なら、しばらくアデリーナをここに泊まらせてあげてー」
「はい、大丈夫です!」
「じゃあ私たち二人は先に失礼するね、アデリーナはしっかり休んでね~」
アリーは優しく微笑むと席を立ち、ヴィットリアもそれに続いた。
アデリーナは自分のボロボロの体を今一度見つめる。
氷の魔女、炎の魔女。そんなもの一切関係しない自分の力で自分の望むように未来を変える。そう意気込んでいたけれど、私はあまりにも弱い。今回の戦いでそれを痛いほど痛感させられた。私は未熟だからこそもっと強くならなければいけない。
少なくともあそこで苦しんでいた人を救えるほど。
「ヴィットリアさん」
気が付けば私は席を立ち、彼女の名を呼んでいた。
彼女は足を止めると振り返る。兜の内側から見据えるその瞳にアデリーナは深々と頭を下げる。
「無理を承知でお願いします」
今であったばかりで、何か事情があり忙しそうにしているのも先ほどの炎の魔女との会話で重々理解はできていた。
それでも騎士としてアデリーナにはかなえたい願いがあった。救いた人々がいた。変えたい未来があった。
「私に剣を教えてください」
静まり返る酒場。深々と頭を下げるアデリーナのお願いにヴィットリアの返事はない。
やはり無理だった、そう思い顔を上げようとした時ヴィットリアが声が届いた。
「いいわよ」
その優しい声に顔を上げると、目の前まで歩いてきたヴィットリアはアデリーナの肩に両手を添える。
「でも、その前に。まずは休みなさい。そしたら私の知る限り、全ての技を教えてあげる。ただこれだけは覚えておいて、その力は私達のために使わなくていいわ。自分のために、自分の信じた者のために使いなさい」
その言葉はまるで私の気持ちを見透かしているかのようだった。
何も知らない。心の整理がつかない。炎の魔女へ忠誠を誓いきれていない。この世界のどこにも居場所がない私に、そんな私の決意を後押してくれているような、その言葉だった。
ラベンダーノヨテ聖域国。
西西南、第七区商店街。
「うっせえな!」
夜の街の大通りに響く怒号に道行く人は誰も見向きを示さない。
「お客様お支払いをお願いします」
お店を営む中年男性は店の前で優しくお願いするが20代後半あたりの男が蹴り飛ばす。
「払うわけねえだろ馬鹿が!お前らほんと哀れだな!」
地面に倒れ込む店主に中から出てきた同年代の奥さんが優しくかばう。
「あらあら、大丈夫ですか?お父さん」
「ああ、大丈夫だ」
奥さんは悲しそうな顔を男に向けると憐れむように言う。
「それにしても、なんと哀れな人なのかしら」
「ああ、かわいそうに……女王様の教を守れないとは」
店長は蹴られたことをまるで気にする様子もなく、ただ憐れむ顔で言う。
「くそっ」
舌打ちをすると男はその場を後にいた。いつものたまり場に顔を出すとクソ男の2人、のっぽのミケーレとふとっちょのダニエルがいた。
「イヴァンおせーぞ」
ダニエルの言葉にイヴァンは片手をぽっけに入れながらもう片方の手で頭を掻き答える。
「わりーな、つかかれてたんだよ」
ミケーレはただ笑っていた。
「ニコレッタとクララは来てねーのか」
今までここに来ていた女2人の姿がどこにも見当たらない。
「あいつら女王様の教えがやっとわかったっつって、ぬけてったよ」
イヴァンの問いにダニエルが答える。
「クソっ!」
苛立ちを隠すことなく近くにあった瓶を蹴り飛ばす。
ガッシャン!と大きな音が響くが目の前の二人は平然としていた。
「ああ、今日はやりに行くぞ」
イヴァンは言うと歩き出しその背中を二人が付いていく。それは変わり映えのないいつもの日常だった。
「今日はっつっても、いつも通りだろ?それにいいのかよ、奥さんいるんだろ?すませるならおくさんでもできんだろーに」
「いいんだよ、あいつ女王様女王様うるせーし。それにガキの相手なんかしてられるわけねーだろ」
その答えにミケーラはただ笑う。
3人は手当たり次第に自分好みの女を見つけては嬲り襲う。相手の目の前に家族が居ようが関係なく連れて行き。監視機の死角で己の欲望を晴らすために、嫉妬、怒り、虚しさをひたすらにぶつけた。
やり終えたイヴァンは仲間と別れ家に戻る。真夜中の街は薄暗く該当だけがほんのりと通路を照らす。
仕事もせずに役割も果たさず怠惰な生活を続けてもう20年近くたった。28のイヴァンには残り43年の人生しか残されていない。この決められた人生を少しでも自由に生きるために、ここまでずっと決まりに背く行為を続けている。
それは自分の中に潜む劣等感を隠すためだった。
人々は当たり前の様に女王を称え、敬い、崇める。女王様の幸せが人々の幸せで、女王様のお慕いすることが人々の幸せで、女王様に与えられたお役目を最後まで果たすことが全ての人々の生きがいであり幸せ。
だが俺にはそんな気持ちを理解することができなかった、女王陛下を慕う気持ちも女王様に感謝する気持ちもない。
どんなに考えを改めても、どんなに自分を騙しても心のどこかでどうでもいいと思っている自分がいる。そんな自分が嫌だった。この世界で自分だけがいない、いや、この世界にいてはいけないような気がしていた。
この世界は甘すぎる。小さい頃に刷り込まされる女王の教えが絶対でそれ以上の決まりが存在しなし、常識も存在しない。
その常識に染まれなかったイヴァンは非行に走った。
自分がクソだという自覚はあったが、そんなこと今となってはどうでも良かった。小さなころからそれは必然的に決まっていたのだから、どこまでも落ちて自由に自分さえよければそれでよかった。
自分の人生は自分で決めるもんだ、周りの目や人のことなどどうでもいい。
家に着くと妻とまだ一歳にみたない息子のリノが同じ布団に被って寝ていた。
イヴァンは玄関に靴を履き捨てるとリビングにあるソファーに倒れ込みすぐに寝りについた。
せっかくき心地よい眠りについていたにもかかわらず耳に着く甲高い鳴き声で目を覚ましたイヴァンは舌打ちをしてソファーから起き上がる。
「おい!こっちは寝てんだぞ!静かにさせろっていつも言ってんだろ!」
ヴィットリアに向けた怒鳴り声だったがイヴァンの視界の先には誰もいない。玄関の方から聞こえる泣き声に眠たい目をこすり視線を向けると妻の隣にジュリオがいた。
真っ直ぐ睨んでくるジュリオに舌打ちをし、イヴァンは玄関の方へと歩いていく。玄関から差し込む朝日が部屋を明るく照らすが、寝起きのイヴァンにはただただ不愉快で仕方がなかった。
「ごめんなさい。少し待っていて」
妻が言うと泣く子を余所にジュリオとせわしなく何かを離している。会話の内容などどうでも良かったが何か焦っている様子は伝わってきた。
「ごめんなさい、リノ。貴方……リノをお願い」
「はいはい」
イヴァンは適当に返事をし、仕事か何かに行く妻を見送った。なんだかんだで、見送りをするのは四、五年ぶりだなとつまらないことを考えながら玄関のカギを占め部屋に戻る。
すると玄関の方からまた甲高い鳴き声が聞こえ始める、その鳴き声の主は息子のリノだった。
「あいつ、忘れて行きやがったのか」
そう吐き捨て玄関の前で鳴いている息子の前に移動した所で、自分の中で生まれたもう一つの考えが初めの思考を否定する。
あいつがそんなこと忘れるわけがない、なら今日は休みなんだろう。
イヴァンはそう考えるとまた部屋に引き返す、睡魔が限界だ。
「うっせぇ!黙れや!」
後ろで泣きじゃくるガキに怒号を浴びせると泣き声はぴたりとやみ、ぐすっと鼻水をすする音だけが聞こえる。
薄暗い部屋でイヴァンは舌打ちをすると今度は妻が寝ていた布団の中で深い眠りにつく。
暫くして目を覚ましたイヴァンは水道水から水を汲み、空からの乾いた喉に冷たい水を流し込む。
「ああ」
低い声でうなってからカーテンを開けると部屋の中に太陽の明かりが差し込んだ。朝はあんなにうざったらしかたのに、今はこの明かりが心地よい。
すると何かが足をつつくのを感じ、足元に目をやった。すると、息子がイヴァンのズボンを小さく引っ張り自分の口元を指で何度かつつく。
「あ?んだよ」
少し怯えたようにズボンから手を離すとただ自分の口元をつつくだけだった。
「喋んなきゃわかんねーよ」
「のーむ。みつ……のーむ」
どうやら喉が渇いたようだった。
「んなのじ」
イヴァンの言葉にまたビックッと身を縮こませるリアにその先の言葉は出なかった。何か悪いことをしてしまっているような気になったイヴァンは頭を掻く。
よく考えてみたら朝起きてからこいつは一口も水や食べ物を口にしていないのだろう。それに、棚も水道もまだリアの身長では届かない。
台所に移動する俺の後ろをそのまんまついてくるリアに水の入ったコップを渡すと。かぶりつくように水を飲みにんまりと笑った。
「あり……が、どー。あり、がどー」
タジタジの言葉だったが必死に言っているのが伝わってくる。
「マンマー、のーむ。マンマー、のーむ」
そう言って冷蔵庫を指さすリアに俺は中を確認する。
どうやら作られた料理は何も入っていないようだった。だからと言って料理なんかできない俺は何か簡単に食べれるものはないか、棚の中を探し回った。
どうにか見つかった袋に入った支給用のパンを出すと、子供はキャッキャッと無邪気に喜んだ。たかが食事に、たかがご飯にそんなに喜ぶ理由が分からなかったが悪い気はしなかった。
「ほらよ」
イヴァンは丸いパンを一つ取り出してリノに渡すがただジーッとパンを見つめているだけで食べようとしない。
さっきまであんなにうれしそうにしていたのになんで食べねーんだよ。
「んまー、んまー」
イヴァンを見るとそう言って口を開けこちらに向けてくる。どうやら食べさせて欲しいみたいだ。
「はぁ」
イヴァンのため息にリアは口を閉じ静かになった。
「こっち来い。遠いだろ」
イヴァンはリアの手を挟み持ち上げるとソファーに移動する。遊んでくれているとかんちがいしているのか、キャッキャッとまたも無邪気に笑う。
ほんとに単純でかわいい奴だなと純粋にそう思ったイヴァンは膝の上に乗せ、ちぎったパンを食べさせた。
そして、一日が過ぎ、二日が過ぎ、三日が過ぎたが、妻が、ヴァットリアが返ってくることはなかった。
そして、家にあったお金と食べ物が底を尽きた。
中世的な声で静かに私の死刑を宣言する。
その時だった。
「迅風(シンフウ)!」
どこからか現れた赤と白を基調とした騎士がアデリーナの前に立ち剣技を叫ぶ。目の前の赤騎士が魔力の籠った赤い輝きを放つ剣で空気を切る。その水平切りがブルーに届くことはなかった。
しかし、代わりに剣から生み出された風圧がブルーの行動を抑制する。ブルーの動きは次第に鈍くなっていき、正面にいる騎士の1メートル前で完全に制止する。
アデリーナを助けたその騎士は、他の赤騎士とは明らかに鎧の色も放たれるオーラも違う。ただ微かに自分に近い何かを感じた。
目の前の騎士は腰を低くするとアデリーナとは比べ物にならない程の魔力を熱として身に纏い剣を構える。
——これなら勝てるかもしれない。
アデリーナにそう思わせる程の魔力が熱となって肌で感じる。
だが、ブルーはその間にも次の行動に移っていた。未だに風に抗い続けその結果、静止しているブルーが手のひらにその騎士に向け突き出し魔法を囁いた。
「グリージュ・ライア、……アーク・スペア」
——この状況で⁉しかも二属性同時詠唱⁉
二つの属性の魔法を同時に発動させることなど、今のアデリーナにはできない。ましてや、未だに剣に魔力は魔力が流し、あの最強の剣技『烈氷』を発動いようとしている最中などもってのほかだ。
しかもブルーは相手の剣技で発動を抑制されてしまっている烈氷の発動を諦めようとはしていない。
ブルーの足元から3つ以上の分厚い氷のとげが謎の騎士の迅風という技で作られた風の防壁を打ち破る。
守りが消えたと同時に手の平から30センチ程の水砲が勢い良く伸びていく。その間にもブルーは流れるように烈氷への構えに入っていた。
「真轊(シンウン)‼」
謎の騎士はそのすべてを打ち払うかのように力強い声が聞きなれた技名を口にする。
時が止まったかのような静寂の中で起こる爆発が視界を白く染める。遅れて届く衝撃波がアデリーナの世界に音と色を蘇らせた。
周囲の建物は吹き飛び、気が付けばブルーは大通りの向こう側に倒れていた。
「早く行きましょう、時間稼ぎでしかありません」
そう言って伸ばされる手にアデリーナは戸惑っていると騎士は体へと手を伸ばす。
「ごめんなさい」
短く言い捨てるとアデリーナをお姫様抱っこしてその場から立ち去った。
——どうして私はまたこんな状況に!
アデリーナは騎士の腕の中でそんな声にならない心の叫び声をあげた。
ラべンダーノヨテ聖域国。
南南東、第12区、商店街大通り外れ。
ジュリオが営む酒場、ここに来るのはまだ2回目だ。
カウンター席にアデリーナ、アリー、そしてその隣に先程助けてくれた騎士が並んで座る。
彼女の名はヴィットリア、『炎の暁』最古の騎士で最強の騎士と言われている。ただいろいろな事情で炎の暁を抜けていたそう。出会ったばかりの私には詳しい事情は聞けない。ただ『炎の暁』最強の騎士というのは、うなずけるだけのものを先ほど目の前で見せられたので疑う余地はなかった。
「綺麗に塞いでおいたから、ばれる心配はないと思うよ。ただしばらく戻れそうにはないね」
「そうですか」
ヴィットリアが返事をするがアデリーナは何も言えなかった。二人と違い私はまだ付き合いが浅い、それにこんな事態に陥ってしまったのは私のせいなのだから。
「アデリーナ、気にしないで。しばらくここに住めばいいんだよ!」
「っしゃ!」
カウンターの奥の部屋からそんなジュリオの声がかすかに聞こえて気がする。
「ジュリオ」
アリーの言葉にそそくさと部屋の奥から姿を現すジュリオに言葉を続ける。
「大丈夫なら、しばらくアデリーナをここに泊まらせてあげてー」
「はい、大丈夫です!」
「じゃあ私たち二人は先に失礼するね、アデリーナはしっかり休んでね~」
アリーは優しく微笑むと席を立ち、ヴィットリアもそれに続いた。
アデリーナは自分のボロボロの体を今一度見つめる。
氷の魔女、炎の魔女。そんなもの一切関係しない自分の力で自分の望むように未来を変える。そう意気込んでいたけれど、私はあまりにも弱い。今回の戦いでそれを痛いほど痛感させられた。私は未熟だからこそもっと強くならなければいけない。
少なくともあそこで苦しんでいた人を救えるほど。
「ヴィットリアさん」
気が付けば私は席を立ち、彼女の名を呼んでいた。
彼女は足を止めると振り返る。兜の内側から見据えるその瞳にアデリーナは深々と頭を下げる。
「無理を承知でお願いします」
今であったばかりで、何か事情があり忙しそうにしているのも先ほどの炎の魔女との会話で重々理解はできていた。
それでも騎士としてアデリーナにはかなえたい願いがあった。救いた人々がいた。変えたい未来があった。
「私に剣を教えてください」
静まり返る酒場。深々と頭を下げるアデリーナのお願いにヴィットリアの返事はない。
やはり無理だった、そう思い顔を上げようとした時ヴィットリアが声が届いた。
「いいわよ」
その優しい声に顔を上げると、目の前まで歩いてきたヴィットリアはアデリーナの肩に両手を添える。
「でも、その前に。まずは休みなさい。そしたら私の知る限り、全ての技を教えてあげる。ただこれだけは覚えておいて、その力は私達のために使わなくていいわ。自分のために、自分の信じた者のために使いなさい」
その言葉はまるで私の気持ちを見透かしているかのようだった。
何も知らない。心の整理がつかない。炎の魔女へ忠誠を誓いきれていない。この世界のどこにも居場所がない私に、そんな私の決意を後押してくれているような、その言葉だった。
ラベンダーノヨテ聖域国。
西西南、第七区商店街。
「うっせえな!」
夜の街の大通りに響く怒号に道行く人は誰も見向きを示さない。
「お客様お支払いをお願いします」
お店を営む中年男性は店の前で優しくお願いするが20代後半あたりの男が蹴り飛ばす。
「払うわけねえだろ馬鹿が!お前らほんと哀れだな!」
地面に倒れ込む店主に中から出てきた同年代の奥さんが優しくかばう。
「あらあら、大丈夫ですか?お父さん」
「ああ、大丈夫だ」
奥さんは悲しそうな顔を男に向けると憐れむように言う。
「それにしても、なんと哀れな人なのかしら」
「ああ、かわいそうに……女王様の教を守れないとは」
店長は蹴られたことをまるで気にする様子もなく、ただ憐れむ顔で言う。
「くそっ」
舌打ちをすると男はその場を後にいた。いつものたまり場に顔を出すとクソ男の2人、のっぽのミケーレとふとっちょのダニエルがいた。
「イヴァンおせーぞ」
ダニエルの言葉にイヴァンは片手をぽっけに入れながらもう片方の手で頭を掻き答える。
「わりーな、つかかれてたんだよ」
ミケーレはただ笑っていた。
「ニコレッタとクララは来てねーのか」
今までここに来ていた女2人の姿がどこにも見当たらない。
「あいつら女王様の教えがやっとわかったっつって、ぬけてったよ」
イヴァンの問いにダニエルが答える。
「クソっ!」
苛立ちを隠すことなく近くにあった瓶を蹴り飛ばす。
ガッシャン!と大きな音が響くが目の前の二人は平然としていた。
「ああ、今日はやりに行くぞ」
イヴァンは言うと歩き出しその背中を二人が付いていく。それは変わり映えのないいつもの日常だった。
「今日はっつっても、いつも通りだろ?それにいいのかよ、奥さんいるんだろ?すませるならおくさんでもできんだろーに」
「いいんだよ、あいつ女王様女王様うるせーし。それにガキの相手なんかしてられるわけねーだろ」
その答えにミケーラはただ笑う。
3人は手当たり次第に自分好みの女を見つけては嬲り襲う。相手の目の前に家族が居ようが関係なく連れて行き。監視機の死角で己の欲望を晴らすために、嫉妬、怒り、虚しさをひたすらにぶつけた。
やり終えたイヴァンは仲間と別れ家に戻る。真夜中の街は薄暗く該当だけがほんのりと通路を照らす。
仕事もせずに役割も果たさず怠惰な生活を続けてもう20年近くたった。28のイヴァンには残り43年の人生しか残されていない。この決められた人生を少しでも自由に生きるために、ここまでずっと決まりに背く行為を続けている。
それは自分の中に潜む劣等感を隠すためだった。
人々は当たり前の様に女王を称え、敬い、崇める。女王様の幸せが人々の幸せで、女王様のお慕いすることが人々の幸せで、女王様に与えられたお役目を最後まで果たすことが全ての人々の生きがいであり幸せ。
だが俺にはそんな気持ちを理解することができなかった、女王陛下を慕う気持ちも女王様に感謝する気持ちもない。
どんなに考えを改めても、どんなに自分を騙しても心のどこかでどうでもいいと思っている自分がいる。そんな自分が嫌だった。この世界で自分だけがいない、いや、この世界にいてはいけないような気がしていた。
この世界は甘すぎる。小さい頃に刷り込まされる女王の教えが絶対でそれ以上の決まりが存在しなし、常識も存在しない。
その常識に染まれなかったイヴァンは非行に走った。
自分がクソだという自覚はあったが、そんなこと今となってはどうでも良かった。小さなころからそれは必然的に決まっていたのだから、どこまでも落ちて自由に自分さえよければそれでよかった。
自分の人生は自分で決めるもんだ、周りの目や人のことなどどうでもいい。
家に着くと妻とまだ一歳にみたない息子のリノが同じ布団に被って寝ていた。
イヴァンは玄関に靴を履き捨てるとリビングにあるソファーに倒れ込みすぐに寝りについた。
せっかくき心地よい眠りについていたにもかかわらず耳に着く甲高い鳴き声で目を覚ましたイヴァンは舌打ちをしてソファーから起き上がる。
「おい!こっちは寝てんだぞ!静かにさせろっていつも言ってんだろ!」
ヴィットリアに向けた怒鳴り声だったがイヴァンの視界の先には誰もいない。玄関の方から聞こえる泣き声に眠たい目をこすり視線を向けると妻の隣にジュリオがいた。
真っ直ぐ睨んでくるジュリオに舌打ちをし、イヴァンは玄関の方へと歩いていく。玄関から差し込む朝日が部屋を明るく照らすが、寝起きのイヴァンにはただただ不愉快で仕方がなかった。
「ごめんなさい。少し待っていて」
妻が言うと泣く子を余所にジュリオとせわしなく何かを離している。会話の内容などどうでも良かったが何か焦っている様子は伝わってきた。
「ごめんなさい、リノ。貴方……リノをお願い」
「はいはい」
イヴァンは適当に返事をし、仕事か何かに行く妻を見送った。なんだかんだで、見送りをするのは四、五年ぶりだなとつまらないことを考えながら玄関のカギを占め部屋に戻る。
すると玄関の方からまた甲高い鳴き声が聞こえ始める、その鳴き声の主は息子のリノだった。
「あいつ、忘れて行きやがったのか」
そう吐き捨て玄関の前で鳴いている息子の前に移動した所で、自分の中で生まれたもう一つの考えが初めの思考を否定する。
あいつがそんなこと忘れるわけがない、なら今日は休みなんだろう。
イヴァンはそう考えるとまた部屋に引き返す、睡魔が限界だ。
「うっせぇ!黙れや!」
後ろで泣きじゃくるガキに怒号を浴びせると泣き声はぴたりとやみ、ぐすっと鼻水をすする音だけが聞こえる。
薄暗い部屋でイヴァンは舌打ちをすると今度は妻が寝ていた布団の中で深い眠りにつく。
暫くして目を覚ましたイヴァンは水道水から水を汲み、空からの乾いた喉に冷たい水を流し込む。
「ああ」
低い声でうなってからカーテンを開けると部屋の中に太陽の明かりが差し込んだ。朝はあんなにうざったらしかたのに、今はこの明かりが心地よい。
すると何かが足をつつくのを感じ、足元に目をやった。すると、息子がイヴァンのズボンを小さく引っ張り自分の口元を指で何度かつつく。
「あ?んだよ」
少し怯えたようにズボンから手を離すとただ自分の口元をつつくだけだった。
「喋んなきゃわかんねーよ」
「のーむ。みつ……のーむ」
どうやら喉が渇いたようだった。
「んなのじ」
イヴァンの言葉にまたビックッと身を縮こませるリアにその先の言葉は出なかった。何か悪いことをしてしまっているような気になったイヴァンは頭を掻く。
よく考えてみたら朝起きてからこいつは一口も水や食べ物を口にしていないのだろう。それに、棚も水道もまだリアの身長では届かない。
台所に移動する俺の後ろをそのまんまついてくるリアに水の入ったコップを渡すと。かぶりつくように水を飲みにんまりと笑った。
「あり……が、どー。あり、がどー」
タジタジの言葉だったが必死に言っているのが伝わってくる。
「マンマー、のーむ。マンマー、のーむ」
そう言って冷蔵庫を指さすリアに俺は中を確認する。
どうやら作られた料理は何も入っていないようだった。だからと言って料理なんかできない俺は何か簡単に食べれるものはないか、棚の中を探し回った。
どうにか見つかった袋に入った支給用のパンを出すと、子供はキャッキャッと無邪気に喜んだ。たかが食事に、たかがご飯にそんなに喜ぶ理由が分からなかったが悪い気はしなかった。
「ほらよ」
イヴァンは丸いパンを一つ取り出してリノに渡すがただジーッとパンを見つめているだけで食べようとしない。
さっきまであんなにうれしそうにしていたのになんで食べねーんだよ。
「んまー、んまー」
イヴァンを見るとそう言って口を開けこちらに向けてくる。どうやら食べさせて欲しいみたいだ。
「はぁ」
イヴァンのため息にリアは口を閉じ静かになった。
「こっち来い。遠いだろ」
イヴァンはリアの手を挟み持ち上げるとソファーに移動する。遊んでくれているとかんちがいしているのか、キャッキャッとまたも無邪気に笑う。
ほんとに単純でかわいい奴だなと純粋にそう思ったイヴァンは膝の上に乗せ、ちぎったパンを食べさせた。
そして、一日が過ぎ、二日が過ぎ、三日が過ぎたが、妻が、ヴァットリアが返ってくることはなかった。
そして、家にあったお金と食べ物が底を尽きた。