第１話 氷の魔女
文字数 6,380文字
これは気が遠くなるほどの、遠いはるか昔の話。
そこには世界を統べるほどの力を持った強大な二つの種族がいました。
片方は巨大な蛇の様な体は固いうろこに覆われ、背中にはとても大きな翼を持ったドラゴンでした。もう片方はドラゴンほどではありませんが、大きな体を持ち自由自在に魔力を扱う魔亜人でした。
二つの種族はいつもいがみ合い争っていました。
そんなある日、一匹のドラゴンと一人の魔亜人が恋に落ちました。誰にもばれない容姿ゆっくりと愛を育んでいる中、二つの種族の中はどんどん悪くなっていきました。
そしてついに、ドラゴンと魔亜人の総力をかけた決戦『終焉の審判』が訪れたのです。
台地は砕け、木水は枯れ果てもなお、二つの種族は永遠の時を戦い続けました。
無の空間に生き残った一匹のドラゴンと一人の魔亜人はあの恋に落ちた二人でした。
ドラゴンは散らばった亡骸と岩をかき集め大きな大地を作り、それを支えました。魔亜人はその大地にもう一度木水を撒きました。
それからドラゴンと魔亜人は一人の子どもをその大地に生み落としたのでした。
その子どもの名前は『始終(しじゅう)の魔女』
星歴８６２年。
ラベンダーノヨテ聖域国。
中央にある大きな丘の上に立つ巨大な城とそれを囲う城壁、そして城を取り囲むように反映する綺麗な中世の町並み。くすんだ肌色の壁と色褪せた赤いタイルの屋根で統一された広大な街並みは更に大きな城壁で囲われている。
100メートルを超える国を囲う城壁は綺麗な正八角形の形になっており、その城壁の上にはさらに８本の塔が伸びている。この塔が魔法障壁の役割を果たし外部からの魔獣の潜入を防いでいる――はずなのだが。
東北東、第十二区兵器武装庫。
慌ただしく動く人々は燃え盛る4階建ての建物に目もくれず避難を開始する。しかし、悲鳴を上げ取り乱した一人の若い女性が避難に遅れてしまった。
恐怖から足が思うように動かず地面に転んでしまう彼女。
「嫌です！こんなところで死んでは！私は女王陛下の元に」
命乞いをするように叫ぶ女彼女を助ける住民は誰もいない。誰しもが一切その女性には目もくれず逃げていく。「まだ死ねない！」「女王様の教えをまもらなければ！」思い思いの言葉を叫ぶ住民たちは他のものに興味は示さず女王の教えを守るために必死だった。
建物を燃やす炎はまるで生きているかのように衰えることを知らず広がっていく。
遅れてやってきたラベンダルの衛兵が荷車に積んできた水樽をぶつけるが火の手は収まらない。まるで意志を持っているように動く炎に翻弄されるだけだった。
次々に運ばれてくる水樽で4人の衛兵が繰り返し鎮火作業を繰り返すが焼け石に水、現状が変わることはない。火の手が大きくなるにつれ増えるのは何もできない衛兵と野次馬ばかりだった。
炎の手前で足が縺れ立ち上がることのできない女性が必死に地面を這って逃げようとするが、誰も助けるものはいない。激しい火の手を前にその行く末を人々はただ見つめていた。
そんな中、後方から歩いてくる一人の女性とその後ろに遣える二人の騎士。
その姿に気づいた住民たちや衛兵は次々に道を開け地面に座り込み頭を下げた。そして、地面に倒れていた彼女もその女性をただ見つめていた。こんな状況にもかかわらず彼女は先程までの恐怖を忘れ目の前に立つ美しい女性に見とれていた。
綺麗な青い髪を腰まで下ろしたその女性は白と水色を基調に作られたドレスを着て白い仮面をかぶっている。そうこの女性こそ、この国ラベンダーノヨテ聖域国の女王のその人。
女王は地面に倒れる彼女に優しく手を差し伸べる。
「もう大丈夫です、ここは私に任せなさい」
静かで冷たい声が頭に直接囁かれている様に透き通る。女王の言葉に衛兵たちは再び仕事に戻り住民の避難を始める。手を取った彼女も女王に一礼し、すぐにその場を離れた。
一つの建物から始まった火事はもう十四件もの建物を飲み込んでいる。その火の手は不自然に中央に集まってから女王めがけて物凄い速度で伸びていく。
一瞬の瞬きの間に二十メートル近く伸びた炎は女王の前で止まった。周りから胞子の様に飛び散る小さな小さな青白い光の粒子が女王陛下を守るように炎を左右へとまき散らす。
その光景を見ていた市民や衛兵は足を止め感嘆の声を漏らした。
しかし、巻き散った火が消える事はなかった。左右に広がった炎は女王様を包み込み、激しい速度で回転を始める。スピードに合わさるように熱さは増していき、女王陛下の側にいた二人の騎士も身構えるほどだった。
次の瞬間、女王陛下を包んでいた火の塊が飛散した。炎の中から出てきた女王陛下は顔色一つ変えることなく、ただ一点を見つめる。
「行きなさい」
女王陛下の目線の先にある燃え盛る4階建ての建物から大きな体が姿を現す。間違いなく不自然な炎の正体はこのドラゴンの息吹だった。白銀の輝きを放つ鱗に体の何倍もある翼が空に伸び、その巨体を浮かせ逃げ去るように飛んで行く。
立ち上がるだけで5メートルを超え、翼を広げれば裕に1０メートルは超えるドラゴンは、とても人間が追いつくことも立ち向かうこともできない。
しかし、二人の騎士は違った。
二人の騎士は背を向け飛び去って行く白銀のドラゴンに、女王の宣告と同時に飛び出した。
女王陛下と同じ白と水色を基調とした鎧ともう一人の銀色の鎧が太陽の光を反射し美しい輝きを放つ。まるで弾丸の様に二筋の閃光が地面を掻く抜け、瞬く間にドラゴンの足元に追いついた。
水色の鞘を担いだ一人の騎士が右手で暗色の青い剣を抜き走りながらドラゴンに向かい空へ切り上げた。
瞬く間に地面から鋭い氷が伸びていき空中にいるドラゴンの尻尾を掴む。一瞬で尻尾の付け根まで凍り付きドラゴンの動きを止めた。青い剣を持った騎士はそのまま氷の柱を登っていく。
「ブルー！」
下で見上げている白と銀色の鎧を着た騎士が友の名前を呼ぶと、ドラゴンが咆哮を上げながら無理やりに氷の柱から逃れようと体をねじった。
ピキッ
高い音と同時にガラスが割れるように氷が砕かれた。尻尾から血がただれ落ちているが、手負いだとしても逃げられては意味がない。
氷の柱を登っていた騎士はその頂上で高く飛びあがるとドラゴンに向かい左手をかざす。手のひらに浮き上がる水色の紋章は５つの水滴を生み出し、それは次第に大きくなり５つの氷の槍へと変化を遂げた。
「ライア」
中世的で柔らかい声が兜の中から静かにささやかれると、氷の槍がドラゴンめがけ一直線に放たれる。槍はドラゴンの後ろ脚と翼に刺さり、この氷の冷気は体を膠着させていく。うまく体を動かせなくなったドラゴンはそのまま地面へ落下を開始する。
同様に地面へと落ちていくブルーと呼ばれた白と水色の鎧の鎧を着た騎士がもう一人の白と銀色を基調に作られた騎士の名を呼び合図する。
「アデリーナ」
「ええ」
短く返事を済ませると落ちていくドラゴンに向かって走りながら白色の鞘から銀色の剣を抜いた。
アデリーナと呼ばれたその騎士は瞬く間に加速していき、地面に墜落したドラゴンとの距離は５メートルを切った。するとアデリーナはこの間合いで一瞬動きを鈍らせ腰をさらに落とす。前かがみとなった体は地面すれすれで膠着すると、深く構えられた銀色の剣が真っ赤に輝き熱風を吹き荒らす。
「烈火」
凛々しく鋭い声で発するとギリギリまで踏み込んでいた足を蹴り上げる。
一瞬でドラゴンを通り過ぎたアデリーナの後ろで炎が吹き荒れドラゴンの体全てを包み込む。爆発音にも近い轟音が衝撃波と一緒にこの空間に響き渡った。
決着がついたアデリーナが剣を鞘に納める後ろからブルーの声が届く。
「やりすぎ」
ブルーはそう言って手のひらを黒い焦げたドラゴンの死体へ向け、その焼けた塊を氷で覆った。おかげで、この空間に立ち込めていた焦げ臭さが風に流され、次第に引いていく。
「たとえドラゴンが相手であっても油断は禁物です」
アデリーナの反論に何も言い返せないブルーは近くの衛兵にドラゴンの死体の処理とこの世界の敵『炎の暁』の目撃情報を募った。
それは、この世界の諸悪の根源。歴史上もっとも災厄で最悪なその名は炎の魔女。アデリーナがちょうど生まれる数日前、女王様とブルーが熾烈な戦いの末、何とか炎の魔女を打ち倒し勝利を収めた。アデリーナがこの世界に顕現したばかりの時、城の中から見えた外の景色は壮絶で、炎の魔女との戦いの爪痕はまさに未曽有の災厄だった。
それから２００年が過ぎ現在、綺麗な街並みに当時の面影はほとんどなく、未曽有の災厄を経験した住民も誰も生きてはいない。だが、炎の魔女は死んでもなおこの世界にドラゴンと『炎の暁』という諸悪を残している。
その場での一通りの役割を終えたブルーの横にアデリーナは並ぶ。
「最近『炎の暁』の動きが活発になってきましたね、ドラゴンの出現率も多くなってますし、暁の騎士団の目撃情報も増えています。——明日はシルビア様の言っていた『約束の日』。建国祭だというのに……」
アデリーナは言い終えると同時に魔法でできた鎧のうち兜だけを消失させる。そして、大きき息を吐いてから頸を左右に振り、背中に当たるほど伸ばされた綺麗な薄いピンク色の髪を風にたなびかせる。くりっとした大きな銀色の瞳にピンクの唇をブルーに向ける。
「……約束の日」
対するブルーはその言葉を復唱するだけで一切兜を取ろうとはしない。アデリーナはそんな態度になれていた。この国の女王陛下シルビア様に眷属として召喚されてからからブルーとは２９１年の付き合い。
兜の向こう側をまだ一度も見たことはないけれど、戦場ではすべてを話さなくても簡単に意思疎通ができるほど、ずっと一緒にいて一緒に戦ってきた。だから、今は安心して命を預けられる。そして、密かにブルーに対しての恋心を抱いていた。
「ブルーにも知らないことがあるのですね」
「毎年建国祭はある。けど、今年は３２４年目の特別な節目と聞いてる」
柔らかい声で淡々と告げるブルーの言葉を聞き終えてから城の前にある大きな女神の白い石像にアデリーナは目を向けた。ブルーもつられるように顔を向ける。
その凛々しく美しいその姿はまるで女王陛下を生きてかたどったように繊細に作られている。何年たっても色あせる事はなく、いつも見ても美しかった。
「明日ですね、建国祭。何事もなければいいのですが」
「はい」
ラベンダーノヨテ聖域国、ラヴァンダ城内、王室前。
ブルーとアデリーナが報告のために王室の前に立つと、二メートルを超える大きく重圧感のある扉が音もたてずに開いていく。
慣れたように二人は王室に入っていくと、いつものドレスと白い仮面をつけた女王陛下が大きな窓の前で立っていた。
「座って」
口を微かに開き囁いた声が二人の聴覚を揺らす。
それと同時に水色の粒子が広々とした部屋の中央に集まり綺麗な丸いテーブルの形を作り、見るからに高価なテーブルを生成する。
一瞬のうちにテーブルの前に移動した女王陛下は空中で一秒ほど停止してラベンダーの模様の入った綺麗な椅子を三つ作り流れるように席に座る。
一連の流れはとても優雅で空を舞う一厘の花びらの様。
二人は同時に席に座ると、水色の粒子が一瞬で紅茶を作り出し二人の前に置かれた。
女王様の手元には気が付けばティーカップが握られ、口元が開いた仮面にすり替えられている。
口と顎しか見合ない女王様はあの女神の石像のように美しい。あまりの美しさにアデリーナはいつもの様に見とれてしまっていた。
この部屋には一切の警備兵がいないが女王様にしか使えないこの高度な魔法が、護衛の兵士が居なくてもが居なくても問題ないという強さの表れでもあった。
炎の魔女が亡き今、女王陛下に敵うものは誰もいない。
ブルーとアデリーナが束になって襲ったとしても絶対に勝てないという異質のオーラを肌でひしひしと感じる。
「女王陛下、報告させていただく」
兜の中から発せられるブルーのいつもの独特な言葉遣い。
ティーカップを置くと女王陛下が許可を出す。
「東北東、第十二区、現場付近の目撃情報を近隣の監視機７万６０００台を現在確認中。まだ情報は一つも得られてない」
「そう……。ブルー、いつも言っているけどここではシルビアでいいのよ。それにアデリーナみたいに兜をしまったら？」
「いえ、私はこのままで」
「そう。……もう『約束の日』がすぐそこまで来たのね、ずっと待っていた……」
感傷に浸るシルビアにアデリーナが質問をする。
「その『約束の日』というのはいったい何なのでしょうか」
「そうね。メリア神話は知っているでしょ」
「はい、この世界の誕生にかかわるドラゴンと魔亜人の話です」
「そう。その二人の間に生まれた神があの女神の石像……。ドラゴンと魔亜人の『終焉の審判』の日が３２４年周期に回ってくる。だから私たちは世界の歪が生まれたその日を『約束の日』と呼んだの」
アデリーナはシルビア様の『私たち』という言葉に少し引っ掛かりを覚えたが、尋ねる間は空かなかった。
「その日が近づくにつれて魔力が濃くなっていくの。だから今が一番強力な魔法を発動できる、さっきの戦いでドラゴンの炎の魔法やブルーが使った氷の魔法、アデリーナの剣技も普段よりも強力になってなかった？」
ブルーは即座にカシャッと音を立て首を縦に振った。
対するアデリーナはシルビア様に問いかけた。
「ということは。建国祭が一番強力な魔法を使え、同時に危険性が高くなるということなのでしょうか」
「少し違うの。確かに明日の方が魔力は強くなる。でも、それは太陽が消えるまでの話」
アデリーナは『太陽が消える』という突拍子もない言葉に困惑している中、そんなことを気にする様子もなく女王陛下は続ける。
「明日、空に光る太陽が一時的に姿を消す。その時、今まで溢れかえっていた魔力がほとんどこの世界から消えてしまう。私の目的はその時に合わせ今まで貯めてきた魔力で神域魔法を発動すること。ただ、それまで私は何もできない無防備になってしまう。相手にとっては絶好の機会だから絶対にドラゴンや今まで沈黙を保ってきた『炎の暁』が襲ってくるわ。その時にあなたたち二人には守って欲しいの」
「「はい」」
二人の返事が重なった。
しかし、アデリーナにはまだ気になることがあるのかもう一度質問しようとする。アデリーナのそんな姿に気付いていたシルビアが口を割った。
「魔力がほとんどなくなると言ったけど、同時に魔力抵抗もほぼなくなるの。だから、魔法を使える回数が減ることになるけど、ブルーとアデリーナが魔法を全く使えなくなるわけではないから安心しなさい」
そして、シルビアは声色を強めさらに続ける。その有無を言わせないオーラにアデリーナは唾をのんだ。
「私が３２４年に一度しかできない神域魔法で行うことはただ一つ、たとえ自身を犠牲にしたとしてもこの世界に生み落とされた諸悪の根源を断ち切ること」
ぴりついた空気の中、シルビア様は席を立ち短く言った。
「来なさい」
その言葉と同時に魔法で作られたテーブルとカップ、椅子、全てが跡形もなく一瞬で消滅した。同時にシルビア様の仮面も口元が隠れた通常の形に戻っている。
ブルーとアデリーナは揃って女王陛下の後に続く。王室の隣にある大座に女王が腰を掛けると、その正面に何万人という重装備を着た騎士団が女王様に頭を垂れていた。
それは神域魔法を成功させるため、襲ってくるドラゴンや『炎の暁』に備えた軍隊だった。
仮面の中から青く目を輝かせる女王の冷たく鋭い声がこの空間を突きぬける。
「氷の魔女の名によって命ずる。己の身に刻み込んだ役割を遵守せよ」
そこには世界を統べるほどの力を持った強大な二つの種族がいました。
片方は巨大な蛇の様な体は固いうろこに覆われ、背中にはとても大きな翼を持ったドラゴンでした。もう片方はドラゴンほどではありませんが、大きな体を持ち自由自在に魔力を扱う魔亜人でした。
二つの種族はいつもいがみ合い争っていました。
そんなある日、一匹のドラゴンと一人の魔亜人が恋に落ちました。誰にもばれない容姿ゆっくりと愛を育んでいる中、二つの種族の中はどんどん悪くなっていきました。
そしてついに、ドラゴンと魔亜人の総力をかけた決戦『終焉の審判』が訪れたのです。
台地は砕け、木水は枯れ果てもなお、二つの種族は永遠の時を戦い続けました。
無の空間に生き残った一匹のドラゴンと一人の魔亜人はあの恋に落ちた二人でした。
ドラゴンは散らばった亡骸と岩をかき集め大きな大地を作り、それを支えました。魔亜人はその大地にもう一度木水を撒きました。
それからドラゴンと魔亜人は一人の子どもをその大地に生み落としたのでした。
その子どもの名前は『始終(しじゅう)の魔女』
星歴８６２年。
ラベンダーノヨテ聖域国。
中央にある大きな丘の上に立つ巨大な城とそれを囲う城壁、そして城を取り囲むように反映する綺麗な中世の町並み。くすんだ肌色の壁と色褪せた赤いタイルの屋根で統一された広大な街並みは更に大きな城壁で囲われている。
100メートルを超える国を囲う城壁は綺麗な正八角形の形になっており、その城壁の上にはさらに８本の塔が伸びている。この塔が魔法障壁の役割を果たし外部からの魔獣の潜入を防いでいる――はずなのだが。
東北東、第十二区兵器武装庫。
慌ただしく動く人々は燃え盛る4階建ての建物に目もくれず避難を開始する。しかし、悲鳴を上げ取り乱した一人の若い女性が避難に遅れてしまった。
恐怖から足が思うように動かず地面に転んでしまう彼女。
「嫌です！こんなところで死んでは！私は女王陛下の元に」
命乞いをするように叫ぶ女彼女を助ける住民は誰もいない。誰しもが一切その女性には目もくれず逃げていく。「まだ死ねない！」「女王様の教えをまもらなければ！」思い思いの言葉を叫ぶ住民たちは他のものに興味は示さず女王の教えを守るために必死だった。
建物を燃やす炎はまるで生きているかのように衰えることを知らず広がっていく。
遅れてやってきたラベンダルの衛兵が荷車に積んできた水樽をぶつけるが火の手は収まらない。まるで意志を持っているように動く炎に翻弄されるだけだった。
次々に運ばれてくる水樽で4人の衛兵が繰り返し鎮火作業を繰り返すが焼け石に水、現状が変わることはない。火の手が大きくなるにつれ増えるのは何もできない衛兵と野次馬ばかりだった。
炎の手前で足が縺れ立ち上がることのできない女性が必死に地面を這って逃げようとするが、誰も助けるものはいない。激しい火の手を前にその行く末を人々はただ見つめていた。
そんな中、後方から歩いてくる一人の女性とその後ろに遣える二人の騎士。
その姿に気づいた住民たちや衛兵は次々に道を開け地面に座り込み頭を下げた。そして、地面に倒れていた彼女もその女性をただ見つめていた。こんな状況にもかかわらず彼女は先程までの恐怖を忘れ目の前に立つ美しい女性に見とれていた。
綺麗な青い髪を腰まで下ろしたその女性は白と水色を基調に作られたドレスを着て白い仮面をかぶっている。そうこの女性こそ、この国ラベンダーノヨテ聖域国の女王のその人。
女王は地面に倒れる彼女に優しく手を差し伸べる。
「もう大丈夫です、ここは私に任せなさい」
静かで冷たい声が頭に直接囁かれている様に透き通る。女王の言葉に衛兵たちは再び仕事に戻り住民の避難を始める。手を取った彼女も女王に一礼し、すぐにその場を離れた。
一つの建物から始まった火事はもう十四件もの建物を飲み込んでいる。その火の手は不自然に中央に集まってから女王めがけて物凄い速度で伸びていく。
一瞬の瞬きの間に二十メートル近く伸びた炎は女王の前で止まった。周りから胞子の様に飛び散る小さな小さな青白い光の粒子が女王陛下を守るように炎を左右へとまき散らす。
その光景を見ていた市民や衛兵は足を止め感嘆の声を漏らした。
しかし、巻き散った火が消える事はなかった。左右に広がった炎は女王様を包み込み、激しい速度で回転を始める。スピードに合わさるように熱さは増していき、女王陛下の側にいた二人の騎士も身構えるほどだった。
次の瞬間、女王陛下を包んでいた火の塊が飛散した。炎の中から出てきた女王陛下は顔色一つ変えることなく、ただ一点を見つめる。
「行きなさい」
女王陛下の目線の先にある燃え盛る4階建ての建物から大きな体が姿を現す。間違いなく不自然な炎の正体はこのドラゴンの息吹だった。白銀の輝きを放つ鱗に体の何倍もある翼が空に伸び、その巨体を浮かせ逃げ去るように飛んで行く。
立ち上がるだけで5メートルを超え、翼を広げれば裕に1０メートルは超えるドラゴンは、とても人間が追いつくことも立ち向かうこともできない。
しかし、二人の騎士は違った。
二人の騎士は背を向け飛び去って行く白銀のドラゴンに、女王の宣告と同時に飛び出した。
女王陛下と同じ白と水色を基調とした鎧ともう一人の銀色の鎧が太陽の光を反射し美しい輝きを放つ。まるで弾丸の様に二筋の閃光が地面を掻く抜け、瞬く間にドラゴンの足元に追いついた。
水色の鞘を担いだ一人の騎士が右手で暗色の青い剣を抜き走りながらドラゴンに向かい空へ切り上げた。
瞬く間に地面から鋭い氷が伸びていき空中にいるドラゴンの尻尾を掴む。一瞬で尻尾の付け根まで凍り付きドラゴンの動きを止めた。青い剣を持った騎士はそのまま氷の柱を登っていく。
「ブルー！」
下で見上げている白と銀色の鎧を着た騎士が友の名前を呼ぶと、ドラゴンが咆哮を上げながら無理やりに氷の柱から逃れようと体をねじった。
ピキッ
高い音と同時にガラスが割れるように氷が砕かれた。尻尾から血がただれ落ちているが、手負いだとしても逃げられては意味がない。
氷の柱を登っていた騎士はその頂上で高く飛びあがるとドラゴンに向かい左手をかざす。手のひらに浮き上がる水色の紋章は５つの水滴を生み出し、それは次第に大きくなり５つの氷の槍へと変化を遂げた。
「ライア」
中世的で柔らかい声が兜の中から静かにささやかれると、氷の槍がドラゴンめがけ一直線に放たれる。槍はドラゴンの後ろ脚と翼に刺さり、この氷の冷気は体を膠着させていく。うまく体を動かせなくなったドラゴンはそのまま地面へ落下を開始する。
同様に地面へと落ちていくブルーと呼ばれた白と水色の鎧の鎧を着た騎士がもう一人の白と銀色を基調に作られた騎士の名を呼び合図する。
「アデリーナ」
「ええ」
短く返事を済ませると落ちていくドラゴンに向かって走りながら白色の鞘から銀色の剣を抜いた。
アデリーナと呼ばれたその騎士は瞬く間に加速していき、地面に墜落したドラゴンとの距離は５メートルを切った。するとアデリーナはこの間合いで一瞬動きを鈍らせ腰をさらに落とす。前かがみとなった体は地面すれすれで膠着すると、深く構えられた銀色の剣が真っ赤に輝き熱風を吹き荒らす。
「烈火」
凛々しく鋭い声で発するとギリギリまで踏み込んでいた足を蹴り上げる。
一瞬でドラゴンを通り過ぎたアデリーナの後ろで炎が吹き荒れドラゴンの体全てを包み込む。爆発音にも近い轟音が衝撃波と一緒にこの空間に響き渡った。
決着がついたアデリーナが剣を鞘に納める後ろからブルーの声が届く。
「やりすぎ」
ブルーはそう言って手のひらを黒い焦げたドラゴンの死体へ向け、その焼けた塊を氷で覆った。おかげで、この空間に立ち込めていた焦げ臭さが風に流され、次第に引いていく。
「たとえドラゴンが相手であっても油断は禁物です」
アデリーナの反論に何も言い返せないブルーは近くの衛兵にドラゴンの死体の処理とこの世界の敵『炎の暁』の目撃情報を募った。
それは、この世界の諸悪の根源。歴史上もっとも災厄で最悪なその名は炎の魔女。アデリーナがちょうど生まれる数日前、女王様とブルーが熾烈な戦いの末、何とか炎の魔女を打ち倒し勝利を収めた。アデリーナがこの世界に顕現したばかりの時、城の中から見えた外の景色は壮絶で、炎の魔女との戦いの爪痕はまさに未曽有の災厄だった。
それから２００年が過ぎ現在、綺麗な街並みに当時の面影はほとんどなく、未曽有の災厄を経験した住民も誰も生きてはいない。だが、炎の魔女は死んでもなおこの世界にドラゴンと『炎の暁』という諸悪を残している。
その場での一通りの役割を終えたブルーの横にアデリーナは並ぶ。
「最近『炎の暁』の動きが活発になってきましたね、ドラゴンの出現率も多くなってますし、暁の騎士団の目撃情報も増えています。——明日はシルビア様の言っていた『約束の日』。建国祭だというのに……」
アデリーナは言い終えると同時に魔法でできた鎧のうち兜だけを消失させる。そして、大きき息を吐いてから頸を左右に振り、背中に当たるほど伸ばされた綺麗な薄いピンク色の髪を風にたなびかせる。くりっとした大きな銀色の瞳にピンクの唇をブルーに向ける。
「……約束の日」
対するブルーはその言葉を復唱するだけで一切兜を取ろうとはしない。アデリーナはそんな態度になれていた。この国の女王陛下シルビア様に眷属として召喚されてからからブルーとは２９１年の付き合い。
兜の向こう側をまだ一度も見たことはないけれど、戦場ではすべてを話さなくても簡単に意思疎通ができるほど、ずっと一緒にいて一緒に戦ってきた。だから、今は安心して命を預けられる。そして、密かにブルーに対しての恋心を抱いていた。
「ブルーにも知らないことがあるのですね」
「毎年建国祭はある。けど、今年は３２４年目の特別な節目と聞いてる」
柔らかい声で淡々と告げるブルーの言葉を聞き終えてから城の前にある大きな女神の白い石像にアデリーナは目を向けた。ブルーもつられるように顔を向ける。
その凛々しく美しいその姿はまるで女王陛下を生きてかたどったように繊細に作られている。何年たっても色あせる事はなく、いつも見ても美しかった。
「明日ですね、建国祭。何事もなければいいのですが」
「はい」
ラベンダーノヨテ聖域国、ラヴァンダ城内、王室前。
ブルーとアデリーナが報告のために王室の前に立つと、二メートルを超える大きく重圧感のある扉が音もたてずに開いていく。
慣れたように二人は王室に入っていくと、いつものドレスと白い仮面をつけた女王陛下が大きな窓の前で立っていた。
「座って」
口を微かに開き囁いた声が二人の聴覚を揺らす。
それと同時に水色の粒子が広々とした部屋の中央に集まり綺麗な丸いテーブルの形を作り、見るからに高価なテーブルを生成する。
一瞬のうちにテーブルの前に移動した女王陛下は空中で一秒ほど停止してラベンダーの模様の入った綺麗な椅子を三つ作り流れるように席に座る。
一連の流れはとても優雅で空を舞う一厘の花びらの様。
二人は同時に席に座ると、水色の粒子が一瞬で紅茶を作り出し二人の前に置かれた。
女王様の手元には気が付けばティーカップが握られ、口元が開いた仮面にすり替えられている。
口と顎しか見合ない女王様はあの女神の石像のように美しい。あまりの美しさにアデリーナはいつもの様に見とれてしまっていた。
この部屋には一切の警備兵がいないが女王様にしか使えないこの高度な魔法が、護衛の兵士が居なくてもが居なくても問題ないという強さの表れでもあった。
炎の魔女が亡き今、女王陛下に敵うものは誰もいない。
ブルーとアデリーナが束になって襲ったとしても絶対に勝てないという異質のオーラを肌でひしひしと感じる。
「女王陛下、報告させていただく」
兜の中から発せられるブルーのいつもの独特な言葉遣い。
ティーカップを置くと女王陛下が許可を出す。
「東北東、第十二区、現場付近の目撃情報を近隣の監視機７万６０００台を現在確認中。まだ情報は一つも得られてない」
「そう……。ブルー、いつも言っているけどここではシルビアでいいのよ。それにアデリーナみたいに兜をしまったら？」
「いえ、私はこのままで」
「そう。……もう『約束の日』がすぐそこまで来たのね、ずっと待っていた……」
感傷に浸るシルビアにアデリーナが質問をする。
「その『約束の日』というのはいったい何なのでしょうか」
「そうね。メリア神話は知っているでしょ」
「はい、この世界の誕生にかかわるドラゴンと魔亜人の話です」
「そう。その二人の間に生まれた神があの女神の石像……。ドラゴンと魔亜人の『終焉の審判』の日が３２４年周期に回ってくる。だから私たちは世界の歪が生まれたその日を『約束の日』と呼んだの」
アデリーナはシルビア様の『私たち』という言葉に少し引っ掛かりを覚えたが、尋ねる間は空かなかった。
「その日が近づくにつれて魔力が濃くなっていくの。だから今が一番強力な魔法を発動できる、さっきの戦いでドラゴンの炎の魔法やブルーが使った氷の魔法、アデリーナの剣技も普段よりも強力になってなかった？」
ブルーは即座にカシャッと音を立て首を縦に振った。
対するアデリーナはシルビア様に問いかけた。
「ということは。建国祭が一番強力な魔法を使え、同時に危険性が高くなるということなのでしょうか」
「少し違うの。確かに明日の方が魔力は強くなる。でも、それは太陽が消えるまでの話」
アデリーナは『太陽が消える』という突拍子もない言葉に困惑している中、そんなことを気にする様子もなく女王陛下は続ける。
「明日、空に光る太陽が一時的に姿を消す。その時、今まで溢れかえっていた魔力がほとんどこの世界から消えてしまう。私の目的はその時に合わせ今まで貯めてきた魔力で神域魔法を発動すること。ただ、それまで私は何もできない無防備になってしまう。相手にとっては絶好の機会だから絶対にドラゴンや今まで沈黙を保ってきた『炎の暁』が襲ってくるわ。その時にあなたたち二人には守って欲しいの」
「「はい」」
二人の返事が重なった。
しかし、アデリーナにはまだ気になることがあるのかもう一度質問しようとする。アデリーナのそんな姿に気付いていたシルビアが口を割った。
「魔力がほとんどなくなると言ったけど、同時に魔力抵抗もほぼなくなるの。だから、魔法を使える回数が減ることになるけど、ブルーとアデリーナが魔法を全く使えなくなるわけではないから安心しなさい」
そして、シルビアは声色を強めさらに続ける。その有無を言わせないオーラにアデリーナは唾をのんだ。
「私が３２４年に一度しかできない神域魔法で行うことはただ一つ、たとえ自身を犠牲にしたとしてもこの世界に生み落とされた諸悪の根源を断ち切ること」
ぴりついた空気の中、シルビア様は席を立ち短く言った。
「来なさい」
その言葉と同時に魔法で作られたテーブルとカップ、椅子、全てが跡形もなく一瞬で消滅した。同時にシルビア様の仮面も口元が隠れた通常の形に戻っている。
ブルーとアデリーナは揃って女王陛下の後に続く。王室の隣にある大座に女王が腰を掛けると、その正面に何万人という重装備を着た騎士団が女王様に頭を垂れていた。
それは神域魔法を成功させるため、襲ってくるドラゴンや『炎の暁』に備えた軍隊だった。
仮面の中から青く目を輝かせる女王の冷たく鋭い声がこの空間を突きぬける。
「氷の魔女の名によって命ずる。己の身に刻み込んだ役割を遵守せよ」
