第26話 親友
文字数 7,667文字
ブルーは吹き飛ばされながらも空中で姿勢を立て直し地面をしばらく引きずってから静止した。
一部の鎧は粉々に砕け、白い綺麗な肌に微かなかすり傷が見える。態勢を立て直したブルーは魔法障壁を大きく構え3人の出方をうかがった。
対する3人の赤騎士は、皆大きく体を負傷し鎧などほとんど身に着けてはいなかった。サラもミヤも先ほどの大技にほとんど力を使ってしまったようで大きく肩で息をしている。中でもアデリーナは立つのがやっとな状況だった。
「……2人とも」
アデリーナのか細い声にミヤの弱々しい遠吠えが返ってくる。
「……ちっと、遅れちまったか?」
「……無駄に喋らないで」
サラの現実的な注意に幾分か穏やかな空気が立ち込める。この絶望的は状態は変わってはいないのに、3人が揃っただけで安心感があった。
「貴方達はいらない。諦めて、そしたら死なずに済む」
3人に向けて剣を伸ばすブルーが降服を促すが、この場にそれを受け入れるものは誰もいない。ブルーの声が静かに消えていった。
数々の屍の上に立って、皆の灯を背負って3人は今こうしてここに立っている。
「なら死んで。シルビア様のために」
その言葉と同時に剣が青く輝き水のレーザーが一直線に伸び、ブルーの足元からは大量の氷の蛇が彼女たちに向かって伸びていく。
ミヤとサラが同時に飛び出すと、2人の間を一直線に抜ける水線がアデリーナを襲った。
「アデリーナ!」
咄嗟に振り替えるミヤ。そこに映るのはアデリーナが鋭い水の光線に心臓を撃ち抜かれるところだった。
しかし、よく目を凝らせばアデリーナの剣先が、ブルーの攻撃を受けとめていた。
「いって!例え誰かが打たれたとしても、止まってはいけない!私たちは散々、もうその光景を目に焼き付けて来たんだから!」
アデリーナの叫び声にミヤとサラの握る剣に力が入る。そして、とっくに切れていてもおかしくない魔力を剣に注ぎ飛び出した。
ブルーの足元から四方に溢れ出す波のような氷の蛇をサラの『迅風』が切り裂く。勢いを失った氷をサラの『火焔龍破』が襲いブルーを飲み込む。
もちろん、その攻撃はブルーの魔法障壁がいとも簡単に防ぐが、アデリーナを襲う攻撃を止めることができた。
しかし、ブルーの空いた零剣バーブルがさだめた次の獲物はサラだった。サラは迫りくる無数の氷の蛇を裁くのが手一杯でブルーに狙われていることに気が付かない。
深く剣を引き、輝きだすブルーの剣にミヤが吠える。
「させるかよ!」
数メートルの間合いを一気に駆け抜け、十八連撃の高速な斬撃を打ち込んだ。しかし、ブルーの魔法障壁は涼しい顔でその攻撃全てを受け止める。同時に魔法障壁が青く輝き、ミヤが打ち込んだ攻撃が一つの衝撃波に代わりはじき返される。
「……ブハッ‼」
無数の鎧が砕き散り、口と同時に体中から鮮血を宙にまき散らす。血と一緒に宙を舞ったミヤが鈍い音を立てて地面に倒れると同時に、雷光を纏ったブルーがサラに向かって飛び出した。
サラそのことに気付いた時にはもう遅かった。すぐ目の前にいるブルーの攻撃を防ぐ手段など何も持ってはいない。
剣は愚か、ブルーの肘までがサラのお腹に食い込んでいる。サラの吐き出した鮮血が兜から溢れ出す。
あまりにも呆気ない決着だった。
3人で戦っても勝てない。
目の前の光景を見つめていたアデリーナが思わず太陽を見つめようとした時、一人の叫び声が呼び止める。
「はああああああああああああああああああ!」
咆哮を上げたのはサラだった。
両手で剣を空高く掲げ、灼熱の炎を燃やす。
「真」
サラがその言葉の続きを言おうとした時、同時にブルーの腕が引き抜かれ激痛に一瞬言葉が詰まる。
「くらええええええええええ!!」
ブルーの背後から聞こえる雄叫びはミヤの声だった。ぼろぼろな体で剣を真っ赤に輝かせる。
しかし、ブルーは至って冷静だった。
「冥停(メイテイ)」
ミヤに向け手のひらをかざし短く囁き深い眠りへといざなう。ミヤの声が途絶え、すぐに意識を失っていく姿を確認してからブルーは目線を前に戻し次の行動へ移る。
瞬時に魔力を込めた零剣バーブルで、体を捻りながら水平切りを後ろにまで伸ばす。ブルーの水平切りはサラの左腕を切り落とし、そのまま背後に迫ってきていたミヤの剣を弾き飛ばす。
ブルーは2人の最後の攻撃をも木っ端みじんに切り伏せた。完璧に対応できている現状に安心してはいるが、警戒を解いてはいなかったおかげで、もう一つの攻撃に気付くことができた。
ブルーに向けられているその手はアデリーナ。
「エデンの雫!」
太い黄色の光線がブルーを襲う。放たれただけで、物凄い波動が周りの建物を襲う。魔女の領域の踏み込んだ最強の魔法がブルーを襲う。
だがブルーは警戒を解いていなかった。予想していたように2人の騎士を切り伏せた回転を利用したままアデリーナの方を向き直り、左腕の魔法障壁でその攻撃を受け止める。
激突したと同時に物凄い衝撃波がこの空間を襲った。
魔女の領域に到達した2つの魔法のぶつかりあい、2人の騎士のぶつかりあい。
全力で打ち放つアデリーナ同様、ブルーも全力で防ぐ。
この均衡状態を崩すべく、ブルーの隣で一人の声が響く。
「――轊‼」
片腕が切り落とされてもなお、サラの動きが止まることはなかった。
「……ッ!」
初めて驚いている素振りを見せるブルーはすかさず、右手の剣でサラの攻撃を受け止める。
お互いに拮抗し動きが止まる。しかし、最初に変化を現したのはブルーだった。
アデリーナの攻撃を受け止めていた魔法障壁がうっすらと光始めたのだ。
——限界を迎えてる!?チャンスは今だ!
サラはその思いを全力で声に変え、意識を戻してくれると信じミヤの名を叫ぶ。
「ミヤ!」
その声にこたえるかのように失われていたサラの瞳に生気が宿る。
「アデリーナだけが魔女の魔法を使えると思うなよ!『エデンの星』!」
行ける!
誰もがそう思った。
しかし、結果は違った。
魔法障壁が強く光ったと同時にアデリーナの攻撃が消滅し、同時にアデリーナの左腕が根元からはじけ飛んだ。
アデリーナの攻撃はブルーに押し負けたのだ。
——最後のチャンスが……ッ!違う!まだ諦めちゃだめだ!
最後の最後まで諦めてはいけない!サラの剣が更に力を増し、拮抗していたブルーの剣を押していく。
ミヤの『エデンの星』を防ぐように伸ばされていくブルーの左腕の魔法障壁。
ミヤは防がれる前にブルーにぶつける為、全力で咆哮を上げる。
「うおおおおおおおお!」
しかし、それでもブルーの動きは速い。ミヤの力でブルーの動きが少し鈍くなったがサラの攻撃には十分間に合う。
その時、ブルーも予想していなかった出来事が起きた。
「……土過上淵(ドカジョウエン)」
左腕を失ったアデリーナが力なく右手を伸ばし発動していた。左腕を失ってから数秒しかたっていない。激痛の中、全てを出し切った魔法を発動した後で、一切休むことなく次の攻撃を発動させていたアデリーナ。
ブルーだけではなく、サラとミヤも予想していなかった。
その魔法と同時に地面が盛り上がり、ブルーの態勢が崩される。更にブルーの左手の進行を遮るように土壁が瞬時に出来上がった。
アデリーナの作り出した一筋の希望にサラとミヤの魔力が一気に膨れ上がった。
「「はああああああああああ!」」
2人の攻撃がブルーに直撃する。『エデンの星』鎧を削りさり、あらわになった胴体を『真轊』が襲う。
大爆発がブルーを襲い、そして、飲み込んでいく。
大きな砂煙が立ち込め、何とか立っていた3人の赤騎士はブルーの行方を見守る。
そして、砂煙が晴れ始めるとブルーが静かに剣を地面に突き刺した。
「トアン・オーラ」
静かな声に合わせ地面をはうように雷が全体に広がりサラとミヤの体を焼き尽くす。2人は力尽き、地面に倒れた。
完全に砂煙が切れ、あらわになったブルーの鎧は黒ずみボロボロになっている。それでも淡い光がうっすらと光、体と鎧の修復を同時に行っている。
ブルーはまっすぐ矛先をアデリーナに向け、別れの言葉を口にした。
「強かった」
立ったまま気絶しているアデリーナに返事はない。腹部は深くえぐられ、左腕をすべて失っているアデリーナは立ったままその生涯を生き抜いた。
その姿にブルーは敬意を示す。そして、ある意味では友だったアデリーナ。
「これが本当のお別れ」
ブルーは長年使わなかった最強の技で別れを告げる。
勢いよく飛び出すブルーにアデリーナの反応はもうない。
——この技で最後を迎えさせてあげる……アデリーナ。
「……烈氷」
ブルーの剣がアデリーナを捉えたその時。
俯いたままのアデリーナが無造作に右手を伸ばす。その手のひらがブルーの最大の一撃を簡単に受け止めた。
「――ッ!」
ブルーは見間違えるはずもない、目の前で開かれたアデリーナの手のひらを見つめる。
それは間違いなく魔法障壁だった。
ブルーの全力がいとも簡単に魔法障壁に阻まれる。動揺を隠せないブルーは更に魔力を込め攻撃に力を込める。しかし、魔法障壁が一切変化を見せる事はなかった。
アデリーナが突然、魔法障壁を使えるようになった事、それ以上に手のひらのある小さな魔法障壁がブルーの魔法障壁よりもより洗練され強力であることを感じ取った。
だからこそブルーは動揺を隠せなかった。
魔法障壁が一瞬煌めくと、ブルーの体は途方もない力で押し返される。空中で体をに練り、左手の大きな魔法障壁でその衝撃を何とか受けきった。
20メートル先にいるアデリーナに意識が戻っている気がしない。一切の生気を感じない。
どういうことだ。
その問いにアデリーナはすぐに答えをくれた。
突如、彼女から溢れ出す黒い魔力が風圧となってブルーを襲う。その風は一瞬で病んだが、ブルーの動揺は収まらない。
はじめて感じる魔力。それでいてどこか懐かしい魔力。知らないはずなのに知っているその魔力はあまりにも強靭で、強大で、狂気だった。
氷の魔女とも炎の魔女とも違うその魔力に嫌な予感がしたブルーはしっかりと魔法障壁を構えアデリーナの攻撃に備える。
亡霊のように力なく顔を上げるアデリーナの瞳は白くなり死んでいた。しかし、その代わりにすべてを飲み込むような眼光が魔力となってあふれ出す。
——死ぬ?
その事実に頭を支配されたが、直ぐに意識を取り戻し咄嗟に横に飛んだブルー。
アデリーナに白くなった右目から放たれた魔法はブルーの体の一部を飲み込んだ。
ブルーの左腕が展開されている魔法障壁ごと捻じ曲げられ、押しつぶされ圧縮される。
そして引きちぎられたブルーの左腕の根元がどす黒い液体としてただれている。その液体が毒であり、体を侵食し始めているのをブルーは感じていた。
ブルーはなぜか冷静だった。自分でも分からない、ただこの魔力に安心を感じていた。
ブルーは失われた左腕をまじまじと見てからアデリーナに目線を戻した。
先ほどまで感じていた異様な魔力はもうアデリーナからは感じない。代わりにいつものアデリーナが見つめ返していた。
あの黒い攻撃を行った時の記憶をアデリーナは持っているのだろうか。
そんなのんきな疑問を抱くブルーはアデリーナ胸元にある青いネックレスに目を奪われる。それは未来のブルーがアデリーナに渡したネックレス。もうそのネックレスの秘密を知っているはず。
ブルーはアデリーナに問いかけずにはいられなかった。
「もうわかっているはず。どうしてそれをまだ身に着けている」
ブルーの言葉を受けアデリーナは首元にかけられた青いネックレスを大事そうに触り微笑んだ。
「ええ。これがあなたたちに未来での計画の成功を知らせ、『永遠の大地』の場所を教えた。恐らく、ヴィットリア先生が戦った時にこれに振れたのはそれが理由でしょ」
「そこまでわかっていてなぜ捨てない」
「それに気が付いた時にはアリーチェさんはもう連れ去られていたし、全てが手遅れだった。でもそれ以上に、大切な宝物なの」
アデリーナの優しい言葉と同時にブルーの頭に激痛が走る。思わず、うなだれ兜に手を当てる。
体の浸食がすすんでいく。それと同時に、ないはずの記憶、知らないはずの記憶が脳を焼いた。
呻くブルーだったが少しして痛みが引いていく。兜から手を離し、ブルーは静かに剣をアデリーナへと向けた。揺らぎそうになる感情を抑えるために。
「女王陛下。それが私のすべて、アデリーナ」
「ブルー……今……記憶が。——そう言う事」
「あるかもしれなかった未来……いいえ、きっとこれはあった未来。でなければ私はあなたにそのネックレスを渡さない」
「ええ、そうですよねブルー」
まるで過去の恋人を見るようにアデリーナの瞳が揺れる。その表情にブルーの心が締め付けられた。
ブルーの寂しい冷たい心を温めてくれるように目頭が熱くなるのをブルーは感じていた。ブルーは一度自分の向けにしまったネックレスを握ってからもう一度、握った剣に力を入れる。
「ならどうして憎まない、どうして恨まない。私はあなたの敵、たくさんの人を殺した。大切なものを利用した」
ブルーの中世的な声が2人の間にこぼれる。
「立場の違いが生んだだけ、私もブルーも変わらない。もう終わらせましょう、この戦いを、繰り返されてきた輪廻を」
すでにボロボロなアデリーナ。左腕を失い、兜も鎧もほとんどが崩れ落ち額は傷だらけで血だらけ。
20メートル先にいるブルーも同様に左腕を失い、兜や鎧の一部は残っているが体を今も毒に侵され続けている。
ボロボロな二人の戦いに最後の火蓋が落とされる。
それは互いにとって、初めての親友、大切な家族だった。
剣を真っ青に輝かせるブルーは最後の名乗りを上げた。
「我が名はブルー・デ・メルロ。冷悲の魔女の眷属にして、この国最強の騎士。女王陛下のために、親友を斬り捨てる」
アデリーナも同様に最後の名乗りを上げる。もう心残りはない、恥じらいもない。自分の名に誇りを持っている。
「我が名はアデリーナ・デ・メルロ。炎狂の魔女の眷属にして、最後の騎士!家族のために、この世界を救う者」
2人は同時に飛び出しあらん限りに剣を輝かせた。お互いに持つ最強の技。
赤い星と青い星が照り付ける。互いに練習した思い出が二人の間に流れる。肩を並べ命がけで戦った。切磋琢磨してお互いを高めた。たまにふざけ合い喧嘩した。一緒に肩を並べ寝て、一緒の夜を何度も明けた。
二百年の無数の思い出が何度も生まれては塵となって消えていく。
「烈火!」
「烈氷!」
ブルーが生み出した最強の技『烈氷』。ブルーがアデリーナに教えた最強の技『烈火』。
事象が事象を呑み込み、世界を飲み込んでいく。音が消え、いろいろな光が空間を呑み込み、無数の衝撃波を生み出した。そして、遅れてやってくる轟音がこの街に響き渡る。
立ち込める砂煙の中、立っているのは一人だけ。
地面に座り込む騎士に一人の騎士が剣を向けていた。
すべての霧が晴れ、倒れ込んだ騎士があらわになる。
この国最強の騎士は初めての負けを経験した。しかし、その顔に宿るのは笑顔だった。
「負けた。……はやく。立ち上がる前にとどめを」
微笑むブルーに戸惑いを隠せないアデリーナは涙を流しながら首を横に振った。
「できません、ブルー」
アデリーナにとって、この約400年で初めて見たブルーの顔だった。いつもどんな時もアデリーナの記憶の中でブルーは兜を身につけていた。
クリーム色にも近い薄い金髪が肩に触れる手前で綺麗に切りそろえられている。兜をずっと身に着け光に当たっていなかったせいか、真っ白な肌とよく似あいとても可愛らしい顔立ちをしていた。この顔でこの国最強の騎士とは到底信じがたい。
吹き荒れる風が美しいその髪をたなびかせた。
アデリーナにとってたった一人の親友。
ブルーは中世的な声で可愛らしい笑顔で笑って答える。
「本当に甘いです。女王陛下もアリーチェ様に言っていました。似てきますね」
「ええ、そうかもしれない」
アデリーナはしばらく沈黙してから剣をしまいブルーの前にひざまずき、ためらいながらも胸に秘めた思いを口にした。
「ブルー、私と一緒に来てください。そうすれば戦う必要がないかもしれない。シルビア様とアリーは元々は私たち同様に親友だった。もしかすれば新しい可能性を生み出せるかもしれない」
「それは出来ない。誓約がある。それを破れるとしたら、アデリーナだけ」
俯くアデリーナにブルーはそっと自分の愛剣を出した。
「これは?」
「ずっとお世話になった零剣バーブル。アデリーナにあげる。今の私から最後に何か上げたかっただけ。いらないなら一緒に埋めて」
差し出されて零剣バーブルを受け取ったアデリーナの手が少ししびれた。拒絶反応が起きている事が分かる。
しかし、アデリーナは痛みに耐え力強く大切に握りしめた。想い出を溢さないように、噛みしめるように。
「ありがとう」
アデリーナは立ち上がるとブルーに背を向ける。目指すはシルビア様の所。残りの力で何ができるかはわからないが、できる事をするだけだ。
そんなアデリーナの背中にブルーの声が届く。
立ち止まったアデリーナはすぐに振り返りブルーを見つめた。
「アデリーナ。女王陛下にとっても私にとっても貴女は希望だった。……私を、世界を救ってくれると言うなら、女王陛下を……女王陛下を救って下さい」
一瞬、言葉に詰まったブルーだったが最後まで女王陛下の名前を呼ぶことは無かった。女王陛下に遣えるものとして、絶対に対等になることは無いこの立場を理解していたから。
違う。ブルーの心の真意は違う。それでも……引き止めてしまいなくなる胸の内を、女王陛下の覚悟を、決意をそばで支えるただ一人の騎乗として、その名を口にする事を自らはばかった。
「ええ。親友のお願いだもの」
ブルーに満面の笑みを向けたアデリーナは背を向け新たな戦場へと歩み出す。
その背中を見つめるブルーは初めての悪態をつく。
「……ばかアデリーナ。……ヴィットリア。貴女はあの子に何を教えたの、甘すぎる。——って、私の教え子でもあった。ほんと、最後の最後で可笑しくなってしまっている」
ブルーは自分に対して失笑する。
頭から血を流すブルーの瞳にはもうほとんど光は残っていない。代わりに『誓約』の浸食が体をむしばんでいく。ブルーが行った『誓約』への一瞬の反逆がより強力な力となってその反動が返ってくる。世界の辻褄を合わせるように、世界がブルーを刺激する。
「これが最後の私のわがまま。最後のお願い……この傲慢を許してください、女王陛下」
ブルーの静かなささやきを聞いている者はもう誰もいなかった。
ブルーは眼を瞑り、歯を食いしばる。最後の力を振り縛る。
自分の生涯に後悔のないように、ヴィットリアの影を追いかけるように。ブルーは自分の人生に終わりを告げる。
一部の鎧は粉々に砕け、白い綺麗な肌に微かなかすり傷が見える。態勢を立て直したブルーは魔法障壁を大きく構え3人の出方をうかがった。
対する3人の赤騎士は、皆大きく体を負傷し鎧などほとんど身に着けてはいなかった。サラもミヤも先ほどの大技にほとんど力を使ってしまったようで大きく肩で息をしている。中でもアデリーナは立つのがやっとな状況だった。
「……2人とも」
アデリーナのか細い声にミヤの弱々しい遠吠えが返ってくる。
「……ちっと、遅れちまったか?」
「……無駄に喋らないで」
サラの現実的な注意に幾分か穏やかな空気が立ち込める。この絶望的は状態は変わってはいないのに、3人が揃っただけで安心感があった。
「貴方達はいらない。諦めて、そしたら死なずに済む」
3人に向けて剣を伸ばすブルーが降服を促すが、この場にそれを受け入れるものは誰もいない。ブルーの声が静かに消えていった。
数々の屍の上に立って、皆の灯を背負って3人は今こうしてここに立っている。
「なら死んで。シルビア様のために」
その言葉と同時に剣が青く輝き水のレーザーが一直線に伸び、ブルーの足元からは大量の氷の蛇が彼女たちに向かって伸びていく。
ミヤとサラが同時に飛び出すと、2人の間を一直線に抜ける水線がアデリーナを襲った。
「アデリーナ!」
咄嗟に振り替えるミヤ。そこに映るのはアデリーナが鋭い水の光線に心臓を撃ち抜かれるところだった。
しかし、よく目を凝らせばアデリーナの剣先が、ブルーの攻撃を受けとめていた。
「いって!例え誰かが打たれたとしても、止まってはいけない!私たちは散々、もうその光景を目に焼き付けて来たんだから!」
アデリーナの叫び声にミヤとサラの握る剣に力が入る。そして、とっくに切れていてもおかしくない魔力を剣に注ぎ飛び出した。
ブルーの足元から四方に溢れ出す波のような氷の蛇をサラの『迅風』が切り裂く。勢いを失った氷をサラの『火焔龍破』が襲いブルーを飲み込む。
もちろん、その攻撃はブルーの魔法障壁がいとも簡単に防ぐが、アデリーナを襲う攻撃を止めることができた。
しかし、ブルーの空いた零剣バーブルがさだめた次の獲物はサラだった。サラは迫りくる無数の氷の蛇を裁くのが手一杯でブルーに狙われていることに気が付かない。
深く剣を引き、輝きだすブルーの剣にミヤが吠える。
「させるかよ!」
数メートルの間合いを一気に駆け抜け、十八連撃の高速な斬撃を打ち込んだ。しかし、ブルーの魔法障壁は涼しい顔でその攻撃全てを受け止める。同時に魔法障壁が青く輝き、ミヤが打ち込んだ攻撃が一つの衝撃波に代わりはじき返される。
「……ブハッ‼」
無数の鎧が砕き散り、口と同時に体中から鮮血を宙にまき散らす。血と一緒に宙を舞ったミヤが鈍い音を立てて地面に倒れると同時に、雷光を纏ったブルーがサラに向かって飛び出した。
サラそのことに気付いた時にはもう遅かった。すぐ目の前にいるブルーの攻撃を防ぐ手段など何も持ってはいない。
剣は愚か、ブルーの肘までがサラのお腹に食い込んでいる。サラの吐き出した鮮血が兜から溢れ出す。
あまりにも呆気ない決着だった。
3人で戦っても勝てない。
目の前の光景を見つめていたアデリーナが思わず太陽を見つめようとした時、一人の叫び声が呼び止める。
「はああああああああああああああああああ!」
咆哮を上げたのはサラだった。
両手で剣を空高く掲げ、灼熱の炎を燃やす。
「真」
サラがその言葉の続きを言おうとした時、同時にブルーの腕が引き抜かれ激痛に一瞬言葉が詰まる。
「くらええええええええええ!!」
ブルーの背後から聞こえる雄叫びはミヤの声だった。ぼろぼろな体で剣を真っ赤に輝かせる。
しかし、ブルーは至って冷静だった。
「冥停(メイテイ)」
ミヤに向け手のひらをかざし短く囁き深い眠りへといざなう。ミヤの声が途絶え、すぐに意識を失っていく姿を確認してからブルーは目線を前に戻し次の行動へ移る。
瞬時に魔力を込めた零剣バーブルで、体を捻りながら水平切りを後ろにまで伸ばす。ブルーの水平切りはサラの左腕を切り落とし、そのまま背後に迫ってきていたミヤの剣を弾き飛ばす。
ブルーは2人の最後の攻撃をも木っ端みじんに切り伏せた。完璧に対応できている現状に安心してはいるが、警戒を解いてはいなかったおかげで、もう一つの攻撃に気付くことができた。
ブルーに向けられているその手はアデリーナ。
「エデンの雫!」
太い黄色の光線がブルーを襲う。放たれただけで、物凄い波動が周りの建物を襲う。魔女の領域の踏み込んだ最強の魔法がブルーを襲う。
だがブルーは警戒を解いていなかった。予想していたように2人の騎士を切り伏せた回転を利用したままアデリーナの方を向き直り、左腕の魔法障壁でその攻撃を受け止める。
激突したと同時に物凄い衝撃波がこの空間を襲った。
魔女の領域に到達した2つの魔法のぶつかりあい、2人の騎士のぶつかりあい。
全力で打ち放つアデリーナ同様、ブルーも全力で防ぐ。
この均衡状態を崩すべく、ブルーの隣で一人の声が響く。
「――轊‼」
片腕が切り落とされてもなお、サラの動きが止まることはなかった。
「……ッ!」
初めて驚いている素振りを見せるブルーはすかさず、右手の剣でサラの攻撃を受け止める。
お互いに拮抗し動きが止まる。しかし、最初に変化を現したのはブルーだった。
アデリーナの攻撃を受け止めていた魔法障壁がうっすらと光始めたのだ。
——限界を迎えてる!?チャンスは今だ!
サラはその思いを全力で声に変え、意識を戻してくれると信じミヤの名を叫ぶ。
「ミヤ!」
その声にこたえるかのように失われていたサラの瞳に生気が宿る。
「アデリーナだけが魔女の魔法を使えると思うなよ!『エデンの星』!」
行ける!
誰もがそう思った。
しかし、結果は違った。
魔法障壁が強く光ったと同時にアデリーナの攻撃が消滅し、同時にアデリーナの左腕が根元からはじけ飛んだ。
アデリーナの攻撃はブルーに押し負けたのだ。
——最後のチャンスが……ッ!違う!まだ諦めちゃだめだ!
最後の最後まで諦めてはいけない!サラの剣が更に力を増し、拮抗していたブルーの剣を押していく。
ミヤの『エデンの星』を防ぐように伸ばされていくブルーの左腕の魔法障壁。
ミヤは防がれる前にブルーにぶつける為、全力で咆哮を上げる。
「うおおおおおおおお!」
しかし、それでもブルーの動きは速い。ミヤの力でブルーの動きが少し鈍くなったがサラの攻撃には十分間に合う。
その時、ブルーも予想していなかった出来事が起きた。
「……土過上淵(ドカジョウエン)」
左腕を失ったアデリーナが力なく右手を伸ばし発動していた。左腕を失ってから数秒しかたっていない。激痛の中、全てを出し切った魔法を発動した後で、一切休むことなく次の攻撃を発動させていたアデリーナ。
ブルーだけではなく、サラとミヤも予想していなかった。
その魔法と同時に地面が盛り上がり、ブルーの態勢が崩される。更にブルーの左手の進行を遮るように土壁が瞬時に出来上がった。
アデリーナの作り出した一筋の希望にサラとミヤの魔力が一気に膨れ上がった。
「「はああああああああああ!」」
2人の攻撃がブルーに直撃する。『エデンの星』鎧を削りさり、あらわになった胴体を『真轊』が襲う。
大爆発がブルーを襲い、そして、飲み込んでいく。
大きな砂煙が立ち込め、何とか立っていた3人の赤騎士はブルーの行方を見守る。
そして、砂煙が晴れ始めるとブルーが静かに剣を地面に突き刺した。
「トアン・オーラ」
静かな声に合わせ地面をはうように雷が全体に広がりサラとミヤの体を焼き尽くす。2人は力尽き、地面に倒れた。
完全に砂煙が切れ、あらわになったブルーの鎧は黒ずみボロボロになっている。それでも淡い光がうっすらと光、体と鎧の修復を同時に行っている。
ブルーはまっすぐ矛先をアデリーナに向け、別れの言葉を口にした。
「強かった」
立ったまま気絶しているアデリーナに返事はない。腹部は深くえぐられ、左腕をすべて失っているアデリーナは立ったままその生涯を生き抜いた。
その姿にブルーは敬意を示す。そして、ある意味では友だったアデリーナ。
「これが本当のお別れ」
ブルーは長年使わなかった最強の技で別れを告げる。
勢いよく飛び出すブルーにアデリーナの反応はもうない。
——この技で最後を迎えさせてあげる……アデリーナ。
「……烈氷」
ブルーの剣がアデリーナを捉えたその時。
俯いたままのアデリーナが無造作に右手を伸ばす。その手のひらがブルーの最大の一撃を簡単に受け止めた。
「――ッ!」
ブルーは見間違えるはずもない、目の前で開かれたアデリーナの手のひらを見つめる。
それは間違いなく魔法障壁だった。
ブルーの全力がいとも簡単に魔法障壁に阻まれる。動揺を隠せないブルーは更に魔力を込め攻撃に力を込める。しかし、魔法障壁が一切変化を見せる事はなかった。
アデリーナが突然、魔法障壁を使えるようになった事、それ以上に手のひらのある小さな魔法障壁がブルーの魔法障壁よりもより洗練され強力であることを感じ取った。
だからこそブルーは動揺を隠せなかった。
魔法障壁が一瞬煌めくと、ブルーの体は途方もない力で押し返される。空中で体をに練り、左手の大きな魔法障壁でその衝撃を何とか受けきった。
20メートル先にいるアデリーナに意識が戻っている気がしない。一切の生気を感じない。
どういうことだ。
その問いにアデリーナはすぐに答えをくれた。
突如、彼女から溢れ出す黒い魔力が風圧となってブルーを襲う。その風は一瞬で病んだが、ブルーの動揺は収まらない。
はじめて感じる魔力。それでいてどこか懐かしい魔力。知らないはずなのに知っているその魔力はあまりにも強靭で、強大で、狂気だった。
氷の魔女とも炎の魔女とも違うその魔力に嫌な予感がしたブルーはしっかりと魔法障壁を構えアデリーナの攻撃に備える。
亡霊のように力なく顔を上げるアデリーナの瞳は白くなり死んでいた。しかし、その代わりにすべてを飲み込むような眼光が魔力となってあふれ出す。
——死ぬ?
その事実に頭を支配されたが、直ぐに意識を取り戻し咄嗟に横に飛んだブルー。
アデリーナに白くなった右目から放たれた魔法はブルーの体の一部を飲み込んだ。
ブルーの左腕が展開されている魔法障壁ごと捻じ曲げられ、押しつぶされ圧縮される。
そして引きちぎられたブルーの左腕の根元がどす黒い液体としてただれている。その液体が毒であり、体を侵食し始めているのをブルーは感じていた。
ブルーはなぜか冷静だった。自分でも分からない、ただこの魔力に安心を感じていた。
ブルーは失われた左腕をまじまじと見てからアデリーナに目線を戻した。
先ほどまで感じていた異様な魔力はもうアデリーナからは感じない。代わりにいつものアデリーナが見つめ返していた。
あの黒い攻撃を行った時の記憶をアデリーナは持っているのだろうか。
そんなのんきな疑問を抱くブルーはアデリーナ胸元にある青いネックレスに目を奪われる。それは未来のブルーがアデリーナに渡したネックレス。もうそのネックレスの秘密を知っているはず。
ブルーはアデリーナに問いかけずにはいられなかった。
「もうわかっているはず。どうしてそれをまだ身に着けている」
ブルーの言葉を受けアデリーナは首元にかけられた青いネックレスを大事そうに触り微笑んだ。
「ええ。これがあなたたちに未来での計画の成功を知らせ、『永遠の大地』の場所を教えた。恐らく、ヴィットリア先生が戦った時にこれに振れたのはそれが理由でしょ」
「そこまでわかっていてなぜ捨てない」
「それに気が付いた時にはアリーチェさんはもう連れ去られていたし、全てが手遅れだった。でもそれ以上に、大切な宝物なの」
アデリーナの優しい言葉と同時にブルーの頭に激痛が走る。思わず、うなだれ兜に手を当てる。
体の浸食がすすんでいく。それと同時に、ないはずの記憶、知らないはずの記憶が脳を焼いた。
呻くブルーだったが少しして痛みが引いていく。兜から手を離し、ブルーは静かに剣をアデリーナへと向けた。揺らぎそうになる感情を抑えるために。
「女王陛下。それが私のすべて、アデリーナ」
「ブルー……今……記憶が。——そう言う事」
「あるかもしれなかった未来……いいえ、きっとこれはあった未来。でなければ私はあなたにそのネックレスを渡さない」
「ええ、そうですよねブルー」
まるで過去の恋人を見るようにアデリーナの瞳が揺れる。その表情にブルーの心が締め付けられた。
ブルーの寂しい冷たい心を温めてくれるように目頭が熱くなるのをブルーは感じていた。ブルーは一度自分の向けにしまったネックレスを握ってからもう一度、握った剣に力を入れる。
「ならどうして憎まない、どうして恨まない。私はあなたの敵、たくさんの人を殺した。大切なものを利用した」
ブルーの中世的な声が2人の間にこぼれる。
「立場の違いが生んだだけ、私もブルーも変わらない。もう終わらせましょう、この戦いを、繰り返されてきた輪廻を」
すでにボロボロなアデリーナ。左腕を失い、兜も鎧もほとんどが崩れ落ち額は傷だらけで血だらけ。
20メートル先にいるブルーも同様に左腕を失い、兜や鎧の一部は残っているが体を今も毒に侵され続けている。
ボロボロな二人の戦いに最後の火蓋が落とされる。
それは互いにとって、初めての親友、大切な家族だった。
剣を真っ青に輝かせるブルーは最後の名乗りを上げた。
「我が名はブルー・デ・メルロ。冷悲の魔女の眷属にして、この国最強の騎士。女王陛下のために、親友を斬り捨てる」
アデリーナも同様に最後の名乗りを上げる。もう心残りはない、恥じらいもない。自分の名に誇りを持っている。
「我が名はアデリーナ・デ・メルロ。炎狂の魔女の眷属にして、最後の騎士!家族のために、この世界を救う者」
2人は同時に飛び出しあらん限りに剣を輝かせた。お互いに持つ最強の技。
赤い星と青い星が照り付ける。互いに練習した思い出が二人の間に流れる。肩を並べ命がけで戦った。切磋琢磨してお互いを高めた。たまにふざけ合い喧嘩した。一緒に肩を並べ寝て、一緒の夜を何度も明けた。
二百年の無数の思い出が何度も生まれては塵となって消えていく。
「烈火!」
「烈氷!」
ブルーが生み出した最強の技『烈氷』。ブルーがアデリーナに教えた最強の技『烈火』。
事象が事象を呑み込み、世界を飲み込んでいく。音が消え、いろいろな光が空間を呑み込み、無数の衝撃波を生み出した。そして、遅れてやってくる轟音がこの街に響き渡る。
立ち込める砂煙の中、立っているのは一人だけ。
地面に座り込む騎士に一人の騎士が剣を向けていた。
すべての霧が晴れ、倒れ込んだ騎士があらわになる。
この国最強の騎士は初めての負けを経験した。しかし、その顔に宿るのは笑顔だった。
「負けた。……はやく。立ち上がる前にとどめを」
微笑むブルーに戸惑いを隠せないアデリーナは涙を流しながら首を横に振った。
「できません、ブルー」
アデリーナにとって、この約400年で初めて見たブルーの顔だった。いつもどんな時もアデリーナの記憶の中でブルーは兜を身につけていた。
クリーム色にも近い薄い金髪が肩に触れる手前で綺麗に切りそろえられている。兜をずっと身に着け光に当たっていなかったせいか、真っ白な肌とよく似あいとても可愛らしい顔立ちをしていた。この顔でこの国最強の騎士とは到底信じがたい。
吹き荒れる風が美しいその髪をたなびかせた。
アデリーナにとってたった一人の親友。
ブルーは中世的な声で可愛らしい笑顔で笑って答える。
「本当に甘いです。女王陛下もアリーチェ様に言っていました。似てきますね」
「ええ、そうかもしれない」
アデリーナはしばらく沈黙してから剣をしまいブルーの前にひざまずき、ためらいながらも胸に秘めた思いを口にした。
「ブルー、私と一緒に来てください。そうすれば戦う必要がないかもしれない。シルビア様とアリーは元々は私たち同様に親友だった。もしかすれば新しい可能性を生み出せるかもしれない」
「それは出来ない。誓約がある。それを破れるとしたら、アデリーナだけ」
俯くアデリーナにブルーはそっと自分の愛剣を出した。
「これは?」
「ずっとお世話になった零剣バーブル。アデリーナにあげる。今の私から最後に何か上げたかっただけ。いらないなら一緒に埋めて」
差し出されて零剣バーブルを受け取ったアデリーナの手が少ししびれた。拒絶反応が起きている事が分かる。
しかし、アデリーナは痛みに耐え力強く大切に握りしめた。想い出を溢さないように、噛みしめるように。
「ありがとう」
アデリーナは立ち上がるとブルーに背を向ける。目指すはシルビア様の所。残りの力で何ができるかはわからないが、できる事をするだけだ。
そんなアデリーナの背中にブルーの声が届く。
立ち止まったアデリーナはすぐに振り返りブルーを見つめた。
「アデリーナ。女王陛下にとっても私にとっても貴女は希望だった。……私を、世界を救ってくれると言うなら、女王陛下を……女王陛下を救って下さい」
一瞬、言葉に詰まったブルーだったが最後まで女王陛下の名前を呼ぶことは無かった。女王陛下に遣えるものとして、絶対に対等になることは無いこの立場を理解していたから。
違う。ブルーの心の真意は違う。それでも……引き止めてしまいなくなる胸の内を、女王陛下の覚悟を、決意をそばで支えるただ一人の騎乗として、その名を口にする事を自らはばかった。
「ええ。親友のお願いだもの」
ブルーに満面の笑みを向けたアデリーナは背を向け新たな戦場へと歩み出す。
その背中を見つめるブルーは初めての悪態をつく。
「……ばかアデリーナ。……ヴィットリア。貴女はあの子に何を教えたの、甘すぎる。——って、私の教え子でもあった。ほんと、最後の最後で可笑しくなってしまっている」
ブルーは自分に対して失笑する。
頭から血を流すブルーの瞳にはもうほとんど光は残っていない。代わりに『誓約』の浸食が体をむしばんでいく。ブルーが行った『誓約』への一瞬の反逆がより強力な力となってその反動が返ってくる。世界の辻褄を合わせるように、世界がブルーを刺激する。
「これが最後の私のわがまま。最後のお願い……この傲慢を許してください、女王陛下」
ブルーの静かなささやきを聞いている者はもう誰もいなかった。
ブルーは眼を瞑り、歯を食いしばる。最後の力を振り縛る。
自分の生涯に後悔のないように、ヴィットリアの影を追いかけるように。ブルーは自分の人生に終わりを告げる。