第5話 アリー

文字数 6,282文字

「炎の魔女!」
 助けて貰った恩はあるが、殺されたあの瞬間を忘れることは出来ない。
「アリスさん!」
 その言葉で何かに気が付いた炎の魔女は止まるようにとジュリオに手のひらを向け、ゆっくりとアデリーナに近付いていく。
「そう、私はあなたの言う通り炎の魔女。でもあなたに危害を加えようなんて思ってない。貴女を助けたかった、ただそれだけなの。氷の魔女に襲われた時にあなたを助けた私を信じて」
 アデリーナは鋭い眼差しで彼女を睨んでから静かに剣を鞘にしまった。たとえ相手があの炎の魔女であったとしても命を救ってくれた事実が消えるわけではなかった。だが、彼女が噂で聞いていた凶悪な魔女にどうしても見えなかった。心優しくそれでいて優しく見える。それに、先ほど助けていただいたこの恩を仇で返したとなれば自分の心に刻んだ騎士の名が廃る。
「……私の名前はアデリーナです。少しでも不審な動きを見せたら、その時はあなた方を敵とみなします」
「それはちょっと……」
「うん!いいよ~」
 嫌そうに答えるジュリオとは対照的に彼女は嬉しそうに笑って頷いた。
「ちょっ、アリスさん!僕まだ死にたくないですよ!勘弁してくださいよ~」
 その言葉を無視するアリスは奥の部屋へと歩いていく。
「付いてきて、アデリーナさん」
 振り返りそう微笑む彼女の背中を兜越しに見つめるアデリーナの心境は複雑だった。『暁の火』の頭首であり、炎の魔女である彼女から感じた恐怖を今は一切感じない。それどころか、心優しく愛情に溢れた人だと感じる。
 同一人物なのかと疑いたくなる気持ちも芽生えるが彼女から漏れ出る覇気はあの時と全く同様の物だった。
 最奥の部屋に入ると後ろからついてくるランプを持ったジュリオが二人の前にでると。正面の本棚のうちの一冊を押し込む。
 音もなく本棚が動き出すと正面に下へと続く真っ暗な階段が現れた。
 ジュリオを先頭に彼女と私と順番に進むと静かに本棚が閉まっていく。下に降りれば降りるほど鼻を突くような強烈な甘い香りが漂い始め、思わずアデリーナは眉をひそめる。
 少しして下水道に着くと左右に道が続いていた。この異臭は水と一緒に流れてきている様だったが、そちらに背を向ける二人にアデリーナは問いかけた。
「こちらには何があるのですか?それにこの匂いは何ですか?」
 一瞬、ジュリオと炎の魔女が顔を合わせると彼女の方が答える。
「んー、見た方がはやいけど、いまはいそぎましょう。一応、私たちは追われている身だし」
 何も言い返すことのできないアデリーナは黙って二人の背中を追いかけた。
 しばらくして下水道を抜けるとそこに広がるのはどこまでも続く海平線だった。
「果ての海域」
 アデリーナは思わずその名を口にしてしまった。
 メリア神話に出てくる古のドラゴンが支える大地の端を囲うこの海を『果ての海域』という。この海の先にあるのはただの奈落、世界の終わりが広がっている。この海を渡ろうとすれば誰も帰ってくるものはいない。これがシルビア様に教えて貰った有名なメリア神話の話だった。
「さ、行きましょう」
 炎の魔女の言葉に続きまた歩きはじめる。
 アデリーナは振り返りは遠くに見えるラベンダーノヨテ聖域国を目に焼き付けてからその場を後にした。
 岸の近くにある何の変哲もない岩肌に何の躊躇もなく体を突っ込む。すり抜けるように岩の中に消えていく炎の魔女にアデリーナは戸惑いながらも意を決して前に進んだ。
 すると中にはまた下へ降りる階段が続き、その先に祭壇そのさらに奥に門が設置されている。
 炎の魔女が祭壇に手をかざすと赤い輝きを放つ線が模様に合わせ伸びていき、やがて門に刻まれた線を赤く染める。全てを染めると門に薄暗い膜が出来上がった。
「これは転移門。この先に私達の拠点『暁の宮殿』があるの!」
 彼女は無邪気に笑うとアデリーナの手を引き転移門へと走った。
門をくぐると同時に身に纏っていたフードがいつの間にか消えている。私の反応を楽しんでいるのか初めて人を家に招いた子供の様に笑う炎の魔女をアデリーナは黙って見つめた。
「アリスさん毎回こんな感じだから」
 後ろからついてきていたのかジュリオは言うとそのまま二人を追い抜かし前へと進んでいく。
 居酒屋とは違い綺麗な大理石の広々とした廊下がまっすぐ広がり、その先でラベンダーノヨテ聖域国で何度も見た女神が向かい合うように描かれた巨大な石の扉が出迎える。
「この女神……」
 アデリーナが言葉を漏らすと炎の魔女は満面な笑みで答えた。
「そ、私が作ったの。立派でしょ!ラベンダーノヨテ聖域国の女神と同じものとして考えっていいの。詳しい説明は後でするからさきいきましょう。それにいつまで鎧着けてるの?せめて兜ぐらいは外していいのよ?」
 装備を解除することに抵抗があったアデリーナは剣だけを残し、兜と鎧を解除する。薄いピンクのレースのガウンがアデリーナの美貌を際立たせる。
 前にいたジュリオがアデリーナの姿を見て口笛を漏らす。じろじろと二人に見られることに少し気恥ずかしさを感じたアデリーナは照れを隠すように冷たく言葉を発っした。
「さあ、早く行きましょう」
「あ、ああ」
 ジュリオは慌てた様子で前に向き直ると扉を押し開けると、先頭を歩く炎の魔女が意地悪な笑いを含む声で囁いた。
「照れちゃって」
 その言葉に二人の言葉が重なる。
「なにが!」
「何をですか!」
 その反応を炎の魔女は面白そうに見つめていた。

 ジュリオさんとは宮殿の中で別れ、アデリーナは炎の魔女と一緒に宮殿の中を見て回る。そして、大きな宮殿を抜けるとその先に広がるのは綺麗な草原だった。どこまでも永遠に続く空を自由に飛ぶドラゴンは我々に眼もむけない。
「警戒しなくていいわよ。このあたりにいるドラゴンはみんな穏やかな性格をしているから。それじゃあ私の家で詳しい話をしましょう」
 草原を少し歩いた先の左側に大きく広がる森林。一つ一つが木は巨大でまるでドラゴンに合わせているようにも見える。
 その一つの木の上に立てられた小さな木の小屋が可愛らしく顔をのぞかせている。
「あそこがわたしの家。さっき通ってきた宮殿は『炎の暁』みんなのもので、自由に使っていいことになってるの。人数は少ないし部屋も余ってるけど、わたしはこういうこじんまりした家の方が好きなの。さ、行きましょ」
 炎の魔女はそう言うと右手をアデリーナに向ける。アデリーナその手を握ればいいのか戸惑っていると、小さな掛け声とともに自分の左手を掴まれる。
「えい!」
 その掛け声と同時に二体が宙を浮き見る見ると地面から離れていく。あっという間に小屋に着いたアデリーナは促されるままに部屋の中に入った。
 あの宮殿とは違いつくりは質素だが、家具のほとんどがまるで木の枝を変形させてできている様だった。
 心地よい風が吹き抜けるバルコーに置かれたイスとテーブルに腰をかけ、そこから見える絶景を眺める。周りに大きな建物はなくラベンダーノヨテ聖域国らしき巨大な城壁も一切見当たらない。あの見えない壁を通っただけでだいぶ離れた場所に飛ばされたのか、異空間にいるのかも分からない。
 彼女がお茶を入れるとアデリーナと向き合う様に座り、口に運ぶ。それに続けてアデリーナもそのお茶を口に運んだ。
「では、まずは自己紹介から。私はアリーチェ・ディ・レオーネ。アリーチェやアリス、炎の魔女や魔女。みんな好きなように適当に呼んでるの。だから、貴女も好きなように呼んでいいからね。あ、その時は呼び方教えて」
 優しい笑顔を向けてくる炎の魔女にアデリーナも騎士としての名を名乗ると、また嬉しそうにほほ笑んだ。
「アデリーナ!素敵な名前ね!じゃあ本題に入りましょうか、あ、その前に少し目を閉じて」
 炎の魔女に手招きされたアデリーナは促されるまま目をつむり顔を前に出すと、柔らかい何かが唇に振れる。驚いて目を開くと目の前に炎の魔女の顔が見えた。すぐに体を離そうとするアデリーナの頭に直接彼女の声が聞こえてくる。
「落ち着いて。もう少し耐えて」
 その言葉の後に柔らかく温かい舌が口の中に入ってくる。炎の魔女の舌と甘い魔力がアデリーナの口の中をかき乱し犯していく。
暫くして炎の魔女が口を放すと私を優しく見つめ微笑んだ。
アデリーナの口元に残る激しい口づけの感覚が口元から体全体に広がり体が火照る。炎の魔女の魔力が体を嘗め回すように全身に広がっていくのを感じ、我慢できず甘い声を時より漏らしてしまう。
 全身に回る快楽が絶頂に達するとすぐに体からその感覚が抜けていき自然に戻る。
「あとは意識の問題ね」
「何をしたのですか!こんな辱め受けさせるなど絶対に許せません!」
 剣を勢いよく引き抜くとその矛先を彼女の首元に伸ばす。
 そこでアデリーナは自分の体の中で起きた変化に気が付いた。まだ剣に魔力を注いでいないのにもかかわらず、鋭い刃からゆらゆらと炎が漏れている。
「気が付いた?アデリーナの体に流れる私の魔力を整えたの。思い当たる節はあったと思うけど、本来アデリーナは私の眷属なの。その炎の魔法が何よりの証拠だよ!」
 容易には受け入れがたい言葉だったが目の前に座る炎の魔女は続ける。
「さっきのキスはアデリーナの体の中に流れていた氷の魔女の力を消すためにしたんだよー。私の魔法と氷の魔女の魔法は相容れないからあんなにも激しく相互作用を引き起こしたんだと思うの。ごめんねー……ところで何か思い出す事はない?」
 子供のように目をキラキラと輝かせる炎の魔女の言葉を信じ、少し戸惑いながらもアデリーナは剣を握りながら記憶をたどるが思い当たる節は何もなかった。
「そっかー、思い出せなんだねー。ってことで、落ち着いたならそんな物騒なもの閉まってすわりましょ」
 満面の笑みを浮かべる炎の魔女から悪意を一切感じなかったアデリーナは大きなため息を吐き剣を鞘に納めてから椅子に座った。
「その感じだと何も思い出していないよね?じゃあまずはここの説明からだ!ここは『永遠の大地』と言われている場所なの。さっきも言ったけど『炎の暁』の拠点みたいなもの。アデリーナは城の外に出たことある?城壁の向こう側」
「はい。何度か『果ての海域』まで……」
 アデリーナはそう答えると長年連れ添ったブルーの事を思い出した。師匠であり、憧れであり、最愛のブルーとの遠征の日々。その道中、ドラゴン、暁の兵士たちに取り囲まれた時、互いに背中を預け戦ったことは今でも鮮明に思い出せた。
「でも、あんな立派な宮殿も、こんなにも立派な森林も見つからなかったでしょ。ましてはあんな巨大な龍も」
 アリーチェが言うと物凄い轟音が衝撃波に乗って襲ってくる。はるか上空に数万メートルはくだらないほどの大きさの蛇が空で鳴いていた。あんな規格外な大きさの生き物など見たことがない。
「『永遠の大地』と呼んでいるここは果ての海域の先に広がる広大な大地なの!」
「何を言っているのですか。メリア神話で大地は巨大なドラゴンが支え、大地のその先に広がる果て海域の先は世界の終わり、ただの奈落だという教えがあるではないですか。」
 食って掛かるアデリーナにアリーチェはあくまで冷静に答える。
「でもそれが事実なの。星暦138年。今から521年前に氷の魔女と炎の魔女が長年の戦いに決着をつけるため、何もなかった広大な大地で互いに総力をかけた決戦を行ったの。それがのちに言われる『終焉の審判』。戦いは熾烈を極め互いに聖域魔法を発動するまでに至った。そこで魔女の眷属として召喚された騎士が……そう!アデリーナだよ。その戦いで大敗を決した私達は命かながらこの土地に逃げてきたの。『果ての海域』と呼ばれる海は氷の魔女によって作られた戦いの痕跡なの」
「そんなこといきなり言われても私は……」
「アデリーナ、貴女は未来から来たんでしょ?」
「なぜそれを……ッ!」
 食ってかかったところでアデリーナは自分の反応が答えを示していることに気が付いた。
「記憶がないこと、そして体の中に氷の魔女の魔法が流れていたこと、氷の魔女に忠誠を示していたことを考えて察したんの」
 否定したくてもできない程の説得力がそこにはあった。アデリーナが長年悩んできた、氷の魔法を使えない理由、そして、時々起こる頭痛が今は完全に引いている。
 しかし、アデリーナはシルビア様を憎むことなどできない。いま一度考え直しても立場の違いだけで敵だと認識することがアデリーナにはできなかった。
 本来仕えるべき本当の主は炎の魔女だといわれても納得ができない。事実として理解できても心が追い付かない。信じたくないと心のどこかで言っている。シルビア様がアデリーナにとっての親であり、ブルーが最愛の人であることは変わらない。
「すみません。もしそれが本当なのだとしても主のために戦うことは今の私にはできません。この203年間の記憶が……私の経験してきた現実がそう訴えるのです」
 シルビア様に剣を向ける行為、ブルーとの思い出がアデリーナに炎の魔女から言われた真実を拒絶する。
 何を信じればいいのか分からない。自分が騎士であるという自覚すら危ういこの状況で剣を握れる気がしなかった。
 いったい何のために誰のためにこの剣を握り戦えばいいのだろうか。納得できないこと、聞きたいことがたくさんある。
 そんなアデリーナに向けて主からかけられる言葉は予想外の物だった。
「いいの。アデリーナは休んでじっくり考えて、そして好きなように生きて。その結果、私たちに刃を向けるならそれでも構わない。私たち『炎の暁』は自由を最も尊重してるから、アデリーナの選択を尊重するよ」
 優しい声で囁くとアデリーナを元気づけようとに微笑みかけ頭を撫でる。
「でも、やっぱり私は休んで欲しいかな~今まで散々頑張ってきたんだから」
 何も覚えてないはずなのにもかかわらずカッと胸が熱くなるのを感じる。まるで自分の体じゃなくなってしまったかのように目頭が熱くなり自然と涙がこぼれた。
 炎の魔女は立ち上がるとグーっと伸びをして笑いながら言う。
「宮殿の方に子供たちもいるから分からないことは教えて貰ったらいいよ」
「アリーチェ……様は……」
 とぎれとぎれのアデリーナの言葉に彼女は笑って答える。
「アリーでいいよー、以前の貴女はそう呼んでたから」
「アリー……。どこへ行かれるのですか?」
 記憶の中では初めて読んだはずのその名前にアデリーナは凄く親しみを感じる。
「アデリーナが今年からの記憶しかないんでしょ?なら、氷の魔女に捕らわれてしまう貴女を助けて、未来を変えないとね!」
 それは本来アデリーナがしなければいけない事。未来の記憶を知っているのはアデリーナだけなのだから。
「もしよければ私も連れてってください」
「いいんだよー。教えて貰えるところだけ教えてくれるだけで、私達が未来の未来を変えるから」
「いえ、連れてってください。この目ですべてを確認したいのです。どちらが悪でどちらが正義なのか」
 立ち上がり言うアデリーナにアリーは振り返る。
「きっと、つらいよ。知らない方がよかったと思うかもしれない。それに私たちの目的は氷の魔女を倒すこと。それは知ってるでしょ」
「……それでもかまいません」
「そっか。でも、アデリーナならそういうと思ったよー」
 アリーの前に移動したアデリーナは彼女の間で跪く。この世界の真実を知るために、そして『炎の暁』の目的を知るために。
「アリーの騎士として今一度この身を頭首に捧げます」
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登場人物紹介

アデリーナ (主人公)

魔女の眷属として召喚された騎士 誇り高く凛々しく正義感が強い

ブル―のことが好き

ブルー・デ・メルロ

魔女の眷属といて召喚された騎士 感情の起伏が薄く口数が少ない

アデリーナを気にかけている

シルビア・デ・メルロ

氷の魔女 ラベンダーノヨテ聖域国の女王

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