(72)魔女裁判⑧

文字数 2,766文字

魔女裁判官たちは、ローマ・カトリック教会お抱えの悪魔学者や裁判官自身が創作した「架空の新しい魔女」を「真実の魔女」と思い込んでいた。
また、裁判官自身が行った、過酷冷酷な拷問と、恣意的な誘導尋問による自供の一致を、「真実の自然な自供」と、教会の慣行を守り、認めた。

例)
1669年、ルーアン(仏)で、魔女事件が発生した。
9人の密告者から525人の容疑者が起訴された。
(密告者の一人が154人を起訴している場合もある)
翌年、ノルマンディー高等法院は、まず12人の被告を魔女と断定、死刑宣告を決定した。
しかし、国王ルイ14世は大臣コルベールの助言を受け、死刑を追放刑に軽減すると命令。
ノルマンディー高等法院は、納得できず、国王に命令撤回要請書を提出した。
命令撤回要請書の中で、「妖術による人畜の被害、魔女マーク、魔女集会(定番の魔女行為)」を指摘したうえで、
「古今の学者により確証され、被告自らによって確認したものであります」
「被告の自供は、時と場所は異なっているのですが、その違いを越え、自供は一致しております」
「このことにより、自白の一致に自白の真実性を確認したものであります」
「全く無知文盲な、この犯罪者の自供と、高名な魔女学者の研究と全く一致しており、用語まで同一であります」

さて、西ヨーロッパにおいて、どれほどの魔女が生まれ、処刑されたのか。
この数値的分析には、諸説ある。
484年以降では30万人説がある。※「クルツ:教会史」
また、「900万人」説もある。※ガードナー「今日の妖術」
ただ、実態として、記録の現存が少なく、正確な算定は不可能である。

強いて例をあげれば、
ボルドー高等法院で、魔女狩りに奔走した裁判官ピエール・ド・ランクルが、1577年だけで、400人の魔女を燃やした。

ロレーヌ地方の裁判官ニコラ・レミーは、1576年から1606年にかけて、2000人から3000人の魔女を燃やした。

ナミュール伯領(現在はベルギー)で、1500年から1650年にかけて78人が燃やされた。
ストラスブールでは、1582年10月だけで、134人を燃やした。

熱狂的カトリック擁護者であったドイツのトリエル大司教ヨハン・フォン・シェーネブルクは、1587年から1592年にかけて22の村で368人を燃やした。

ヴェルツブルク司教のフィリップ・アドルフ・フォン・エーレンベルグは、1623年から31年の間に、900人を燃やした。

アイヒシュタット=バイエルン司教区の裁判官は、1629年だけで274人を燃やした。
※新旧両教徒の角逐が特に激しかったドイツは1500年から~1749年までに、3万人以上が燃やされた。

(参考)
※アンリ・ボゲ「魔女論」抜粋
「近くの国々を見回しただけでも、全ての国が、あの忌まわしい魔女の悲惨な害毒に感染しているのがわかります」
「ドイツでは、魔女を焼く火刑柱を建てるのに、ほとんど忙殺されている有様です」
「スイスでは、魔女のために、全滅した村が多くあります」
「ロレーヌ(フランス東北地方)を旅する者は、魔女を縛り付けえる刑架を幾千となく見かけるでしょう」
「私どものブルゴーニュ(フランス中東部)も例外ではありません、魔女の処刑が日常的に行われている地域は多くあります」
「サヴォア(フランス南東部)も、この悪疫を免れてはいません」
「サヴォアから毎日のように当地に送られてくる魔女の数は、数え切れません」
「もともと、私どもが、当地で焼いた魔女はサヴォアから来た魔女でした」
「パリでは、どうなっているでしょうか、シャルル9世(1550~1574)の治世時に、当時の処刑官が語りましたのは、パリ地方だけで30万人の魔女がいた、というのが真実であるならば、フランスの魔女は、まだまだ残っております」
「いや、どんな地方にも、幾千幾万という魔女が、庭虫のように増えつつあるのです」

※ヴュルツブルク司教付宗教顧問が1629年8月に知人に宛てた手紙より
「いつ何時逮捕されるかわからない男女が、当市には、まだ400人ばかりおります」
「身分が高い人も低い人もおります」
「聖職者すら、おります」
「当司教区の領民で、その職務と才能の別なく、処刑されなければならない者が多数あることは、確実です」
「聖職者、最高法院の博学な判事、博士たち、市公務員、裁判官補、たいていは貴方様がご存知の人です」
「法学生も逮捕されました」
「司教様のおひざ元には、ほどなく聖職者になる予定の学生が40人以上おられますが、そのうちの3割以上が、魔女の噂があります」
「数日前には、一人の寺院長が逮捕され、召喚を受けていた別の二人の寺院長は逃亡いたしました」
「素晴らしい学識を持つ当宗教法院の公証人も、昨日逮捕され、早速拷問にかけられました」
「率直に申しあげれば、当市民の三分の一が魔女事件に関与していることは、確実なのです」「誰よりも裕福で、評判が高い、立派な聖職者たちも、すでに処刑されました」
「8日前には、19歳の美しい娘が焼かれました、市内でも稀に見るつつましく純潔な娘でした」
「今後一週間あまりの間に、さらの立派な人々が、この後に続きます」
「こうして、多くの人間が焼かれるのは、彼らが神を拒み、悪魔の会合に出席したためであり、それ以外にが、何の罪も犯してはおりません」
「最後の、悪魔と交わりを結んだ、3歳から4歳の幼児が300人もいます」
「私は、7歳の子供と、10歳、13歳、14歳、15歳の児童が焼かれるのを目撃しました」

特に1600年を中心にした100年間は、まさしく「魔女狩り」の世紀だった。
この時期を頂点とする魔女狩りは、13世紀頃のフランスから始まり、やがて西ヨーロッパ全土を襲い、17世紀末にその余波をアメリカ大陸に伸ばした後に、急速におさまった。
数万から数十万の魔女が絞殺、絞殺後に火刑、あるいは生きながら焼かれた。
「魔女の処刑場は、その夥しく立ち並ぶ処刑柱で、まるで小さな林だった」(1590年にドイツを旅した旅行者の記録)

前述した数値以外にも、様々にある。
ジュネーブでは1513年の3か月間に500人焼かれた。
1580年代のトレーブス(ドイツ)では7千人が焼かれ、そのために二つの村が全滅、別の二つの村では生き残る者が、女二人だけになった。
ザクセンでは、1589年の1日だけで、123人を焼いた。
アルザスの町サン・アラマンでは、1596年の1年間に200人以上を焼いた。
ラブールでは1609年の4か月間に、600人以上を焼いた。
ストラスブルクでは1615年~1655年に5000人を焼いた。
ヴュルツブルクでは、800人、バンベルクでは1500人。

※残存する記録からの抜粋であり、ほんの一部分に過ぎない。
現実には確定した人数は不明で、調べあげた資料も無い。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み