(15)「主の番犬」ドミニコ会の熱狂的で戦闘的な異端審問①

文字数 1,238文字

南フランス現地の領主と聖職者たちの曖昧な態度とは関係なく、ローマ教皇の意を受けて、(後に「主の番犬」と怖れられた)ドミニコ会が積極的(熱狂的に近い)に、異端狩りの戦闘を開始した。
※ドミニコ会は、聖ドミニコの死(1221)時点で約60の僧院を有し、パリ拠点はサン・ジャック僧院とした。(そのため、ドミニコ会はジャコバンと呼ばれた)
1237年の時点では、東欧や整地を含めて約300の僧院。
ただし、壮大な僧院ではなく、町の中の民家を買収あるいは寄進され、寝食の場所(拠点)とした。
そのドミニコ会の説教と異端追及は一体。
つまり、異端の風に揺れ動く俗世間そのものを、彼らの修行の場所とした。
トゥールーズでは司教ブルクの配慮でサン・ロマン教会に起居した。
※そこが、手狭になり、市民の寄進により、ジャン・デ・ガリーダ菜園に引っ越したものの、建築工事はたびたび反ドミニコ会の群衆や、異端側の妨害を受けた。

※以下は、同時代のドミニコ会士ギョーム・ベリッソンの年代記より。

例1) 会士ロラン
〇ある日、一人の会士が説教していた。
「今なお、ここの市内には異端者が残り、集会を何度も開き、邪説を広げている」

不安を覚えた市の幹部はドミニコ会の修道院長を役所に呼び、抗議した。
「市内には異端は一人もいない」
「しかし、あなたの会士は、市内が異端だらけと言うなど、失礼であり、問題がある」
「このような根拠が弱い説教をしないように、会士一同に厳しく命じるべきである」
これを聞いた会士ロランは「ならば一段と闘わなければならない」と反応した。

その後、サン・セルナン寺院の参事会員だった、ジャン・ピエール・ピナが亡くなり、僧服をつけて、同寺院の回廊に埋葬された。
しかし、彼が生前内緒でカタリ派に入信していた(同僚も全く把握していなかった)事実が発覚した。
会士ロランは、その他の会士及び聖職者と、同寺院に急行し、ジャン・ピエール・ピナの墓をあばき死骸を彫り出し、火中に投じて焼き尽くした。(死体に断罪、火刑に処した)

〇ガルヴァンヌという名の異端者が死んだ。
会士ロランは人々を呼び集めて説教し、異端者ガルヴァンヌが亡くなった家を土台から破壊し、糞尿の捨て場とした。
ガルヴァンヌの墓を掘り返して死骸を取り出し、盛大な行列を仕立ててガルヴァンヌの死骸を市中に引き回した上、市外の公有地で焼き捨てた。(これも死体に断罪、行列を組んで市中引き回しは、市民や異端に威嚇を与える意図)

※会士ロランは、北イタリアのクレモナ出身。
新設のトゥールーズ大学で神学を講じていたが、講義より街頭での説教、扇動に熱心だった。
異端審問官としてピアチェンツァに派遣された時は、その激烈な言動が(市当局も含めて)反発を買い、襲撃を受け、同僚は落命、本人も重症を負った。

教皇グレゴリウス9世は、「直属」の異端審問官襲撃に激怒した。
事件の黒幕だった独裁官ランテルモを見つけ次第捕縛し、上半身裸で頭に縄をつけた状態でロランの法廷に送付せよと、命じるほどだった。


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み