(73)死の祭典①

文字数 881文字

異端審問が巡回裁判の時期は、異端審問官は、現地に乗り込み、最初に住民を招集して自首と通報を勧告した。(40日間の自首奨励期間を通知した)

エメリコ「異端審問官の指針」によると、異端審問の「公的かつ厳粛な開始」手続きであるとされている。

説教大集会の日は、教区の通常の活動を妨げないように、「大祭日に定めてはならない」「四旬節及び待降節以外の日曜日とする」とされていた。
当日、異端審問官は、もっぱら信仰、その意義、擁護に関する説教(セルモ)を行い、異端者を根絶するよう信者を督励する義務があった。
そして、異端者(魔女を含む)の処刑は、判決の宣告式等、盛大な儀式であり、祭典(死の祭典)だった。
大観衆を動員する見世物であるが、(キリスト教会の恐怖を示し)、一般の善男善女への教訓の場だった。(異端者、魔女への証言や拷問は、世間の人の目の届かない密室で行われたが)

処刑は、白日のもとに、衆目を集め宣告、実施された。
「アウト・ダ・フェ」とも呼ばれる「死の祭典」は、本来は信仰劇の意味や、大がかりな宣言ないし、説教集会も意味した。
この行事本来の趣旨は、カトリック教会の信仰の大切さと、それから逸脱する罪の恐怖を民衆に教えることであり、ローマ・カトリック教会は、「公開説教」と称した。

実施は、休日に実施あるいは、免罪の恩典で民衆を集めた。(参観者は40日間の免罪)
尚、予告は祭典の一月前が原則だった。

特にスペインでは火刑儀式を連想させる恐怖の言葉だった。
スペインにて目撃したヴォルテールは、「祭典兼供犠式兼大量虐殺」と、皮肉っている。

異端者の数が減少(処刑件数)し始めた16世紀には、国王の即位や戦勝祝賀式等の余興(国王のローマ・カトリック信仰擁護表明の手段)としても利用された。
また、いつの間にか行方知れずになった人物が、突然、火刑台に姿を現し、観衆を驚かせたこともあった。

ただし、かなり盛大な祭典であることから、経費の関係から次第に縮小され簡略化した。
また、その経費の関係から、相当数の異端者が揃うまで時期を待った。
1年に1回から、2回から2年に1回にと間隔も広がった。



ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み