(65)「魔女」裁判①

文字数 1,230文字

中世末から近世にかけての、西ヨーロッパは、前代未聞の心理的動揺の時代であった。
11世紀には、強圧的で贅沢、腐敗や汚職に満ちたローマ・カトリック教会の権威が、清貧を掲げた異端各派の稼働拡大により揺らぎ、その存立さえ危うくなった。
その上、霊的権威では最高位にあるはずのローマ教皇が、世俗(本来はローマ教皇にひれ伏すべき)権力により、アヴィニョン捕囚(1309~1376)にまで、貶められてしまった。

教皇位の正統性を巡って既成秩序が危機に瀕する中、多くの自然災害と疫病が、西ヨーロッパを苦しめた。
特に1348年から1352年にかけてのペストの大流行は、その人口の25%から30%を失わせることになった。

また、十字軍の遠征ではイスラム教徒のトルコ軍に敗北し続け、1453年のコンスタンティノープルの陥落(東ローマ帝国の滅亡)は、キリスト教社会全体への大きな衝撃となった。
キリスト教の絶対性は大きく揺らぎ、特に西ヨーロッパにおけるローマ・カトリックへの信頼は低下し、不安拡大の一途となった。
そして、この世の「秩序」の崩壊、この世の「終わり」、そして、最後の審判の到来も、ささやかれ始めた。

異端審問(異端狩り)の開始から、魔女裁判(魔女狩り)まで続く、「人間による人間に対する大虐殺」は、上記のような西ヨーロッパ世界の内部要因、外的要因の大混乱ストレスを、原因とするものである。

宗教的には、ルターから始まる宗教改革、そして反宗教改革(新旧の厳しい戦争)、経済的には貨幣経済の発展とインフレ、食料不足からの栄養不足、生産手段と技術の革新、農民戦争、人口増加と女性の過剰、広い範囲での住民の貧困(富の集中、貧富の差の拡大)、放浪民の増加など、社会不安は、ますます高まっていた。

このような社会不安の高まりを受けて、西ヨーロッパの支配層は、その支配民の不安を打ち消す犠牲を求めた。
その犠牲こそ、ローマ・カトリックの腐敗を批判した清貧な異端者たちであり、悪魔と結託したと無実の罪を着せられた魔女たちである。

ただし、魔女狩り期に「魔女」として犠牲にされた人々は、かつての古い魔女(村はずれに住む呪術や占術、医術に長けた老婆)のイメージではない。
法廷に立つ「魔女」は、実に様々な人々に変わっていた。

聖職者も博士も学生も魔女にされた。
市内一番の純潔な美少女も魔女にされた。
高遠な思想家から、薬草摘みの老婆まで、貴賤貧富、老若男女を問わず、魔女とされた。

そして彼らとは直接関係がない、全ての自然災害、イスラム教国及び敵対国への敗戦、疫病の流行、飢饉の拡大まで、責任を問われた。(反社会的な魔術を行ったとされた)

それでも、高遠な思想家であれば、その思想に殉ずるという理由があった。
しかし、魔女のほとんどは、普通に暮らしていた人々だった。
魔女裁判官により、無理やり魔女に仕立て上げられただけだった。
彼女たちは、そもそも、悪魔とは面識もなく、「悪魔との結託」などとは、全く関係が無かったのだから。

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