(49)拷問について④拷問の方法(種類)その2 ※魔女裁判を含む

文字数 2,460文字

第二段階
第一段階で、自白が引き出されない場合と、特に共犯者の自供が得られない場合に適用する。

「吊り上げ」
被告の両手を背中で縛り上げ、ロープを拷問室の天井に取り付けた滑車に通し、被告を天井まで吊り上げ、自供するまで長時間そのままにしておく方法。
時には被告の足に重りをつけ、加重する場合がある。
例)ドイツ、デューレン 
裁判官は、「隣家の庭に雹を降らせた魔女嫌疑」で、女を足吊りの拷問にかけたが、なかなか自白しないので、飽きてしまい、途中で冷たい飲み物を飲むために、外出した。
帰ってみると、女は死んでいた。
※拷問に飽きた裁判官が、被拷問者をそのままにして、気晴らしに食事にいく例は多件数記録されている。

「吊り落とし」
重りをつけて天井まで吊り上げた後、突然ロープの力を抜き落下させ、床上すれすれのところで急に落下を止め、急激なショックを被告の全身に与える方法。
(四肢の関節は全て脱臼、三回繰り返せば失神、あるいは死亡する)

「骨砕き」
臑等に締枠をあてがい、万力で骨が砕けるまで締め上げる方法。

※尚、第二段階が裁判記録に出てくる最も多い拷問方法である。
※第一段階の拷問は、行っても「拷問無し」と記録されたため。

第三段階
第二段階までで自白が得られない場合に適用する。

「手または、脚を切り落とす」

「焼けたペンチで肉をちぎり取る」

「焼きゴテ」

「鉄の靴:熱した鉄の長靴を被告にはかせる。またはその靴をはかせた足をハンマーで打ち潰す」

尚、拷問には医師が付添うのが原則だった。
被告の失神または絶命の寸前で拷問を中止させるよう絶えず監視すると、されていた。
書記は裁判官の尋問と被告の自供を詳細に記録した。
(拷問される被告の悲鳴や絶叫まで詳細に)

その他の拷問器具の例
●トレドの異端審問所の牢獄
両腕を広げ立つ聖母マリア像。
その胸と腹の部分に尖った釘と鋭いナイフの刃が一面に設置。
レバーを引くと、その女像は。異端者を両腕の中に抱き込み、かたくきつく抱きしめる。
(1808 ナポレオン軍スペイン侵攻時に発見)

その他、イングランドでは、「消極的拷問」が、用いられた。
※イングランドは、国法で拷問が禁じられていたため。
消極的拷問としては、長時間に渡る飢餓、不眠、正座、強制歩行がある。
例1) 強制歩行
1645年に、サフォーク州巡回裁判において、約200人の男女を魔女として投獄した。
  その一人70歳の老牧師ジョン・ローズを不寝番の監視の中、数昼夜牢獄の中を歩かせ続けた。(時に前向きに、時には後ろ向きに)
  ローズ牧師は、ついに意識混濁となり、「悪魔との結託、妖術による舟の転覆」を自供。後に否認したが認められず、絞殺刑に処せられた。

例2)不眠
逮捕された被告は、室の中央にある背のない腰掛け、または机の上に、アグラそのほか、不安定な姿勢で座らされ、24時間、食事も睡眠もなく看視された。
例3)水責め
イングランドでは長い間公式に採用された拷問で、18世紀にも存続していた。
魔女を裁くのに、非常に効果が高い方法とする者もいた。(ジェームズ国王の「悪魔論」)
被告(魔女)を裸にして、右手の親指を左足の親指に、左手の親指を右足の親指に結び付けたうえで、池や川に投げ込んだ。
水中に沈めば無罪とした。(しかし溺死がほとんど)
仮に、浮かべば「魔女」として有罪、絞首刑に処された。
例)1699年7月13日。 寡婦コモンは魔女の嫌疑により、川に投げ込まれた。沈まずに浮かび上がり、翌年4月19日に再び試されたが、沈まなかった。
同年4月24日、また投げ込まれたが、またしても浮かんだので、12月27日に、魔女と判決され、処刑された。

(牢獄)
分厚い壁、房は分離され狭く、不潔で暗かった。
囚人は、昼と夜の区別もつかなかった、
木枷や鉄鎖で束縛されているので、自らの排泄物も、そのままにされ、冷たい土の上で横たわり眠った。
身体の周りには、ネズミやゴキブリが常に這いまわる状態。
一般に未決囚の牢獄のほうが、既決囚より、はるかに酷い状態だった。

自白までは、その他の厳しい拷問も繰り返された。
牢獄生活の苦痛も、拷問の一種であり、そのために、特に若い女性が自白(冤罪であっても)する場合が多かった。

また、拷問室が牢獄の地下室にある場合が多く、他の被告のあげる悲鳴やうめき声、絶叫が常に聞こえて来る状態で、その恐怖とも向かい合っていた。

扶養費用は、本人(家族)が負担し、負担できない場合は領主または、共同体が支出した。
原則として、年齢、性別、家族の有無には配慮しなかった。
(稀に夫婦の面会を許可する場合もあった)
原則は、終身刑。(贖罪巡礼や十字着用等の減刑もあり得た)

囚人は、厳しい拷問の結果、そして不潔極まりない牢獄生活の結果、すでに手足が腐り、その自由を失った者も、かなり多かった。(法廷に歩いて出ることも出来ない状態のまま、最後の処刑を待たずに、牢獄で死ぬものも、少なくなかった)

焦燥と過度の苦痛に神経を病み、自分で自分の頭を殴りつける、あるいは牢獄の壁に打ち据え、自殺する者も後を絶たなかった。
※1年間で入牢者総数の12%が、牢獄死していたとするデータもある。

食糧は、ほんのわずかなパンと水のみしか、与えられなかった。(財産を全て没収されているにも関わらず)

処刑と拷問の料金も、被告の負担だった。
ケルン大司教区の「公定処刑料金表」(1757年公布)によると、
〇拷問道具を示して恐怖心をそそる。1ターレル0アルプス
〇第一段階拷問。 1ターレル26アルプス
〇そのための準備及び親指圧砕 26アルプス
〇第二段階拷問(事後の四肢接骨料及び膏薬代含む)2ターレル26アルプス。
〇第一、第二段階連続の場合の両方の料金、並びに接骨料、膏薬代全ての合計
 6ターレル0アルプス。
〇拷問または処刑のための旅費及び日当1日当たり(その日数及び罪人の数に関係せず)48アルプス
〇食事代(1日あたり)1ターレル26アルプス。
〇助手 (1日あたり)手当0ターレル39アルプス。
※参考:ロープ代金が1ターレル。
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