(68)魔女裁判④

文字数 1,747文字

本来、「魔女である」の確証がない限り、有罪にはなり得ない。
ましてや、生きながらの火焙り刑に処せられることもないはずである。
しかし、なぜ、あれほど多くの魔女が有罪とされ、火刑台にのぼったのか。
火刑台にのぼった魔女全てに、「魔女である」確証があったのだろうか。
あったとすれば、その確証は、何によって得られたのだろうか。

実際、確証の種類(理由)や入手方法は、「悪魔学」を根拠としたのであるが、そこに導いたものは、厳しい尋問と拷問であった。

裁判では、まず「魔女としての淫乱性」が問われ、証拠探しが行われた。
「淫乱な女は、魔女の嫌疑がある」、としたのである。
そもそも魔女は、誰でも淫乱であり、その淫乱は魔術と悪魔に由来する。
魔女は悪魔の肛門に接吻を行い、魔女集会では集団乱交が果てしなく続く。
そのため、裁判の第一段階で、この悪魔的淫乱の証拠調べが行われた。

被疑者の尋問と証人尋問が行われた。
証言は、女でも子供でも、誰の証言でも採用された。
ただし、被疑者は単なる尋問では、自供はしなかった。
(そもそも、無実であったから)

次に、彼女たちが、「媚薬」あるいは「黙秘薬:沈黙を守らせるために悪魔が与えた薬」を衣服の下、体毛の中、尻や陰部に「隠し持っていないか」を確認するための調査が行われた。

彼女たちは、全裸にされた。(これも恥辱拷問になる)
身体中の「毛」を剃られた。(恥毛含む)

「秘密の薬」は、簡単に見つかることが多かった。
そもそも魔女の嫌疑を受けたのは、風呂にも滅多に入ることがない貧乏な農婦が多かった。
また、知的障害者、放浪女性も、多かった。
その不潔な日常生活により、身体のあちこちに、「フケ」「垢」「羽毛」「藁くず」が残っていた。
そして、魔女裁判官は、その「フケ」「垢」「羽毛」「藁くず」を、「媚薬」あるいは「黙秘薬:沈黙を守らせるために悪魔が与えた薬」として、魔女である証拠にして、極刑に処したのである。

さて、全裸にしても、「魔女の薬」が見つからない場合は、「針刺し」による「魔女マーク」探しに移った。
「魔女マーク」は、魔女集会において、悪魔が魔女との契約の証しとして、魔女の身体に残した小さな跡で、無痛覚の場所である。

裁判官は、魔女の胸、腿、脚、全てに針を刺した。
その際の、魔女の苦痛の悲鳴や出血には、全く配慮しなかった。

例1)1652年3月。ジュネーブ。貧しい老女(4月6日刑死)の記録。
  我々は、彼女に目隠しをして、その身体を針で刺した。
  何か所か、激しい出血があり、彼女は激痛の叫びをあげた。
  右乳房の下、三指幅の箇所に、豆粒大の印を発見した。
  そこに、親指程の長さの針を突き刺したが、彼女は痛みを感じない様子だった。
  出血もなく、抜いた針にも、血の付着は無かった。
  この異常な証拠の確認により、我々は、彼女を魔女と断定する。

例2)マシュー・ホプキンス(イングランドの魔女狩り将軍として有名)
被告の自白を様々な拷問で引き出すエキスパートだった。
魔女狩り名人として各地から招かれ、東奔西走し、3年間で1000ポンド稼いだと言われている。
自分の稼ぎを増やすため、針刺しに不正な道具を使用した。
針が皮膚を刺さない針刺しを使用して、結果として感覚のない魔女マークを発見するカラクリだった。
その後、世間の疑惑が高まり、一僧侶により、その残虐と不正を暴かれ、引退した。
世間の非難に釈明するため、「魔女の発見」(1647)を著述した。
モーゼの言葉である「魔女を生かしておいてはならない」を表紙に印刷している。

例3)1611年3月10日。マルセイユの記録。
マルセイユの若い神父と尼僧たちの性関係に端を発した有名な事件に関して、二人の内科医と二人の外科医が監獄内で魔女の身体検査を行った。
第一の斑点:右腿下部寄り中間。皮膚の色とさして変わらない三個の斑点を発見し、針を刺したが、何の痛みも感じないようで、血液その他の体液の浸出がなかった。
第二の斑点:右寄りの腰部。針を刺したが、何の痛みも感ぜず、血液その他の体液の浸出がなかった。
第三の斑点:心臓部。多少力を加えて苦痛を感じた。体液の分泌はなかった。
翌日になっても、深い針の部分は腫れも赤味もなかった。
無感覚の皮膚は既往の皮膚疾患と「別」と判断した。
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