(25)ドイツでは「恐怖の3人組」の異端審問

文字数 2,442文字

まず、「恐怖の3人組」の中心は、コンラート・フォン・マーブルク。
ドミニク会、フランチェスコ会とも無縁の普通の聖職者であったが、雄弁な扇動家として、有名だった。
1214年に十字軍を勧誘して成果をあげ、教会及び国家の最上層部と良好な関係を築いた。
肉体の苦痛の中に、信仰の充実を感じるタイプだったようで、そのためか、他人の苦痛にも、全く無関心を通した。(被告に対する拷問も厳しく、生きながらの火刑にすることを好んだ)
1227年教皇グレゴリウス9世は、書簡をもって彼の説教活動を評価し、自由に補佐者を選任することを許した。
また、1231年にも賞賛の言葉を送り、公的には資格付与ではないものの、実質的に異端追及の全権を委ねた。
そして補佐者として、コンラート・ドルソーが及びヨハンが傘下に入った。
尚、コンラート・ドルソー(ドミニコ会士)(元異端説あり:ウォルムス年代記より)は、
実質的には、教会の外で活動した異端狩りで、既にドイツの一部で恐怖の的となっていた。
誰からの任命もなく、異端狩りに奔走、各地を巡回しては、火刑台に煙を上げていた。
ウォルムス年代記では、「資格も無ければ、情け容赦もない裁判官」と記している。
また、ヨハンは、隻眼隻腕の男で、もともとはコンラート・ドルソーの相棒で「一睨みで異端を見抜ける」と豪語していた。


教皇グレゴリウス9世のお墨付きを得たマールブルクは、「主の麦畑の毒麦を」抜き去る使命感に燃えていたし、ドルソーは、「もし、一人の異端者が含まれているなら無実の者100人を焼く」と公言し、「一目で異端を見抜く」ヨハンと3人で、異端狩りに奔走した。
結果として、多くの貴族、騎士、市民を焼き殺し、あるいは、あるいは頭を剃らせた。
「ウォルモス年代記」によると、かなりの数のドミニコ会士とフランチェスコ会士が公然と彼らに協力した。(教皇の正式の任命ではない3人組から指示を受けて、彼らとともに、異端者を焼いた)
処刑の規模は、フランスの年代記作者アルベリック・ド・トロワフォンテーヌによるとドイツ全土で、「数えきれない程の火刑」であり、「兄弟が兄弟を、妻が夫を、主人は召使を密告した」となっている。

その恐ろしい噂が周囲の都市や町や村に拡散し、彼らの行く先々では、既に恐慌状態になっていた。
彼ら3人組の手順としては。
① まず、特定の町や村に乗り込み、「我々は疑わしい人物の情報を持っている」と布告する。
② すると、恐怖にかられて出頭する者が出てくるので、そのまま断罪を行った。
また、住民の多くは、「異端者をかくまった」疑いを招かれないように、積極的に通報(密告)し、3人組による処刑を支持した。
通報して、私怨をはらそうとする者もいたが、3人組はそのまま処刑した。

例)とある地方の若い女は、嫁ぎ先の一族に悪意を持っていた。
その私怨をはらそうと、虚偽の申し立てをした。
「自分は異端に関係がある」
「夫はすでに処刑された、自分も罰を覚悟している、関係者の名前を教える」
結局、通報した若い女を含めて、その一族全員が焼き殺された。

兄弟は兄弟を、妻は夫を、主人は召使を密告した。
頭を剃られた者に、金品を贈り、逃れる方法の伝授を乞う者もあった。
(アルベリック・ド・トロワフォンテーヌ年代記)
「エルフルト年代記」によると、ドイツの教会と君主は3人組の手法を嫌悪していたが、結局野放しになってしまった。(ドイツは教皇グレゴリウス9世と関係が悪く、訴えても無視された)

ところで、その3人組は、異端ルキフェル派(悪魔派)を標的にしていた。
コンラート・フォン・マールブルクが教皇グレゴリウス9世に送った報告書に、そのルキフェル派(悪魔派)の儀式の描写がなされている。
具体的には、
・集会にはガマガエルが出現すること。
・新入信者が、その尻に接吻すると、口に何か跡が残ること。(ガチョウやアヒル、竃の姿で)
・次に異様な蒼白の人物(目は極めて黒く、骨と皮の痩身)が出現すし、新入信者は接吻するが、その冷たさに驚くこと。
・この冷たい接吻の時点で、新入信者の心から、ローマ・カトリック教会の教えが、全て消え去ること。
・饗宴の最中、安置した偶像の上から巨大な黒猫が降りて来ること。
・最初に新人信者、次に集会のリーダー、最後に列席者全員が黒猫の尻に接吻すること。
・全員が席に戻り歌うこと。
・リーダーが次席に「この教えは何か」と聞く。
・次席は「至上の平安、我らが従うべきところ」と返事。
・そこで灯火を消し、無差別に乱交する。
・再び蝋燭に点火して、全員着座すると、暗闇から、上半身は太陽のように輝き、下半身は猫のように黒い奇怪な人物が現れる。
・リーダーは新入信者の衣服の一片を捧げ、「主よ、我らに委ねられたる者をあなたに捧げる」と言うこと。
・その人物は「お前の奉仕に欠けたるものはない、さらに仕えよ。我に捧げたる者はお前に委ねる」と答えて消える。
・この派の者たちは、毎年復活祭に聖体を拝受するが、口に含んで持ち帰り、救世主に対する侮蔑を表明するために、糞溜めに吐き出す習慣を持つ。
・彼らの説明では、「悪魔こそが創造主で、最後には神に勝利する、至上の戒律は、神の禁じることの実行」である。(信じ切っている)

尚、上記の儀式の描写は、北ドイツのウェーゼル河流域の農村地帯の「噂:昔話」のようなものと、根強いローマ教会への抵抗姿勢を、コンラート・フォン・マールブルクが、「安易適宜に」結合したものと、されている。

ただ、根強いローマ・カトリック教会への抵抗姿勢の原因は、ブレーメン大司教により「十分の一税強化方針」への反発であり、異端やルキフェル派とは無関係とする説が有力である。
また儀式そのものも、古代からの「作り話的妄想」説が定説化している。

ただ、教皇グレゴリウス9世は、この「作り話的妄想」を、全く疑いもせずに信じ、3人組は、その「作り話的妄想」を利用して、狂ったように手あたり次第に、「数えきれないほどの無実の人」を焼いたのである。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み