(33)カラスの餌

文字数 713文字

ドミニコ会の異端審問への反乱騒動が沈静化したことから、当然の如く、ドミニコ会士の執拗で徹底的な報復が始まった。
まず、騒乱の舞台になった都市に対して、毀損した聖堂の補修にとどまらず増築、多大な償いを要求した。

反乱行動の首謀者の市民を次々に告発し、粛清も手抜かりはない。
カルカソンヌの有力市民エムリック・カステルは長期間の投獄の後、巨額の財産を没収された。(1320年代に国庫収納記録がある)
ドミニコ会は、それでも気が収まらなかったのか、1329年には彼の両親の骨を掘り起こし、焼却までしている。
また、改革監察使として住民を擁護したジャン・ド・ビキニイも、ドミニコ会に報復を受けた。
ドミニコ会の異端審問にかけられ、破門されてしまったのである。
ジャン・ド・ビキニイは、この破門を不当として教皇に訴え出るが、イタリアで客死した。
教皇クレメンス5世は名誉回復措置を取ったものの、ドミニコ会の異端審問官ジョフロワ・ダブリは、納得しなかった。
教皇に対して、「彼の骨を掘り起こして焼却するべき」と執拗に主張し続けた。

それに対して、悪辣な異端審問を行った罪で、異端審問官を罷免されアヴィニョンの僧院長に転職し、リヨンで死んだフルク・ド・サンジョルジュを、ドミニコ会は、ほぼ殉教者として扱うなどの、手厚い配慮を行っている。

1297年から1301年にかっけて、カルカソンヌに勤務したベルナール・ギーは、往年の敵の悲惨な末路に言及している。
※ベルナール・ギー:ドミニコ会の神学者、異端審問官、司教を歴任した。
長らく異端審問官のマニュアルとして読まれた「異端審問の実務」の作者。

「ドミニコ会に対し、カラスのように騒いだ者たちは、結局カラスの餌になった」






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