(79)ルネサンスと魔女裁判

文字数 2,443文字

ルネサンス運動と宗教改革運動は、その開始から最後まで、中世的な魔女裁判と時期を同じくしている。
魔女裁判は中世末期、ルネサンスの動きとともに始まり、1600年を中心とする100年間は、魔女狩りのピークとなった。
そして、ルネサンスの終了とともに。魔女裁判もいつしか、その姿を消した。
しかし、宗教的ルネサンス人も、全て熱狂的な魔女狩り支持者だった。(ルター、カルヴァン、メランヒトン)
要するに、ヒューマニズムと実証主義のルネサンスは、一方では、それに対抗でもするかのように、迷信と残虐の時代だったのである。

ヒューマニズムと実証主義の科学者でさえ、例外なしに神秘主義者だった。
例)
イギリスの哲学者ヘンリ・モーアは著書「無神論の解毒剤」(1653)において、
「悪魔の肉体は、凝固した空気であるため、凝固した水(雪や氷)と同様に冷たいのである」
「しかも水の粒子より、さらに繊細な粒子により構成されているので、体内に入る時点で、実に鋭く突き刺すような冷たさを伴うはずである」
「それゆえに悪魔の肉体は、より侵入するのに適しており、より適確及び刺激的に魔女の神経に作用し、興奮させるのである」
※大真面目に、悪魔との「性交」を語っている。

例)
ニュートンも自著「プリンキピア」(1687)(※近代科学確立の歴史的著作)が、「神の存在の論証である」との、当時の批評に対して反論は行わず、自ら進んで支持している。
また、ニュートンには、キリスト教的で神による秩序立てられた世界観を示そうとする神学的な動機があったことも明らかになっている。

参考として、ケプラーの母の魔女事件をあげる。
※ヨハネス・ケプラー(1571~ 1630 )、ドイツの天文学者。天体の運行法則に関する「ケプラーの法則」を唱えた。理論的に天体の運動を解明し、天体物理学者の先駆的存在。また数学者、自然哲学者、占星術師という顔もある。

息子ケプラーが語っているのは、
「母は、小さな、やせた、色の浅黒い、口汚くて、喧嘩好き、心のひねくれた、粗野でおしゃべりな老女だった」
「母は、薬草や呪文で人の病気を治していた」(下級魔女モデルの典型)
「ただし、治療に失敗が多く、近所の人たちに、憎まれていたことも事実である」
「夫(ケプラーの父)はズボラで妻子を残して行方不明、天文学者の長男はオーストリアに行ききり、長女は他家に嫁ぎ、残りの子供は頼りにならない、孤独な境遇にあった」
「その境遇が彼女を常に不機嫌にさせ、近所の嫌われ者にした」
「彼女の住むレオンブルク(ヴュルテンブルク:ドイツ南西部)に狂信的な魔女狩り役人がいた」
「その狂信的な魔女狩り役人が、母のゴシップをかき集め、49項目の告発状を裁判所に提出した」

・薬を調剤して多くの人々に飲ませ、病気にした。
・近所の牛を殺した.
・天国や地獄は実在しないと、彼女が言った。
・・・・・・・・・


「1615年、彼女は、70歳の時に逮捕、投獄された」
「ケプラーは母親の入牢を免じてもらうよう奔走するが失敗した」
「彼女は逮捕から4年後の1619年法廷に立った」
「10数人の証人が呼ばれ、彼女の有罪を証言した」
「ケプラーは、母を弁護するため、122項目の反対尋問書を提出した」
「また、老齢の母親を拷問にかけないよう嘆願書を提出した」
「1621年9月28日に、裁判官は法廷で自白を迫った」
「彼女は拒否した」
「私は、「妖術は知らない。息子(天文学者)が私を死刑から救う」
「裁判官は天文学者ケプラーを厳しく非難した」
※ケプラーは新教徒。しかし、ルター派と意見を異にして、テューピンゲンの神学者と紛議、シュツトガルトの宗教会議で破門を受けていた。
「彼女は地下の拷問室で、様々な拷問器具を見せられるが、自白を否定した。
「血の前部が失われても、自白しない」と神に跪いて祈り、そのまま失神した。
「数日後の、10月3日、法廷は釈放を命じた」
※自白しないままの釈放は実に異例だった。釈放の理由は不明。

また、他の近代哲学者や、科学者たちの態度も、実に旧態依然だった。
スコットランド(兼インランド王)ジェームズ6世の、「魔女狩り強化令(1604)」は、(1563,1580の)エリザベス女王の魔女狩り令を強化したものであるが、立案者は、検事総長を務めた著名な法学者エドワード・コークであるし、近代科学確立の立役者フランシス・ベーコンも国会議員として、法令を通過させている。
※「魔女狩り強化令(1604)」:1736年に廃止されるまで、イングランドとアメリカの魔女狩りを著しく激化させた。
※フランシス・ベーコンは、魔女行為の判定には明確な証明を求めたものの、魔女の実在は積極的に肯定した。
また、宮内庁法廷の判事を務めた時に、魔女行為は第二級の重罪であると、告示を行っている。
そして、ジェームズ国王の「悪魔論」の一節に言及し、賞賛の言葉を述べている。

血液循環の発見し、近代生理学の基礎を築いたウィリアム・ハーヴィーは、ジェームズ国王、チャールズ1世次期国王の侍医の職にあった時に、4人の魔女の「魔女マーク」を探す身体検査を実施している。

ロンドン王立学会(高度の科学研究のための学会)の中にも、ジョセフ・グランヴィル(実験哲学)のような、「魔女の『実在不信の流れ』」に対し、反論する人がいた。
ジョセフ・グランヴィルが書いた 「霊魂滅亡論への一撃」(1668)版を重ね、非常に多く読まれ、影響を与えた。(迷信者の強力な支えになった)
※「霊魂滅亡論への一撃」(1668)より
「魔女の存在は事実であり、権威と感覚により、証明が可能。両者の証明により、魔女の実在と「悪魔との契約は十分に確認できる」
「全ての歴史は、この闇の仲介者の所業に満ち溢れている」
「全ての時代の、進歩し洗練された世界の人々が、彼らの奇怪な行為を証言している」
「この上なく厳正で賢明な裁判官が殺人者、この上なく神聖な人々が愚者であり詐欺師である」と非難する人は、この上なく軽信的な人である」



ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み