(29)アルビ教会会議

文字数 1,253文字

アルビ教会会議(1254)は、フランス国王聖ルイ9世の指示により開催された。
その会議において、異端審問における刑罰は、「人身に関するもの」と「犯罪者の財産に関するもの」に区分された。

まず、「人身に関するもの」は、以下の通りになる。

最重刑:「世俗の腕」による極刑、反逆者(悔悛しない異端者)と再犯者。
「世俗の腕」は、行政市当局。(教会は「血」で手を汚さない原則があるため)

第二:「壁」(投獄)分厚い壁、房は分離され、ほとんど照明はなく、著しく不潔。扶養費用は、本人負担。負担できない場合は領主または、共同体が支出する。
(原則として、年齢、性別、家族の有無には配慮しないが、夫婦の面会を許可する場合もあった)
尚、投獄は原則終身刑だったが、軽減その他の贖罪刑への変更もあり得た。

第三:贖罪。公開の場で告白、誓絶。宣誓の上で鞭打ち。
毎日曜日及び所定の祝祭の時のミサに出席後、上半身裸になり鞭を司祭に捧げ、懲戒を甘受する。
十字のついた衣服の着用。住居の指定、公職就任禁止、聖地巡礼、十字軍参加等が多かった。

次に「犯罪者の財産に関するもの」
処刑の宣告に先行する没収を禁じた。(過去には処刑宣告の前に、ドミニコ会が、財産を強奪した事例もあった)
また、配偶者が正統信者の場合は、財産に手を付けるのは、職権濫用と禁じた。
それと、重要な点であるが、没収財産をドミニコ会のために、用いてはならないことが明文化された。(隣地の住民を強引に異端認定し、その没収財産を、自らの僧院建設費用に充てたケースがあったため)
※ただし、囚人の獄舎建設と扶養に充てることは認められた。

また、一連の教会会議では、「審問記録の作成」が義務化された。
「異端審問官は、召喚、宥恕。恩赦、尋問、告白、供述、誓絶、それに伴う贖罪、判決、その他異端審問の経過において生じた全てを記録に残さなければならない」
(アルビ教会会議)
「これらの文書は二部作成の上、安全な場所に保管しなければならない」

この「審問記録作成義務化」は、異端審問作業の効率化、組織化を促進した。
ただし、住民は不安が増した。
誰の供述に自分の名前が記載されているか、わからないためである。
いつ何時、その記述によって、自分が嫌疑を受け逮捕、そして処罰という不安に脅える生活が始まったのである。

その背景としては、イタリアと同様、南仏は古代ローマ帝国以来続く成文法地帯であり、法的に効果のある証拠は、文書にするのが一般的だった。(特に契約や婚姻に関して)
そのため、公証人(代書人)が、かなりな山間部にも存在したことも、あげられる。

ただし、異端審問記録については、異端審問専属の公証人が作成した。
また、異端審問に対する反感が先鋭化して、暴動に発展する場合、必ず文書庫が襲撃された。
ナルボンヌでは住民が文書を破棄した事例があるし、カルカソンヌでは、城塔の奥深くに秘蔵していた文書の持ち出しをはかり、失敗した事例もある。

結局は、異端問題の存在しない遠隔地に運び、収納することになった。
ただし、膨大な量となった。









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