第33話 頼朝が謀反を起こすの事1

文字数 2,248文字

■治承4年(1180)8月

 治承四年八月十七日に頼朝はついに謀反を起こした。


 まず和泉判官兼隆(山木(やまき)兼隆(かねたか))を夜討ちにしたが、八月十九日に相模国小早川の合戦に負けた。

[訳者注――山木兼隆は加藤景廉(かげかど)に討たれている]

[訳者注――小早川の合戦とされているが、一般には石橋山の戦いと呼ばれる。この戦いで源氏は大敗を喫した。山中に隠れていた頼朝は梶原景時に命を救われている]

 そして土肥(神奈川県湯河原町)の杉山に篭った。


 平家方の大庭三郎(大庭(おおば)景親(かげちか))とその弟の股野五郎(俣野(またの)景久(かげひさ))は土肥の杉山を攻めた。


 二十六日の明け方に、相模国の真鶴岬から舟に乗り、三浦(三浦半島)を目指して漕ぎだした。


 折しも雨風が激しく、岬に舟を寄せることができなかった。


 結局、二十八日の夕暮になって安房国の洲崎(千葉県館山市)という所に舟を着け、その日は瀧口大明神で御堂に篭って祈願した。


 夜が更けても祈誓していると、明神がその姿を現して、宝殿の戸を美しい手で押し開き、一首の歌をおよみになった。


 ――源は 同じ流れぞ 石清水 たれ堰き上げよ 雲の上まで

(この瀧口大明神をたどっていけば、源氏の氏神である石清水八幡権現と同じ流れをくむ八幡宮である。石清水がたれ落ちているように源氏が衰えているのをお前が止め、雲の上まで高めるのだ)


 頼朝殿は夢から覚めて、明神を恭しく三度拝んだ。


 ――源は 同じ流れぞ 石清水 堰き上げて賜べ 雲の上まで

(源が石清水と同じ流れである明神よ。どうか源氏の衰えを止め、家名を雲の上まで高めてくだされ)


 と、歌を詠んだ。


 明るくなってから頼朝は洲崎を出発し、安東、安西を通り過ぎ、真野の館を出て小湊に渡り、那古の観音を伏し拝み、雀島の大明神の前で型どおりのお神楽を奉納して竜島(りょうしま)(千葉県鋸南町)にたどり着いた。


 この時、加藤()景廉(かげやす)が言った。


「悲しいことです。保元の乱で為義様が斬られ、平治の乱で義朝様が討たれてからというもの、源氏の子孫はみな影を潜め、武名も埋もれて長い月日が経とうとしています。たまたま源氏でも源三位頼政様が立ち上がりましたが、運のない以仁王にお味方し、源氏の世にとっては残念なことになってしまったのが悲しいことです」

[訳者注――源為義は保元の乱で崇徳上皇方に味方したが、後白河天皇についた長男の義朝(頼朝の父)の手で処刑されている]

「そのような弱気心を持つな。八幡大菩薩がどうして我が源氏をお見捨てになろうか」


 頼朝のその答えがどれだけ頼もしいことであるか。


 そうしているうちに、三浦の和田小太郎義盛(わだのこたろうよしもり)佐原十郎義連(さはらのじゅうろうよしつら)たちが久里浜の海岸から小舟を出し、一門郎党三百人余りが竜島に到着して源氏に従属した。


 安房国の住人、麻呂太郎、安西太夫の二人を大将として、五百騎余りが馳せ参じ、同じく源氏に従属した。


 源氏の軍勢は八百余りとなり、大いに気勢を上げたた。


 頼朝は馬に鞭を打って安房と上総の境である造海(つくらうみ)を渡り、上総国佐貫の枝浜を急いで進み、磯崎を通って篠部、川尻という所に着いた。

[訳者注――この時代、房総半島は多くの川が流れており、現代の地形とは大きく異なっている]
 上総国の住人、伊北、伊南、庁北、庁南、武射、山辺、畔隷、河上らの勢力、合わせて一千余りが周淮川というところへ馳せきて源氏に加わった。
[訳者注――源氏に味方する者が続々と集まってくるところを描写している。これは坂東武者たちに平家に対する不満が溜まっていたからと考えられる]

 それなのに上総介である八郎広常(ひろつね)はいまだにやってこない。

 内々に広常はこう話していた。

[訳者注――この頃の上総(かずさ)広常(ひろつね)は上総と下総を所領し、大きな勢力を有していた]

「そもそも頼朝殿が安房、上総へ渡り、二か国の兵を揃えて集めたのに、いまだにこの広常のところへ御使者を送ってくださらないのはどういうお考えなのか。今日一日待っても頼りがないのであれば、千葉や葛西を促して木更津の浜へ押し向かおう。そして源氏を従えてしまうのだ」


 そのような議論をしているところに、安達藤九郎盛長(あだちとうくろうもりなが)が褐色の直垂に黒革で威した腹巻、黒津羽の矢を背負い、塗籠籐(ぬりごめどう)の弓を持って上総介の許へとやってきた。


「上総介殿にお目通り願いたい」


 頼朝殿の御使者がやってきたと聞いた上総介は嬉しくなり、急いで出迎えて対面した。


 そして御教書(みぎょうしょ)を賜り、拝見した。

 この時の上総介は、きっと一門を差しつかわせよとお命じなのだろうと思っていた。


「今まで広常が遅参しているのはどういうことなのか」


 と書いてあるのを見て、


「ああ、これこそ頼朝殿の御書状である。主君とはこのようにあってほしいものだ」

[訳者注――この一連の流れは、平将門(まさかど)のエピソードが下敷きにあると思われる。藤原秀郷(ひでさと)が味方として参陣したと聞いて、将門は喜びのあまり髪を結わずに秀郷を迎え入れた。その軽率な行動を見て秀郷は将門を誅罰すべしと考えるようになる。つまり、今更大軍勢を率いて広常が参陣しても軽々しい態度で迎え入れないぞと言ってきた頼朝を主人として認めたのだと考えらえる]
 そして千葉介常胤(ちばのすけつねたね)のところへこの書状を送った。
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