第46話 土佐坊、義脛の討手として京に上る事5

文字数 1,462文字

■文治元年(1185)10月

 土佐坊は赦されて義脛の宿所から出て行った。

 しかし、


「のんびりしていたら天罰も神罰も受けることになろう。今夜のうちに事を終えなくては。幸いなことに酒に酔っておられるようだったし、さらに配下の者を勘当しており守りは手薄になっているだろう」

[訳者注――義脛が酔っていること、配下を遠ざけていることを土佐坊がチャンスと見ているのがわかる]

 と思った。


「今夜攻めなくては、目的を果たすことはできぬ」


 宿所に帰った土佐坊がこう言ったので、各々は急いで戦の用意を整えた。

[訳者注――もともと大人数による力押しではなく、限られた数で奇襲をかける予定であった]

 義脛の宿所では、武蔵坊をはじめとして武士たちがこのように申し上げていた。


「起請文と申すものは、小さな罪について書かせるもの。これほどの大事であれば、今夜はご用心なさいますよう」


 しかし義脛はなんでもない様子で、「むしろそれが狙いよ」と言う。


「それはつまり土佐坊が申し述べたことを信じてはおられぬということでしょうか」


「今夜、どんな事があるにせよ、ただこの義脛に任せておけばよい。侍たちは皆、帰るがよい」


 と義脛が命じたので、それぞれ宿所へ帰って行った。


 義脛はいつものように酒を飲み、寝入った。


 その頃、義脛は静御前という遊女を近くに置いていた。

[訳者注――義脛の妻として知られる静御前だが、正妻は別に迎えている]

 静はよく気が利いてしっかり者であった。


「これほどの大事を聞きながら、このように気を許しておられるのは何かお考えあってのことでしょう。ですができることはしておくべきでしょうか」


 そう考え、召使いの女を土佐坊の宿所へ遣わして様子を探らせた。

[訳者注――こうした気遣いをできるからこそ、義脛が静御前を近くに置いていた理由なのかもしれない]

 召使いが土佐坊の宿所を見張っていると、ちょうど兜の緒を締め、馬を引き立て、今にも出発しようとしているところであった。

 さらに中に入り込んで奥をよく見てから知らせようと思い、恐るおそる中に入っていく。

 それを土佐坊の部下が見かけて声をかける。


「この女は只者ではあるまい」


「そうかもしれぬ。召し捕らえよ」


 召使いは捕らえられ、なだめたり脅したりして拷問した。

 しばらくは口を割らなかったが、あまりに強く責められたので、ついにありのままを白状した。


 この者を許して放免するのは都合が悪いと判断した土佐坊は、女を斬った。


 土佐坊の軍勢百騎に白河の印地打ちをする者五十人が加わっている。

[訳者注――印地打ちをする者は正式な武士ではなく、あぶれ者、荒くれ者たちのこと]

 彼らを京の案内役として、十月十七日の丑の刻(午前二時ごろ)の頃、六条堀川に押し寄せた。


 義脛の宿所は、今夜は夜も更けているし、なによりも義脛の命令があったので皆がそれぞれの宿へ帰っていた。


 武蔵坊弁慶と片岡経春(つねはる)は六条の宿舎へ行っていて留守であった。

[訳者注――片岡経春は義脛四天王の一人に数えられる]

 佐藤忠信(ただのぶ)と伊勢義盛(よしもり)は室町に住む女の許へ行っていた。


 根尾十郎、鷲尾義久(よしひさ)は堀川にある自分の宿所へ帰っておりいない。

[訳者注――一ノ谷の戦いにおいて地元で猟師をしていた鷲尾に道案内を頼み、奇襲に成功したことから召し抱えられたと伝わる]

 その夜は従者である喜三太(きさんた)だけが残っていた。


 そんなところに土佐坊たちが押し寄せ、鬨の声を上げた。

 しかし屋敷内には物音一つ聞こえなかった。

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