第5話 牛若の貴船を詣でるの事

文字数 3,159文字

■承安2年(1172)秋

 聖門坊こと鎌田正近に会ってからというもの、牛若は学問のことをすっかり忘れ去ったかのようだった。

 明けても暮れても平家に対して反旗を翻すことばかりを考えるようになっていたのである。

[訳者注――教室にテロリストが入ってきたらどうやって撃退するかを妄想するようなものである]
 もしも謀反を起こすのなら、早業のように自分の体を思うがままに操れるほどの敏捷性を身につけなければならないだろう。
[訳者注――この時、個人の武勇について考えていたことに注目する必要がある。義脛が軍事的才能に目覚めるのは別の事柄が関係している]

 早速、そのための修練を積もうと思ったのだが、ここは僧たちの寄合所であり、多くの者が集まる寺である。これではとても修行などできない。


 さてどうしたものかと悩んだが、ここ鞍馬寺の奥には僧正が谷という場所があった。

 過去にどのような者が崇め奉ったのかはわからないが、貴船明神という霊験あらたかなお堂で智恵のある立派な高僧が修行を積んでいたというほどである。

 その頃であれば神主もおり、鈴の音も神楽の鼓の音も絶えることなく聞こえていた霊験あらたかな場所であった。


 しかし世も末となってしまうと御仏の方便も神の験徳も廃れてしまい、流人に住み荒されてしまった。

 その後は天狗の住処になっており、夕日が西に傾くと物の怪がわめき叫ぶようになっているという。

 天狗や物の怪を恐れて誰も近づかないのであれば牛若にとって好都合であった。


 そこで昼間は学問に取り組むふりをして、夜になると日頃はどんなことがあっても協力を惜しまないという僧たちにも知らせず、ただ一人、貴船明神へ詣でるようになったのである。


「南無大慈大悲の貴船明神、八幡大菩薩」


 そう唱えて両手を合わせて牛若が言葉を紡ぐ。


「どうか源氏をお守りください。宿願が成就しましたならば、玉のような美しい宝殿を造り、千町(300万坪)の領地を寄進いたしましょう」


 熱心にお祈りをしてからゆっくり立ち上がり、正面から南西を見る。

 牛若は四方に生えている草木を平家の一族と名付け、そこにある二本の大木の一本を平清盛と名付けて、棒で何度も斬りつけた。

[訳者注――長い棒をライトセーバーに見立てて振り回す少年の動画のような絵面が思い浮かぶのは訳者だけではないだろう]

 それから懐から毬杖(ぎっちょう)の玉のような鞠を取り出して木の枝にかけた。

 一つを清盛の首、もう一つを清盛の嫡男である平重盛と名付けた。

[訳者注――まるで藁人形の呪いのようだが、そもそも藁人形で疫病払いをするのは平安時代から始まっている]

「そのようなことで平家を滅ぼそうとは片腹痛い」


「何者だ」


 木の枝から声をかけた者はひらりと飛び降り、牛若の前に立つ。

 それは異形の者であった。長い鼻を持っていたのである。

[訳者注――この物語が軍記物語だけではなく、伝奇物語に分類される要因である]

 これが噂に聞く天狗かと牛若は身構えたが、よくよく見ればそれは口元があいている面であった。

 世間に流れている噂などこんなものかと牛若は思った。


「儂はこの僧正が谷で修行をする大天狗よ」

[訳者注――この段階では天狗の正体は明かされない]

 自らを天狗と名乗るのであれば早業を知っているだろうと思って牛若は聞いてみた。


「いかにも。儂は京八流(きょうはちりゅう)を修めておる。だがこの刀法を受け継げるだけの者が見つからずに残念に思っていたところだ」

[訳者注――失われた京八流を義脛は受け継いだとされている。その技は敏捷性を最重視しており、素早く相手の懐に飛び込んで短い刀で戦う形であったらしい。小柄だった義脛に向いた剣術だと考えてよいだろう]

「それならばこの牛若に授けて貰いたい」


「腰の抜けたような舞を踊っていた者では到底難しいであろう。だが試してやってもよい」


 言うや否や飛び込んできた天狗の手刀をひらりとかわしてみせた。


「儂の打ち込みを避けるか」


「この程度のこと造作もない。さあ、早く教えるがいい」


「いやいや。その動きができるだけでも大したもの。いずれよき血筋の者であろうか。よろしい。儂の剣術を授けよう。さすれば其方に身のこなしでかなう者はいなくなるであろう。もっとも、それは剣術だけのこと。大将たる者は兵法も修めねばならぬがな」

[訳者注――天狗は剣術だけでなく、兵法にも通じていることがここでほのめかされている]

「一度にあれもこれもはよくあるまい」


「それもそうだ。まずは剣術を身につけるがよい。これは先ほどの打ち込みをかわした褒美だ。受け取るがいい」


 そう言って天狗は牛若に敷妙(しきたえ)という腹巻(大鎧よりも簡素な鎧)を手渡した。


「すべてを伝えた日には儂の太刀をやろう」


 天狗が腰に佩いた太刀に手を置いてみせる。

 それは黄金作りの立派な太刀であった。


 それから牛若は天狗との修行に打ち込み、夜明け前になると宿坊に戻って布団をかぶって眠ったのである。

■承安3年(1173)冬

 他の者は牛若のこの行動を知らなかった。

 とはいえこのような行動が人に知られずに済むはずがない。


 一年ほど過ぎた頃、牛若のお世話を担当している和泉坊という法師が、牛若の不審な行動に気がついた。

 そしてこれはただ事ではないだろうと察し、牛若から目を離さないようになった。


 ある夜のこと。

 敷妙の腹巻を身にまとい、黄金作りの太刀を佩いた牛若のあとを隠れてついていき、草むらの陰から様子を見守っていると、天狗と早業の訓練をしているではないか。

[訳者注――この時点で義脛が大天狗の太刀を持っている描写があるので剣術の腕前はかなりのものであったと考えられる]

 和泉坊は急いで鞍馬寺へ帰って東光坊に事の次第を報告した。


 この報告を聞いた東光坊は大変驚いた。

 そして良智坊の阿闍梨にこのことを告げ、そして寺じゅうに「牛若殿の御髪をお剃りするのだ」と知らせた。


 これを聞いた良智坊は


「幼い者であっても見た目は気にするべきでしょう。牛若殿の顔立ちはとても素晴らしいものです。今年受戒させるのはかわいそうではありませんか。来年の春頃にお剃りするのではいかがでしょうか」

[訳者注――この記述により牛若が美形であることがうかがえる]

 と述べた。

 だが東光坊は譲らない。


「誰であっても髪を剃って僧の姿にするのは名残惜しいと思うでしょう。ですがこのように身勝手な行動をされては、我が身にも、御身にとってもよくないのではありませんか。すぐに髪を剃るべきです」

[訳者注――東光坊の言葉は「牛若、鞍馬寺に入るの事」に通ずる]

 牛若殿はたとえ誰であろうと近寄って髪を剃ろうとする者は突き刺してやろうと刀の柄に手をかけている。

 そうなっては誰も近寄って髪を剃ることはできそうにない。


 覚日坊の律師は


「ここは多くの人が集まる寄合所で静かな場所ではありません。そんな場所ですから学問に身が入らないのでしょう。私のところは外れにありますから牛若殿も心静かに学問をされてはいかがでしょうか」


 と申し入れた。


 東光坊も流石に牛若のことをかわいそうだと思われたのか覚日坊のところへ身柄を預けることにした。


 この時から牛若は名前を変え、遮那王(しゃなおう)殿と呼ばれるようになった。

[訳者注――遮那は毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)の略で身光、智光の大光明で全宇宙を照らす仏のことを言う]

 それからは貴船へ詣でることはなくなった。

 そのかわり、毎日、多聞天のお堂に入って謀反のことをお祈りするようになったのだった。

毬杖(ぎっちょう)

(まり)を木製の杖で打ち合って相手の陣に打ち込む遊びのこと。

平安時代の終わり頃から子供たちの遊びとして広まり、鎌倉時代には男の子の代表的な遊びだった。

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