第2話 常盤、都落ちの事
文字数 2,595文字
■永暦元年(1160)1月
一月十七日の朝早くのこと。
常盤は三人の子供を連れて親しい者を頼りに大和国(奈良県)の
しかし世の中は混乱の最中であり、頼ることができなかった。
そこでその国の大東寺というところに身を寄せて密かに暮らすことにした。
常盤の母で関屋という者が京の
平家は
その話を聞いた常盤は深く悲しんだという。
母親の命を助けようとすれば、三人の子供は斬られてしまう。しかし子供たちを助けようとすれば年老いた親が死んでしまう。
どうして子供と親を同じように扱うことができるだろうかと常盤は苦悩した。
しかし親孝行をする者は大地を司る神様が守って下さると言われている。それならば子供のためにもなるだろうと考え、三人を連れて泣く泣く京へ向かうことにした。
常盤が京へ向かったのが六波羅に伝わったので、
捕らえたからには火で焼き、水に沈めてやろうと平清盛は考えていたのだが、常盤を見て考えがすっかり変わってしまう。
常盤がこの上もないほど美人だったのである。
九条院の雑仕女を選ぶにあたり
そこで京都中から顔立ちがよく美しい女を千人集め、その中から百人、さらに百人の中から十人、さらにさらに十人の中から最も聡明で美女であった一人を選んだのだが、それが常盤だった。
捕らえられた常盤はすっかり消沈した様子で、
清盛も美女には見慣れていたのだが、裾からのぞいている常盤の白い足を目にした瞬間、全身に稲妻が走った。
すっかり常盤の虜となった清盛は自分のものになるのであれば三人の子供を助けてやってもよいと懐柔しようとした。
その執着ぶりは常軌を逸していた。
この先、三人の子が平家の子孫にとってどのような敵になったとしても助けてやってもいいと考えるほどでだったのである。
だが常盤は清盛の提案を受け入れようとしない。
そこで頼方と景清に命じて、常盤たちを七条朱雀に置くことにした。
さらに頼方のはからいで毎日交代で護衛の武士をつけさせた。
相手は四十過ぎのおっさんだが時の権力者でもある。いつ気が変わって子供たちが処分されるかもわからない。
そのためついに常盤は清盛の妾になることを承諾した。
今若は八歳の春の頃から観音寺で学問を学ばせ、十八歳には正式な僧侶となる。それからは禅師の君と呼ばれるようになった。
その後、駿河国(静岡県)の富士の裾で暮らすようになり、人々からは
乙若は八条で暮らす僧侶だったが、腹黒いところがある怖ろしい人物であった。
賀茂、春日、稲荷、祇園などで祭りがあるたびに平家を狙ったのである。
後に紀伊国(和歌山県)で雌伏していた源
牛若は四歳になるまでは常盤と共に暮らしていたが、世間の幼い者たちよりも気立てがよく、振舞いも優れていた。
また常盤に非常に懐いており、いつも母の足にまとわりついていたという。
清盛は牛若のことを常から気にかけており、「仇である子をこのままずっと同じ場所で育てるのもどうだろうか(常盤の足は儂のものだからそこをどけ)」と言った。
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当時、平氏の拠点であった場所。平氏の都落ち後、頼朝に与えられる。
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平
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平景清ともよばれる非常に勇猛な人物。