第16話 義脛の最初の臣下、伊勢三郎の事4

文字数 1,332文字

■承安4年(1174)2月

 下野国の室八島を目的の場所と定め、宇都宮の二荒山神社を参拝し、行方の原に差しかかった。


 かつて藤原実方(さねかた)中将が安達ヶ原(福島県二本松市)の野辺の白真弓を、押し張り素引きして肩にかけ、知らないうちは恐れぬが、知った後は恐れてしまうのが口惜しいと歌に詠んだ場所である。


 その安達ヶ原を見ながら通り過ぎ、浅香沼には菖蒲の草が生い茂り、その影を映す浅香山、着慣れた信夫の里の摺衣を着て、などと詠まれたいう名所を眺め、伊達郡(福島県伊達郡)の阿津賀志山(あつかしやま)を越えた。


 まだ夜明け前の頃だったが、先を行く人の足音を聞き、この山はこの辺りでも名のある山なのだろう。追いついて聞いてみようと追いかけみると、それは先に出発していた吉次であった。


 吉次は商人らしくあちこちに立ち寄りながら商売をしていたので、九日前に出発していたが、こうして追いつくことができたのだった。

[訳者注――吉次は商品を先に送り出していたはずだが、道々で名産品を購入していたのかもしれない]

 吉次は義脛を見つけてとても喜ばしく思った。

 義脛もまた吉次と会えて喜んでいた。


「陵の件はどうなったのですか」


「頼りにならないと思ったから、屋敷に火をかけてすべて焼き払ってからこちらへ来たのだ」


 それを聞いた吉次は、今、目の前でその光景を見てしまったかのように恐ろしく思った。

[訳者注――人に会いに行ってその館を焼き討ちした義脛を恐ろしく思うのは当然であろう]

「と、ところでお供のお方はどちら様でしょうか」


「上野の足柄の者である」


「今はお供を必要としていません。奥州に到着してから、改めて上野国を通る時に訪ねるのがいいでしょう。あとに残してきた家族が悲しむのもかわいそうというもの。事が起きたその時にこそお供をされるのがいいでしょう」

[訳者注――道中の安全を考えれば偉丈夫である義盛に同行してもらうのがよいはずだが、義脛を連れ来た褒美目当ての吉次からすれば同行者は自分一人のがよいと思ったのであろうか]

 吉次からさまざまに言葉を尽くして諭されたので、伊勢義盛は上野へ戻ることになった。


 この時(1174)から治承四年(1180)まで伊勢義盛は長いこと待ち続けることになる。

[訳者注――気の長いことであるが、奥さんは喜んだかもしれない]

 こうして夜を日についで奥州へ下っていくと、武隈の松(宮城県岩沼市)、阿武隈川という名所名所を通り過ぎていった。

 宮城野原(宮城県仙台市)、躑躅岡(宮城県仙台市)を眺めて、千賀ノ浦にある鹽竈神社(宮城県塩竈市)に参詣をした。


 あたりの松、まがきの島を見て、見仏上人の旧蹟である松島を拝み、紫大明神(宮城県仙台市)の御前で祈誓をして、姉歯の松(宮城県栗原市)を見て、栗原(宮城県栗原市)に着いた。

[訳者注――あちこちの神社に参拝をしているが、この時代は神仏へのお参りは欠かせないことであった]
 吉次は栗原寺の別当の許に義脛を連れて行き、自分は平泉を目指して下って行った。
[訳者注――平泉までおよそ30キロである]

・藤原実方(さねかた)

平安時代中期の貴族・歌人。

風流人としても知られ、源氏物語の主人公、光源氏のモデルの一人とも言われる。

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