第34話 頼朝が謀反を起こすの事2

文字数 1,458文字

■治承4年(1180)8月

 葛西、豊田、浦上たちも上総介のところへ馳せ参じ、千葉介と上総介が大将となって三千騎を貝渕(木更津市)の浜に馳せきて源氏に味方した。

[訳者注――一説では2万騎を率いていたという資料もある。ともかく広常が大勢力を有していたのは間違いない]

 今や頼朝殿の軍勢は四万あまりになっており、上総の館に到着した。


 こうしているうちにも時間が経っているとはいえ、もともと関東の八か国は源氏に心を寄せている国であったので、我も我もと馳せ参じてきた。


 常陸国(茨城県)では宍戸、行方、志田、東条、佐竹別当秀義(さたけべっとうひでよし)、武市太郎、新発意道綱たちが。

[訳者注――史実では佐竹秀義は治承四年十一月に起きた金砂城(かなさじょう)の戦いで頼朝に敗れて逃亡している]

 上野国(群馬県)では大胡太郎、山上信高。

 武蔵国は川越重房、同じく喜三郎重義が。

 党では丹、横山、猪俣らが馳せ参じた。


 畠山と稲毛はまだ来ていない。

 なお、秩父庄司と小山田別当は京にいるために不参加である。


 相模国(神奈川県)では本間、渋谷が馳せ参じたが、大庭、股野、山内は来なかった。


 治承四年九月十一日に、頼朝は武蔵と下野の境である松戸の庄、市川という場所に着いた。軍勢は八万九千にものぼると言われている。


 ここには坂東でも名高い大河がある。

 この利根川の水源は上野国刀根の庄、藤原という所から落ちているので随分と水源は遠い場所にある。


 川下は在原業平が墨田川と名付けた。

 この川は海から潮が上がってきて、上流では雨が降りっているので洪水が岸を越えていた。

 それはまるで海のようで、この洪水のために五日間逗留した。


 川を渡った二カ所に陣を張った者がいた。

 櫓を建て、その櫓の柱に馬を繋ぎ、源氏を待ち構えている。


 頼朝殿はこれを見てこう言った。


「誰かあの者の首をとれ」


 江戸太郎(江戸(えど)重長(しげなが))はこれを伝え聞くと急いで櫓の柱を切って筏にして川を渡り、葛西兵衛に頼んで頼朝との対面を願い出た。しかしそれは受け入れられなかった。


 重ねて願い出たが頼朝の態度は変わらない。


「どう考えても頼朝を妬んでいるようにしか思えぬ。伊勢加藤次よ、油断するでない」

[訳者注――史実では石橋山の戦いで頼朝の軍と重長は戦っているが、のちに頼朝に帰伏している]

 これを聞いた江戸太郎は顔色を失っていた。


 そこで千葉介は近くにいながら黙っているのもどうだろう、ともかく言上してみようと頼朝殿に畏まって江戸太郎を不憫に思って欲しいと願い出た。


「江戸太郎といえば関東八か国でも大金持ちと聞いている。軍勢がこの二、三日、洪水によって足止めを受けている。川を渡るために舟で浮橋を組み、我が軍勢を武蔵国の王子、板橋へ渡すのだ」

[訳者注――無茶ぶりである]

 江戸太郎はこの頼朝の発言にこう答えた。


「たとえ首をとると言われてもそれは無理でございます」

[訳者注――四万の軍勢を洪水になった川の向こうへ渡すのは簡単なことではない]

 それを聞いていた千葉介は葛西兵衛を招き寄せてこう言った。


「ここは江戸太郎を助けてやろう」


 二人は知行地である今井、栗河、亀無、牛島という場所から漁師の釣り船を数千艘も召し上げた。


 江戸太郎の知行地である石浜というところでは折よく西国の舟が数千艘も到着していたのでこれも召し上げた。


 そして江戸太郎と力を合わせ、三日の内に浮橋を組んだ。


 頼朝殿はこれを見て、殊勝であると仰った。


 こうして江戸川、墨田川を越えて武蔵国の板橋に着いた。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

訳者注

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色