第17話 義脛、秀衡にはじめて対面の事
文字数 2,379文字
■承安4年(1174)2月
吉次は急いで義脛が到着したことを
折り悪く秀衡は風邪をひいて寝ていたが、次男だが嫡子である
「やはりそうであったか。先だって、黄色の鳩が儂の屋敷に飛びこんでくる夢を見たのだ。もしかしたら源氏の者が訪ねてくるのではと思っておった。義朝殿の若君が下ってきてくださったとは喜ばしいことである。儂を起こしてくれ」
肩を借りて立ち上がると、秀衡は烏帽子を手に取って引き被り、直垂を羽織った。
「義脛殿は幼くはあるが、
[訳者注――仁義礼智信は儒教の常に守るべき5つの項目(
義脛は栗原寺の僧、五十人に見送られて平泉に入ることになった。
義脛を迎え入れた秀衡は言った。
「ここまではるばる訪ねていただき、返す返すも大変ありがたく存じ上げます。私は陸奥国と出羽国を支配しておりますが、思うように振る舞えるわけではございませんでした。ですが今はなんの遠慮をすることがあるでしょう」
そして泰衡を呼ぶ。
「陸奥国と出羽国から大名三百六十人を選んで、日替わりで饗応させ、このお方をお守りせよ」
それから義脛に向かってこう言った。
「引出物として十八万騎いる郎等から八万騎を義脛殿へ差し上げます。願わくば残りの十万騎を私の二人の息子に賜りますようお願いいたします」
次に吉次に向かって言った。
「ひとまず義脛殿へのことは置くとして、吉次がお供を申し出なければ殿がお下りになることはなかったはずだ。秀衡を秀衡だと思ってくれる者は吉次に引出物をやって欲しい」
すると嫡子の泰衡は白い皮を百枚、鷲の矢羽を百組、銀を張った鞍と立派な馬を三匹与えた。
忠衡も兄に劣らない引出物を渡した。
そのほかの家来たちも立派な物を与えた。
秀衡はこれを見て口を開いた。
「獣の皮も鷲の尾も、なんの不足もないだろう。儂はお主の好む物もとらせよう」
そして
吉次は義脛のお供をし、道中で命を助けられたばかりか、こんなに多くの贈り物をもらうことができた。
これこそ多聞天の後利益であろうと思った。
こうして商売もせずに十分な利益を上げた。
なんの不足もないと吉次は思い、急いで京へ上っていった。
■承安5年(1175)1月
こうしてこの年は暮れて、義脛は十七歳になった。
そのまま義脛は日々を過ごしていたが、秀衡は何も言わなかった。
義脛の方も「旗揚げをどうすべきだろうか」とおっしゃることもなかった。
しかしながら、都にいれば学問ができるし、平家の様子を見ることだってできる。
だが奥州にいてはそれもかなわない。
だったら都へ上ろうと考えるようになった。
だが泰衡にそれを言ってもよい返事はしないだろうから、教えずに出発することにした。
そしてちょっとした外出のような素振りで京へ上っていった。
・藤原
藤原秀衡の次男で奥州藤原氏第四代(最後)の当主。
兄に
・藤原
藤原秀衡の三男。