第48話 土佐坊、義脛の討手として京に上る事7

文字数 2,386文字

■文治元年(1185)10月

 義脛は大黒という馬に金覆輪(きんぷくりん)の鞍を置いて、赤地の錦の直垂に、緋縅の鎧、鍬形を打った白星の兜の緒を締め、黄金作りの太刀を佩き、切斑(きりう)の矢を背負い、滋籐(しげとう)の弓の真ん中を握り、馬を引き寄せてそれに跨り、大庭に駆け出た。

[訳者注――金覆輪の鞍は、金または金色の金属で装飾した鞍のこと]
[訳者注――緋縅の鎧は、赤革・赤糸などで威した鎧のこと]

 蹴鞠場のかかりで「喜三太」と声をかける。

 すると喜三太はこう言った。


「配下のいない身分の低い者だが、気心の強さを認められ、今夜の先駆けを命じられた喜三太と申す者。年は二十三歳である。我はと思う者は近寄ってきて戦え」


 土佐坊はこれを聞き、心穏やかではなく、扉の隙へ狙い寄り、十三束の矢をしっかりと引いてひゅんと射た。

[訳者注――ここで土佐坊が動揺したのは、一番下の身分である喜三太ですらこの強さであることを実感したからか]

 放たれた矢は喜三太の左手の肩のたれに、矢羽ぶくらまで突き刺さった。


 喜三太は手にしていた弓を投げ捨て、大長刀の真ん中を持って門の扉を左右に押し開き、敷居を踏んで待ち構える。

 敵は轡を並べ、大声を上げて駆け入ってくる。


 待ち受けていた喜三太は長刀を振りかぶり、散々に斬って捨てた。

 馬は首、胸板、前脚を次々に斬られて倒れる。

 馬が倒れて主が逆さまに落ちたところを長刀で刺し殺し、薙ぎ殺した。

 こうして多くの敵が討たれた。

[訳者注――ここまで出番もない従者でしかなかった喜三太の戦闘能力の高さである]

 しかしながら大勢で攻めて来ていたので、中に走り帰って義脛の馬の口に取りすがった。

 義脛が馬上から差し覗いてみると、胸板から下は血で赤く染まっている。


「手傷を負ったのか」


「そのようでございます」


「深手を負っているのならば引け」


「合戦の場に出て死ぬのは当たり前のこと」


 その喜三太の言葉に、義脛は「殊勝な者よ」と言った。


「なんにせよ、お前とこの義脛さえいれば」


 けれども、義脛は駆け出すことはしなかった。

 土佐坊もたやすく駆け入ることはできないないでいた。


 双方の軍が小康状態になっているところに武蔵坊が駆けつけた。

[訳者注――この時の義脛は積極的に打って出ようとはしていない。戦力差があまりに大きすぎてできなかったのではないかという分析もあるが、味方が集まってくるまでの時間稼ぎをしていたとも考えられる]

 実のところ武蔵坊は六条の宿所で横になっていた。

 今夜はどういうことか寝ることができない。おそらく土佐坊が京にいるからであろうか。

 それにしても義脛殿が気がかりだ。この弁慶をおそばから遠ざけようとしていたようにも思える。

 そんな気がかりがあったので、見回りをしてこようと思った。

[訳者注――さすが長年にわたり義脛に仕えていた弁慶というところか]
 古びた草摺だが、(さね)の状態のよい兵士鎧を着て、大太刀を佩き、棒を突いて、高下駄を履いて、義脛の宿所へ向けてからりからりと音をさせながら向かった。
[訳者注――札は鎧に使われる平で小さな鉄の板のこと。これを繋ぎ合わせて鎧とする]

 大門は閂がされているだろうからと、小門から入った。

 馬屋の後ろに来ると大庭からたくさんの馬の足音が聞こえてくるのはまるで地震でも起きているかのようである。


 ああ、なんということか、早くも敵が押し寄せてきたのだなと思い、馬屋に入ってみる。

 そこには義脛の大黒がいない。


 今夜の戦に乗っていったのだと思い、東の中門に上ってみれば、義脛が喜三太だけを従者として連れ、ただ一騎で控えている。


 弁慶は義脛を見て、


「やれやれ、ご無事であったか。しかしながら憎らしいことよ。あれほどわしが警戒するように申し上げたのに聞き入れず、胆をつぶされたことだろう」


「いや、待てよ。もしかしたら土佐坊の奴が襲ってきやすいように侍たちを遠ざけたのではないか。あのお方ならば十分に考えられる。恐ろしいことだ」

[訳者注――他者によって作戦の意図を語らせることで義脛の優秀さを描写している]

 と呟くと、縁の板を踏みならし、西へ向かってどすどすと走っていく。


 義脛は、すわ敵かと思い、差し覗いてみると、鎧を着た大柄の法師が近づいてくる。


 土佐坊の奴が後ろから屋敷に入ってきたのかと思い、矢を番えて馬を打ち寄せる。


「そこを通る法師は誰か。名を名乗れ。名乗らないまま討たれたいか」


 そう義脛が言ったのだが、丈夫な鎧を着ているからか、簡単には射貫かれないと思っているからか、なにも言わないでいる。


 義脛も射損じることもあるかと思い、矢を箙に戻し、太刀の柄に手をかけた。そしてすらりと抜き放つ。

[訳者注――夜も更けており暗い状態なので相手を視認しにくいのもあるが、天狗に剣術を習った義脛は弓よりも剣を得意にしていたと考えるのが自然か。相手(弁慶)が弓を持っていないのならば、自分の得意とする剣で戦った方がよいと判断したのであろう]

「誰だ。名乗らぬままで斬られたいか」


「我が殿は太刀を持っては樊かいや張良にも劣らぬお方だ」

[訳者注――『弁慶、洛中にて人の太刀を取りし事』にもあるように、弁慶は義脛から刀を奪おうとして負けたことがある]

 近づいてきた弁慶はそう思い、こう言った。


「遠からん者は音にも聞け。今は近いのだから目にも見よ。天児屋根(あめのこやねのみこと)の子孫、熊野別当の弁生(べんしょう)の嫡子、西塔の武蔵坊弁慶といい、義脛殿の身内で一騎当千の者である」


「法師の戯言とはいえ、面白いことを言うのは時と場合によるぞ」


「そう申されますが、命じられれば、こうして名乗るよりほかにありますまい」


 と弁慶はなおもふざけていった。

[訳者注――義脛と弁慶の気心の知れたやり取りは、二人の特別な主従関係をうかがわせる描写である]
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