15. 命にかえても

文字数 2,309文字

 噴水(ふんすい)()え間ない水音が柱廊(ちゅうろう)に囲まれた中庭から聞こえてくる。ギルに手を引かれて、シャナイアは月光が射しこむその小さなバラ園に入っていった。

「まあ、ここにはさっき来なかったわ。」
「だろうと思った。きっと、空中庭園の方へ案内されたんじゃないかとね。」

 シャナイアは首をめぐらして、白や淡い色の花びらばかりで(いろど)られているバラ園を眺め回した。風の影響を受けにくい小さな中庭ということもあってか、灯りは低い(はしら)にランタンをかけたような蝋燭灯(ろうそくとう)がポツポツと立っているだけ。

「綺麗だわ、綺麗・・・とても。ここにはたいした照明はないけれど、この自然さがきっといいのね。もしかして、それで私を?」
「ああ。君は女性だから、興味もあるだろうと思ったんだ。それに、派手な大庭園よりも、奥ゆかしいここの方が君に似合いそうだったから。」
「口が上手ね。(にく)らしいくらい。」
「考えて(しゃべ)っちゃいないよ。」

 ギルのそばを離れたシャナイアは、水音がかすかに聞き取れる噴水の方へ向かった。その少しあとからギルもついて歩いた。

「本当はどんな色をしているのかしら。昼間ならもっと美しいでしょうに。」
「だが、この方が神秘的だ。月明かりに照らされた花々。ほら、あの白バラをごらん。散りばめられた(しずく)が光り輝いて、ともすれば妖艶(ようえん)な美しさでさえある。」
「ほんと、うっとりしちゃう。あ、ねえ見て!」

 噴水を見つけたシャナイアは、そばのフェンスから伸びている(つる)バラが噴水の(ふち)にまで()っているのを見て、嬉しそうに近づいて行った。そこで上品に足をそろえて(ふち)に腰をおろしたシャナイアは、小動物を見つめるようなほほ笑みを浮かべて手元のバラに見惚(みと)れている。

「ねえ、ほら。来て。」

 ところがギルは一歩も動かず、ただ恍惚(こうこつ)とした顔で(たたず)んだままだ。

 月光で輝く水面を背後に、青白い光の中で、淡いバラに囲まれている亜麻色の髪の美女・・・まさしく(あで)やかな美しさ・・・ああ、すごくいい。

 シャナイアは首をかしげた。
「・・・ギル?」

「ああ、いや・・・あまりにも綺麗で。そこにそうしていると、君はまるで愛と美の女神だ。」
 そんなセリフが、意図(いと)せずギルの口をついた。

 彼の言葉としては珍しくもなかったが、いつになく真剣な表情と口調で、そんなセリフを恥ずかし気もなく言ってくるとは、シャナイアもさすがにドキッとした。いつもなら調子のいい笑顔と声で口にするようなことなのに。

「あ、あら、ありふれた口説(くど)き文句。でもいいわ、それでも。」

 シャナイアは少しはにかんだ顔で、フフ・・・と笑った。
 それがさらに、ギルの目にはたまらなく可愛く映った。理性が飛ぶかと思ったほどだ。

「シャナイア!」

 不意に名前を叫ばれたシャナイアは、反射的にギルの目を見上げる。すると驚いている間に手を引かれて立ち上がり、彼のもう片手が腰に(から)みついて、手を握られた方の腕は自然に背中へ回されていた。
 シャナイアは人形のように固まってしまった。なのに鼓動(こどう)はドキドキとうるさく、たちまち体も火照(ほて)りだしたが、こんなに大胆に抱きすくめられては腕を動かすこともできず、最初声も上がらなかった。

「え・・・な、なに?」 
「君は必ず俺が守る。何があろうとも守ってみせる。だから・・・」
「だ、だから?」

「身代わりになってくれ。」

「・・・は?」

「いや、その・・・実は・・・。」

 ギルは理性を保つことに気をとられていたこともあり、続いて単刀直入に説明してしまった。

 つまり、勝負に負けて引き受けたのだと。

 夜風がすうっと吹き抜けていくあいだ、シャナイアの顔がみるみるムッとしたものになる。

「何よそれ、信じらんない!」

 シャナイアは強引に身をよじって、居心地の悪くなった彼の抱擁(ほうよう)から逃れると、大股でさきさき歩き出した。それを、ギルもどうにか取り(つくろ)おうと(あわ)てて追いかける。

「だから私を誘ったのね、嘘つき!私を落として、そして言うこときかせるために、軽はずみにあんな・・・!」
「違う!それは違うぞ!」
「もう、知らない!」
「シャナイア、誤解だ、待ってくれ。」



 ファライアは首をひねっていた。それから振り返って、窓越しに再び兄を手招く。
「いらしてお兄様。様子がおかしくなりましたわ。」

 ディオマルクもまたソファーから立ち上がって、再度バルコニーに出た。そして、そこから下をのぞいて、(あわ)てふためいている情けのない男を確認。

「おや・・・それは困ったな。結局、余が参らねばならぬのか。」
 


 シャナイアは、ちょうどその二人が眺め下ろしている方へと、真っ直ぐに進んでいた。ギルが懸命に腕をつかみ取ろうとするのを(あら)っぽく振りほどきながら。

「どこも行きやしないわよ、一人で歩きたいの、先に戻って!」
「シャナイア!」

 ギルはめげずに、また彼女の腕をとった。今度はそのまま、勢い任せにたぐり寄せる。そのあまりの力強さには(かな)わず、シャナイアは彼の腕の中で子供のように暴れだした。

「放して!放してったら、もうっ!あなたなんて ―― ?」

 突然、頭に手を回されたかと思うと、唇で口を塞がれた。

 生温(なまぬる)くて、心地よくて、甘い・・・。

 え、キスされたの・・・!?

 シャナイアは混乱して、すっかり無抵抗になってしまった。なのに、腰に絡みついた(たくま)しい腕は、長い接吻(くちづけ)の間に次第に力を増して、少し萎え始めた体をぐいぐいと締め付けていく。
 シャナイアは驚いて目を瞬いたが、その情熱的な抱擁(ほうよう)に不覚にもとろけてしまい、心を(なだ)めすかされてしまった。

 それでもギルは腕を(ほど)こうとしなかった。まだ足りなくて・・・だから、彼女の(なめ)らかな肩とくびれた腰をいつまでも強く抱き締めているまま、神に誓った。

「俺が守る・・・命に代えても。」
 




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