31.告白

文字数 2,853文字


 反射的に、ギルはベッドを振り返った。それから腰を上げ、できるだけ自然な態度でシャナイアのそばに立った。

「お目覚めで?」

 シャナイアは放心状態といった(うつ)ろな瞳で、ギルを見上げている。

「・・・私、確か・・・皆は?」
「いや、皆とははぐれちまった。」
「じゃあ・・・どうして・・・。」
「あのあと俺も夢中で・・・気がついたら、君を追ってた。」
 シャナイアの目にふっと涙が浮かんだ。
「ごめんなさい・・・私のせいで。」
 背中を向けてベッドのふちに腰を下ろしたギルは、シャナイアを振り返って、屈託(くったく)なくほほ笑んでみせる。
「守るって約束したろ。命に代えてもってな。」

 シャナイアの目に溜まっていた涙が、そのままこめかみを伝って落ちた。
 ギルは微笑して、涙のあとを指でなぞった。

「どこか・・・痛いところはないか。」
「ええ。私は平気。」
「よかった。キースがいいところに現れて、助けてくれたからな。」
「キース?」
「リューイに言われて、すぐに俺たちを追ってきてくれたみたいだ。ほら、そこで寝てるだろ。俺たちが今こうしていられるのも、キースのおかげさ。」

 シャナイアは、ギルが目で示した方を見た。
 前後の足に包帯を巻きつけた黒い獣が、暖炉(だんろ)の前でおとなしく伏せている。

「キースも、私のせいでケガしちゃったのね・・・。」
 シャナイアは申し訳なく思いながらそう呟くと同時に、真っ先に気使うべきことを迂闊(うかつ)にも今思い出して、勢いよく体を起こした。
「そうだわ、ギル、あなた腕の傷 ――!」
「待て、急に起きるな!」

 腰をひねって話をしていたギルは、あわてて前を向いた。
 その拍子に胸からずり落ちるものの感触に気付いて、シャナイアの方は下を向く。

「え・・・やだっ、そういえばっ!」
 シャナイアは、急いで上掛けをたくし上げた。
「そういえば・・・服・・・全部濡れて・・・。」
「・・・たから、今乾かしてて・・・それで、その・・・。」

 ギルは結局、不恰好(ぶかっこう)にもしどろもどろになってしまい、横目使いにちらりとシャナイアの目を見た。
 シャナイアは上掛け布団を胸の前で握り締め、唖然(あぜん)とギルの顔をうかがっている。
 体裁(ていさい)の悪いことといったらなかった。

「ごめん・・・。俺、向こう行ってる。」

 ギルはこの気まずさに耐えきれなくなり、ただ一言そう言って立ち上がると、暖炉の方ではなく小さな格子(こうし)窓へ向かった。

 日もすっかり暮れて、そこからは冷たい冷気が滑り込んできていた。

 ギルは寒さに震えながら、窓越しに見える雨と闇をじっと見つめて顔を曇らせた。
「あいつら心配してる・・・よな。」

 しばらくそうしていると、背後からシャナイアが近づいてくるのが分かった。が、ギルは妙に緊張して振り向くことができなかった。シーツ一枚の姿でいる気になる美女と、何事もなく朝まで過ごせたら奇跡だと思った。

「風邪ひくわよ、そんな格好じゃあ。」

 ギルは息を呑みこんだ。背中に・・・柔らかくて温かい(ほお)と、サラッとした生地が当たる感触がした。それから、細くて形の良い綺麗な手が、脇の下から胸の前へと伸びてきた。その手にそっと触れて、ギルは胸の鼓動(こどう)に戸惑いながら、半分だけ体を向けた。

「ありがとね、私のために・・・。」

 シャナイアはギルの負傷している腕をとり、その傷口にいい加減に巻かれているタオルを恐る恐る(めく)ってみた。その瞳に(かげ)が落ちる・・・。彼の左の前腕(ぜんわん)の皮膚は、無事なところがほとんどないほどに傷つき、血に濡れていた。

「ひどい傷・・・痛むでしょう? ちゃんと手当てしなきゃダメよ。」

 シャナイアはギルのそばを離れると、小屋の隅に置いてある大きな水甕(みずがめ)から水を(おけ)に移して、それを暖炉の前に置いた。そして、黙って見ていたギルの手を引いてそちらの方へ誘導し、水を満たした(おけ)の上で、彼の傷ついた腕をそうっと洗い始めた。

「うっ・・・。」

 小屋の前の井戸から汲んできたのだろうその冷たい水は、恐れた通り容赦なく傷に()みて、ギルは思わず(うめ)いた。

「ごめんなさい、でも、これくらいの応急処置はしておかないと。」

 シャナイアは濡れたその腕をタオルで優しく拭いてやり、ギルが置きっぱなしにしていた薬箱を開けた。ギルがキースの手当てにも使用した、いわゆるワセリン程度の塗り薬と包帯が使えそうである。シャナイアはその薬を指先ですくい取って、彼の傷をなぞった。

 丁寧に包帯を巻いてひとまず手当てが済むと、二人は相手の顔をうかがった・・・互いに、言葉が見つからない。見つからないままに、ただ見つめ合った。

 その沈黙が重くて、ギルは必死に言葉を探した。彼女も同じ気持ちでいるのか、綺麗な肩のラインや豊かな胸元を露出させての、そんな困ったような魅惑的な表情を真正面にしていては、また強引(ごういん)に唇・・・どころか、体まで奪ってしまいそうになる。

 ギルは、やっと思いついて口を開いた。
「そうだ、どちらの剣も幸い無事だったよ。すぐに(さや)から抜いておいたが、手入れも必要だ。俺がしておくから、君はもうベッドで休むといい。ひどく疲れたろ。心配するな、俺はここでキースと眠るよ。」

 どうにかその場を(しの)ぐことができ、にこりとほほ笑んで立ち上がろうとしたギルの腕を、シャナイアはいきなり(つか)んだ。
 ギルは驚いて黙ったが、シャナイアも自分の行動に驚いて、彼の腕を握り締めておきながらなかなか言葉が出てこず、彼の顔もまともに見ることができずに目を()らしている。

「あの・・・」
「・・・あの?」

 ギルは唖然とした。彼女がそんなふうに改まった(しゃべ)り方をしてきたことなど、これまでなかった。

「あの、聞き流してくれたら・・・いいんだけど・・・もう、止められそうにないから・・・。」
 うつむいて話す彼女の声は、ギルにははっきりと聞き取ることができないほど小さかった。
「え・・・ごめん、何?」
「あなたが、あの庭園で私のこと守るって言ってくれた時、すごく嬉しかった。でも・・・あなたは帝国の皇太子で・・・私・・・自分の気持ちに気付くのが・・・認めるのがずっと怖かったの。だけど・・・止められない・・・。」

 シャナイアは思い切ったように顔を上げ、聞こえる声ではっきりと伝えた。
「本気で好きなのよ。」

 ギルは彼女の(りん)とした、今は少し(うる)んだ瞳を黙って見つめ返していたが、何かふっきれたように手を伸ばして彼女の(ひじ)をつかむと、グイと自分の胸までたぐり寄せて強く抱きしめた。

「あの時・・・君を失うのが怖くて・・・もの凄い喪失(そうしつ)感が俺を突き動かした・・・。ずっと気になってた・・・出会ってからずっと・・・。」
 ギルも確かな声で告げた。
「俺も・・・気付いたみたいだ。」

 そのセリフを聞き取ったとき、シャナイアは一瞬耳を疑った。一方的な恋だとばかり思っていた。夢じゃなかろうかとも考えたが、(たかぶ)る感情はどうしようもなかった。

 そして甘美(かんび)な声で短い言葉を囁かれたギルは、たちまち体がざわめきだすのを(こら)えて一口息を飲み込むと、落ち着いて確認する。

「それも・・・本気か。」

 ギルの腕の中で、シャナイアの頭が(たて)に動いた。




ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み