第二十六幕!奪還

文字数 10,959文字

 蒼と紗宙が司の間から逃れたあと、部屋の中が惨劇に包まれた。和尚は、迫り来る敵の群れをことごとく殺戮したが、一向に減ることを知らない攻撃に耐えきれず、ついに床に膝をついた。拳銃の弾が体のいたるところを貫き、彼の周りは血肉の沼となる。そんな和尚を金友が嘲笑う。


「坊主、もう諦めたらどうだ。」


「降伏する気など一切ないわい...。」


 和尚は苦しさを押し殺した。すると、金友の口角が上がる。


「強情なお方だ。ならば、その根比べに答えてやらんといかんな。」


 金友が指示を出すと、仙台官軍の精鋭達が一斉に和尚を押さえ込んだ。いくら和尚が天下無双の武闘家だとしても、体力も気力も限界を超えたこの状況。軍の精鋭部隊に押さえ込まれては、なすすべがなかった。
 和尚は、金友の前まで連れてこられると、無理やり痺れガスを顔に吹きかけられた。身体が思うように動かなくなり、思考も鈍くなっていく。


「我が教団の優秀な学者が作った麻酔ガスだ。すぐに抵抗したがる分からず屋は、まず動きを封じないとな。」


「この卑怯者めが。」


「卑怯?この無法者が蔓延する日本社会は、手段を選んでいたら良くすることはできないだろう。」


「確かにそうかもしれん!だがお前が望む良い国とは、お前にとって都合が良い国ということじゃ!そんなこと許すわけにはいかん!」


「老いぼれよ、何を言っているのだ。我は、全ての生き物の創世者である神の代理であり、我の望みはすなわち民の望みなのだ。都合の良い国に変えて当然であろう。」


 頭が狂っている。そうとしか考えられない彼の主張に、和尚は胸糞悪さを覚える。


「ふざけおって!お前が自分勝手に振る舞えるのも時間の問題じゃぞ!」


「何が言いたい。」


 金友の目つきが鋭くなる。和尚は、ひよることなく彼を皮肉る。


「お前の野望を打ち砕く者はいずれ現れる。いや、もう現れておるかもな。」


「ほお、そんな不届き者がこの世界にいるというのか。頭の悪い平和ボケした日本の政治家か、はたまたは国際連合のことかな?それとも...。」


「さあのう。青い炎が貴様を焼き尽くすじゃろうな。」


 金友は、声を上げて笑っているが、目は一切笑っていない。青い炎、その一言で何を意味しているのかを察したのだろう。なぜ教祖である自分が、一般人上がりの革命家なんかに殺されなくてはいけないのか。そんな和尚の予言に苛立ちを覚えたのだ。彼が信者達に命じる。


「この老いぼれは、神の威厳の前に頭がおかしくなってしまったようだ。目を覚まさせてあげなさい。」


 そのあと教団信者達による、和尚への数十分に及ぶ集団リンチが行われた。金友は、足の治療を受けながらその光景を見守った。
 リンチが一段落した頃には、和尚は言葉もろくに喋れないくらい衰弱していた。殺してしまって良いのか不安になった信者が金友に尋ねる。


「法王様、この老いぼれをいかがいたしましょう。」


 金友が指示を出そうとしたが、彼以上にリンチというショーを楽しんでいる人物がいた。それはもちろんリンだ。リンは、死に損ないの和尚を指差し、キャハキャハ笑いながら金友に提案する。


  「おじさーん。私さ、久々に人間花火とか見たいなー。」


「 ふふ、こやつの屍は人体実験に使わせようと考えておる。花火は面白いが塵になってしまっては意味がないのだ。」


 彼女は、残念そうにしょげたそぶりを見せる。けども、和尚が悔しそうな顔をしているのがわかると、彼女は再び楽しそうな表情に戻った。そして満面の笑みを浮かべるのだ。


「このお坊さんなんか喉乾いてるっぽいから、お湯でも飲ませてあげようよ。とーってもあっつい刺激的なお湯。」


「おお、それは良いな。きっとこの坊主も喜んであの世へ行ける筈だ。」


 金友は、目を見開いて同調すると、すぐに信者へ命じて、煮え立つ釜に入った大量の熱湯を用意させた。
 お湯が用意されると、リンが金友の許可をもらって柄杓を手にする。彼女は鉄の柄杓でお湯を掬うと、それを和尚の前まで持っていった。そして、和尚の目を見つめると幸せそうな表情を浮かべた。


「すぐには飲ませてあげないよ。」


 彼女が和尚の頭に、お湯を少しずつかける。和尚は、あまりの痛みに声をあげたくなるが、頑張ってこらえる。そして彼女を睨んだ。
 彼女は、ぶりっ子みたいに口を膨らませて不貞腐れたかのように見せると、すぐにその仮面を捨てて冷酷な目つきに戻る。そして、他人をなぶるような暴力的で冷めた顔で和尚を見つめた。


「もっと嬉しそうな顔、して欲しいんだけど。」


 この時に和尚は、ようやくリンの正体に気づき始めていた。その自らの思い出に眠る少女と、目の前の悪魔が記憶の糸で結ばれると、心へ非常に強い衝撃が走るのだ。


「お主...、まさか...。」


 リンは、すがるような姿勢で見上げてる和尚へ、ペットを手名づけるような声で答える。


「どこかで見たことあるー、とか言いたいの?」


「わしは...、仕...事で...学園ド...ラマの...演技の講...師をしてい...たことがある。そ..の...映画...で主役のヒロ...インを務め...ていた女...の子が...お主と瓜...二つなん...じゃ。」


 和尚の話を聞いたリンが、汚い物を見るように怪訝な顔をする。


「このお坊さん気持ち悪い。こんな時に女の子のこと考えちゃうなんて。」


 周りの信者達は、気づいた時には彼女の虜になっている。彼女に嫌悪感を抱かせた和尚へ怒りを覚え、更に苛烈な蹴る殴るの暴行を加える。
 だが、まだ和尚も負けてはいない。血を吐きながら話し続けた。


「観察...力に..は自信が...ある。声も...顔も...身長も...髪型も...そ..の..笑顔..も..まるっ...きり同じ。お主は...紛れ...もな...く...あ...の娘...じゃ...ろう。」


 リンは、前触れもなく淡々と熱湯を和尚の傷口に注入する。和尚がついに悲鳴をあげるのを眺め、彼女は満足そうに笑う。


「だったら何って感じなんですけど。羽前和尚さん♪」


 和尚が痛みをこらえながら答える。これだけの虐待を受けて喋り続けることは、容易なことではない。


「例の...事...件の後...失踪...し...たと...聞いたが....、ま...さか...こん...な所...で...再...会する...とは...。」


 リンは、過去を掘り返そうとする彼を、嫌悪感丸出しの表情で見下す。それでも和尚が話を止めることはない。


「なぜ...教団...なん...か...に...入信...し...たの...じゃ?」


 和尚の問いが、明らかに彼女を苛立たせていた。彼女の行動は、読めないことが多い。怒りの沸点が人とは違うのか、その狂気は突如として現れる。彼女は、和尚の頭を掴み、そのまま床に押し付け、擦り付ける。


「入信したなんて言ったかな?私はただ、この組織を手段として利用しているだけだよ。」


「お主...の...目的は...な...んじゃ?」


 リンは、鼻で笑うと、ただ一言こう答えるのだった。


「快楽。」


 そして彼女は、熱湯を和尚の両目に注ぎ込んだ。和尚が両目を抑えてもがき苦しむ姿を見て、子供のように無邪気な笑顔で大爆笑しながら、彼が痛みに狂う姿を鑑賞した。リンは、失明した和尚に顔を近づける。


「楽しいでしょ?」


「快...楽...のた...めだ...けにわ...ざわ...ざ...教団に....与すると...は...思...えん...がな...。」


「鋭いね。でも私、嘘ついてないよ。」


「あの...頃は...純...粋だっ...た。爽や...か...な...運動神...経...抜群の...モデ...ル...女子...の代..表...的...存在だっ...たお主が...どうし...て...ここ...ま...で堕ち...た...のじゃ。」


 苦しむ和尚を前にリンは、可憐で美しく、純粋な濁りのない真っ黒な笑みで嘲笑う。


「ふふ、私はずっと純粋だってば。あの頃も、今もね。」


 和尚は、彼女の昔を知っているが故に、悔しさが溢れ出してくる。それと同時に、彼の中にとある疑問が浮かんできた。


「不思...議な...ことじゃ...が。お主...の...顔が...10...年以上...前のあ...の...日から...何...一...つとして...変わ...ってい...ない。いっ..たい...何を...企ん...でおる...?」


 その話が出た途端、リンの表情が急に真顔になる。さっきまでのキャハキャハ笑う彼女とはまた違う、冷めていて無機質で感情を感じさせない顔だ。


「お前の話、飽きた。」


 彼女は、近くにいた信者に命じて和尚を立膝にさせた。そして、釜のお湯を彼の口へ一気に流しこませる。和尚の苦痛の叫びが館内に響き渡った。
 この男の体内の悪しき者が浄化されていくぞ、とか言いながら、信者達が盛り上がる。体内、そして喉を焼かれ和尚は、瀕死状態となった。けども、最後の力を振り絞って語る。


「お主...もき...っと..青の炎...に..焼か...れ、..死..にた..え...るであ...ろう。残...念...だ..、...ひと.つ..ば..し..り....。」


 彼は、彼女の名前を言い切ることなく息絶えた。その声がリンに届いていたかどうかは定かではない。しかしリンは、彼が死んだ後も彼の頭を足で踏み続け、近くの信者らに気がすむまで暴行をさせたのであった。


「そろそろ辞めておけ。我の大切な素材が劣化していくだけだ。」


 リンは、暗い笑みを浮かべ、金友の目をとらえて離さない。


「あーあ、仕方ないな。おじさんの為に止めてあげるね。」


 金友は、和尚を蹴り飛ばすと、哀れな顔で見下す。


「知り合いにも容赦がないのだな。」


「こんな人、知らないよ。私は私の目的の為に使える人間と、大好きなオモチャ以外はあんまり興味ないんだ。」


彼女の発言には、悪気というものが一切感じない。真っ直ぐでどこまでも純粋なのだ。そんな無邪気な顔で人を痛めつけることを楽しんでいるのだ。


「まあいい、我々は目的が違えど、これからもよろしく頼む。」


 彼女は、金友の言葉をクールに無視すると、ステンドガラスから顔を覗かせている月を見上げる。そして、涼しげな笑みを浮かべるのであった。


 ◇


 教団仙台支部の敷地内は、俺たちの侵入によって大混乱に陥った。俺は、紗宙を背負いながらも、なんとか施設からの脱走に成功する。それから、人通りの少ない道を選びつつ、死ぬ気で北へ向かって走った。
 寺での修行生活の成果も出たのか、そこそこの距離を駆け抜けることができた。だが、人を1人担ぎながらとなると、体力もそう長くは持たない。それに満身創痍の状態である。身体が動くたびに、折れた骨や傷口が悲鳴をあげるように痛んだ。
 街中では、白い服を着た信者どもと軍服をきた官軍将兵が、俺たち革命団の居場所をしらみつぶしに探している。このままでは、見つかるのも時間の問題だろう。
 その上で更なる問題ものっかてくる。所持していたスマホが、戦闘中に破損してしまったのだ。恐らくGPSは壊れていないので、先生が俺たちを見つけ出すことができる。だが、俺たちから先生に連絡を取ることができず、細かい指示を仰ぐことも難しい。
 それに俺と紗宙は重症患者だ。特に紗宙は、全身に傷を負っている上に痩せ細っている。すぐに病院に行かないと生死に関わってくるような状態だ。仮に脱出できたとして、城外の荒廃した地域に病院があるのかも定かではない。ようは、脱出できても、生き残れる保証がないということである。せめてスマホだけでも生きていれば何とかなるのに。そう思い焦る他なかった。
 裏路地で休みながら、決死の逃避行を続ける俺たちには、様々な困難がのしかかる。街では手配書が配られ、革命団のメンバーはそれぞれ懸賞金がかけられていた。難民で溢れかえるこの街は、ホームレスも多い。彼らも、お金さえあれば難民キャンプに住むことができる。だからこそ、お金につられて俺に迫り来る者も多く存在。おかげで逃げるのに、一手間二手間かけることとなった。
 紗宙には本当に申し訳ないが、ネズミやゴキブリがいるドブやゴミ箱の中に身を潜めたり、窓ガラスをぶち壊して住居内を横断して敵を巻いたり、停車した車の下に隠れて敵を通り過ごしたり。生きる為ならどんなことでもやった。
 壮絶な逃走劇に身を投じていたので、時間の経過もいつの間にか頭から抜けている。大通りのほとぼりが落ち着くまで、小道の用水路に身を潜めていると、いつの間にか東の空が明るくなり始めていた。
 このくらいから眠気に伴い、全身に疲れものしかかる。フラフラになりながら、大きい病院の敷地を隠れるように横断しようとした。
 その時、横から声が聞こえた。振り向くとそこには30前半くらいの比較的若い医師がいて、なぜか俺たちを手招きしている。人間不信で猜疑心の強い俺は、この生きるか死ぬかの状況も相まってピリピリしており、反射的に彼へ拳銃を向ける。拳銃を向けられた彼は、咄嗟に両手をあげて首を振り、自分が敵じゃないというアピールを繰り返した。


「お前、教団側の人間ではないのか?」


「私は、教団関係者ではない。それに君たちを売り飛ばす気もない。」


 俺は、殺すつもりで彼と対峙している。そう簡単に人を信じることはしない。


「じゃあ何のようだ。時間も時間だ。待ち伏せていたようにしか考えられん。」


「私は君たちの味方だ。信じてくれなくても構わない。ただ、そのボロボロの状態で逃げ切れるとも思えない。」


「何が言いたい?」


「良ければ、この病院に数日間潜伏しないか?」


 俺は、疑いの感情を抱く一方で、もし本当に彼が味方なら、これほど幸運なことは無いと考える。


「本当か。しかし、なぜそこまでしてくれるのだ。見つかれば、奴らからどんな酷い殺され方をするのかわからないのに。」


 医師は、一度呼吸を整えると語りだす。


「私は、平和な時代を築いてくれる誰かの為に腕を振るいたい。しかし、政府も教団も官軍も国を腐らせることばかり考えており、奴らにはついていけない。だから君たちに期待をしているのだ。」


 俺は考えた。このズタボロの状態で逃げ続けたら、きっとどこかで捕まるか、野垂れ死ぬかのどっちかである。だったらいっそこいつに賭けてみるのもありか。


「なるほどな。じゃあお前は、裏切らないとここで誓えるか?もし裏切られて教団に八つ裂きにされるくらいなら、俺は野垂れ死んだ方がマシだが。」


 すると医師は、ポケットから何やら紙を取り出し、それを開いて俺に見せる。それを見た俺の心は、嫌悪感で溢れかえる。何とその紙は、大都市のコンビニで市販されるまでになった、金友の顔写真である。
 するとその医師は、怪訝そうに紙を見ている俺の前で、すかさず顔写真をビリビリに破き、ライターで燃やした。そして、地面に舞い落ちた灰と残骸を靴で踏みにじる。


「これで信頼してくれるかな?」


 これを見た俺は、彼が教団の関係者でないことをなんとなく感じ取れた。その根拠は、教祖に絶対的な忠誠を誓うヒドゥラ教団の信者が、こんな行為をしないだろうというのが1つ。そして、ヒドゥラ教は、国を裏から牛耳る宗教で有る。信者であろうがなかろが、金友を侮辱した物は、凄惨な虐待の果てに殺されると言われている。それを恐れて誰も、彼を否定しようとしない。
そう考えた時に、どこの馬の骨かも知らない俺の前で、あそこまで教団に喧嘩を売ったのだ。恐れ知らずの大した実行力である。
俺は、彼の勇気に感化され、そして決断する。


「わかった。ぜひ匿っていただきたい。」


「私の名前は北里伸弥。是非お見知り置きを。」


 彼は、よくぞ決断してくれたといった感じで、喜んで俺たちを招き入れてくれた。とはいえ俺は、彼を完全に信じきった訳でもない。最後に一言だけ念をおす。


  「伸弥先生、もし俺を裏切った時はわかってるな?」


「撃ち殺される覚悟だ。」


 その言葉は重たく。彼もそのくらい覚悟しているのだろう。それを聞いた俺は、少し表情を和らげる。それから、彼の案内の元、紗宙とともに病室へ向かったのだ。


 ◇


 病院を訪れてから1日と半分が経過していた。伸弥にスマホを借りることで、無事に先生と連絡をとり、現状を知らせることができた。
 俺と紗宙が案内された病室は、病院の最上階の一番奥の部屋である。ここは、院長である伸弥の知り合いしか入れない、特殊な病室となっていた。
 俺は、重症ではあったが、手術も終えて心身ともに安静を取り戻す。もちろん、逃亡生活中であることは変わりがないので、緊張感は抜けない。だが、冷静に物事を考えられるの精神的安定は確保できている。
 一方の紗宙は、教団施設で気を失って以来、意識を取り戻す気配を見せなかった。別に心拍が止まってしまったわけでも、脳死状態というわけでもない。点滴もつけているので大丈夫だとは思うが、色々とショックや恐怖が度重なり精神的に限界に達していたのか、24時間以上も眠り続けていた。
 物事を冷静に判断できるようになったというのに、彼女のことになるとやはり不安が募るばかりである。俺は、彼女の安否が気がかりで、ほとんど彼女のそばを離れることなく、自分も重症患者であるにも関わらず、看病に全力を注いでいた。彼女の症状が急変して、もし死んでしまえば取り返しがつかないのだ。
 彼女を痛めつけたのはもちろん奴らだ。しかし、運命を無茶苦茶にしてしまったのは俺に他ならない。悲しくて、悔しくて、そして寂しくて。彼女が寝ているのをいいことに、ベットの横で1人泣きをしていた。


 ◇


 19時過ぎ頃。星空でも眺めようと考えた俺は、ハンカチで涙を拭い、カーテンの隙間から外を見た。しかし、空模様は期待はずれ。分厚い雲が夜空を覆い、遠くでは雷が光っている。どうやら今夜は、豪雨になりそうだ。
 夕飯を終えた頃には、激しい雨音と落雷の音が病室に鳴り響いていた。雷が近くに落ちた時、紗宙が無意識なのか、苦痛な表情を浮かべていた。だから俺は、そんな彼女の手を強く握る。


「俺がついてるから大丈夫だ。」


 そう念を込めていたら、彼女の表情が少しだけ和らいだように見えた。その和らいだような顔を見て、少しだけため息をつく。
 しかし思ったのである。彼女の目が覚めないのは、教団が崇拝する宇宙神ヒドゥラの呪いなのではないか。そして、今まで俺たちが殺してきた人間の怨霊の仕業なんじゃないかって。そう考えるだけで身の毛がよだち、気持ちが真っ暗になっていった。
 俺は、脳裏に湧いてくる嫌な奴らをかき消そうと、気が狂ったかのように紗宙のベットに頭を擦り付ける。そして、紗宙の顔を見上げては、狂ったように小声で独り言を呟くのである。


「紗宙、どうか俺を許してくれ。」


 その日は心労のあまり、彼女に泣きすがるような体勢で眠りについた。もちろん故意的にそうしているのではなく、いつの間にか気を失っていたのだ。
 まるで、彼女に救いを求めるかの様に。


 ◇


 ここはどこだろうか。俺の目の前には、ウエディングドレスのような白い服を着た紗宙がいる。彼女は、死んだはずの彼女の父に手を引かれ、結婚式場にありがちな、赤い絨毯が敷き詰められた階段を一歩ずつ登っていく。
 そしてその先には、ダンスボーカルユニットに居そうなイケメンが、白いスーツを着て、まるで新婦を迎えるかの如く、彼女たちを出迎えようとしていた。
 俺は、必死に彼女を追いかけている。それにも関わらず、彼女へ追いつくことができない。それどころか、距離を縮めることすらできていない。彼女と彼女の父は、徐々に階段を登りつめていく。転んで怪我をしても、息切れして脈がおかしくなっても、御構い無しに追いかけたが、到底届きそうにない。だけど俺は、彼女の名前を叫びながら追いかけ続けた。
 思いも虚しく、彼女らが白いスーツ男の前まで到達してしまった。彼女の父親は、白いスーツの男と何やら親しげに会話をしていた。彼女達が立ち止まったということは、ある意味でチャンスである。俺は、我武者羅に階段を上がり続け、彼女たちとの間をだんだんと詰める。そしてついには、表情まではっきりわかる距離まで達することができたのだ。
 紗宙は、何かから解放されたような柔らかい笑顔で、彼らのやり取りを隣で眺めている。だが、彼女には見えていないようである。あの白いスーツの男が、生きた人間の目をしていないことを。
 白いスーツ男が彼女に跪くと、彼女の手を取ろうと手を伸ばした。俺は、それを阻止しようと、全エネルギーを振り絞り駆け出した。頼むから時よ止まってくれ、彼女をあっち側へ連れて行かないでくれ。そう思いながら、ずっとずっと彼女のことを呼び続けていた。
 その時、一瞬だけ彼女動きが止まる。けどもその思いは実を結ぶことなく、白いスーツの男は紗宙の手を優しく握ると、手の甲にその紫色の唇を近づけた。紗宙の親父は、幸せそうに彼女と白いスーツの男を見守っている。
 もう間に合わないのか、諦めるしかないのか、いつものようにネガティブな感情が湧き上がる。しかし、俺はもう昔の俺とは違う。まだ大した力はないけれども、行動し続けることを決める前のあの頃とは違う。もう声を上げて良いのだ。自身を持って、自分の大切な人の名前を呼んで良いのだ。俺は、そう心に言い聞かせ、最後の力を振り絞って叫んだ。


「紗宙ー!!!!!!!!」


 紫色の唇があと数センチで触れる所まで来た時、彼女が彼の手を振り払った。そして、隣に立つ父親へ向かって言うのである。


「父さん、ごめんなさい。やっぱり私には、帰る場所がある。絶対に幸せになるから、もう少しだけ無理することを許して。」


 父親は、その答えを決して否定することなく、温かく頷く。それから彼女は、父親へ感謝を述べてから、俺の方を振り向く。そして静かに微笑んだ。


「来てくれるって信じてた。」


 俺が彼女の手を取ると、久しぶりに感じた温かみが手の感覚を通して心に広がった。まだ生きていること、ここまで辿り着けたこと、そして彼女も生きていること、これらは全て奇跡といっても等しい。その奇跡に感謝をしていると、息切れをしているにも関わらず言葉が自然と溢れる。


「やっと、やっと追いつけた!みんなが待ってるから早く帰ろう!」


 彼女が俺の思いを受け取るように力強く頷いた。俺は、それを確認すると、彼女の父親にもお辞儀をした。彼は、何も言ってはくれなかったが、温かい目で俺たち2人を見つめていた。
 それから俺は、彼女をリードしながら白い階段を降りる。後ろを振り返ると、いつの間にか彼女の父親は姿を消していて、そこは白い光の粉が舞っているだけであった。
 気を取り直した俺達は、くだらない会話をしながら、階段を一つ一つ降りていく。だけども、彼女を連れて行こうとした白いスーツの男が黙ってはいるはずがない。
 後方から、さっきまでは聞こえなかった機械音のような、明らかに人間のものとは違う声が聞こえてきたので振り返る。するとそこには、俺が今まで殺してきた人間達が、怨霊となってこちらに迫ってきていた。
 白いスーツの男は、きっと黄泉の国の人間だ。紗宙を奪い取った俺を殺そうとしているのであろう。俺と紗宙は手を繋いだまま、全速力で階段を駆け下りる。
 怨霊達は殺すという言葉を連呼しながら、執念深く追いかけてきた。生きた人間とはまた違う、悍ましい恐怖が気持ちを締め付けてくる。その恐ろしさに、慌てて階段を駆け降りようとするが、足を滑らせてはならないので、結構神経を使った。
 ある程度行ったところで、階段が途絶えていることに気づいて2人は立ち止まった。階段がなくなった今、俺たちに残された選択肢は2つ。目の前の深い闇に飛び込むか、怨霊達に八つ裂きにされるか。
 紗宙は、真っ直ぐな眼差しで俺の目を見つめる。選択を委ねられたように思われるが、きっと彼女の中で覚悟はできていたのだろう。俺は彼女へアイコンタクトを飛ばすと、彼女の手を強く握りしめ、一緒に深淵の闇へと飛び込んだ。
 深い深い人間界という暗黒に、2人は吸い込まれていく。その闇は生暖かく、人間という存在の冷酷さと暖かさを織り交ぜたようだ。
 ふと上を見てみると、怨霊達はもう居ない。彼らはきっと、人間界にまでは追ってこれないのであろう。死んでも俺に執着してきたクソども。もう2度と巡り合いたくない。
 闇へ沈んでいく俺と紗宙は、まるで夢を見る為に眠りへつくかの如く、静かに目を閉じたのであった。


 ◇


 不思議な朝もあったものだ。目が醒めるとベットにもたれかかり、自然と目から涙がこぼれ落ちていた。そして、俺の懐に顔を埋めるかのように、眠る彼女の顔がそこにはあった。
 何か怖い夢でも見たのであろうか。彼女も俺と同じく涙を流していた。カーテンから差し込む朝日が、俺たちを暖かく迎えている。
 俺は、そんな光の線を眺めながら、考え事をしていた。すると、彼女の声が聞こえてくる。


「ただいま...。」


 俺は、その声の主に答える。


「おかえり。紗宙。」


 その言葉を聞くと、彼女の今まで我慢していたものが、堰を切ったかのように溢れ出したようだ。泣き崩れながら思いを口にしてくる。


「本当に、本当に怖かった、辛かった。」


 彼女の背中をさすりながら、彼女の話に耳を傾ける。


「みんなが苦しんだのも、和尚があんなことになったのも全て私のせい。本当にごめんなさい。」


 俺は、自分を責め続ける彼女の震える身体を抱きしめ、それは違うと諭す。今回の件は、決して彼女のせいではない。元はといえば、無力なくせにイキりまくっていた俺が悪いのだ。俺も素直に彼女に謝罪をする。
 そんなやりとりを飽きるまでやった後、彼女の感情が落ち着いたあたりで、とある話を切り出してみようとする。


「あのさ。後でどうしても伝えたいことがあるんだ。」


 紗宙は、目を擦りながら、興味深そうに顔を見上げてきた。


「今じゃ、ダメなの?」


「改めて言いたい。」


 俺の顔は真剣だった。彼女は察しているのだろうけど、意味を理解してないようなそぶりをした。


「わかった。後でゆっくり聞かせてね。」


 彼女がそう言って立ち上がると、カーテンを思いきし開けた。部屋に眩しい陽の光が差し込み、俺たちを暖かく包み込んでいく。ここ数日、死ぬか生きるかの激動に身を捧げていた為、清々しい気持ちで朝日を見る機会がなかった。だからこそ、まだ逃亡生活中とはいえ、1つの目的を果たし、好きな女性と一緒に見た朝の風景は、俺の心に深く焼き付くのであった。





その後、彼女は先生から診断を受けたり、入浴したりと忙しい時を過ごした。
 病室に取り残された俺は、まだ危険な状況下にあると言うのにも関わらず、そんなことをそっちのけで彼女のことばかり考えるのであった。もう言ったのだから、ここで逃げ出したら昔と何も変わらない。
 俺は、些細なことで悩めることに感謝をしながら、彼女へ気持ちを伝える決心を固めていくのであった。







 (第二十六幕.完)
 
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登場人物紹介

・北生 蒼(きたき そう)

劣悪な家庭環境と冴えない人生から、社会に恨みを抱いている。

革命家に憧れており、この国を変えようと立ち上がる。

登場時は、大手商社の窓際族で、野心家の陰キャラサラリーマン。

深い闇を抱えており、猜疑心が強い。

非常に癖のある性格の持ち主ではあるが、仲間に支えられながら成長していく。

紗宙に対して、淡い恋心を抱いている。


※青の革命団のリーダー

・袖ノ海 紗宙(そでのうみ さら)

蒼の地元の先輩であり、幼馴染でもある。

婚約者と別れたことがきっかけで、有名大学病院の医療事務を退社。

地元に戻ってコンビニでバイトをしていた。

頭も良くて普段はクールだが、弟や仲間思いの優しい性格。

絶世の美人で、とにかくモテる。

ある事件がきっかけで、蒼と共に旅をすることになる。


※青の革命団の初期メンバー

・直江 鐘ノ助(なおえ かねのすけ)

蒼の大学時代の親友。

愛称はカネスケ。

登場時は、大手商社の営業マン。

学生時代は、陰キャラグループに所属する陽キャラという謎の立ち位置。

テンションが高くノリが良い。

仕事が好きで、かつては出世コースにいたこともある。

プライベートではお調子者ではあるが、仕事になると本領を発揮するタイプ。

蒼の誘いに乗って、共に旅をすることになる。


※青の革命団の初期メンバー

・諸葛 真(しょかつ しん)

自己啓発セミナーの講師。

かつては国連軍の軍事顧問を務めていた天才。

蒼とカネスケに新しい国を作るべきだと提唱した人。

冷静でポジティブな性格。

どんな状況に陥っても、革命団に勝機をもたらす策を打ち出す。

蒼の説得により、共に旅をすることになる。


※青の革命団の初期メンバー

・河北 典一(かほく てんいち)

沼田の町で、格闘技の道場を開いていた格闘家。

ヒドゥラ教団の信者に殺されかけたところを蒼に助けられる。

それがきっかけで、青の革命団に入団。

自動車整備士の資格を持っている。

抜けているところもあるが、革命団1の腕っ節の持ち主。

忠誠心も強く、仲間思いで頼りになる存在でもある。


※第三幕から登場

・市ヶ谷 結夏(いちがや ゆな)

山形の美容院で働いているギャル美容師。

勝気でハツラツとしているが、娘思いで感情的になることもある。

手先が器用で運動神経が良い。

灯恵の義理の母だが、どちらかといえば姉のような存在。

元は東京に住んでいたが、教団から命を狙われたことがきっかけで山形まで逃れる。

流姫乃と灯恵の救出作戦がきっかけで、革命団と行動を共にするようになる。


※第十幕から登場

・市ヶ谷 灯恵(いちがや ともえ)

結夏の義理の娘。

家出をして生き倒れになっていたところを結夏に助けられた。

15歳とは思えない度胸の持ち主。

コミュ力が高い。

少々やんちゃではあるが、芯の通った強い優しさも兼ね備えている。

秋田公国に拉致されたところ、革命団に助けれる。

それがきっかけで、共に行動することになる。


※第十幕から登場

・関戸 龍二(せきど りゅうじ)

『奥州の龍』という異名で恐れられた伝説の不良。

蔦馬に親族を人質に取られ、止むを得ず暴走神使に従っていた。

蒼と刃を交えた時、彼のことを認める。

革命団が蔦馬から両親を救出してくれたことに恩を感じ、青の革命団への加入を決める。

寡黙で一見怖そうだが意外と真面目。

そして、人の話を親身になって聞ける優しさを兼ね備えている。

蒼にとって、カネスケと同等に真面目な相談ができる存在となる。



※第二十一幕から登場。


・土龍 金友(どりゅう かねとも)

ヒドゥラ教団の教祖。

信者からは法王と呼ばれている。

多くの政治家を洗脳。

日本政府を裏から操っていると噂されている。

残虐非道な性格で、子供狩りや拉致、拷問や人体実験など、人道に反する行為を容赦なく行う。

青の革命団の宿敵。


※第十五幕から登場

・リン

全てが謎に満ちた存在。

圧倒的美貌を持ち、男女関わらず簡単に魅了してしまう恐ろしい人物。

人が苦しむ姿を見て快楽を覚える凶悪な性格。

灯恵のボーイフレンドの気流斗を射殺。

蒼に対して、謎の予言を残す。

青の革命団の敵であることは間違いない。


※第十二幕から登場

・新藤 久喜(しんどう くき)

ヒドゥラ教団仙台支部の支部長。

教団の幹部で神格を授かりし8人の1人。

教団の敵に対して容赦ない制裁を加えたり、子供狩りを積極的に進めるなど残忍な男。

金友に心酔していて、彼の命令であればどんなことでも実行する。

リンのことを恐れている。


※第十二幕から登場

・酒又 小太郎(さかまた こたろう)

ヒドゥラ教団忍者部隊の棟梁。

教団新潟支部の支部長である官取井の用心棒的存在。

忍術を使い、周囲から恐れられる存在。

勘が鋭く頭がキレる。

ヘビースモーカーであることを隠しきれるくらいの体力と腕力を持っている。


※第七幕〜第八幕で登場

・桧町 亜唯菜(ひのきまち あいな)

秋田公国の植民地である山形北部の新庄地域の領主。

先生曰く、元ミス山形。

プライドが高く自尊心が強い。

その性格故に、公国内で華々しい出世を遂げて領主まで上り詰めた。

リンとは旧知の仲。

彼女のことを非常に恐れていて、腰巾着のようにへりくだっている。


※第十二幕〜第十四幕で登場

・大崎 蔦馬(おおさき たつま)

奥羽列藩連合暴走神使の七雄の1人。

古川ブラッドの総長。

元ギャル男モデルで、様々な人脈を駆使して暴走神使の幹部まで上り詰めた実力者。

残忍で冷酷な性格。

龍二の身内を人質に取り、彼やズミールに悪事を行わせていた。


※第二十二幕で登場

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