第二十六幕!奪還
文字数 10,959文字
「坊主、もう諦めたらどうだ。」
「降伏する気など一切ないわい...。」
和尚は苦しさを押し殺した。すると、金友の口角が上がる。
「強情なお方だ。ならば、その根比べに答えてやらんといかんな。」
金友が指示を出すと、仙台官軍の精鋭達が一斉に和尚を押さえ込んだ。いくら和尚が天下無双の武闘家だとしても、体力も気力も限界を超えたこの状況。軍の精鋭部隊に押さえ込まれては、なすすべがなかった。
和尚は、金友の前まで連れてこられると、無理やり痺れガスを顔に吹きかけられた。身体が思うように動かなくなり、思考も鈍くなっていく。
「我が教団の優秀な学者が作った麻酔ガスだ。すぐに抵抗したがる分からず屋は、まず動きを封じないとな。」
「この卑怯者めが。」
「卑怯?この無法者が蔓延する日本社会は、手段を選んでいたら良くすることはできないだろう。」
「確かにそうかもしれん!だがお前が望む良い国とは、お前にとって都合が良い国ということじゃ!そんなこと許すわけにはいかん!」
「老いぼれよ、何を言っているのだ。我は、全ての生き物の創世者である神の代理であり、我の望みはすなわち民の望みなのだ。都合の良い国に変えて当然であろう。」
頭が狂っている。そうとしか考えられない彼の主張に、和尚は胸糞悪さを覚える。
「ふざけおって!お前が自分勝手に振る舞えるのも時間の問題じゃぞ!」
「何が言いたい。」
金友の目つきが鋭くなる。和尚は、ひよることなく彼を皮肉る。
「お前の野望を打ち砕く者はいずれ現れる。いや、もう現れておるかもな。」
「ほお、そんな不届き者がこの世界にいるというのか。頭の悪い平和ボケした日本の政治家か、はたまたは国際連合のことかな?それとも...。」
「さあのう。青い炎が貴様を焼き尽くすじゃろうな。」
金友は、声を上げて笑っているが、目は一切笑っていない。青い炎、その一言で何を意味しているのかを察したのだろう。なぜ教祖である自分が、一般人上がりの革命家なんかに殺されなくてはいけないのか。そんな和尚の予言に苛立ちを覚えたのだ。彼が信者達に命じる。
「この老いぼれは、神の威厳の前に頭がおかしくなってしまったようだ。目を覚まさせてあげなさい。」
そのあと教団信者達による、和尚への数十分に及ぶ集団リンチが行われた。金友は、足の治療を受けながらその光景を見守った。
リンチが一段落した頃には、和尚は言葉もろくに喋れないくらい衰弱していた。殺してしまって良いのか不安になった信者が金友に尋ねる。
「法王様、この老いぼれをいかがいたしましょう。」
金友が指示を出そうとしたが、彼以上にリンチというショーを楽しんでいる人物がいた。それはもちろんリンだ。リンは、死に損ないの和尚を指差し、キャハキャハ笑いながら金友に提案する。
「おじさーん。私さ、久々に人間花火とか見たいなー。」
「 ふふ、こやつの屍は人体実験に使わせようと考えておる。花火は面白いが塵になってしまっては意味がないのだ。」
彼女は、残念そうにしょげたそぶりを見せる。けども、和尚が悔しそうな顔をしているのがわかると、彼女は再び楽しそうな表情に戻った。そして満面の笑みを浮かべるのだ。
「このお坊さんなんか喉乾いてるっぽいから、お湯でも飲ませてあげようよ。とーってもあっつい刺激的なお湯。」
「おお、それは良いな。きっとこの坊主も喜んであの世へ行ける筈だ。」
金友は、目を見開いて同調すると、すぐに信者へ命じて、煮え立つ釜に入った大量の熱湯を用意させた。
お湯が用意されると、リンが金友の許可をもらって柄杓を手にする。彼女は鉄の柄杓でお湯を掬うと、それを和尚の前まで持っていった。そして、和尚の目を見つめると幸せそうな表情を浮かべた。
「すぐには飲ませてあげないよ。」
彼女が和尚の頭に、お湯を少しずつかける。和尚は、あまりの痛みに声をあげたくなるが、頑張ってこらえる。そして彼女を睨んだ。
彼女は、ぶりっ子みたいに口を膨らませて不貞腐れたかのように見せると、すぐにその仮面を捨てて冷酷な目つきに戻る。そして、他人をなぶるような暴力的で冷めた顔で和尚を見つめた。
「もっと嬉しそうな顔、して欲しいんだけど。」
この時に和尚は、ようやくリンの正体に気づき始めていた。その自らの思い出に眠る少女と、目の前の悪魔が記憶の糸で結ばれると、心へ非常に強い衝撃が走るのだ。
「お主...、まさか...。」
リンは、すがるような姿勢で見上げてる和尚へ、ペットを手名づけるような声で答える。
「どこかで見たことあるー、とか言いたいの?」
「わしは...、仕...事で...学園ド...ラマの...演技の講...師をしてい...たことがある。そ..の...映画...で主役のヒロ...インを務め...ていた女...の子が...お主と瓜...二つなん...じゃ。」
和尚の話を聞いたリンが、汚い物を見るように怪訝な顔をする。
「このお坊さん気持ち悪い。こんな時に女の子のこと考えちゃうなんて。」
周りの信者達は、気づいた時には彼女の虜になっている。彼女に嫌悪感を抱かせた和尚へ怒りを覚え、更に苛烈な蹴る殴るの暴行を加える。
だが、まだ和尚も負けてはいない。血を吐きながら話し続けた。
「観察...力に..は自信が...ある。声も...顔も...身長も...髪型も...そ..の..笑顔..も..まるっ...きり同じ。お主は...紛れ...もな...く...あ...の娘...じゃ...ろう。」
リンは、前触れもなく淡々と熱湯を和尚の傷口に注入する。和尚がついに悲鳴をあげるのを眺め、彼女は満足そうに笑う。
「だったら何って感じなんですけど。羽前和尚さん♪」
和尚が痛みをこらえながら答える。これだけの虐待を受けて喋り続けることは、容易なことではない。
「例の...事...件の後...失踪...し...たと...聞いたが....、ま...さか...こん...な所...で...再...会する...とは...。」
リンは、過去を掘り返そうとする彼を、嫌悪感丸出しの表情で見下す。それでも和尚が話を止めることはない。
「なぜ...教団...なん...か...に...入信...し...たの...じゃ?」
和尚の問いが、明らかに彼女を苛立たせていた。彼女の行動は、読めないことが多い。怒りの沸点が人とは違うのか、その狂気は突如として現れる。彼女は、和尚の頭を掴み、そのまま床に押し付け、擦り付ける。
「入信したなんて言ったかな?私はただ、この組織を手段として利用しているだけだよ。」
「お主...の...目的は...な...んじゃ?」
リンは、鼻で笑うと、ただ一言こう答えるのだった。
「快楽。」
そして彼女は、熱湯を和尚の両目に注ぎ込んだ。和尚が両目を抑えてもがき苦しむ姿を見て、子供のように無邪気な笑顔で大爆笑しながら、彼が痛みに狂う姿を鑑賞した。リンは、失明した和尚に顔を近づける。
「楽しいでしょ?」
「快...楽...のた...めだ...けにわ...ざわ...ざ...教団に....与すると...は...思...えん...がな...。」
「鋭いね。でも私、嘘ついてないよ。」
「あの...頃は...純...粋だっ...た。爽や...か...な...運動神...経...抜群の...モデ...ル...女子...の代..表...的...存在だっ...たお主が...どうし...て...ここ...ま...で堕ち...た...のじゃ。」
苦しむ和尚を前にリンは、可憐で美しく、純粋な濁りのない真っ黒な笑みで嘲笑う。
「ふふ、私はずっと純粋だってば。あの頃も、今もね。」
和尚は、彼女の昔を知っているが故に、悔しさが溢れ出してくる。それと同時に、彼の中にとある疑問が浮かんできた。
「不思...議な...ことじゃ...が。お主...の...顔が...10...年以上...前のあ...の...日から...何...一...つとして...変わ...ってい...ない。いっ..たい...何を...企ん...でおる...?」
その話が出た途端、リンの表情が急に真顔になる。さっきまでのキャハキャハ笑う彼女とはまた違う、冷めていて無機質で感情を感じさせない顔だ。
「お前の話、飽きた。」
彼女は、近くにいた信者に命じて和尚を立膝にさせた。そして、釜のお湯を彼の口へ一気に流しこませる。和尚の苦痛の叫びが館内に響き渡った。
この男の体内の悪しき者が浄化されていくぞ、とか言いながら、信者達が盛り上がる。体内、そして喉を焼かれ和尚は、瀕死状態となった。けども、最後の力を振り絞って語る。
「お主...もき...っと..青の炎...に..焼か...れ、..死..にた..え...るであ...ろう。残...念...だ..、...ひと.つ..ば..し..り....。」
彼は、彼女の名前を言い切ることなく息絶えた。その声がリンに届いていたかどうかは定かではない。しかしリンは、彼が死んだ後も彼の頭を足で踏み続け、近くの信者らに気がすむまで暴行をさせたのであった。
「そろそろ辞めておけ。我の大切な素材が劣化していくだけだ。」
リンは、暗い笑みを浮かべ、金友の目をとらえて離さない。
「あーあ、仕方ないな。おじさんの為に止めてあげるね。」
金友は、和尚を蹴り飛ばすと、哀れな顔で見下す。
「知り合いにも容赦がないのだな。」
「こんな人、知らないよ。私は私の目的の為に使える人間と、大好きなオモチャ以外はあんまり興味ないんだ。」
彼女の発言には、悪気というものが一切感じない。真っ直ぐでどこまでも純粋なのだ。そんな無邪気な顔で人を痛めつけることを楽しんでいるのだ。
「まあいい、我々は目的が違えど、これからもよろしく頼む。」
彼女は、金友の言葉をクールに無視すると、ステンドガラスから顔を覗かせている月を見上げる。そして、涼しげな笑みを浮かべるのであった。
◇
教団仙台支部の敷地内は、俺たちの侵入によって大混乱に陥った。俺は、紗宙を背負いながらも、なんとか施設からの脱走に成功する。それから、人通りの少ない道を選びつつ、死ぬ気で北へ向かって走った。
寺での修行生活の成果も出たのか、そこそこの距離を駆け抜けることができた。だが、人を1人担ぎながらとなると、体力もそう長くは持たない。それに満身創痍の状態である。身体が動くたびに、折れた骨や傷口が悲鳴をあげるように痛んだ。
街中では、白い服を着た信者どもと軍服をきた官軍将兵が、俺たち革命団の居場所をしらみつぶしに探している。このままでは、見つかるのも時間の問題だろう。
その上で更なる問題ものっかてくる。所持していたスマホが、戦闘中に破損してしまったのだ。恐らくGPSは壊れていないので、先生が俺たちを見つけ出すことができる。だが、俺たちから先生に連絡を取ることができず、細かい指示を仰ぐことも難しい。
それに俺と紗宙は重症患者だ。特に紗宙は、全身に傷を負っている上に痩せ細っている。すぐに病院に行かないと生死に関わってくるような状態だ。仮に脱出できたとして、城外の荒廃した地域に病院があるのかも定かではない。ようは、脱出できても、生き残れる保証がないということである。せめてスマホだけでも生きていれば何とかなるのに。そう思い焦る他なかった。
裏路地で休みながら、決死の逃避行を続ける俺たちには、様々な困難がのしかかる。街では手配書が配られ、革命団のメンバーはそれぞれ懸賞金がかけられていた。難民で溢れかえるこの街は、ホームレスも多い。彼らも、お金さえあれば難民キャンプに住むことができる。だからこそ、お金につられて俺に迫り来る者も多く存在。おかげで逃げるのに、一手間二手間かけることとなった。
紗宙には本当に申し訳ないが、ネズミやゴキブリがいるドブやゴミ箱の中に身を潜めたり、窓ガラスをぶち壊して住居内を横断して敵を巻いたり、停車した車の下に隠れて敵を通り過ごしたり。生きる為ならどんなことでもやった。
壮絶な逃走劇に身を投じていたので、時間の経過もいつの間にか頭から抜けている。大通りのほとぼりが落ち着くまで、小道の用水路に身を潜めていると、いつの間にか東の空が明るくなり始めていた。
このくらいから眠気に伴い、全身に疲れものしかかる。フラフラになりながら、大きい病院の敷地を隠れるように横断しようとした。
その時、横から声が聞こえた。振り向くとそこには30前半くらいの比較的若い医師がいて、なぜか俺たちを手招きしている。人間不信で猜疑心の強い俺は、この生きるか死ぬかの状況も相まってピリピリしており、反射的に彼へ拳銃を向ける。拳銃を向けられた彼は、咄嗟に両手をあげて首を振り、自分が敵じゃないというアピールを繰り返した。
「お前、教団側の人間ではないのか?」
「私は、教団関係者ではない。それに君たちを売り飛ばす気もない。」
俺は、殺すつもりで彼と対峙している。そう簡単に人を信じることはしない。
「じゃあ何のようだ。時間も時間だ。待ち伏せていたようにしか考えられん。」
「私は君たちの味方だ。信じてくれなくても構わない。ただ、そのボロボロの状態で逃げ切れるとも思えない。」
「何が言いたい?」
「良ければ、この病院に数日間潜伏しないか?」
俺は、疑いの感情を抱く一方で、もし本当に彼が味方なら、これほど幸運なことは無いと考える。
「本当か。しかし、なぜそこまでしてくれるのだ。見つかれば、奴らからどんな酷い殺され方をするのかわからないのに。」
医師は、一度呼吸を整えると語りだす。
「私は、平和な時代を築いてくれる誰かの為に腕を振るいたい。しかし、政府も教団も官軍も国を腐らせることばかり考えており、奴らにはついていけない。だから君たちに期待をしているのだ。」
俺は考えた。このズタボロの状態で逃げ続けたら、きっとどこかで捕まるか、野垂れ死ぬかのどっちかである。だったらいっそこいつに賭けてみるのもありか。
「なるほどな。じゃあお前は、裏切らないとここで誓えるか?もし裏切られて教団に八つ裂きにされるくらいなら、俺は野垂れ死んだ方がマシだが。」
すると医師は、ポケットから何やら紙を取り出し、それを開いて俺に見せる。それを見た俺の心は、嫌悪感で溢れかえる。何とその紙は、大都市のコンビニで市販されるまでになった、金友の顔写真である。
するとその医師は、怪訝そうに紙を見ている俺の前で、すかさず顔写真をビリビリに破き、ライターで燃やした。そして、地面に舞い落ちた灰と残骸を靴で踏みにじる。
「これで信頼してくれるかな?」
これを見た俺は、彼が教団の関係者でないことをなんとなく感じ取れた。その根拠は、教祖に絶対的な忠誠を誓うヒドゥラ教団の信者が、こんな行為をしないだろうというのが1つ。そして、ヒドゥラ教は、国を裏から牛耳る宗教で有る。信者であろうがなかろが、金友を侮辱した物は、凄惨な虐待の果てに殺されると言われている。それを恐れて誰も、彼を否定しようとしない。
そう考えた時に、どこの馬の骨かも知らない俺の前で、あそこまで教団に喧嘩を売ったのだ。恐れ知らずの大した実行力である。
俺は、彼の勇気に感化され、そして決断する。
「わかった。ぜひ匿っていただきたい。」
「私の名前は北里伸弥。是非お見知り置きを。」
彼は、よくぞ決断してくれたといった感じで、喜んで俺たちを招き入れてくれた。とはいえ俺は、彼を完全に信じきった訳でもない。最後に一言だけ念をおす。
「伸弥先生、もし俺を裏切った時はわかってるな?」
「撃ち殺される覚悟だ。」
その言葉は重たく。彼もそのくらい覚悟しているのだろう。それを聞いた俺は、少し表情を和らげる。それから、彼の案内の元、紗宙とともに病室へ向かったのだ。
◇
病院を訪れてから1日と半分が経過していた。伸弥にスマホを借りることで、無事に先生と連絡をとり、現状を知らせることができた。
俺と紗宙が案内された病室は、病院の最上階の一番奥の部屋である。ここは、院長である伸弥の知り合いしか入れない、特殊な病室となっていた。
俺は、重症ではあったが、手術も終えて心身ともに安静を取り戻す。もちろん、逃亡生活中であることは変わりがないので、緊張感は抜けない。だが、冷静に物事を考えられるの精神的安定は確保できている。
一方の紗宙は、教団施設で気を失って以来、意識を取り戻す気配を見せなかった。別に心拍が止まってしまったわけでも、脳死状態というわけでもない。点滴もつけているので大丈夫だとは思うが、色々とショックや恐怖が度重なり精神的に限界に達していたのか、24時間以上も眠り続けていた。
物事を冷静に判断できるようになったというのに、彼女のことになるとやはり不安が募るばかりである。俺は、彼女の安否が気がかりで、ほとんど彼女のそばを離れることなく、自分も重症患者であるにも関わらず、看病に全力を注いでいた。彼女の症状が急変して、もし死んでしまえば取り返しがつかないのだ。
彼女を痛めつけたのはもちろん奴らだ。しかし、運命を無茶苦茶にしてしまったのは俺に他ならない。悲しくて、悔しくて、そして寂しくて。彼女が寝ているのをいいことに、ベットの横で1人泣きをしていた。
◇
19時過ぎ頃。星空でも眺めようと考えた俺は、ハンカチで涙を拭い、カーテンの隙間から外を見た。しかし、空模様は期待はずれ。分厚い雲が夜空を覆い、遠くでは雷が光っている。どうやら今夜は、豪雨になりそうだ。
夕飯を終えた頃には、激しい雨音と落雷の音が病室に鳴り響いていた。雷が近くに落ちた時、紗宙が無意識なのか、苦痛な表情を浮かべていた。だから俺は、そんな彼女の手を強く握る。
「俺がついてるから大丈夫だ。」
そう念を込めていたら、彼女の表情が少しだけ和らいだように見えた。その和らいだような顔を見て、少しだけため息をつく。
しかし思ったのである。彼女の目が覚めないのは、教団が崇拝する宇宙神ヒドゥラの呪いなのではないか。そして、今まで俺たちが殺してきた人間の怨霊の仕業なんじゃないかって。そう考えるだけで身の毛がよだち、気持ちが真っ暗になっていった。
俺は、脳裏に湧いてくる嫌な奴らをかき消そうと、気が狂ったかのように紗宙のベットに頭を擦り付ける。そして、紗宙の顔を見上げては、狂ったように小声で独り言を呟くのである。
「紗宙、どうか俺を許してくれ。」
その日は心労のあまり、彼女に泣きすがるような体勢で眠りについた。もちろん故意的にそうしているのではなく、いつの間にか気を失っていたのだ。
まるで、彼女に救いを求めるかの様に。
◇
ここはどこだろうか。俺の目の前には、ウエディングドレスのような白い服を着た紗宙がいる。彼女は、死んだはずの彼女の父に手を引かれ、結婚式場にありがちな、赤い絨毯が敷き詰められた階段を一歩ずつ登っていく。
そしてその先には、ダンスボーカルユニットに居そうなイケメンが、白いスーツを着て、まるで新婦を迎えるかの如く、彼女たちを出迎えようとしていた。
俺は、必死に彼女を追いかけている。それにも関わらず、彼女へ追いつくことができない。それどころか、距離を縮めることすらできていない。彼女と彼女の父は、徐々に階段を登りつめていく。転んで怪我をしても、息切れして脈がおかしくなっても、御構い無しに追いかけたが、到底届きそうにない。だけど俺は、彼女の名前を叫びながら追いかけ続けた。
思いも虚しく、彼女らが白いスーツ男の前まで到達してしまった。彼女の父親は、白いスーツの男と何やら親しげに会話をしていた。彼女達が立ち止まったということは、ある意味でチャンスである。俺は、我武者羅に階段を上がり続け、彼女たちとの間をだんだんと詰める。そしてついには、表情まではっきりわかる距離まで達することができたのだ。
紗宙は、何かから解放されたような柔らかい笑顔で、彼らのやり取りを隣で眺めている。だが、彼女には見えていないようである。あの白いスーツの男が、生きた人間の目をしていないことを。
白いスーツ男が彼女に跪くと、彼女の手を取ろうと手を伸ばした。俺は、それを阻止しようと、全エネルギーを振り絞り駆け出した。頼むから時よ止まってくれ、彼女をあっち側へ連れて行かないでくれ。そう思いながら、ずっとずっと彼女のことを呼び続けていた。
その時、一瞬だけ彼女動きが止まる。けどもその思いは実を結ぶことなく、白いスーツの男は紗宙の手を優しく握ると、手の甲にその紫色の唇を近づけた。紗宙の親父は、幸せそうに彼女と白いスーツの男を見守っている。
もう間に合わないのか、諦めるしかないのか、いつものようにネガティブな感情が湧き上がる。しかし、俺はもう昔の俺とは違う。まだ大した力はないけれども、行動し続けることを決める前のあの頃とは違う。もう声を上げて良いのだ。自身を持って、自分の大切な人の名前を呼んで良いのだ。俺は、そう心に言い聞かせ、最後の力を振り絞って叫んだ。
「紗宙ー!!!!!!!!」
紫色の唇があと数センチで触れる所まで来た時、彼女が彼の手を振り払った。そして、隣に立つ父親へ向かって言うのである。
「父さん、ごめんなさい。やっぱり私には、帰る場所がある。絶対に幸せになるから、もう少しだけ無理することを許して。」
父親は、その答えを決して否定することなく、温かく頷く。それから彼女は、父親へ感謝を述べてから、俺の方を振り向く。そして静かに微笑んだ。
「来てくれるって信じてた。」
俺が彼女の手を取ると、久しぶりに感じた温かみが手の感覚を通して心に広がった。まだ生きていること、ここまで辿り着けたこと、そして彼女も生きていること、これらは全て奇跡といっても等しい。その奇跡に感謝をしていると、息切れをしているにも関わらず言葉が自然と溢れる。
「やっと、やっと追いつけた!みんなが待ってるから早く帰ろう!」
彼女が俺の思いを受け取るように力強く頷いた。俺は、それを確認すると、彼女の父親にもお辞儀をした。彼は、何も言ってはくれなかったが、温かい目で俺たち2人を見つめていた。
それから俺は、彼女をリードしながら白い階段を降りる。後ろを振り返ると、いつの間にか彼女の父親は姿を消していて、そこは白い光の粉が舞っているだけであった。
気を取り直した俺達は、くだらない会話をしながら、階段を一つ一つ降りていく。だけども、彼女を連れて行こうとした白いスーツの男が黙ってはいるはずがない。
後方から、さっきまでは聞こえなかった機械音のような、明らかに人間のものとは違う声が聞こえてきたので振り返る。するとそこには、俺が今まで殺してきた人間達が、怨霊となってこちらに迫ってきていた。
白いスーツの男は、きっと黄泉の国の人間だ。紗宙を奪い取った俺を殺そうとしているのであろう。俺と紗宙は手を繋いだまま、全速力で階段を駆け下りる。
怨霊達は殺すという言葉を連呼しながら、執念深く追いかけてきた。生きた人間とはまた違う、悍ましい恐怖が気持ちを締め付けてくる。その恐ろしさに、慌てて階段を駆け降りようとするが、足を滑らせてはならないので、結構神経を使った。
ある程度行ったところで、階段が途絶えていることに気づいて2人は立ち止まった。階段がなくなった今、俺たちに残された選択肢は2つ。目の前の深い闇に飛び込むか、怨霊達に八つ裂きにされるか。
紗宙は、真っ直ぐな眼差しで俺の目を見つめる。選択を委ねられたように思われるが、きっと彼女の中で覚悟はできていたのだろう。俺は彼女へアイコンタクトを飛ばすと、彼女の手を強く握りしめ、一緒に深淵の闇へと飛び込んだ。
深い深い人間界という暗黒に、2人は吸い込まれていく。その闇は生暖かく、人間という存在の冷酷さと暖かさを織り交ぜたようだ。
ふと上を見てみると、怨霊達はもう居ない。彼らはきっと、人間界にまでは追ってこれないのであろう。死んでも俺に執着してきたクソども。もう2度と巡り合いたくない。
闇へ沈んでいく俺と紗宙は、まるで夢を見る為に眠りへつくかの如く、静かに目を閉じたのであった。
◇
不思議な朝もあったものだ。目が醒めるとベットにもたれかかり、自然と目から涙がこぼれ落ちていた。そして、俺の懐に顔を埋めるかのように、眠る彼女の顔がそこにはあった。
何か怖い夢でも見たのであろうか。彼女も俺と同じく涙を流していた。カーテンから差し込む朝日が、俺たちを暖かく迎えている。
俺は、そんな光の線を眺めながら、考え事をしていた。すると、彼女の声が聞こえてくる。
「ただいま...。」
俺は、その声の主に答える。
「おかえり。紗宙。」
その言葉を聞くと、彼女の今まで我慢していたものが、堰を切ったかのように溢れ出したようだ。泣き崩れながら思いを口にしてくる。
「本当に、本当に怖かった、辛かった。」
彼女の背中をさすりながら、彼女の話に耳を傾ける。
「みんなが苦しんだのも、和尚があんなことになったのも全て私のせい。本当にごめんなさい。」
俺は、自分を責め続ける彼女の震える身体を抱きしめ、それは違うと諭す。今回の件は、決して彼女のせいではない。元はといえば、無力なくせにイキりまくっていた俺が悪いのだ。俺も素直に彼女に謝罪をする。
そんなやりとりを飽きるまでやった後、彼女の感情が落ち着いたあたりで、とある話を切り出してみようとする。
「あのさ。後でどうしても伝えたいことがあるんだ。」
紗宙は、目を擦りながら、興味深そうに顔を見上げてきた。
「今じゃ、ダメなの?」
「改めて言いたい。」
俺の顔は真剣だった。彼女は察しているのだろうけど、意味を理解してないようなそぶりをした。
「わかった。後でゆっくり聞かせてね。」
彼女がそう言って立ち上がると、カーテンを思いきし開けた。部屋に眩しい陽の光が差し込み、俺たちを暖かく包み込んでいく。ここ数日、死ぬか生きるかの激動に身を捧げていた為、清々しい気持ちで朝日を見る機会がなかった。だからこそ、まだ逃亡生活中とはいえ、1つの目的を果たし、好きな女性と一緒に見た朝の風景は、俺の心に深く焼き付くのであった。
◇
その後、彼女は先生から診断を受けたり、入浴したりと忙しい時を過ごした。
病室に取り残された俺は、まだ危険な状況下にあると言うのにも関わらず、そんなことをそっちのけで彼女のことばかり考えるのであった。もう言ったのだから、ここで逃げ出したら昔と何も変わらない。
俺は、些細なことで悩めることに感謝をしながら、彼女へ気持ちを伝える決心を固めていくのであった。
(第二十六幕.完)