第二十七幕!2人の逃避行
文字数 10,059文字
先生は、蒼と紗宙が病院に匿われたこと、和尚のことを話す。すると彼女は、蒼と紗宙の無事に安堵する一方で、不安そうに先生を見た。
「和尚、無事かな?」
「和尚のことです。なんとか落ち延びるとは思いますが...。」
和尚とは、連絡が取れない上にGPSの発信も途絶えてしまっている。 助けに行こうにも、現状誰1人として、彼を助けだして帰って来れそうな人間がいない。 それに先生は、すでに和尚の死を予知していた。なぜなら彼は、天文学や占いに通じていて、星を見ることで、人の死を予言することができたからである。
先生は、占いの結果を伏せ、灯恵に何を聞かれてもはぐらかしながら、全員が無事に仙台を脱出できるような作戦を練る。そして、各自にそれを伝えていくのであった。
一方の灯恵は、ひたすらみんなの無事を祈りながら、先生から依頼された通りに、メールや資料の作成を手伝うのであった。
◇
カネスケたち3人は、各地で官軍を挑発する。そして、彼らの目を惹きつけつつ、海岸近くまで逃げてきた。
官軍は、総司令官の新藤久喜の策に基づき、彼らを囲むように押さえ込もうと企んでいた。3人の所持しているバイクは、既に燃料切れ間近だ。このままでは、自分達の足で走って逃げ惑うことになってしまう、非常に危険な状況下である。
そんな時、タイミング良く先生から作戦指示のメールが届いたのであった。それを見たカネスケの顔が青ざめる。
「先生からの指示によれば、5日間逃げ続けて欲しいとのことだ。」
結夏は、それを聞いて驚きを隠せない。
「え、無理。早くしないと囲まれて脱出できなくなる。もって2日くらいじゃん。そもそもなんで5日間なの?」
カネスケは、彼女が取り乱した途端、何故だか自分自信は冷静になれた。彼女の前でカッコ良いところを見せたい。そんな思いがそうさせたのだろうか。
「蒼と紗宙が、この街の病院で匿われている。2人は重傷で、脱出作戦を遂行できる状態に回復するまで、5日間くらいかかるからだそうだ。」
「なるほどね。とは言うもののどうするの?」
「俺たちの役割は、蒼と紗宙が上手く脱出するための囮だ。2人が動く5日後までは、俺たちもどこかに潜伏しようぜ。そんで2人が動いたら、俺たちも動いて奴らの目を惹きつけ、2人の脱出を見届けたあと脱出するんだ。」
「それが一番いいね。どこか潜伏できそうなところある?」
仙台に知り合いがいる訳でもないので、頼るツテが見当たらない。とはいえ、5日間野外潜伏するというのも、リスクとしては極めて高い。悩み悩んで、つい指先でスマホ画面をいじっていると、メールBOXに新しく一通のメールが届いていた。宛先は、先生からである。そこには、棚からぼた餅のような内容が記載されていた。
「先生の友人が仙台に住んでいて、そこに匿わさせてもらえることになった。」
「さすが先生!」
結夏は、その話を聞いてテンションが上がり、ついガッツポーズをとっていた。しかし、典一が水を差すように、バイクの燃料メーターを指差して現実を突きつける。
「バイクの燃料の件はどうする?」
燃料問題は死活だ。仮に潜伏先を見つけたところで、バイクの燃料がなければ仙台からの脱出が困難となる。
だが、それを想定しない先生ではない。燃料対策に関しても、メールの中でしっかりと書き記してあった。
「安心しろ。ちゃんと先生のメールに書いてあるさ。」
どうやら先生の友人がバイク好きらしく、彼の家に行けば、燃料も補給させてくれるとのことであった。
行く宛が確保できた3人は、颯爽とバイクに跨る。そして、意気揚々と先生の友人宅まで爆走するのだった。
◇
誰もいない病室のベットで、先生からもらった本に目を通しながら1人で悩んでいた。勢い任せで彼女にあんな持ちかけをしてしまったが、こんな状況下で本当に言い出すべきか。
彼女が部屋にいない今、1人になって悲しみが一気に心に押し寄せてくる。和尚は、俺たちの為に犠牲になった。俺たちに関わらなければ、こんなことにはならなかった。俺の正義を振りかざした権力欲が、結果として彼を殺すことになってしまったのだ。その重大な事実と責任感に、1人で押し殺されそうになっていた。
立場は違えど紗宙も何かと責任を感じ、また悲しみ、心を痛めていることだろう。さっき洗濯室で、彼女が1人で泣いているところを目撃してしまった。
そんな両者共々悲しみに暮れている中、伝えたかったことを伝える勇気が、湧いたり枯渇したりを繰り返し、ずるずると後回しになっていた。
◇
なんだかんだしているうちに、入院生活最後の夜が訪れた。この日は、綺麗な満月が見える夜で、屋上に出て空を見上げると美しい秋の夜空が広がっていた。
フェンスの間から下を見渡すと、繁栄していて活気のある街の夜景を見ることができる。だけども、道の所々に点々としている軍服や白装束を見つけると、とっさにフェンスから離れるのである。
俺は、自販機でココアを購入してから、また屋上に戻ってくる。そして、ベンチに座りながらそれを飲んだ。冷たい夜風と分厚い厚着、そして暖かいココアが良いバランスを保っていた。
しばらくして、俺はまた考え事を始める。昔から、何かとウジウジ考え続ける傾向はあったが、ここのところその癖が過剰に出てしまっているような気がする。この先の俺の運命はどうなるのであろうか。そんなことは、神ですらわからないであろう。
俺が自分の世界に入っている間に、誰かがベンチの隣に立ち尽くしている。咄嗟に顔を向けると、そこにいたのは紗宙であった。約5日間の入院生活を送った彼女は、顔色も見た目もすっかり良くなり、元気も戻りつつある。
俺が起き上がりベンチに腰をかけると、彼女も隣に腰をかけた。彼女は、涼しそうに夜空を見上げる。
「ついに明日かー。」
「ああ。明日からまた逃亡生活の再開だ。」
彼女は、膝の上に置いた手のひらへ、運命線を眺めるように視線を落とす。
「正直、まだ和尚のことは忘れられない...。」
「それは俺も同じだ。だが、こういう危険な人生を選んでしまった以上、前を向き続けないと行けない。」
俺たち二人は、しばらく闇夜に浮かぶ星々を眺めていた。先生がいつか話していた、その人の命を司る星の話。それが落ちた時、その人物が死んだことを意味する。
この無限に散りばめられた星の中で、和尚の命星はどれなのだろうか。知らないから探しようもないが、それでも探そうとヤケになっていた。
そうこうしていると、彼女が思い出したようにあの話題を切り出した。
「そういえば、この間はごめん。うっかり忘れてた。」
俺の心に緊張が走る。
「あれなら大丈夫だよ。あのタイミングで言える話じゃなかったから。」
彼女は、俺の方を向き、真っ直ぐと顔を見つめてきた。
「もしよければ、その話聞いても大丈夫?」
俺の頰が少し赤くなる。言い出すタイミングがこんなに急に降ってくるとは思わず、脈が更に早くなり始めた。緊張する気持ちを抑え込む為、一度夜空を見てから深呼吸をする。彼女が不思議そうにこちらを覗き込んできた。
俺は思う。タイミングは今しかないと。それから彼女へ向き直り、目をしっかり見た上で思いを口にした。
「紗宙、いや、紗宙先輩。これまで迷惑かけ続けて本当に申し訳ないと思っています。」
彼女は、俺が急に堅苦しい口調で話し始めたので、呆気に取られている。
「え、そんなこと?」
つい緊張していつものペースが出せないでいた。だけど、これはこれで良いのだ。改まった気持ちで、過去の俺の気持ちを代弁しつつ今の気持ちもぶつける。弱い自分も成長した自分も、全て曝け出して彼女に選んでもらうのだ。
俺は、首を横に振ると話を続けた。
「俺はこの旅で、俺が知らない先輩をたくさん知ることができた。もちろん喧嘩したこともあったけど。でもやっぱり俺、先輩のことを考えている時が一番幸せで、辛いことや悲しいことも全て忘れさせてくれる。俺は、そんな大切な存在でどの星よりも綺麗な先輩と、リーダーとしてだけではなく、男としてもそばにいたいんだ。もう誰にも渡したくない。」
彼女は、照れくさそうな顔をしながらも、いつの間にか真剣に耳を傾けてくれていた。そして俺は言い切ったのだ。
「だからつまりその...。紗宙、俺と付き合ってくれないか?」
緊張で口ではカッコ良く言えないけど、態度だけはカッコ良くいたい。俺は、胸を張って堂々と彼女を見つめた。すると彼女も、一度涼しげな顔をしながら天を仰いだ。そして、少し何か考えるようなそぶりを見せてからこちらへ向き直る。
「良いよ。付き合お。」
それを言い終えると、彼女の顔から暖かい笑みがこぼれだす。俺は緊張がほぐれたことと、あまりの嬉しさに飛び上がりそうになった。その気持ちを程良く抑え、彼女を優しく抱き寄せる。
「紗宙。好きだよ。」
彼女が囁くようにありがとうと言った後、俺は彼女に軽めのキスをしたのだ。
こうして俺と紗宙は、ついに恋人同士の関係になったのである。俺たち2人は、明日からまた忙しい日々が始まると言うにも関わらず、日付が変わっても寝落ちするまで、これまでの思いを全てぶつけあっていた。
◇
翌日の早朝。俺たちは伸弥のご好意もあり、車で七北田川近くの福田町まで送迎してもらえた。匿ってもらっただけでも、いつか恩返しをしなくてはならない恩人なのに、危険を顧みず送迎までしてくれるとは、なんと優しい人なのだろう。彼と離れることが少しばかり寂しく思える。
「この恩を忘れることはない。本当にありがとう。」
俺が深く頭を下げて礼を伝えると、伸弥もまた深々と頭を下げる。
「君たちと巡り会えたのも何かの縁かもしれない。その縁に感謝する。」
「次に来るときは、この街を征服しに来る時である。街から必ず教団を追い払うから、それまでは辛抱してくれ。」
彼は、車のエンジンをかけ、それから俺の方を向く。その目つきは、今までの人生で何度も目にしてきた夢をバカにする目つきとは訳が違う。本当に成し遂げるだろうという期待の視線だ。
「そうか。では次に会うときは、是非かかりつけの医者にでもしてもらおうかな。」
真剣な話で閉めたくない。そう思ったのか、彼は軽い冗談を挟んでから車へ乗り込んだ。そして、彼の車は市内へ戻っていくのであった。俺と紗宙は、寂しさをひた隠しつつ、彼を笑顔で見送ったのである。
◇
だけども本番はこれからだ。目の前にそびえ立つこの長い城壁を、いかに通過するのかだ。侵入の時は、運よく検問を越えることができたが、そう何度も通り抜けに成功できるとは思えない。それに奴らは、俺たちが城内に潜んでいることを知っている為、外へ逃げ出せないように、前よりも厳重に警備しているようである。また、俺たちにはスマホが無く、先生と連絡を取ることもできない。伸弥の病院に戻れば連絡手段はあるものの、そこまで戻ることはリスクしか感じない。俺は一旦状況を整理することにした。
まず先生は、俺たちが伸弥の車で福田町まで向かったことは知っている。それを把握しているということは、囮部隊の3人が今頃は敵を引きつけてくれているだろう。だとしたら、目の前の検問所の警戒がそちらに向いている可能性が少なからずある。そうなってくれば、今が突破のチャンスと言える。
だけども検問員や城壁の兵隊は、大人数ではないとはいえ、ショットガンなど殺傷力の半端ない銃器を所持している。故に、下手に戦えばお陀仏となる可能性は高いから、見つからずに通り抜けできるのが一番良いのである。
だが、連絡手段がなくてタイミングが取れない現状において、どのように動けば正解なのであろうか。俺は考えに考え、もう一度抜け道がないか、病院で頂いた地図を開いて目を通していた。
そんな時、町の警報が鳴り響き、人々が流れ出る公共ラジオの音声に注目している。俺たちもそのラジオに聴きいってみた。そして内容を把握した俺は、不敵な笑みを浮かべる。
「先生め、やってくれたな。」
内容はと言えば、どうやら山形に駐在している新潟官軍が、仙台西側の検問に奇襲攻撃をかけたと言うものであった。すぐさま目の前にある北の検問所を確認すると、役人や兵士が動揺している光景が目に入った。
そのあとすぐに、第二の情報が流れる。市内の東側で潜伏していたテロリストたちが暴動を起こしたので、市街地で銃撃戦が起こるかもしれないというものだ。どうやら、カネスケ達も動き出したようである。こんなに都合よく騒ぎが起こったのは、おそらく先生の作戦に違いない。
もう一度城壁を見てみると、兵士のほとんどが姿を消した。残ったのは、拳銃や警棒など簡単な武器を所持した役人だけとなっている。
動くチャンスは今しかない。俺は、紗宙とともに物陰に隠れながら門に近づく。そして彼女に拳銃を手渡す。
「逃走の妨げになる相手は3人だ。1、2、3で一気に撃ち殺す。終えたら全速力で走り抜ける。」
彼女も息を飲んで頷く。ここで失敗しては、全てが水の泡と消える。俺たちは、慎重に監視小屋の裏へ回り込む。
そして、合図とともに表に飛び出し、通行人の検問をしていた役人達を一斉に始末。それを終えると、俺は彼女の手を取って、門の出口へ向かって全力で駆け抜けた。
検問所から通行人の悲鳴と警報が鳴り響く。小屋から役人が続々出てきて、俺たちのことを追いかけて来る。俺は、度々振り返り、拳銃で奴らに応戦しつつ、出来るだけ遠くへと走った。けども奴らの足は速く、このままで必ず追いつかれる。
そう考えていると、目の前に鍵のついていないママチャリが捨てられているのが目に入る。俺は、すぐさまそれに跨り、紗宙を荷台に座らせた。そして思い切りペダルを踏み込み、堰を切ったようなスピードで、奴らとの距離を引き離していった。
◇
なぜだろうか。迫ってくる役人達から逃げる時、誰かと殺し合っている戦闘中よりも緊張して頭が真っ白になっていた。そのせいで、紗宙に声を掛けられるまでは、無我夢中でペダルを漕いでいたのだという。
それにしても、自転車での二人乗りは初である。しかも、彼女を後ろに乗せて走る憧れのシチュエーションだ。そんな憧れのシチュエーションは、ある意味で記憶に残るものになってしまった。
あまりにも急スピードを出したために、紗宙は俺に必死でしがみ付いていた。彼女には申し訳ないが、生き残るためには仕方がなかったのだ。それに個人的には、こんなに密着できたのは嬉しいことでもあった。
俺は、大通りを走ればいずれ車で追いつかれると考え、奴らの姿が見えないうちに住宅街の裏路地へ入り、そこを縫うようにして先へ進む。この市街地の道は、狭く視界が悪い上にカーブと坂道も多い。どこから敵の魔の手が忍び寄って来ないか常に警戒しながら、彼女に気を使いながら前へ進む。時たま急ブレーキをかけたり転けそうになると、彼女が本気で怖がって俺の身体をギュッと締め付けた。その度に俺は申し訳ない気持ちと、彼女とくだらないやりとりができる嬉しさが入り乱れて変な気持ちになった。
街から離れ、敵の姿も見えなくなったので、ある程度スピードを落としながら自転車をこぐ。しがみ付いている彼女が、安心したのかため息をつく。
「めっちゃ怖かったー。」
「悪かった。ごめん。」
紗宙は恋人らしく、ぎゅっとくっついたまま話を続けた。
「でも、あいつらに捕まるよりかは全然マシ。それに、信頼してるからなんとかなるって思える。」
「お、おう。任せといて。」
俺が照れながら言葉返すと、彼女はさりげなく呟いく。
「怖かったけど、ちょっと楽しかった。」
「俺が紗宙の立場なら気を失ってるよ。」
「まあ、私は荷台に乗るの慣れてるから。昔の話だけど。」
昔の紗宙のことを思い出す。しょっちゅう彼氏や友達の後ろに乗りながら、楽しそうにしていた彼女の姿が目に浮かんだ。そして思うのだ。俺は、この歳になってようやく青春デビューも果たしたなと。
情けない話で悔しさが込み上げてくるものの、彼女の暖かさがその怨念のような気持ちを打ち消してくれる。そういう妄想に陥って無言になった俺に、彼女が尋ねてくる。
「そういえば私たち、どこまで逃げ延びればいいの?」
「明日の夕方までに松島へ着けば、そこに先生が迎えにきてくれる手はずとなっている。」
「松島か。そこそこ距離あるから気が抜けない。」
「そうだな。今夜の潜伏場所も考えないと行けない。」
すると彼女は、恐る恐る聞いてくる。
「もしかして...、野宿??」
「野宿しかないだろ。」
当たり前のように言い捨てると、彼女のテンションはガタ落ちだ。
「運よく民宿でも見つからないかな...。」
「探す努力はしてみるか。」
自転車が揺れる。彼女がお願いと言わんばかりに、腰へ回した腕の力を強める。それが可愛くて、疲れていた足が嘘ように動き、自転車はぐんぐんと前へ進んでいく。
そうこうしている間に、なんだか向かい風が強くなってくる。異変に気づき周囲を見渡すと、いつの間にか住宅街を抜けて田舎の農道を走っていた。周りには人っ子一人おらず、所々に倒壊した家屋や荒れ果てた畑、そして白骨化した遺体が放置されている。それを目にした俺は、あまりの悍ましさに景色を見続けることができず、ただ前を向くことだけに集中した。
風がまた徐々に強さを増し始め、俺たちの行く手を阻むかの如く前から迫ってくる。荒廃した焦土に吹く冷たい北風は、とても気味の悪いものだった。けども、今の俺には支えてくれる人がそばにいる。それだけで気持ちの励みとなり、向かい風を押し返すパワーにも繋がったのだ。
◇
時刻は夕刻を回る。松島は、平和な時代であれば、仙台から自転車を3時間も漕いでいれば着く距離にある。だけども、逃亡中の俺たちはそうも行かなかった。
いく先々で教団の支持者と遭遇してしまったり。官軍に見つかり命からがら逃げ惑ったり。幾多の困難を乗り越えて、ようやく葉山という集落までたどり着く。
自転車がパンクして使い物にならず、昼飯も抜き、足もガクガクの疲労困憊状態。本来であれば、宿へ泊まりたいところではあるが、ここらの民宿は、暴走族の介入によってほとんど閉業してしまったようである。
俺たちは、仕方なく集落から外れていて、敵にも気づかれにくいであろう展望台のある公園で、野宿をすることに決めた。
公園に着くと、展望台の下の風が凌げる場所で、腰を下ろして肩を寄せ合う。恐らくこの場所は、何年も人が来ていなかったのだろう。草が生い茂り、街灯もなくて真っ暗だ。もしかすると、そこら辺から鹿が飛び出してくるかも知れない。
相変わらず風も強くて、周囲の木々がまるで妖怪の如く、轟々と音を立てて揺れている。俺と彼女は、冷たい秋風が吹き荒れる中で、身体を寄せ合いながら凍える時間を過ごしていた。
俺は、震える彼女に自分の上着を被せると、彼女の背中をさする。申し訳なさそうにありがとうというと言った彼女が、お礼とばかりに俺にハグをしてきた。俺は、こんな劣悪な環境に身を置いているにも関わらず、この瞬間が人生で一番暖かいのではないかと思ってしまう。
俺の腕の中で、彼女がいつの間にか眠りに落ちている。俺は自分を、そして彼女を守るためにも寝ないことを決めた。腕の中に最愛の人がいること、それがモチベーションにつながるのだ。一晩くらいであれば、どんな寒さにも耐えていける。そう思いながら、過酷だけどちょっと幸せな夜を明かすつもりでいた。
しかし、ここで予想外のことが起こった。なんと、誰もくることはないと思っていた公園に、人が入ってきたのである。緩んでいた気持ちが一瞬にして凍るように固くなる。
俺は立ち上がり、物陰から様子を伺う。すると、懐中電灯を持ったそいつは、キョロキョロ何かを探している。そして何かに気づいたように、こちらへ向かって歩き出した。
こんな真夜中に怪しい。そう考えた俺は、持っていた拳銃を構えると、そいつが近づいてくるのを待ち伏せる。そして、2人の距離が5mくらいに差し掛かったくらいで、物陰から飛び出してそいつに銃口を向けた。
「動くな!!」
するとそいつは、驚きながら両手を上げる。
「おっと、決して怪しいものではありませんよ。」
俺は銃を下ろさない。納豆みたいな顔をした彼は、言い訳のごたくをならべるかのように、ここへきた理由を話す。
「こんな夜間に、展望台に入った人がいたと聞いたもんだから、呼び戻しにきたんですよ。」
監視でもしていたというのか。俺は、冷たい口調で問うた。
「なぜ呼び戻す必要がある?」
「ここの展望台は暴走族がよくたむろしており、迂闊に野宿をしていると殺される可能性があるのですよ。だから、集落まで連れ戻しにきたわけです。」
ここら一帯が治安の悪いことは知っていた。だが、この公園がそういう場所であるとは思いもしなかった。彼は、作ったような優しい笑顔を振る舞ってくる。
「私、宇野民部(うの みんぶ)と申しまして、この辺で民宿の経営をしております。お二人が良ければ、今夜泊まっていってください。」
俺は悩んだ。もしかしたらこの宇野という男は、教団の差し金かも知れない。彼について行き、そこで囚われるようなことがあってはどうしようもない。だけど、気温がどんどん低下してきている。無理して野宿して風邪でも引いたら、それもそれで明日からの行動に響いてくる。それに、奥で寝ている紗宙を横目で見て思うのだ。できれば彼女には、こんな野宿なんてさせたくはない。
黙っている俺へ、宇野が更なる追い討ちトークをかけてきた。
「この辺は、人が減ってからツキノワグマも頻繁に出没してます。是非、私の民宿にお越しください。」
俺は、この胡散臭い男の押し売り営業に不信感を抱いている。でも、それ以上にツキノワグマの話に不安を覚えた。その為、しかたなく意を決する。
「わかった。お前の宿に泊まらせてもらう。」
宇野が満足げな顔をして、感謝の言葉を口にする。俺は紗宙を起こして事情を説明。こうして俺達は、宇野民部の経営する民宿に一晩止まることとなった。
民宿へ向かう道中に、紗宙が俺に小声で囁く。
「宇野民部。すごく嫌な感じがする。」
どうやら同じことを感じているようだ。彼からは、どことない小物感と、人を見下しているような独特な空気が感じ取れた。
「彼を信頼しているわけではない。ただあの公園は危険だ。」
「とりあえず従ってみるってこと?」
「まあな。」
「大丈夫なの?」
「安心しろ。俺がずっとそばにいるから。」
彼女は、俺の腕を握りながら頷く。
「ありがとう。でも無茶はしないでね。」
俺も彼女の目を見つめて頷いた。2人でいれば、どんな困難も乗り越えられる。根拠のない論述を盲信しながら、北風の吹き荒れる道を民宿まで歩く。強風のせいで雲の流れが早い。時々顔を出す月が宇野民部の顔を照らした時、彼が非常に満足そうな気味の悪い笑みを浮かべているようにも見えた。
◇
俺と紗宙が寝静まった頃。宇野民部は、民宿の管理室で電話をしていた。彼の握る受話器は汗ばみ、熱を帯びている。
「奴らは今、俺の手の中にいるぞ。」
「全員っすか?」
「いーや2人だ。けど、1人はリーダーの北生蒼さ。あの忌々しい住民軍の総大将よ。」
彼がそのことを告げると、電話越しの温度感も上がる。
「マジですか。それはやべっすね。さすが民部さん、天が味方してますな。」
「奴を殺して蔦馬さんの仇を討つ。そしてあのお方に首を献上すれば、俺は暴走神使七雄に格上げされるかも知れねえわけだ。」
「そりゃすげえっす。北生蒼といえば日本政府や教団、それに官軍からも指名手配されてる重罪人。そいつを消したとなれば、民部さんの名が全国に轟きますね。」
「おうよ。だからこそ、お前らにはしっかり働いてもらわねえとな。」
「任せといてください。奴に、元古川ブラッドキングの恐ろしさ見せつけてやりますわ。」
「いい気合いだ。それと奴は、陰キャラのくせに美女を連れてやがる。奴を殺した暁には、その女を俺たちの手で可愛がってやろうぜ。」
電話の向こう側にいる彼の仲間たちは、一斉にテンションを爆発させて騒ぎ回っている。
「予定通り頼むぞ。」
そういうと彼は電話を切った。そして自身の集めた彫刻を見つめてうっとりしながら、あの薄気味悪い笑みを浮かべるのである。
◇
彼の企みが動き出そうとしている頃。俺と紗宙は、2人で1つの布団に包まりながら、まだどこか遠い夢の世界にいるのであった。
遥か彼方から接近してくるラッパの雑音と爆音の魔の手が、ようやく結ばれた1組のカップルに迫りつつあることも知らず。
(第二十七幕.完)