第十二幕!ワイン会
文字数 11,813文字
灯恵は、さっきまで泣いていたからか、しょぼしょぼしている目を拭って鉄格子を見つめた。隣では、気流斗が血だらけの拳を見つめながら、暗い顔して横たわっている。
「だから無理しないでって言ってるじゃん。気流君までボロボロになっちゃう。」
彼は、灯恵の心配を他所に大声で怒鳴る。
「うるせーよ!!!姉さんが殺されちまうかもしれねーんだぞ!!!こんなとこでグズグズしてられっかよ!!!」
そう言いながら、壊れた拳の代わりに頭突きで檻を壊そうとし始める。いくら灯恵が静止しても耳を傾けず、額が血で赤く染まるまで続けた。
音に気づいた看守が入ってきて、気流斗の腹に思い切り前蹴りを食らわせる。気流斗はふっ飛ばされて壁にぶつかる。そして、血が混じったような胃液を吐きながらその場に倒れた。
灯恵が気流斗に駆け寄って声をかけると、彼は血を垂れ流しながら言う。
「下がって...。こいつ...殺すわ。」
気流斗は立ち上がり、力を振り絞り立ち向かおうとした。しかし看守は、彼を抑え込むと何発か警棒で殴ってからスタンガンで気絶させる。
灯恵が気流斗を揺さぶりながら、安否を確認しようとする。看守は、そんな彼女を見下す。
「生意気なガキは、こうでもしねーとまた粋がるかんなー。死なない程度にいじめてやんねーと。」
目の前で苦しむ未成年をバカにしながら看守があざ笑う。灯恵は、冷酷な弱いものいじめでイキり立つその姿にキレた。
「てめえ何しやがんだよ!!!人をなんだと思ってやがる!!!」
「お前らがおとなしくしてくんねーと、俺が領主様に怒られちまうんだよなー。まあでも、お前らもヒドゥラ教団の寺院で修行でもすれば、もっと立派な人間になれっからもう少し我慢しやがれ。」
そう言うと、気流斗を鋼の鎖で縛り上げ、それから灯恵の顔面を渾身の力でぶん殴る。灯恵は、床に倒れこみ意識を失った。
看守は、最後にこう言い残し去っていく。
「この行為は聖戦である。世の人間は、宇宙を司るヒドゥラ神の元で平和を望む正義の刃か、淫らな争いを求める蛆虫のどちらかしかいない。俺は前者だ。この暴行は平和の礎に過ぎんのだ。」
はるか遠くの彼方、その看守が仲間たちに賞賛されている声が聞こえてきたような気がした。何もできず力のない自分に対して、はらわたが煮え繰り返りそうになる。だが、今の灯恵に抵抗する力はなかった。
◇
砦の大広間で開かれているワイン会。新庄領主の桧町亜唯菜と招待された客人たちが、山形各地で作ったサクランボワインを飲み比べながら、くだらない世間話や政治の話に花を咲かせていた。
その中でも亜唯菜は、公国の厚生労働大臣である羽後臣貴(うご おみたか)と、ヒドゥラ教団仙台支部代表の新藤久喜(しんどう くき)、そして亜唯菜が崇拝しているリンという謎の女と4人で語り合っていた。
彼女は、自分よりも力のある3人のご機嫌をとることで必死だ。
「いかがですか、山形のワインのお味は?」
臣貴が美女の頬を撫でるように、ワイングラスを撫で回す。
「美味いね。でも、地元の日本酒の方が口に合うな。」
久喜は、取引先との飲み会で立ち振る舞うリーマンみたいに、こちらの出方を伺いながら接してくる。亜唯菜とって教団は取引先の客人であるが、彼らにとってもこちらは貴重な取引先なのである。
「美女と飲むお酒は美味だ。」
気色悪い言葉を口にする彼に亜唯菜が尋ねる。
「出家しているのにお酒飲んで大丈夫なんですか?」
「ふむ、良い質問ですな。我が教団では、修行を極めた者のみ飲酒が許可されるのです。ここでいう修行というのは、教祖である法王様から神格を授かるまでの行程のことをさしております。」
「なんか色々あるんですね。神格を授かることって難しいことなんですか?」
久喜がドヤ顔をして自慢げに語る。
「ふふふ、そりゃあ難しいですよ。例えるならば、東大に合格するくらいですかね。全国100万人の信者がいる中で、私含めて8人しかいないのですから。」
亜唯菜と臣貴は、ついつい声を出して驚いていた。しかし臣貴の興味は、久喜の自慢なんかよりも別のところへと向けられていた。彼は、鼻の下を伸ばしながら亜唯菜に尋ねる。
「亜唯菜君。そのお隣にいる黒髪ボブの美女はどなたかな?」
「リン様です。私の古くからの知人で昔からお世話になっております。」
臣貴がイヤらしい目つきでリンを見つめる。
「私、羽後臣貴と申します。よろしければ今度一緒にお茶でも如何かな?」
彼は、物色するようにリンへ顔を近づけた。すると亜唯菜の顔が少し曇る。そしてリンが冷めた笑みを浮かべる。
「亜唯菜、このおじさんなんとかできないの?」
彼女の言葉を聞くや否や、亜唯菜の顔がいつの間にか真っ青になっていた。
「リン様、臣貴殿も酔っ払ってるだけですのです。ご無礼お許しください。お願いします。」
亜唯菜のことなど御構い無しに、臣貴はリンの手を握ろうとした。すると彼女は、ワインのグラスで亜唯菜の頭をぶっ叩いた。ガラスが飛び散り、亜唯菜はワインまみれになる。臣貴と久喜があっけに取られているなか、亜唯菜は土下座してリンに謝罪をする。しかしリンは、それに見向きもせず臣貴の耳元で囁く。
「おじさん、可愛いね。」
臣貴が何も言わずキョトンとしている。リンは、さらに詰め寄るとまた囁いた。
「でもー、ナンパするときは相手選んだ方が良いよ。お前は、角刈り、デブ、シャクレの三点セットなんだからさ。」
リンが臣貴を優しく睨みつける。臣貴は、只ならぬ恐怖とその美貌の前に何も言葉を発することができず、ただなんとなく顔を火照らした。
久喜がその異様な光景に恐怖を感じ、彼女から目を背ける。でもリンは、彼に近づくと覗き込むようにして目を合わせた。
「私、そんなに怖い?」
リンの瞳は美しすぎて吸い込まれそうなくらい綺麗だ。しかし、その瞳の奥には、ただならぬ狂気が潜んでいた。久喜はただ一言『お美しい限りです』と言う以外に言葉の選択肢がなかった。
リンは、それを興味なさそうに無視すると、亜唯菜の髪を引っ張って立たせる。
「ねえ、私を楽しませるための余興とかないのかな?」
亜唯菜が目を真っ赤にして震えながら考える。
「昨日捕らえたガキ二人に、殺し合いをさせるとかは如何でしょうか?」
リンは、感情を一切感じさせない冷たい視線で彼女を見つめる。
「ふつーすぎじゃないその企画?」
「では、少年に少女を一方的に痛めつけさせるとかは如何ですか?」
「その方が楽しそうだね。」
答えを聞くと、リンがほくそ笑む。亜唯菜のさっきまでの強張った表情が和らぎ、認められたことに対して幸せそうに笑う。そこで久喜が慌てて口を挟んだ。
「まてまて、ガキは教団にとって貴重な資源なのだ。殺されては困る。」
リンは何も言わず、手に握ったグラスの破片を久喜に突き刺す。彼があまりの激痛に悲鳴をあげて退く。
「な、何を致しますか。」
「お前、うるさい。」
彼女は、顔も合わせず言葉を吐き捨てる。それから灯恵たちをここへ連れてくるように指示を出した。亜唯菜が鞭で打たれた馬の如く急いで準備に入る。
臣貴は、危険でミステリアスな彼女の美しさに魅入られて、微塵もその場から動かない。リンは、彼の頰に手を添え、その髭をじゃりじゃりと撫でた。
「おじさん。私ね、公爵夫人の夢華様とお友達なの。だからー、おじさんのことなんてどうにでもできるんだ。」
彼女が手刀で臣貴の首を軽く叩く。すると臣貴は、ニンマリしてからキリッと顔を戻した。
「どんな指示でもお出しください。貴方様の頼みごとであれば、なんでも引き受けます。」
リンは、一瞬鼻で笑ったかのように思えば、すぐに輝いた目で彼をまっすぐ見つめる。
「わーカッコいい。頼りにしてるからね。」
臣貴が抑えられずにニヤつき顔へと戻る。リンは、浮かれているおっさんへゴミを見るような視線を向けてから、その目を隣で震えている久喜に移した。そして彼の背中を軽く叩くと、晴れ晴れとした笑顔で声をかけた。
「人間の心を揺さぶるのって、ほーんと楽しいね。」
久喜は、彼女の圧倒的な美貌と闇の魅力の前に、ワインを口にしながら苦笑いすることしかできなかった。
◇
もう日が暮れてしまった。俺たちの乗ったバンは、古口港に到着。かつて観光の川下りで使われていたこの港。公国支配下の元で増築され、新庄周辺から酒田までの重要交通手段の1つとなっている。
俺は、買ってきた弁当を食べながら作戦について考えていた。秋田公国の兵隊は、ヒドゥラ教の末端信者と違い、正式な軍事訓練を受けている者ばかりだ。武器も領内にある自衛隊基地を制圧して入手した最新兵器である。まともにやりあっても勝ち目がない。その上に無駄に死に急ぐだけだ。もし、何かのきっかけでやりあうことになったら、どう対処していこうか。全く想像できなかった。
もやもやした思考に悩まされていると、隣で紗宙が窓の外を眺めている。行き詰まった時、彼女の声を聞いて元気を貰いたい。そう思って彼女の背中を指でつつく。すると彼女は、こちらを振り向かずに言う。
「夜空が綺麗。」
俺も便乗して窓の外を見ると、都心ではお目にかかれない白夜のような満点の星空が広がっていた。
その時にふと思う。あのままサラリーマンを続けていたら、紗宙と一緒に綺麗な星を見ることなんてできなかったのだろうなと。
「これからもっといろんな景色見ていきたいな。」
「その為にも、お互い長生きしないとね。」
そう言った彼女は、護身術の本をカバンから出した。本のタイトルは、『生きる為に出来る事』。題名を聞いただけでは、護身術の参考書というよりも小説を連想してしまう。
「先生からオススメされたの。」
彼女がペンライトで本を照らしながら、ページをペラペラとめくって見せた。内容が思っていた以上に実践的でわかりやすく書かれている。流石は先生、参考書のチョイスもピカイチだ。
そして俺は、戦っている彼女を想像して少しカッコよく思えた。でも、守られてしまうような弱い男にはなりたくはない。
「護身術を使わせないくらい強くなるから見とけよ。」
「期待してる。でも、私も戦うから見ててね。」
「なんか変わったよな。あんまり乗り気じゃなかったのに。」
「蒼や直江君が命かけて野望へ挑んでる姿を見てたら、私も負けてられないって思った。」
彼女の目に、俺がそんな風に映っていたとは思わなかった。クールを装いたいけど、照れ臭くてむずむずしてきた。
「なんか、ありがとう。」
「でも、勘違いして欲しくないのは、戦いが好きになったわけじゃない。みんなと一緒に戦うことに前向きになれたってだけだから。」
俺の中で嬉しい気持ちと、これから続く長い戦いに巻き込んでしまった申し訳なさがこみ上げる。
「いつか戦いやめて、みんなでBBQでもやりたいよな。」
「それ楽しみ!絶対しよ!」
2人がそんな話をしている頃、後ろでは典一とカネスケが結夏の話を聞いていた。昼間は俺たちに気を使わせ為、気丈に振る舞っていたが、やはり義娘のことが心配なのだ。そして後で知った話だけど、この頃から典一とカネスケの恋の戦いが始まっていたらしい。
助手席では、先生が弟の俊と電話で情報交換をしている。俊曰く、関東地方は不穏な空気に包まれているが、まだ俺たちがいた頃と状況は変わっていないのだと言う。
2ヶ月ちょっとしか経ってないから当たり前だと思うかもしれない。だけども、いつ何が起こってもおかしくない情勢であり、マメに情報交換をすることが大事なのだそうだ。
◇
話に夢中になっていると、すでに時刻が20時を回っている。みんなの気持ちに緊張が走り始めたのか、車内を徐々に静寂が支配し始めた。
時々車の外を眺め、護送車や怪しい車両が来ないか監視していた。しかし、姿を見せる気配すら感じない。
俺は、紗宙を誘ってバンの上に登り、作戦のことを改めて話す。すると彼女は、心配そうに遠くの暗闇を見つめる。
「流姫乃さん無事かな...。」
「あいつらの目的は、公国へ彼女を献上することだ。現段階で危害を加えたら売値が下がるだけだから、まだ無事だと思うよ。」
「でも人攫いとか、どうしてそこまでするのかな?元々は、苦しんでいた地元の人達を救う為に建てられた国なんでしょ?」
「領内の安定を保つ為に、負の部分を全て植民地にぶつけているんじゃないか。どこかにガスを抜く場所がないと、きっと国家も人間みたいに自爆してしまうのかもしれない。」
「誰かの犠牲の上に成り立つ平和なんて、本当の平和じゃないと思うけど。」
「その通りだ。でも、現実的に全員平等なんて不可能なんだ。俺たちが育った民主主義国家の日本ですら、貧富の差、能力の差、親の教育力の差、環境の差、コミュ力の差、その他いろんな観点から、有能な人間が無能な人間の犠牲の上に成り立ってる構図がある。平等なんて夢のまた夢なんだ。」
紗宙が澄んだ瞳で俺を見つめる。
「蒼は国を作るんでしょ?そこのところはどうしていくつもりなの?」
「そうだな。どんな人間にも、100パーセントの可能性と希望がある平等社会を作りたいな。」
紗宙が首を傾げているので俺は語る。
「例えば今の日本って、年をとればとるほど転職とか困難になったり、何か挑戦しようとしても世間体を気にしたり、家庭を持ってたりして挑戦できなかったりするじゃん。つまり、暗黙の規制が世に蔓延しているんだ。そう言った社会の風潮や仕組みを根本から崩壊させて、老若男女全ての人間が幸せに対して積極的に挑戦しやすい、いや挑戦していくことが当たり前な社会を作っていきたいんだ。」
きっと痛い奴だと思われているのだろう。だけど彼女は、冷めた顔ひとつせず、相槌を打ちながら聞いてくれる。
「なんか難しい。けど、蒼や先生ならきっと成し遂げられると私は思う。」
どうしてそう思うのか尋ねると、彼女はボソッと思ってることをこぼす。
「だって、政治に対する思いがものすごい熱いから。」
不意に笑ってしまった。なぜなら、彼女が冗談を言っているのかと思ったからだ。でも、そうではないようだ。その綺麗な瞳が、なぜだかキラキラと輝いているように見える。
「少なくても、私が知っている人の中では1番だよ。なんと言ってもその熱さが、難しいことに興味ない私の心にも火をつけ始めてるんだから。」
「山火事になってない?」
「まだ焚き火くらい。でもいつか花火みたいに打ち上がってるのかも。」
「なんか。いま、凄く嬉しい。」
そう言うと、俺の目には涙が溜まっていた。無意識の間に湧き出たそれらは、まもなくして頬を伝った。
「そんな褒め方されたの初めてで、勝手に感動してた。やっぱ紗宙さんを誘ってよかった。」
すると彼女がクスリと笑う。
「久々にさん付けされるとなんかやだ。けど思えばあの時、誘ってくれたお陰で私も変われた気がするの。だからこちらこそありがとう。」
「どういたしまして。これからも沢山の壁にぶち当たるだろうけど、一緒に乗り越えていこう。」
紗宙が微笑んで頷いた。風が吹き始め、彼女の髪をなびかせる。俺は、星空を見上げるその横顔に、また見惚れてしまっていた。
その時、国道の彼方から軍用車が走ってきた。戦いとは突如として始まるものである。俺と紗宙は、急いでバンの中に身を潜めた。
◇
カネスケが双眼鏡で軍用車を見ると、明らかに一般車両とは違う。その風貌は、一目で護送車であることがわかった。なぜ、そのような目立つ出で立ちなのか。聞いた話によると、この辺りでは公国以上の武力を持つ組織が存在しないため、わざわざ危険を冒してまで軍の関係機関を攻撃するような輩は存在しないからだと言う。
護送車が港の裏口へと入っていく。俺たちは、実行後すぐに逃走する為、運転席にカネスケを残すと護送車を追いかけた。
港の裏に回り込み、物陰から動向を伺うと、積み下ろしの準備が整いつつあった。そして数分後、屈強な軍人と役人に見守られながら積み下ろしが始まり、護送車から人が降ろされる。しかし、どいつもこいつも不衛生な山賊男ばかりだ。山形北部、そして秋田公国領内には『荒鬼陀害児』と言う、人の生首を集めることにステータスを感じている凶悪な山賊が存在するが、きっとそれ関連の男達なのであろう。
待つこと15分。ついに俺たちの狙いは的中した。目隠しをされた流姫乃が現れたのだ。カネスケの双眼鏡で結夏が確認したところ、紛れもなく本人である。
それが明確になった時、先生が拳銃を両手に構え、有無を言わさず屈強な男の首元に球を打ち込んだ。男の首は吹っ飛び血が舞い散り、役人たちが慌てふためき始める。
先生以外の4人は護送車の背後へ回り込み、一気に流姫乃の元へ駆け寄った。結夏が声をかけ、すぐに目隠しを外す。流姫乃は、この状況をまだ飲み込めずに唖然としていた。
感動の再会を楽しみたいところだが、そんな余裕は存在しない。港から次々と役人が出てきて、こちらに迫ってくるのだ。俺たちは必死に逃げるが、奴らの足は思った以上に早い。
俺と典一、そして先生は、女性3人を先に車へ走らせると、追ってきた役人たちと闘争することになった。
奴らの中には、サーベルや拳銃等の殺傷武器を所持しているものがいる。先生は、それらをすぐさま拳銃で撃ち殺す。
俺も死ぬ覚悟で戦ったが、ついていくのが精一杯だ。武器を持っていない奴らも一般人よりかは戦闘力が高く、恐らくは武道熟練者なのだろう。一方の典一は、迫り来る敵を回し蹴りで薙ぎ倒し、急所を的確に狙ったりと、難なく役人どもを打ち倒していった。
彼は、敵をあらかた片付けると俺の加勢に入ってくれた。そのおかげで死ぬことなく、なんとか敵部隊を全滅させることに成功。
でも、呑気に余韻に浸っている余裕はない。港の警報から逃げるかのように急いで車に乗り込む。カネスケは、女性陣に一言謝罪すると、アクセルを思い切り踏み込む。そして車は急発進して、一気に古口港を脱出したのであった。
◇
俺たちは、新庄市街地を見下ろせる高台にある道の駅の跡地の物陰に車を止める。そしてライトを消して身を潜めた。
ここに到達するまで、流姫乃はずっと結夏に抱きつきながら怖かったと連呼していたが、そんな彼女もようやく落ち着きを取り戻したようだ。
俺は、彼女に無事でよかったと伝えてから、灯恵たちのことについて聞いた。すると彼女が我に返ったように答える。
「2人は確かに砦内にいるわ。この情報は間違えない。」
結夏が無事かどうか尋ねると彼女は俯く。
「わからない。けど車に乗せられる時に看守に言われたの、『お前は二度と弟に会えない。なぜならお前の弟は、御領主様の”おもちゃ”に選ばれたのだから。』って。」
結夏がその意味について尋ねるが、流姫乃は小さく首を振る。でも、悪い意味であることだけは確かである。すぐに助けださないと大変なことになるだろう。
先生が、桧町亜唯菜に対する子供2人の引き渡しの交渉文を考え始める。どの文章を使えば奴を釣ることができるのか。先生ならきっと、無数に浮かぶ選択肢の中で、最良の策を叩き出してくれることだろう。彼の焦りを感じさせない表情から、そんな状況が想像できた。
しかし、危機であることに変わりはないのだ。俺は、敵の内部情報を骨の芯までしゃぶり尽くす為、流姫乃へ尋ねる。
「捕まっていた際、美人狩りや教団との繋がり、その他公国について何か知ったことありますか?」
彼女は、声を若干震わせながら、苦い記憶を口にした。
「恐怖のあまりほとんど覚えてないけど、駐車場でヒドゥラ教のエンブレムが刻まれた高級車を見かけたわ。恐らく幹部クラスの人間が、あの砦には出入りしていると思う。」
「公国と教団の結びつきは、相当強い可能性があるということですね。」
公国と教団の関係性が強い。となれば、教団の一声であのどデカい独立国家を動かすことができるということだ。それだけではなく、教団と敵対している俺たちを執拗に追い詰めてくることも考えられる。考えるだけで身の毛がよだった。
しかし、先生の考えは違うようだ。
「公国はかつて、県内の新興宗教を一斉摘発して、県外に追放したことがございました。その追放リストの中に、ヒドゥラ教も含まれていたのだとか。」
ならばなぜ、教団の高級車が新庄砦に止まっていたのだろうか。公国が教団から車両を奪い取ったのか、それとも何らかの狙いがあって関係の再構築に向けた交渉でも行なっているというのか。
色々考えている間に、運転席でくつろいでいたカネスケが口を挟む。
「国というよりは、桧町亜唯菜が個人的に教団と関係を持っているとも考えられますね。」
「なるほど。奴を揺さぶるには好都合だな。」
俺が彼の意見に納得して浮かれていると、先生は既にその方向で考えていたとばかりに、話を進めていく。
「公国に無断で敵対している団体と接触している。これが世間の知る所となれば、彼女やその取り巻きの立場は無くなるでしょう。それに、攫った女を奪い取られた失態。彼女らを追い込む材料にはもってこいです。この内容を交渉に織り交ぜ、砦に通告いたしましょう。」
「もしも公国公認だったらどうする?」
「ご安心ください。奥の手も考えておりますので。」
彼は、俺の鋭い疑問を鮮やかに受け止めてくれる。奥の手こそ語らなかったが、とんでもない必勝策を考えているに違いない。
そう期待しながら一息つこうとした時、彼も交渉文を組み終えたようだ。先生は電話を手に取り、政庁会館で発見した砦の警備室の番号に電話をかけた。彼の丁寧かつ煽るような交渉に公国側も焦りを覚え、一旦確認すると電話ん切られた数分後、すぐに折り返しがかかってくる。
どうやら桧町亞唯菜は、相当憤慨しているようだ。すぐに交渉したいから砦に来いとのことであった。
おそらく奴らのことだ。砦に誘い出して、俺たちを抹殺する気なのだろう。だが俺たちは、2人を助け出す為ならば、砦に乗り込むことに躊躇は無かった。
◇
古口港でいざこざが起こっている最中。砦の役人や重役たちは、まさかそんなことが起こるなど想像もしていないので、相変わらずワインに酔い浸りながら余興を楽しんでいた。
亜唯菜がVIP席から、マイクでアナウンスをする。リンほどではないものの、彼女もかつてミスコンに出たこともある美人である。気持ち悪い重役の中年どもは、目を細めながらそちらへ注目した。
「これから、子供達に殺陣演舞を披露して頂きます。」
会場は生ぬるい歓声に包まれる。屈強な男たちに囲まれた灯恵と気流斗が壇上に現れ、気流斗の手には金属バットが握られていた。亜唯菜は、準備が整うと楽しそうな顔をした。
「時間は30分、ごゆるりと勇姿を見届けてください。」
会場全体が2人の動きに注目する。気流斗は全身の震えを隠しきれず、なかなか身体を動かすことができない。灯恵がそれを不安げに見つめている。見世物の意図が全くわからない会場の来賓達は、その異様な雰囲気に釘付けとなった。
この会場の雰囲気をほくそ笑みながら眺めていたのは、VIP席に座っている4人だけである。特に臣貴は、普段の知識人的なキャラのメッキを自ら剥ぎ、笑を浮かべながら楽しんでいる。
「亜唯菜君、なかなか面白い見世物を考えたね。」
「ふふふ、面白いのはこれからです。」
リンは、彼女を見下して鼻で冷たく笑う。
「亜唯菜さすが。でもー公国政府にバレたら、あんたは死刑確定なんだけどね。あいにくこの会場には、あんたの味方しかいないようだけど...。」
亜唯菜が身震いをさせ、助けを求めるようにリンへ尋ねる。
「リン様。私、大丈夫ですよね?」
「多分ね♪」
リンは、汚物を見るような目つきで彼女を見ると、一変させてニッコリと微笑む。そのギャップがとてつもない狂気を秘めているのだ。
3人が気を逸らしている間、久喜は指をかじりながらステージを見ていた。
「言い分はわかるが、女の子殺しちゃうのは惜しいな。」
亜唯菜は、文句と愚痴をこぼす彼をなだめる。
「まだわかりませんよ。あの少年は姉の死を選ぶかもしれませんから。」
久喜が興味深そうに2人を見つめた。臣貴が顎に手を当て、関心しながら亜唯菜の横顔を舐め回すように見る。
「少年には少女を時間内に殺害しないとお前の大好きな姉を処刑すると伝え、少女には少年の攻撃に耐え抜かないと少年を処刑すると伝える。残酷だが儚いな。」
「ふふふ、残酷だから良いのですよ。」
余興の開始から徐々に時間が進んでいき、ついに気流斗がバットを振りかぶり灯恵に襲いかかる。灯恵は、大好きなボーイフレンドが暴力装置にされる様を身体を持って見せつけられ、必死に逃げ回った。
2人の必死な顔を見て、リンは大笑いしながらグラスの高級ワインを飲み干す。そして、2人の苦痛の声が響くたびに指を刺しながらゲラゲラ笑い、キモいとか早く死ねとか卑劣な文言を並べ立てた。リンが会場を煽り立てると、彼女の真似をした国の重役や金持ちが、2人に罵声を投げ始め、会場が大いに盛り上がる。
しかし気流斗は、いつになっても灯恵に致命傷を与えない。亜唯菜が気流斗を睨みつけながら合図を送る。それに気づいた彼は、やけくそにバットを振るった。
親友以上の存在の命か、大切な肉親の命か選択しなければならない状況で、彼の心はズタズタにすり減っていく。
灯恵は、狂った気流斗を説得しようと試みるが今の彼には通じない。自分の置かれた状況を伝えたらなんとかなるのかもしれないが、それはルールを破ることになり、気流斗の姉が処刑されることに繋がるから何も発言できなかった。
時間が半分を切る。亜唯菜は、そのことを気流斗に突きつけ、彼に殺しを煽りたてる。頭が真っ白になった彼は、さらに必死に彼女を追い立て、ついに彼女をバットで突き倒した。腹を抑えながら悶える灯恵を見て、臣貴やその他来賓が歓声をあげた。
それから気流斗は、倒れた彼女に歩み寄り、バットを振り下ろす。灯恵がそれを必死にかわし続けた。なかなか進展のない状況に、リンは冷めた目で亜唯菜を見つめる。
「つまんな。」
亜唯菜は、その一言でリンの心境を掴み取る。多分この状況が続くと私が何かされる。そう感じた彼女は、気流斗を怒鳴りつけた。
「早くヤれよ!!!置かれた状況理解してんのか!!!」
すると会場内も彼に対する罵声で包まれた。そしてその言葉は、気流斗にとって最終通告のように聞こえる。彼は、決断をしてバットを振りかざすと、灯恵に対して一言放った。
「ごめん、許して。」
持っていた金属バットを振り下ろそうとした。その時、衛兵が亜唯菜の元へ駆け寄り何かを伝える。亜唯菜の顔がまた強張り、急にマイクへ向かって大声で指示を通した。
「演舞を中断しなさい!!!」
この言葉に、会場も、VIP席の3人も、戦っていた2人も、何が起こったのか全く掴めなかった。
リンが亜唯菜を冷めた目で見ている。亜唯菜はそれに恐怖を覚えつつも、その決断を変えようとしない。そして彼女は、気流斗と灯恵を檻へ戻すことを指示してから、臣貴を呼び出して執務室へ向かうのだった。
◇
執務室は殺気に満ち溢れていた。机の上の書類がむちゃくちゃに散らされ、コーヒーカップは床に叩きつけられて破損した。怒りに支配された亜唯菜を臣貴がなだめる。
「亜唯菜君、慌てることはない。我々に喧嘩をふっかけてきた、諸葛なんとかとやらが何者かは知らないが、駐屯軍に討伐させればそれで終わりではないか。仮に国に報告されたところで、いくらでも誤魔化しは効くだろう。」
「このようなことで駐屯軍を動かす程、私は愚か者ではありません。それにあいつは、私がヒドゥラ教幹部とつながりがあることも知っていた。このことが雪火羅公のお耳に入れば、臣貴殿もただじゃ済まされないことはお分かりでしょう。」
臣貴は、また手で唇を触りながら、解決策を考える。
「秘密を暴露しない代わりにガキ2人の引き渡しを求めているのか。舐めやがって。」
「交渉を口実に砦内へおびき出し、そこで殺害するのが良案かしら。」
「あたりまえだ。」
ここで革命団を消さなければ、自分の運命がどうなるかわからない。公国で処刑されるか、はたまたはリンから死ぬ以上に怖い虐待を受けるか。亜唯菜は、革命団に対する憎しみ、そしてリンからの虐待と彼女への承認欲求から歪んだ笑みを浮かべる。
「ただ殺すだけじゃ煮え切らない。たっぷりおもてなしをしてあげましょうね。」
「ふっ、見物するのが楽しみだな。」
こうして新庄砦では、蒼一行を迎え入れる為の陰惨な準備が着実に進められた。亜唯菜は、自ら受話器を取り、諸葛真へ決定事項を伝えると最後にこう言い捨てる。
「手厚くオモテナシしてあげる。」
そして、受話器を力強く叩きつけて電話を切った。電話機は故障して使い物にならない。彼女は、それを床に置き、ブーツで徹底的に踏み潰したのであった。
(第十二幕.完)