第八幕!忍者
文字数 8,794文字
両津港近くの宿に本部を設置。俺と先生と糸木は、他の部隊の準備が整うのを待った。宿の一室で、糸木の部下である高発を含めた4人で最後の打ち合わせを行う。
明日の夜、両津の礼拝所、赤泊の教団船舶を同時に襲撃する作戦だ。段取りが決まってから、高発が言う。
「隊長は分かっていると思いますが、官取井の片腕と呼ばれし忍者、酒又小太郎には十分注意してください。奴は人間であって人間にあらず。ずば抜けた身体能力、そして信じがたいことに印を結んで火を吹いたり、腕に雷を纏ったりすることができるとのこと。できることなら戦いたくない相手です。」
俺は、その忍術という空想世界が馬鹿馬鹿しくて鼻で笑う。
「忍者なんてフィクションだろう。身体能力はともかく、忍術なんて考えられない。」
でも先生は、真面目なトーンで考察していく。
「いや、わかりません。ヒドゥラ教団は、特殊な人体実験にも着手しているとの話を聞いたことがあります。相手が作られた本物の忍者である可能性無きにしも非ず。」
すると、糸木が腕の傷を見せた。
「実は一度、奴ら忍者部隊と刃を交えたことがある。」
皆の視線が彼に注がれる。その腕の傷は、見た目こそグロテスクではないものの、激しい痛みを伴ったことがわかるくらいの大きな物だ。
「率直に言おう。確かに奴は電気を腕に纏っていた。そしてその雷の拳で刀を掴まれ、武器を捨て遅れた俺は感電した。焼けるような痛みは今でも忘れられない。色部が拳銃で奴の足を撃ち抜いてくれなければ、そこで死んでいただろうな。」
震えが止まらなかった。そんな化け物に勝つすべなんて存在するのか。もはや考えることがバカバカしく思える。
俺が悩んでいると、先生が糸木に聞いた。
「酒又と遭遇した際、まともに戦える人間は何人いますか?」
「俺、そこにいる高発、直江殿の元にいる色部。この3人だけです。」
俺は腕を組みながら彼の目を見る。
「狙われる可能性の高いパーティに配置したわけだ。」
糸木がそうだと頷く。とはいえ、戦うだけでも最難関だというのに、酒又も捕縛しなくてはならないのだろうか。疑問が膨らみつつあった時、先生が糸木に確認する。
「捕縛しようと弱るまで待っていては、いずれこちらが消耗して息絶る。それでは意味のない作戦になってしまいます。酒又は殺しても構いませんよね?」
「ええ、煮るなり焼くなりご自由になさってください。」
「では単純ですが、糸木殿と高発殿が奴の手足を狙いつつ動きを封じて頂きたい。動きが鈍くなった所を私とリーダーが拳銃で撃ち殺します。」
高発が気難しそうに答える。
「そう簡単にいく話じゃないですよ。私達も互角に戦えるとはいえ、劣勢になるのが必須。動きを止めろなんて。」
「お二人の力で討ち取れるのなら、そうして頂きたい。それが難しいのであれば、チームプレイで討伐すべきだと言いたいのです。」
「わかりました。しかし、その前に直江殿の一行が酒又と対峙した場合はどうしますか?」
先生は、扇子をバシッと開くと、余裕そうに顔を仰いだ。そして呆然と見つめている高発へ断言する。
「そうならないように誘き出すのです。」
高発は首を傾げた。
「どうやって、官取井から引き離すのです?」
「官取井だからこそやりやすいのです。そもそも奴の下にいる戦闘員で、官軍第一部隊とまともにやり合える人間が何人いるでしょうか?」
糸木と高発は、思い当たる節がなさそうだ。先生がそこを追求するように問いかける。
「風の噂によると、奴の親衛隊の忍者部隊は数名とのこと。更にその中でも、新潟官軍1の勇将糸木殿とやり合えるのは、酒又くらいしかいないのではないですか?」
2人は、ただ相槌を打ちながら聞いていた。
「カネスケの元にいる色部殿には、内通者役を演じてもらっている。彼の口から、新潟官軍第一師団のリーダー糸木殿。そして、教団からマークされている私たちのリーダーの北生蒼。この2人が両津にいることを知らされたら、出世に目が無い官取井のことです。必ずや、酒又を派遣して我らを討ちにきます。そして、功績を上げようと考えるでしょう。」
「確かにそうかもしれません。そうなったら全力で酒又を討ち取ります。」
俺は、長引きそうな会話にピリオドを打った。
「あれこれ考えても仕方がない。先生の策の実を結ばせる為に動こう。 」
こうして打ち合わせが終わる。その数時間後、赤泊の典一、小木港の宇佐美から準備が整ったとの知らせを受け、いよいよ官取井を滅ぼす時が近づいたのだ。
◇
カネスケ一行は、官取井との謁見を終えてから宿舎へ移動となる予定であったが、岩井の耳打ちにより牢へぶち込まれることとなる。紗宙と色部は、官取井の執務室へ案内された。
カネスケと樋口が牢へ入れられた理由は、人質とのことである。紗宙と色部が裏切らないように、保険をかけたのであろう。
牢の中はカビ臭く、雨漏れでところどころ水溜りができていて気分が非常に悪い。カネスケは、すぐに不満をぶちまける。
「人を入れる場所じゃないですね。」
「そりゃあそうですよ。官取井の肉便器と化したヤク中の女。そして、人間として扱われない奴隷のような信者なんかが入れられる場所ですから。」
カネスケが深いため息をつく。
「俺たちも、人として見られてないってことですか...。」
「色部がきっと上手くやります。それまで辛抱しましょう。」
「その時までに、官取井を捕らえる作戦、そして本隊と合流するまでのことを考えますか。」
窓のない地下室だ。誰かが伝えてくれなければ、正確な時刻が把握できない。それに夕食はどうやら猪の生肉と水だけだ。カネスケは、流石にイライラが抑えきれず、檻を思い切りぶん殴ったが気が晴れることもなく、ただ手が血だらけになって終わった。
ヒドゥラ教を倒さなければ、日本の国民は枕を高くして眠れないだろう。そう思った時、誰かが地下室へ降りてきた。
官取井かと身構えると、その音の主は色部であった。カネスケが声をかけると、色部が気づいて牢の前まで来た。
「官取井が忍者部隊を両津へ送りんだ。ただ、諸葛殿からの密報によると、まだ動くなとのこと。」
「ついに来たな。すぐ動けるように、こっちも備えます。」
目から自然と希望が溢れる。それほどにこの監禁生活が過酷なのだ。しかし、浮かれたい気持ちが膨れ上がる一方で、それよりも心配なことがあった。
「紗宙さんは無事ですか?」
色部は、心配するなといった感じでハッキリと頷く。
「官取井は、暴力で洗脳しようとしたり、刃物を突きつけて脅したりしていました。けど、彼女は何も言わずただ耐えていた。しかし、それも時間の問題です。」
「時間の問題か...。」
カネスケの目つきが鋭くなる。それを見た彼は、ポケットからロウでできた小さな鍵をカネスケに手渡す。
「指示が下り次第、一刻も早く救出します。その為にも、こいつを渡しておきます。」
受け取ったカネスケが、試しに牢の鍵穴にそれを挿して回すと、鉄格子でできた扉はいとも簡単に開いてしまう。あまりのセキュリティの疎かさに、つい笑いが込み上げてきた。
だが、監視がいつ戻ってもおかしくない為、ロウの鍵を折らないよう慎重に元へ戻し、それから色部へ尋ねる。
「色部殿。1つ聞きたいのですが。私の荷物は車の中で、先生との連絡手段がないからタイミングが取れません。そこはどうするつもりか?」
色部が自分の胸ポケットをさすった。
「手榴弾を爆発させます。音に気づいたら、その鍵を使いここから地上へ出てきて、私に加勢してください。」
カネスケが指でグッドサインを出す。すると彼は、官軍に幸あれと言い残して去っていった。
こうしてカネスケと樋口は、空腹を押し殺し、地上に這い上がる機会を今か今かと待つのであった。
◇
両津では、先生の作戦と糸木、高発の武勇によって、教団の礼拝所を占拠に成功する。
俺は、付いてくのに精一杯であった。木刀や鉄パイプを振り回してくる僧侶たちに対して、官軍の2人が容赦無く斬り込んでいく。先生も元々国際連合の軍部に居ただけあって、簡単な武術はこなしていた。そして、俺はと言うと、闇雲に糸木からいただいた木刀を振り回した。
俺たちが殺して良いのは忍者部隊だけだ。他の信者は、悪の教団員とはいえ一般市民よりもちょびっと戦闘慣れしてるだけの暴漢たちである。気を失わせて身柄を官軍本部、または新潟県警に引き渡す予定だ。
俺たちが教会を占拠した頃。赤泊に停泊していた教団の船は、典一らの手によって海の藻屑と化したそうだ。だが先生は、カネスケたちにまだ指示を出さない。
理由を聞くと、彼はこう答えた。
「忍者の気配が感じられない。奴らを確実にこちらへおびき出さねば、カネスケたちは全員死にます。だから、ここへ酒又ら忍者部隊が攻めてくるまで、カネスケ達が官取井に敵だと悟られてはいけないのです。」
納得できたが不安も積もる。なぜなら、1つ確実なことがあるからだ。それは、どう転がっても酒又と戦わなくてはいけないということである。
色部曰く、礼拝所を占拠されたことに官取井は怒り狂ってるらしい。しまいには、俺たちを一番残酷な殺し方で殺せた者に莫大な報酬を与えるとも言っているそうだ。実に恐ろしい話である。
◇
夜になり、静まり返った礼拝所内の広い道場。4人揃って飯を食べていると、いきなり電気が消えた。明かりのない空間で、どこからか複数の足音が聞こえてくる。
糸木が息をひそめると囁いた。
「忍者です...!!」
俺が焦ってしどろもどろしていると、先生が冷静に嗜める。
「静かに。落ち着いてください。フォーメーションのとおりに動けば、まず致命傷は免れます。そして、この袋を持っていてください。使うべき時に指示しましょう。」
先生立案のフォーメーションとは、3人が俺を中心として三角形を作り、背後を互いに守る形で戦える並びだ。目の前の闇の中には、薄っすらと蠢く無数の影が見え始めた。俺は、込み上げる恐怖を無理矢理抑えつつ先生の策に従う。
敵が俺たちを素早く取り囲むと、一斉にクナイを投げてくる。官軍の2人は勿論だが、先生もさっき拾った鉄の棒で鋭いクナイを叩き落としていく。
正確に敵が何人いるのかは把握できないが、無限と言っていいほどクナイが飛んでくる。それから敵は、短刀を抜いて襲いかかってきた。
鉄と鉄が激しくぶつかり合う音が響き渡り、誰だかわからない呻き声が聞こえる。そして、血液型すら知らない誰かの血が思いきり顔面にかかる。
俺の顔は、鉄のような表情となり、先生は俺の知らない先生になっていく。その目は、人の殺し方を熟知しているような目である。
失神しかけていると先生が叫んだ。
「リーダー!袋の中の丸いカプセルです!強く握りしめたら真上へ投げてください!」
俺は上を見た途端、震えすら止まる恐怖を覚えた。天高く舞った男が、俺をめがけて降ってくるのだ。しかも右手の拳は、明らかにバチバチした何かを纏っていた。こいつが酒又か...。
死ぬ。そう思い無意識に袋からカプセルを取り出し、天井めがけて投げつけた。
酒又は、死に抗おうと必死の俺を冷酷に見下してくる。
「何をしてこようと無駄だ。敵将滅殺。」
電気の拳を振りかぶり落ちてくる酒又。彼は、カプセルにゲンコツを振りかざし、粉砕しようとした。だが、カプセルは手に触れた瞬間、まばゆい光を放って破裂。激しい熱と光が部屋を包み込む。
俺は、何が起こったか全くわからない。ただ周囲が真っ白になり。真横に強力な力が落っこちてきた。白い世界のどこかで、敵の死ぬ声が聞こえてくる。
先生が俺を呼ぶ声が聞こえた。
『今いる場所からできる限り離れなさい。』
と。
◇
視界がはっきりしてきた。後ろを振り返ると、道場の床に大きな穴が空いている。そして、その隣に酒又が立っている。穴の周囲には、18体の忍者の死骸が転がっていた。
人の死骸1つですら恐ろしいのに、それが群れをなしているとなると、普通の世界で生きてきた俺にとってはトラウマものの光景である。しかし、俺の周りには守るように3人がいてくれたので、物凄く安心を覚えた。
暗闇に目が慣れたのと外から差した月の光で視界がひらけ、酒又の顔がはっきりと視界に入ってきた。恐らく30歳は超えている顔つきではあるが、その表情はどこか子供じみているところがあった。
「やるじゃねえか。だけど、お前ら一般人じゃ、忍術の前ではなす統べねえよなあ。」
すると奴は、両手で印を結び高らかに叫んだ。
「火法、炎原。」
奴が指を示した部分すべてから炎が上がる。そしてみるみるうちに燃え広がり、俺たちを完全に囲い込んだ。それから徐々に炎の囲いが狭まってくる。戸惑う俺を横目に、高発が前へと踏み出した。
「奴を殺さない限り、この炎は消えない。俺たちが、火をくぐり抜けて奴を討つ。だから先生は、蒼殿の護衛をお願い致します。」
先生は頷いた。官軍の2人が炎の中をくぐり抜けて酒又に斬りかかる。酒又はそれを回避しながらまた印を唱える。
「雷法、スサノオ。」
すると、奴の持っていた日本刀に電圧が帯びたように見えた。そして一瞬のことである。何故か全身に激しい痛みが走った。とてつもなく辛い苦痛の味が全身に走る。腹の辺りから赤い液体が零れ落ちているのにも関わらず、それに対する違和感を一切感じない。その代わり、全身に電気が走る壮絶な痛みを直に受けて絶叫を上げた。
何が起きたのか分からず、生きようと必死に前を向くと、いつの間にか目の前に酒又がいた。
「お前がどんな人間だか知らねえ。だが今のうちに殺しとかねえと、教団に脅威を及ぼすかもしれない。そう俺の直感が感じ取った。だからてめえをまずは殺す。滅多刺しにして電気で粉にしてくれる。」
「なんで俺なんだよクソ!まだ死ぬわけには行かねんだよ!」
「能力ねえくせに意気がるからだよおめえは。」
「初めて会った野郎に何がわかるんだよ!」
酒又がニヤリと笑みを浮かべる。
「わかるね。お前が大したことないただの陰キャラってことくらいな。普通に働いて、社会に痛めつけられていれば良いものをなあ。この馬鹿ザルめが。」
酒又がさらに電気を強めた。俺の皮膚が溶け始める。やばいもう死ぬ。でも死にたくない。歯を食いしばりながら抵抗する。
「この俺が...、てめえごときに...殺されるわけ...ねえよ。カスが!!!!!」
「努力すらしたことないやつに負ける気はさらさらねえ。死ねよ。」
気を失いかけたその時、酒又が俺から離れた。糸木と高発が、背後から斬りかかったからだ。
刀を引き抜かれた俺は、血を撒き散らしながらその場に倒れた。傷口を塞ごうにも身体が言うことを聞いてくれない。
全身の感覚が失われ、地面に後頭部を強打したというのにその衝撃がわからなかった。
俺が死の淵を彷徨い悶えていると、先生が手を差し伸べてくれる。そして止血の為にサラシのような布をぐるぐると巻きつけられた。
「少し休んでいてください。」
あまりの痛みが故に、休む身体も休まらず、しばらくは泣きじゃくりながら声を上げていた。
そうこう言ってる間にも、糸木と高発が切り刻まれている。先生は、懐に隠し持っていた拳銃で応戦する。しかし、奴の忍術『岩法、鋼腕』によって鉄骨と化した腕により弾き返された。
そして4人は、忍者の恐ろしさ、教団の恐ろしさ、そして人間の無力さを思い知らされるのだった。
◇
斬りつけ合いは長期戦に持ち込まれた。このことが果たして、良いことなのか悪いことなのか。まだ俺達は死なないで息を吸っている。しかし体力の限界は4人とも感じていた。
一方の酒又は、体力の衰えすら感じてはいないみたいだ。しかし、奴には弱点があった。それは集中力である。
酒又は時間が経つにつれ、唸りながら拳を振るった。そして、若干ではあるが戦闘のリズムが崩れるのである。そのタイミングで2人が振るった刃は、奴から赤い液体を撒き上げた。
その時、先生が語った。酒又の忍術はデタラメだと。腕が硬いのは、皮膚の中に硬いゴムを仕込んでいるから。火を使うのは、予め撒いておいた油に対して、クナイにくくりつけたタバコを投げ込み引火。腕の放電は、背中に背負っている四角い箱の中から、電力を供給して手につけた手袋のようなものに管を繋ぎ、そこで放電させているのだと。
確かに背中の箱が時々光を放っているように見えたり、周囲からガソリンのような匂いがしたり、違和感は沢山あったがその結論には至れなかった。じゃあ、その背負ってる箱を壊してしまえば良いのではないかと先生に話す。
すると、酒又の集中力が完全に衰えるまでは動きを読まれてしまうので、弾の無駄になってしまうとのことだ。
そんな会話を続けていた時、事態は急展開を迎えた。糸木が刀で腹を貫かれた。通電による激しい衝撃に、彼は声を上げながらも堪えていた。そしてフラつきながら、ヘラヘラ笑う酒又にしがみつく。おそらく彼も気づいたのだろう。酒又の忍術がデタラメということに。
もちろん酒又は、電気から自分自身を守る装備を整えている。だがそれでも、覆えない部分はある。それに奴は、強さに過信して防備に力を入れていない可能性も捨てきれない。
糸木は力を振り絞り、酒又の額に頭突きを食らわせた。酒又が感電して断末魔を室内に撒き散らす。この機を逃さず、高発は背中に背負っていた斧で酒又の脛を打ち砕いた。今までに聞いたことのない獣のような叫び声が周囲を覆う。
酒又がふらつきながら、もう片方の足で糸木を蹴り上げる。そして、数メートル下がった後、その場に倒れ込んだ。それと同じくして、高発もその場に倒れた。
酒又は、糸木を蹴り上げたタイミングと同じくして、電気を帯びたクナイを高発へ向けて投げていたのだ。腕を射抜かれた高発は苦しそうに腕を抑えていた。
足をやられ、更に集中が途切れてヤケ糞になった酒又。彼は、2人めがけてまるでダーツで遊ぶ大学生のように、独り言を言いながら楽しそうにクナイを投げた。
クナイは2人に命中し、赤い水たまりができる。それから彼は、片足で立ち上がると拳銃を構えている先生を睨みつける。そして、刀を振りかざしながら、ケンケンパとも思えぬスピードでこちらへ迫ってきた。
その姿は、死が迫ってきていると表現してもよいくらい恐ろしく、早く殺してくれと言いたくなるほど弱音を引き出してきた。
だが先生は、表情1つ変えず扇子で顔を仰ぐ。
「酒又はもはや限界。私のことしか見えていないでしょう。リーダー、言いたいことはわかりますね。」
彼は、ちらりと俺の手元に落ちている白い袋を見た。酒又が先生の放つ銃弾をことごとく弾き返し迫ってくる。俺は、先生の言いたいことがわかった時、つい動揺を隠しきれなかった。
彼は、人を殺せと言っているのだ。いつかはここに行き着くと覚悟はしていたが、本当に人殺しになる日が来てしまったのである。
でも俺がやらなきゃ先生が死ぬ。酒又の射程に先生が入り、奴が刀を振りかぶった。
俺は、使い方すらいまいちわからない独裁者のオモチャをかざし、酒又小太郎という男の人生にピリオドを打ち込む。
脳を貫かれた酒又は、気味の悪い声と血と脳みそを撒き散らしながらその場に倒れこんだ。いくら筋肉を鍛えあげようと、頭蓋骨はどうにもできない。
酒又の集中力は途切れ、俺の存在が見えていなかった。俺は頭が真っ白になりその場へ座り込んだ。その時、瀕死の宿敵からかすかに声が聞こえた。
「は..はは...、お前は..もう...立..派な犯罪..者だ..ぜ...。人..生....真っ逆...さまだ..な。それ..に、お前ら..の仲..間..は..今頃..官.取井の..オモチャに..なってるぞ..。い..い...気..味だ...ぜえ...。」
俺は。それに対して無意識に激しい怒りを覚えた。記憶が途絶え、目の前で激しい機械音が鳴り響く。
ここから先はあまり覚えていないが、気がつくと酒又の死骸は蜂の巣と化していた。
「気が済みましたか。」
先生が諭すように話かけてきた。俺は、ぼんやりと視界に浮かぶ死体を見ながら静かに頷く。
ぐちゃぐちゃになった人間の身体。自分の命を狙ってきた宿敵に人権など存在しない。そんなことわかっていながらも、謎の罪悪感が沸々と湧いた。
全身の痺れも忘れ、手足を震わせながら膝をついた俺に先生は言う。
「彼の命もまた無駄にはできません。覚悟ができたのであれば、この国を必ず変えるために前へ進みましょう。」
状況が状況なだけに、彼のポジティブ発言が罪悪感のかけらもない猟奇発言に聞こえてくる。
だが、ここで死ななかったことは、何か運命の暗示なのかもしれない。俺は、罪悪感と不安に押しつぶされそうな気持ちを無理矢理にでも変えようと、自分が宿敵に勝ったことを心の中で何度も褒めた。
それから、ボロボロの身体を持ち上げるかの如く、ふらつきながら立ち上がる。
「必ず変えてやるよ。この腐った日本国をな。」
先生が俺と糸木を肩で担ぎ、高発は自力で歩き出す。全焼寸前の礼拝所から命からがら抜け出すと、新潟県警と消防団がすでに駆けつけていた。俺たちは、事情聴取も兼ねて市内の病院へ搬送される。
先生は、指揮を執る兼ね合いで警察とともに本部へ戻り引き続き作戦に従事した。だけども俺は、容態の重さから新潟市の官軍病院へと送還されることとなる。
両津港にて、先生に後を任せることを伝えると、タンカーで寝転がりながら深い眠りについた。
(第八幕.完)