第35話 芸能界のドン

文字数 1,000文字


 小坂部と和田は安西派事務所に入れてもらえなかった。いわゆる門前払いを食った。
 いくら検察官でもアポなしでは派閥事務所も相手にはしない。疑惑のままで起訴に至る物証を持参していなければ。
 ここは一旦引き下がろうと小坂部は考えた。民政党の不始末だけを追及しても仕方がない。その奥にはびこる膿みを出さぬことには。
 膿んだ腫れ物を別の角度から追っているハイエナに、小坂部にしては珍しく靴先を向けた。
「そこの珈琲店でちょっと話さんか?」
 メディア記者である妹尾に語りかけたのだ。
 さっきは無駄なお喋りと見下されながらも妹尾は、
「いいですよ、検事さんの驕りなら」
 小さく笑って腫れぼったい目を小坂部と和田に向けた。
 小坂部たちは物証を得ている。特捜部が掴んでいるところでは安西派はパーティー券収入で得た資金を政治資金収支報告書に記載せず、個人の議員にキックバックしていた。ただ、それだけでは不十分だった。結末は見えている。派閥の領袖との繋がりが見えず会計担当者だけの尻尾切りで終わる。ボスキャラまでたどり着けない。

 昭和レトロな喫茶店。黝(くろず)んだ檜造の格子窓を雨が叩く。
 妹尾は一番高価なパナマゲイシャの香りを楽しそうに啜り言った。
「緒沢謙次郎ですね」
 小坂部が頷く。
 キックバックを受けていた議員の名前は検察官、芸能レポーター共に共有できていた。
 妹尾は緒沢のことをよく調べていた。
「彼は確か、N放送局初代会長の孫である立石健三氏の幼なじみであり、また議員になる前は一般社団法人日本民放連の会長も務めていますね」
「そのとおりだ」
 小坂部は対照的に一番安価なレギュラーブレンドを機械的に口に運ぶ。
 和田はレギュラーブレンドにも手をつけず二人の会話を時折補足する。
「緒沢は放送事業に通じた旧郵政省から続く郵政族の生き残りです。いまではそんな族議員は民政党に彼しかいませんが。しかし、彼には放送事業の裏で糸を引く芸能界の隠れ首領(ドン)との噂がある」
 そこを今度は妹尾が引き取り補足する。
「噂じゃなく事実ですよ。緒沢は紛れもなく芸能界のドンです。ひとたび彼が目をつけたタレントはあれよあれよとスターダムを伸し上がっていく。なんたって斯界から集めてきた豊富な資金がありますからね、彼には」
 重苦しい表情で小坂部が呟く。
「その端くれが政治資金パーティーで得たカネだが、そんなちっぽけな構図じゃない、奴の政治基盤は」

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