第32話 日本盆栽展

文字数 764文字

 ここ15年ほどで、若いときはあんまり興味がなかった日本庭園とか植物とかに興味が出てきた。手入れされていないジャングルみたいな大自然はそんなに好きじゃない。自分の扱える範囲で自然の風景を模す。そういう発想が好きだ。そして盆栽なんて、もう大好物。緑は人を癒す。それは確かだろう。自然のある場所に出掛けなくても、小さな自然を楽しめる盆栽。そこが盆栽の良いところ。
 盆石(景)も一緒に展示してあったのだが、砂と石だけで自然を模すって、究極の引き算の美だなと思った。美術品一般について、西洋は盛って盛ってという感じの美だが、日本は引き算ベース。盆石を見ていて、そういうことを思った。私のDNAの中に引き算の美がしっかり受け継がれているのであろうか?
 今回はどれもこれもよかった。樹齢300年以上の木もあり、一部幹が枯れてしまったもの(白骨みたいで舎利というらしい)と、まだ生きている幹が絡み合って、何とも言えない神々しい雰囲気を撒き散らしているものもあった。自分が小人になった気分で、広がった枝葉を下から覗き込んでみる。そして心の中で、「一部死にながら生きるってどんな感じなの?」って訊いてみる。当然応えなんてない。私なんかより、遥かに長い時をこの木は生きてきて、これからも存在し続ける。神のような何かが宿っているとしか思えない独特の雰囲気も納得する。
 そういう盆栽は一代では面倒見きれないから、必然的に次の世代へ受け継がれる。そう思うと盆栽って気軽に手は出せないし、相当奥深いなと思う。
 また外国の方も結構いた。スタッフもお客さんも両方。写真を撮りまくっている人もいた。私もスマホで撮ってみたが、残念なことにあの独特の生命感は写真では上手く伝わらない。特別な何かが死んでしまう。

 年に一度の盆栽展、私は来年もきっと行っているだろう。
 
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